柚のかくし味 by 柚


2004-04-14 田中一村の絵に再会

イラクの人質事件が解決しないので、ずっと落ち着かない。このように長引いてくると、必ず出てくるのが誹謗中傷のたぐい。何よりも命が一番大事なのに。それだけに思いを集中すると、やるべきことは見えてくるはずではないか。もし、あれが自分の子供や親兄弟だったら、と考えたとき、どうすればいいかが見えてくるだろう。その決断こそが一国のリーダーの資質ではないか。言うだけでは困る。国の姿勢と人の命とを分けて考えることなどできないのだ。命が助かったら、それからはじめて、次にできることを考えればいい。

田中一村の絵が示す場所

田中一村展を見た。奄美で自分の画業を確立した彼の作品を眺めていると、初めて彼の作品を見たときの心をきゅっとわしづかみにされたような思いが、久々にわたしの心に戻ってきた。はじめて田中一村という画家の存在を知ったのは、NHKで放送された「絵に生き絵に死す」の番組だった。年譜で見ると昭和55年のことだったらしい。1980年だから、ほぼ30年も前のことだ。その絵にはじめて出会ったのは、全国巡回展の会場でだった。これが昭和60年だから、25年まえということになる。

彼の絵は、それまで見たどの絵とも違っていた。アダンという変わった植物の存在を知ったのも彼の絵からだったし、ダチュラやクワズイモなど、南国の植物はその鮮やかな色といい、形といい、強烈な印象を持って迫ってきた。一村はもともと日本画を書いていたようだが、奄美で描かれた絵はどのジャンルにも属さず、むしろ、田中一村その人でしかないといってもいいだろう。

いま、またその絵を見ることができて、30年前見えていなかったことが見えてきた気がする。わたしの絵を見る心もまなざしも変化しているのだろうか。絵を通して、一村の生き方を想像してみる。絵の底に流れているのは、一村という一人の孤高の画家の在り方であり、その心であり、生きる姿勢であった。描いた絵を生活のためには売らず、生活の糧は他に求めたという、彼のその姿勢も好きだと改めて思い、ピュアとしか言いようのない絵そのものが醸し出す不思議な透明感に惹きつけられて、しばし満たされた時間を過ごした。


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