柚のかくし味 by 柚


2005-08-23 韓国で料理を食べて思った

韓国のレストランでは、爪楊枝をテーブルにおいていない。食事を多めにとって残す習慣があるので、どうしても残飯が出る。でもそれを日本のようにはごみで捨てない。家畜のえさになるのだ。爪楊枝が入っていたりしたら、家畜ののどや胃腸を傷つける。だから、爪楊枝は食事が終わって出るときにレジのところでもらう。なるほどと思う。

また、韓国のレストランでは、割り箸を使わない。必ず洗って使えるアルミの箸である。これも法律で禁じられている。資源保護である。日本ではたぶん、割り箸に多くの樹木が消耗されている。端材を使うからいいという意見もあるけれど、それでも無駄に捨てられているのは確かだ。箸袋だって、紙がほとんど。美意識の前に資源保護という考え方もあるのだ。

お国柄という以前に、考えさせられることではあった。韓国とて、多くの森林がある。それでも資源を大切にするということでは、必要な手段かも知れない。


2005-08-15 戦後60年の節目に

8月15日、終戦の日である。

自分の60年も秒読みということになる。

わたしたちが生まれたころ

戦争終結、世の中には食べるものが何もなかった。

だから物心ついたとき、食べられるものは何でもおいしかった。

食べるということはとても大切なことだった。

だから食べるということに敏感で

食べるということがとても気になっている。


2005-03-22 地震のこと、続報

仕事が始まり、続々と被災情報が入ってきた。ビルの構造やちょっとした場所の違いなどで、被災状況はわかれてくるようだ。何せみんな、こんなことになれていない。

「そのとき」を聞いてみた。

倒れてきそうな冷蔵庫や食器棚、本棚を必死で押さえていた、という人が圧倒的に多いのに驚く。これって一番危ないケースではないだろうか。私は子どもの頃、母からとくと、言われていた。逃げられるなら外に飛び出す。建物の中で逃げるのがむずかしいなら、大きな机の下などに隠れるように、といわれていた。

次に多いのが布団をかぶって静まるのを待った。で、聞いてみると、すぐ近くにたんすがあった。あとで気が付いたのだが、あれが落ちてきたら危なかった、と。

なにしろ、福岡に住む人は油断ばかり。災害がもっとも起こりにくいところと思っているからねえ。とにかく、これからは意識を変えなければ。

もっとも、もうこんなことはないだろう。

その考えが甘いかも知れないけど。

と書いたら、グラリときた。これはきっと震度3かな。なんてわかるようになった。ふう。


2005-03-20 地震な一日

とにかく大変な一日だった。グラッときた時はオフィスにいた。パソコンでメールチェックをしていたのだ。ぐらりと横に揺れはじめて、あとは、棚からぱらぱらと本が降ってきた。私はこれはやばいと思って、大きなテーブルの下にもぐり、じっとしていた。ふっとライトが消えた。また灯ったとき、あわててテレビをつけた。すでにニュースは地震を伝えていて、少しずつ、地震の規模や被害の様子が明らかになっていった。

実は今日、天神近くで会合があることになっていた。携帯はつながらないので、電話をいれた。みんな集まれるかどうかはわからないけど、あるよとのこと。一時ごろ、テレビを見る限り、たいしたことはないように思えたし、天神のあたりがどうなっているか、知りたい気もあった。歩ける距離だったから・・・。

歩き続けると、結構ひどい。ガラスは割れているし、商品は雪崩落ちている。西通りには人があふれていた。会合にはやはり、四人しか来ていなかった。雑談をしていると、友人から電話。近くだったので寄ることに。

「すごいよう。水も出ないし、ガスは止まってる。靴を履いて室内を歩いているんだから。珈琲、飲みたいので、ペットボトルの水を買ってきてね」というのだ。

行ってみた。大きなペットボトルを2本かかえて。すでにマンション入り口では、タイルが剥がれ落ちている。余震が怖いので、9階まで階段で。おー、これはひどい。玄関から始まってどの部屋も足の踏み場もないほどの散乱状態。割れ物がすごい。もっとすごいよといわれた奥の部屋は三つの本棚が倒れ、本が散乱、パソコンもひっくり返っている。

思わず、携帯で写真を撮った。これに比べれば私のところの被害は微々たるもの。ああ、それにしても、まさか、こんな地震が福岡で・・・。だれもが呆然である。

災難は誰の身にも起こりうることだとしみじみと実感した日であった。


2005-02-16 きみに読む物語

ちょっとした気分転換に映画を見た。「きみに読む物語」。単なるラブストーリーではなく、アルツハイマー病の老女に物語を読み聞かせることで、彼女は記憶を呼び戻せることが出来るのだろうかという、シリアスなテーマもあった。実際に見た感想は、これがもし現実の出来事であるなら、アルツハイマー病にも希望があるということだろう。

内容を詳しく書くとネタバレしてしまうので書けないが、心に残ったのは情景の美しさで、すっかり目を奪われてしまった。

夕焼けに彩られた窓辺の風景。赤く染まった水の上を滑っていく、ボート。

そしてあるときはその川の上流へとボートを漕ぎ出す二人。

その二人を取り巻くおびただしい数の水鳥。

湿り気を帯びた瑞々しい風景と、雨の匂い。

テラスでホイットマンの詩を朗読する青年とそれに聞き入る父親と若い娘。

アメリカ南部の美しい町の風景が映画に奥行きを与えてくれる。こんな映画を観ると、やはり劇場で観るのがいいなあと感じてしまう。

実は最近気になっているのは、アルツハイマー、痴呆、ボケ老人などという言葉以外に、耳障りのよさそうな「認知症」という言い方が出てきていることだ。新聞でもどちらかというと、この言葉が使われている。アルツハイマー病であろうと認知症であろうと、言葉が違うだけで同じ。まだまだ未知の分野である。

今後、患者の数は天文学的に増えつづけていくそうだ。自分もそうならないという保証はない。最近の研究の中でいくつかわかっているのは、「記憶こそ、自分」「自立した生活を送ることが進行を遅らせる」という事実。

もちろん、この映画は、「愛」をテーマにしているのだが、「アルツハイマー病」ということも併せて、考えさせられる映画だった。


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