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「愚公移山」

  • 2026-05-22 (Fri) 21:54
  • 総合

 少し前に中国語の学習について、「音を聴いて声調を含めたピンイン表記を正確に思い浮かべるのは(音感の鈍い私には)至難の業」と書いた。平日はスマホのラジオから流れてくる中国語の音を聴いて、その語句(四文字熟語のケースが多い)を想起しようともがいている。面白いのは、一群のその音を耳にして、スマホの検索機能で調べると、そう苦労せずにその語句に行き当たる幸運がままあることだ。中国語と日本語は発音が大きく乖離した言語だと思っているが、案外、その「距離」は近いのではないかと感じたりもしている。
 最近の一例を挙げる。スマホのスピーカーから「ユーゴン イーシャン(yugong yishan)」という音が流れてきた。これだけでは何のことやらさっぱり分からない。例によって漢字を推測した。yuという音で「愚」をすぐに思いつくのは私にはできない。声調を度外視すれば、yuの発音からは「迂」や「于」「余」「魚」「雨」「浴」「欲」など幾多もある。gongや yi、shanもしかり。スマホの検索機能であれこれやっていて、「愚公移山」という語句に行き着いた。人工知能(AI)恐るべしだ。以下の説明があった。――中国の故事成語である「愚公移山」(ぐこういざん)のことだと思われます。どんなに困難なことや一見不可能に思えることでも、地道に努力を続ければいつかは必ず達成できる、という意味を持ちます――
 とにかく、初めて出合う中国語の格言を聴き、その「音」からそう苦労することなく漢字を推測できたことは嬉しかった。漢字文化圏に暮らす日本人ならではの喜びだろう。
 「愚公移山」で「石の上にも三年」ということわざを思う人もいるかもしれない。愚公とは「愚かな人」という意味ではなく、架空の老人の名前のようだ。現実には地道な努力だけで「山を移す」ことなど不可能だろう。確か、聖書に似たような文言があったことを思い出し、ネットで調べると、マタイ伝にあった。英文では “Faith will move mountains.” という言葉だった。「信念は山をも動かす」が定訳とか。
 こうした言葉に接すると私はいつも思い出す小説がある。英米文学を専攻した学生時代に卒論のテーマに選んだ英作家、サマセット・モームの代表作 “Of Human Bondage”(邦訳『人間の絆』)だ。主人公の若者は生まれつき片足が不自由。両親を亡くして孤児となり、牧師の叔父に引き取られる。不自由な足から解放されるよう願う日々を送るが、厳格な叔父から諭された言葉が聖書のこの言葉だった。若者は必死に祈り続けるが、毎朝目覚めると不自由な足に変化はない。それで信仰心を失うことになる。
                  ◇
 最近は大リーグすなわち大谷翔平君のことをあまり書いていないが、もちろん、ずっと熱心にフォローしている。一時はちょっと打撃が湿っていたが、二刀流プレーヤーとして再び比類なき活躍を見せ始めている。
 日本時間木曜日の対パドレス戦では投手として先発し、5回を投げて無失点に抑え、打っては先頭打者ホームランをかっ飛ばし、ライバルチームを突き放した。防御率はダントツのトップで、MVPはともかく、初めてのサイヤング賞受賞も夢ではなくなった。ホームラン王に二度輝いたこともある打者が投手にとって最高の栄誉であるサイヤング賞まで獲得することになれば、彼を形容する賛辞は地球上に存在しなくなるかもしれない。

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