Home > 総合

英語でさるく 那須省一のブログ

«Prev | | Next»

北京ビキニ

20220719-1658228611.jpg 公民館の中国語教室。先日の講座で受講生の一人が冒頭のお決まりのショートスピーチで世界各地の猛暑を話題にした。中国の状況を述べた際に彼は「北京比基尼」という表現を使った。私はこの表現は知らなかったので面食らった。私には「北京ジニ」と聞こえた気がしたので、急いでスマホの辞書機能を使って「ジニ」を調べると「所得や資産の分配の不平等度を測る指標の一つ」とある。はて、猛暑とどう関係があるのだろうと頭が混乱した。
 ほどなく、そういう難しい話ではなく、単に「北京ビキニ」という語句であることが理解できた。夏になると、中国、特に北京の中高年の男性の間では来ているシャツなどを胸元深くたくし上げ、少しでも涼もうとすることから、そうした姿を「北京ビキニ」と呼んでいるようだ。「ビキニ」が「比基尼」。私にはこれが「ジニ」と聞こえたのが混乱の始まりだった。
 しかし、男がシャツをたくし上げただらしない姿を女性のビキニ姿になぞらえたユーモアは笑える。「比基尼」のピンイン表記はbǐjīní であり、語源のビキニ環礁 (Bikini)の音を写し取ったものであることは明らかだ。
 当局は男性諸氏がこうした姿を公衆の面前でさらすことを面白くは思っていないようだ。それは理解できる。日本でも少なくとも都市部ではこうした姿を想像することは難しい。田舎でも今では難しいかもしれない。私はガキの頃は夏休みには上半身裸で外を歩いていた。川に泳ぎにあるいは魚を突くために歩いているのだから「大義名分」はあった。田舎では夏に上半身裸の姿はそう珍しくはなかったのではないかと思う・・・。
                  ◇
 千町甲衰退。私のパソコンで「せんじょうこうすいたい」と打つと「千町甲衰退」と変換される。「線状降水帯」とするには二度個別に変換する必要がある。やがて一発で線状降水帯と打ち出されるようになるのだろう。線状降水帯によると思われる豪雨が九州各地を始め、全国で猛威を振るっている。
 電車の運休や遅延により、教えている専門学校の授業(試験)も火曜日、臨時休校とするとの緊急連絡があった。私が住んでいる東区はたいした雨は降らなかったようにあるが、致し方ない。この季節になるとよく思う。未曾有の豪雨が日常茶飯事になりつつある時代に生きているのかもしれないと。
 そうだとしたら、毎年のように繰り返されるようになった水害に対しては、住宅密集地が多い下流域の川幅を拡張、底を掘り下げるとか、逃げ水の地を多種多様設けるのが急務なような気がする。
 午後に入って私の住む東区一帯は青空が広がり、猛暑が戻ってきた。このところさぼっていた香椎浜の散策路の散歩に出かけた。途中、蝉の抜け殻に出合ったと思ったら、まだ生きていた。コンクリート路にひっくり返り、足を弱々しくばたつかせている。短い一生を終え、死の途に就く直前かも。哀れに思われ、手にした布切れを近づけるとしがみついた。幸い、近くに草むらがあったので、そこに横たえた。短い一生と書いたが、我々の人生だってどこかにいるかもしれない地球外生命体から見れば刹那の生命かもしれない。セミ君は私の小さな親切をどう思ったか。大きなお世話と一蹴していないことを願う。

「마세요」と「마시오」

20220718-1658117133.jpg パソコンやスマホでYouTubeをよく見るようになったことも一因しているかと思うが、テレビを見ることが格段に少なくなった。大リーグの生中継にプロ野球放送、それにNHKニュースなどの時間を除けば、テレビを見ることはあまりない。民放の番組を楽しみにすることは皆無に近い。ドラマやバラエティ番組は全く興味がない。お笑い番組は好きだが、YouTubeで後日見れば十分。大リーグ生中継さえなければテレビそのものを処分して身軽になりたいとさえ思う。引っ越しの時には荷物ともなるからだ。
 インターネットが台頭していた頃、やがて新聞産業が衰えていくのではないかとささやかれたことを覚えている。毎朝夕配達される新聞は役目を終え、必要なときに必要な情報を手にする電子新聞のような媒体に取って変わられるのではとも言われた。長い目で見ればそのような流れになっているのかもしれないが、今も自宅で定期購読している新聞は命脈を保っている。
 案外、新聞産業よりも既存のテレビ業界の方が将来が危ぶまれるのではないかと私は思う。NHKはともかく、民放各社は必要があるのか。地方にあまたあるテレビ局もそれだけの存在価値があるのか。YouTubeではありとあらゆる情報が流されてきている。選択肢は余りある。有象無象の選択肢の中からやがて視聴者の信頼を勝ち得るものが出てきて、既存の放送局を凌駕する時代が到来することだってあり得るのではないか。私は電波ではなく活字で育てられた人間だから、テレビの行く末にはそう大きな関心を抱いているわけではないが、そんなことも頭に浮かぶ2022年の盛夏・・・。
                  ◇
 テレビはともかくラジオの役割は増しこそすれ、減ることはないかのように見える。もっともラジオ本体は不要の存在になりつつあるようだ。パソコンやスマホを通して聴取が可能だからだ。NHKの「らじるらじる」を利用しない日はないほど。従来のラジオだと電波が乱れて聴き取りにくいことも多々あったが、「らじるらじる」だとそんな心配も無用。大地震などの災害時にもNHKラジオさえ聴取可能ならば心強い。
                  ◇
 韓国語の辞書で単語の意味を調べていたら、次の例文が出てきて面食らった。「여기에 쓰레기를 버리지 마시오.」。意味は「ここにゴミを捨てるな」と結構乱暴な意味合いのようだ。「마시오」がよく分からない。「시」は動詞の語幹について「~られる」といった尊敬の意を表すと理解していた。少なくとも「捨てるな」という意味合いで使われることはないと思う。ゆえに私の頭の中は??となった。
 辞書でいろいろ調べ、上記の文章はまず、「말다」が元になっており、「지 마」の形で禁止を表すことを知った。「버리지 마」だと「捨てるな」という意味。さらに「시오」という語尾は「~しなさい」という意味だと知った。よく見かける文章例としては「다음 물음에 답하시오.」(次の問いに答えなさい)が載っていた。「버리지 마시오」だと「捨てないで」「捨てなさんな」となる訳か。尊敬の意味合いはないようだ。「버리지 마세요」なら「捨てないでください」という丁寧な物言いとなる。これ、末永く覚えていたいのだが・・・。

理想の体内時計

 コロナ禍。市役所から4回目のワクチン接種のお知らせが届いた。ネットで予約した。何とか予約ができたのは住んでいる東区から離れた中央区赤坂の中央体育館。新聞社勤務時代の地元だが、はてあんなところに中央体育館なんてあったっけと記憶が薄れている。
 金曜日。地下鉄で会場に出かけた。すぐに分かった。さすがに人口増加の一途にある福岡市。結構混み合っていた。いつものような手続きで左肩に接種をしてもらった。明日土曜は晴れマークが見えるので天気次第で泳ぎに行こうと考えていたが、看護師(保健師?)の方からあまりお勧めはしませんよと言われ、急速に行く気が失せた。
 中央区赤坂方面に足を運んだのは本当に久しぶり。勤務していた新聞社のビルがすぐそこに見える。見知っている人も激減しており、足は向けない。昔何度か行ったことのあるレストランを訪ね、軽いランチを食べて帰宅の途に就いた。それはいいとして、やがて5回目のワクチン接種という事態になるのだろうか。
 とパソコンに向かって上記のことを打ち込んでいたら、テレビがチャイムを鳴らせて緊急速報。画面を見やると、福岡県で本日のコロナ感染者6356人、初めて6000人を超え、過去最多更新と報じている。今夏、まだまだ増え続けるのだろう。この先、大丈夫かなと??が頭に浮かぶ。
                  ◇
 机の上に置いている時計。セイコー社の時計。買ったのか貰ったのか覚えていないが、もう何年も愛用している。温度と湿度も表示してくれるので重宝している。数日前にぱたっと表示が消えた。乾電池が切れたみたいだ。最後にいつ乾電池を入れ替えたのか覚えていない。新しい乾電池を入れた。当然のことながら日付けも時刻も乱れている。裏蓋を開けると、リセットとかモニターなどといった微少なボタンが見える。裏蓋を開け閉めして悪戦苦闘したが、うまく行かない。おそらく前回、電池を入れ替えた時も同じように煩悶しているはずだが、何にも思い出せない。
 何度もボタンを押したり、その他のスイッチを上げたり下げたりしたが、埒が明かない。匙を投げた。しばらく放っておいた。その後、ふと時計を見やると、何と正しい時刻を表示しているではないか。日付けも合っている。何と言うのか知らないが、電子時計?自ら電波をキャッチして正確な日付け、時刻を表示してくれるみたいだ。有り難い。あると言われる「体内時計」もかくのごとく、人生の「残り時間」をそれとなく教えてくれるといいのだが!
                  ◇
 韓国語。一応基本を教えてくれる本は何冊か読んでいるので、だいたいのところは分かっているつもりだが、なんとも心許ないときがある。そのつど以前に読んだ本を引っ張り出して確認しているが、腑に落ちないことがしばしば。ネットである程度は調べることができてもやはり限界がある。公民館の教室でネイティブ話者のソンセンニムから学んでいるとはいえ、質問には限度もある。かくして??を抱えたまま、学習を続けるしかない。
 それでもネットで無料の発音教室みたいな講座は目白押し。この点では間違いなく昔は考えられなかった恩恵に浴している。

Bushman in Moscow

 大リーグ。大谷翔平君が属するロサンゼルスエンゼルスが絶不調にあえいでいる。私はとうに匙を投げていたが、このところの不調は目を覆いたくなるばかりだ。大谷翔平君はそれなりの活躍を続けているが、いかんせん、チーム力はどうしようもない体たらくだ。
 ほぼ一か月前のブログで次のように書いていた。――大谷翔平君は相変わらず二刀流の活躍を続けているが、投手力、守備力がお寒い状況。打撃力もニューヨークヤンキースやヒューストンアストロズなどとは比べるべくもない。これでは今秋のプレーオフ進出は覚束ない。たとえワイルドカード争いにしがみつくことができてもそれ以上は到底無理だろう。そう思うと、真剣に応援する気が失せてしまう。これからはほどほどに付き合っていこう。残念だが・・・。                 
 今、アメリカンリーグ西地区のstanding(順位表)を見ると、エンゼルスは5チーム中4位で首位を走るアストロズからは何と19ゲームも離され、借金は11も抱えている。プレーオフ進出のためのワイルドカード争いも厳しいだろう。
 現実的な願いは翔平君だけは今後もめげずに奮闘し、投げては15勝、打っては40ホームランぐらいは記録し、名実ともに二刀流のスターとして君臨し続けて欲しいということぐらいだろうか。チームがこの状態では2年連続のMVPを期待するのは無意味か。
                   ◇
20220713-1657671257.jpg 全身葉っぱの姿のbushmanや案山子のような装いの男が通りがかりの人々を驚かす他愛ないYouTubeの番組をよく見ていることを以前に書いたかと思う。一種のcandid camera (どっきりカメラ)の趣向とも呼べるものだろう。東南アジアの国々が舞台となっているものでは、背景の緑が実に目に鮮やかでおちゃらけはそっちのけで樹木に目を奪われている。
 ヨーロッパの都市が舞台となった配信では特に若い女性たちが驚きの声を上げる様子がそれなりに面白い。私など自分が住んでいるアパートの一階で下りて来るエレベーターを待っていて、ドアが開き、住人の誰かが現れると、思わず驚きの声を上げ、向こうも驚き、またそれで私が再度驚くといった何とも形容し難いシーンを演じている身としては、自分が上記の場面に出くわしたらどうなることやらと思わないでもない。
 ヨーロッパではイギリスやスペイン、フランスなどの都市が多い印象。先日、この都市はどこなんだろうかなと思いながらパソコンの画面を見ていた。片隅にMOCKBAという地名が記してある。見出しは Bushman Scares Pretty Girls! Awesome Reactionsとなっていた。これまで目にしたことがない地名だ。まさかと思って調べてみると、なんとモスクワであることが分かった。愕然とした。ウクライナの市民に残忍なロケット攻撃を浴びせ続けているロシアの首都モスクワの通りの光景だったのだ。
 それが分かっていたなら、私はこの無邪気な番組を楽しみなどしなかっただろう。画面に登場する人々は自分の国がウクライナで蛮行を繰り返していることを気にもとめていない風に見える。ひょっとしたらそうした現実を知らないのかもしれない。コロナ禍の中、マスクをしている人が皆無であることにも驚く。私はこれからMOCKBAという地名が見えたならクリックすることはないだろう。ウクライナの人々に申し訳ない。

英語を教える楽しさ

 週が明けた。安倍元首相が銃撃され死亡する事件も起き、参院選の投開票もあった。ウクライナでは依然、多くの無辜の民がロシア軍の残忍な砲撃で殺傷されている。収束に向かっていたかに見えたコロナ禍は再び、感染者が急増する展開。波乱に満ちた出来事があったとしても、Life just goes on だ!
 来月には久しぶりに北陸方面に旅しようと考えている。いや、すでにネットで新幹線含めた切符を購入しているが、コロナはちょっと気になる。果たしてのんきに旅などしていいものだろうか。
 空模様もすっきりしない。月曜日は午後から海に行こうかと考えていたが、どんより曇っている。さきほどはぱらっぱらっと雨が落ちてきた。海行きはやめておこう。
 教えている専門学校では間もなく前期末試験がやって来る。問題作成に時間を費やした。長文の問題も作成した。この3か月余の間に授業で語った要点を活かしながら作成したつもりだ。学生が高得点を取ってくれればいいと願う。
                  ◇
 オンラインの英語教室。英語で書かれた(短篇)小説を読んでいるが、この種の教室は教える側の私もとても楽しいひとときだ。受講生さえ見つかれば、毎日でもやっていきたいと思うが、さすがにそこまでの需要はないようだ。いや、私にそこまでの「吸引力」がないだけの話だろうが。
 昨日の日曜日に読み終えたのはオー・ヘンリー賞受賞の短篇 “The Other One”。著者のTessa Hadley氏は1956年生まれの英国人の女性作家のようだ。私と同世代か。英ブリストルに住む40代でバツイチの女性Heloiseが交通事故死した父親の恋人だった女性Deliaと偶然出会う物語。父親の恋人はその交通事故で死亡したのだと母親Angieから聞かされていたが、死んだのは同乗していた他の一人(the other one)であり、Deliaは重傷を負い、プロの演奏者となる夢は絶たれたものの、逞しく自活していた。自分が密かに思いを寄せている学生時代の男友達Antonyも絡み、微妙な母娘関係、男女関係が淡々と語られる。
 ところどころに見慣れない単語が頻出し、苦労しながらもとても面白く読むことができた。話の筋に直接関係はしないが、次の記述にしばし黙考させられた。米西海岸から帰郷していた兄のTobyがHeloiseやAngieとアメリカの政治について語るシーンだ。次のように書かれていた。Watching out for totalitarianism, they said, everyone had been oblivious to the advent of the illiberal democracies.
 全体主義(totalitarianism)の恐ろしさはプーチン露政権のウクライナ侵略を見るまでもない。非自由主義的民主主義(illiberal democracies)の台頭も不気味。見てくれは民主国家の体をなしていても、国民の自由が著しく制限されている国々が次々に登場していることも忘れてはいけないという指摘だ。最近の例ではフィリピンを想起する。マルコス元大統領の長男のフェルディナンド・マルコス氏が新大統領に選ばれた。
 政治腐敗・汚職のデパートとも揶揄された父親マルコス政権の悪政の蘇りでないことを心から願うばかりだ。

自らを鼓舞するメッセージ?

20220708-1657250561.jpg 昨日(木曜日)、また海で游ごうと思った。それでゴーグルを探したが、どうも見当たらない。よく考えれば、先週初泳ぎし、帰宅後にゴーグルを水洗いした記憶がない。海で游げば、普通、水洗いするものだ。そうした記憶がないということはおそらく持ち帰っていないのだろう。浜辺かどこかに忘れたのか。あのゴーグルはスポーツジム時代からずっと愛用してきていたものでベルトとの付け根の部分が壊れた後はボンドを山のように塗って使ってきた。長年慣れ親しんだものを不注意でなくすのは情けなくもあるし、実に残念だ!
 ゴーグルで游ぐのに慣れると、裸眼で游ぐのは抵抗がある。おそらくろくに游げないような気がする。古いゴーグルがあることを思い出した。度が入っていない普通のゴーグルで度付きのゴーグルに慣れたら、物足りなくなってほとんど使ったことがないゴーグルだった。ないよりはましだとこれを手に海水浴場に向かった。この日も海には人っ子一人いなかった。海の家の設営をしている人たちに尋ねると、明日金曜日が海開きだとか。
 海は先週よりは波が小さく、游ぎやすかった。時間帯の関係か、海水の量は前回よりも深かった。離岸流にさらわれることのないようテトラポットが真ん中に見える辺りでクロールと平泳ぎのまねごと。平泳ぎをしていたら、右手が何かにぶつかった。見ると、クラゲではないか!左首を刺された昨夏の苦い思い出が脳裏をよぎる。くわばらくわばら。その後、浅瀬に向かって歩いて注意深く見ると、小さいながらもクラゲが結構、海中に漂っている。
 游ぐ気はたちまち失せた。多勢に無勢だ。遊泳客が増えてクラゲを蹴散らすようになるか、刺される確率が激減でもしないことには、のんびり游いでなどいられない。それでも先週よりは游いだ感覚があったので引き上げることにした。嬉しかったのはだめもとで持参した古いゴーグルが使えたこと。薄い青色がかったゴーグルでこれをつけて空を見ると、青空が実に色鮮やかに見える。こういう見え方は紛失したゴーグルではなかった。
 それともう一つ。自宅から海まで歩くサンダルを改めて100円ショップで男用のものを買い求めていた。これが大正解。歩きやすいし、石ころやらの上を歩いてもそう痛くはない。この夏はこれで快適に過ごせそうだ!
                  ◇
 ロンドン時代の同僚、L嬢からメールが届いた。私も知っている仕事仲間のA嬢が近く結婚する運びとか。A嬢も52歳。10年前にロンドンで再会した時は確かパートナーとの間に赤ん坊がいたような・・・。いずれにしろ、目出度い話ではある。L嬢は寄せ書きにするから何か一言メールで送ってくれとの由。
 そう言われても、ぱっと頭には浮かんでこない。彼女が東京を訪れた時にはパチンコ店を見学させたり、浅草でご馳走した記憶もある。そんなこんなを書こうと思ったが、結局書き送った言葉は・・“I used to think life really starts from 60. But now I know I was wrong. Life truly starts at 70. Anna, there are still lots to learn and enjoy.”
 L嬢からは “I love the message! The good thing about asking for this sort of thing from journalists is that they come up with something amusing!” と返信があった。A嬢も笑って読んでくれると思う。

左川ちか

20220704-1656907195.jpg お世話になっている出版社からある詩人を紹介した英文のインタビュー記事を適宜要約してくれないかと依頼された。今夏に出す短歌誌に掲載する予定だとか。私には荷が重いと思ったが、インタビュー自体は大変興味深かった。出版されたばかりのその詩人の全集を送って頂き、詩人が手がけた英語短篇小説の翻訳や散文を読んで圧倒された。
 左川ちか。今の日本では無名の人だろう。1911年に北海道に生まれ、10代で翻訳家としてデビュー、翻訳家としても才覚を発揮し、将来を嘱望されていたが、病魔に襲われ、1936年24歳の若さで他界している。出版社から今回の依頼がなかったならば、私などはおそらく一生、この女流詩人の名さえ知ることはなかっただろう。
 全集を読み進め、彼女が手がけた短篇小説の翻訳に驚かされた。英国でほぼ同じ時代を生きた作家、ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)の作品を翻訳していた。英語では “A Haunted House” というタイトルで『憑かれた家』と訳されていた。ウルフは今も人気ある作家で20世紀モダニズムを代表する作家の一人だ。
 “A Haunted House” は短い小品だが、これをすっと読み進めるのは、我々英語のノンネイティブにはそう簡単ではないかと思う。翻って左川は特に高い教育を受けた女性ではなかった。作家の伊藤整の知遇を得て周囲には当時のモダニズム運動に傾倒した文芸人たちがいたとはいえ、遠く離れた異国の言語を習得するのは並大抵のことではなかっただろう。パソコンやインターネット、スマホなどの電子機器とは無縁の時代だ。
 そのことを考え、改めて彼女のウルフの翻訳を読むと、彼女の言葉の感性に敬服せざるを得ない。書き出しから素晴らしい。英文は次のように始まる。Whatever hour you woke there was a door shutting. From room to room they went, hand in hand, lifting here, opening there, making sure – a ghostly couple. 左川の訳は・・・眼が醒めてゐる時はいつも戸のしまる音がした。部屋から部屋へと彼等は行つた。手を取り合つて、ここのカーテンを掲げ、そこの扉を開けて。たしかに確信させながらーー幽霊の夫婦を。
 「春・色・散歩」と題した散文は「遠くの空が黄色く光つて、目を細くしてゐるとそれが淡紅色の中に溶けてしまひ段々大きな拡がりになつて真白に輝いて来ると目を開いてゐることが出来なくなります」と始まる。「私は家の中にぢつとしてゐることが出来なくなり」船に乗ってどこかに旅することを夢想したり、疾走する自動車から振り落とされるスリルを想起したりする。「風景でも音響でもたえず動いてゐるものに魅力」を感じる私は、「郊外電車からバスに揺られて小さく刻まれて」視界に飛び込んでくる「街の絵は非常にヴイヴツトなものだ」と思うと綴られている。
 「ヴイヴツト」は英語の “vivid”(生き生きとした)を拝借したのだろう。「ビビッド」とせずに実際の音を忠実に写し取っている。ほぼ100年前に生きたこの詩人・翻訳家が普通に長生きしていたら、どのような秀作を残していたことだろうと思わざるを得ない。
 私は2012年に英国を旅した際にウルフが暮らした地を訪れ、記念館のようになっている、彼女が入水自殺するまで住んだ家にも足を運んだ。左川には望むべくもない贅沢な旅だった、とここで記しても何の意味もないことだが・・・。

«Prev | | Next»

過去の記事を読む...

Home > 総合

Search
Feeds

Page Top