柚のかくし味 by 柚


2004-03-19 便利さと引き換えに失ったものは・・・

コンビニの弁当やおにぎりはめったに食べない。たまに買おうかなと思うこともあるけれど、添加物の多さに恐ろしくて、買う気になれず、棚に戻してしまう。だから、どんなに疲れていても、夜、家で食事できる限り、ご飯ぐらい炊く。自分の中の歯止めは自分で決めようと、考えている。

そんな自分の感覚を信じていいのだという文章を見つけた。西日本新聞の今朝の記事「゛食卓の向こう側」の「中食 ラベルを見ていますか」は衝撃的な記事だった。無料ですむからと売れ残りの「中食」(なかしょくと読み、弁当、惣菜のことらしい)をずっと食べさせていた母豚の異常なお産の原因が中食に含まれる添加物のせいではないかと気付いたというのである。死産や奇形などが相次ぎ、汚れた羊水にショックを受けた畜産農家のオーナーが、普通の餌に戻したら、異常出産がなくなったという。

以前、ドキュメンタリー番組で、コンビニやほか弁のご飯やおにぎりの製造現場を見たことがある。ご飯にたくさんの添加物を振りかけていたのだ。炊き上がりがつやつやと光って見えるとか、美味しくなるとか、もちろん、腐敗を防ぐとか、理由はいろいろあったけれど。

わたしたちはいつから、おにぎりを店で買うようになったのだろう。おにぎりだけでなく、コンビニやほか弁で暖かいご飯が買えるようになって便利になったように錯覚しているだけではないのか。買ったおにぎりは、「おむすび」というぬくもりのある言葉からはるかに遠い存在になった。

便利さと引き換えに失うものの多さについて、時には本気で考えるべきだろう。ペットボトルや缶入りのお茶を買うようになって、急須や湯のみが消えた家庭もあるし。第一、お茶のいれ方を知らない若い人が増えている。ご飯だって自分で炊いたことのない人がいるし・・・。

便利さと引き換えに失ったもののことを考えてみようと改めて思った。目に見えないことも含めて。


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