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私もロータス・イーター?

  • 2026-10-16 (Fri) 16:05
  • 総合

 学生時代の卒業論文は英作家サマセット・モームの文学について書いた。モームの著作は主立ったものは読破したと思っていた。それでたまたま、他の人のブログを読んでいてモームの短篇に触れたものがあったのだが、私はそれは読んだことがなかった。面白そうな作品に思えたので遅ればせながら読もうと思った。ネットで検索すれば出てくるだろう。
 確かにあった。“The Lotus Eater” という短篇で邦訳もあるようだ。モームの英文は日本人にも分かりやすくそう悩まされることはない。この作品もすっと読めた。lotusは蓮(ハス)の意で、ギリシャ神話によると、その実を食べると現世の苦悩を忘れるとされたとか。ホーマーの叙事詩オデュッセイアにこの実を食べて現実逃避を図る人々が登場するらしい。転じてlotus eater と言えば「(現実を忘れて)安逸にひたる人」を意味すると辞書にある。
 “The Lotus Eater”は作品名が示す通り、人生にある時点で見切りをつけ、安逸な日々を送ってきた男の物語。舞台は語り手(モーム)が友人を訪ねたイタリアのナポリ湾に浮かぶカプリ島。高級リゾート地だ。そこでイギリスの銀行を早期退職して日々を過ごす中年の男、同じイングランド人のトーマス・ウィルソンに出会う。ウィルソンは語り手に自分がなぜ、安定した銀行職を捨て、島に移り住んだかを語る。休暇でこの島を訪れ、夕日の光景に魅せられ、その場で永住を決意したのだとか。
 彼が銀行勤務を始めたのは17歳の時。年金支給の資格を手にするためには30年の勤務が必要で彼にとっては47歳まで勤務することを意味した。彼は当時35歳。彼は計算した。早期退職しての年金に加え、住んでいる家などを売りに出せば、向こう25年間、60歳までは働かずともやっていけると。彼は銀行を辞し、カプリ島に移住した。夜露をしのぐ小屋に住み、食事の世話をしてくれる地元の婦人を見つけ、気ままな生活に入った。語り手が会った時は15年が経過していた。50歳となっていたが、まだ10年の「猶予」があった。
 ウィルソンは語り手に言う。“I’ve had my money’s worth already. And I’ve got ten years more. Don’t you think after twenty-five years of perfect happiness one ought to be satisfied to call it a day?” (十分に元手は取った。まだ10年も残っている。25年も完璧な幸せな日々を過ごせば、もう自分の人生にお別れを告げてもいいと思いませんか?)
 語り手がカプリ島を再訪したのはそれから10年以上の後のこと。あの男、ウィルソンはどうなっているのだろう。消息を尋ねるとーー。年金はとっくに枯れていた。蓄えもなく、頼れる身内もいない。小屋の家賃や婦人に支払うお金も枯渇。しばらくは地元の人々の好意に甘えていたが、やがてそれも行き詰まり、悲惨極まりない最期を迎えているようだ。
 自殺未遂(?)の後に呆けたようになったウィルソンを病院に見舞った友人は彼が奇妙な表情をしていたと振り返る。強いて例えるなら、suppose, you threw up a stone into the air and it didn’t come down but just stayed there …(小石を空中に放り投げたら、その小石が空中に浮かんだまま落ちて来ない・・・そんな光景を目撃しているかのような表情)。不条理の世界に迷い込んだのだろうか。
 仮に30代、40代でこの作品を読んでいたら、おそらくさらっと読み終えていたことだろう。古希を過ぎた今はウィルソンの苦悩に満ちた晩年は人ごとではない。

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