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英語でさるく 那須省一のブログ

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中国(台湾)菜、取り箸必要なし

 週末ほどではないが暑い。本日29日の正午前、卓上の温度計は31.1度。湿度54%。窓とドアを開け放っているので室内に風が吹きこみ、暑さを辛うじてしのぐことができるが、夜はさすがにエアコンをつけないときつい。西日の熱が残り、夜中でもソフトサウナ状態だ。
 最近は香椎浜のジョギング路を走るのも一苦労。ともすると歩くだけでいいかと安易な妥協をしてしまう。走った後のジョギングパンツは体内の塩分が抜け出ているのかお尻の辺りに白いシミが浮き出る。ジョギング後の楽しみは週末だけだが、風呂上りの一杯。最近はまた焼酎に戻っているが、氷を浮かべた一杯が実に美味い!ひょっとしたら、週末はこれが楽しみで走っているのかもしれない。
                  ◇
 大家さんからまた家庭菜園で栽培しているゴーヤとキュウリ、ピーマンを頂いた。ゴーヤは肉と一緒に炒めても良いし、らっきょう酢に漬けてピクルスにしても可。会社を辞め、海外の旅を終えて少ししてから自炊の生活に入ったが、食べ物の重要さは日々実感している。非常勤講師時代には学生たちに “We are what we eat.” だよと訴えていたが、今はそれをまさに実感している。
 私のように料理音痴でレパートリーの少ない者には野菜をいかに毎日食するかがとても大切だと思っている。それでお世話になっているのが上記のらっきょう酢だが、これを活用するようになってどれぐらいになるのだろうかと思って、過去のブログをスクロールしてみて驚いた。「らっきょう酢」と題したブログは2015年12月11日付けで書いている。
 「らっきょう酢というものがあることを知った。スーパーで酢がある棚を漁ったら、あるある、らっきょう酢なるものが。それで少し調べたら、ニンジンや大根も刻んでタッパーに入れ、らっきょう酢漬けにしたら美味しいピクルスになると書いてある。早速やってみたら、あら不思議、本当に美味なものができた。知らない世界があるものだ。これで私の数少ない献立のレパートリーがまた一つ充実した感じだ」
 あれからすでに4年近いときが流れているのか。 “We are what we eat.” の観点から言えば、私の身体の一部はらっきょう酢からできているのかもしれない。
                  ◇
 公民館で教わっている中国語教室で使用している教科書『語ろう日中暮らしの文化』(白帝社)。私は途中からの参加だから最初の章はまともに読んでいない。それで暇に任せて最初から読んでみて、嗚呼これだ、これだという個所を見つけた。それは第1章の「吃饭」(食事)の項で、「中国人は料理を大皿や大きなお椀に盛り、めいめいが自分のはしではさんで食べます。中国の箸は日本の箸よりちょっと太くて長いです」と記されていたこと。
 先日の台北の大学のクラスメートたちとの食事会でまさにそうした場面に出くわしていた。私は最初に箸を付ける時に少し躊躇した。日本ではこうした行為を嫌がる女性がいることが脳裏をかすめたからだ。日本では「取り箸」という語もある。だが、上記の食事会では気兼ねする必要はさらさらなかったのだ。「入乡随俗」(郷に入っては郷に従え)。この成語も後の章で紹介されていた。

朋有り遠方より来たる

20190726-1564102984.jpg 23日の火曜日。遂にクーラーのスイッチをオンにした。やはり涼しい。とはいえ、夏は汗をかいて過ごすのが自然の摂理。エアコンはできるだけ使用を控えるように努力したい。
 ラジオを聞いていたら、来年の東京オリンピック開催まで1年を切ったとか。1964年の東京オリンピックでは私は小学校5年生だった。毎朝、教室の壁にはられた日本の全国地図の上に聖火ランナーが走った跡を先生の指示で記した記憶がある。あれから半世紀、55年も経つのか。田舎の幼馴染の中にはすでに黄泉の国に旅立った者も何人かいる。もっと生きたかったろうに。合掌。
 それはそれとして正直に書くと、今回の東京オリンピックにはほとんど関心はない。もう国威発揚とかなんとかいう時代ではないだろう。世界平和や友好促進に役立つのなら大いに結構だが、テロが蔓延する昨今、ソフトパワーの限界を見ているような気もする。オリンピックは所詮、テレビなどのメディアがそれぞれの思惑から大騒ぎして盛り上げる4年に1度のお祭りに過ぎないのだ。と突き放していても根っからのスポーツ好きの私はテレビの前で一喜一憂することになるのだろう。
                 ◇
 台北から急いで帰福したのにはある事情があった。アメリカから友人一家が私を訪ねて来福することになっていたからだ。旦那の名はブライアン。妻子を連れたブライアンと8年ぶりに再会した。できれば数日間福岡周辺を案内したかったが、成田空港から帰国が迫っているとかで福岡はわずか1泊の慌ただしい訪問となった。
 到着した24日夜は中洲の料亭でヤリイカの料理をご馳走した。ブライアンと子息はとても喜んでくれたが、奥方は「水の中から収穫したものは一切駄目」という固い信念の持ち主で私の目論見は残念ながら外れてしまった。それでもまあ何とか有り合わせのもので食事して頂いた。やはり事前に好き嫌いをきちんと聞いておくべきだった。そんな基本的なことを怠ると失礼なことをしてしまう。 “I am to blame.”(私が悪かった)
 25日朝は太宰府を案内した。久しぶりに訪ねた天満宮は観光客で賑わっていた。韓国からの人々が相変わらず凄く多い印象を受けた。日韓関係がこれ以上こじれると彼らの訪日も渋るのではないかと思ったりもした。ブライアン一家は今回、東京から関西を経て来福。奥方は何度も来日しており、ブライアンはこれが2度目。一家は駆け足での訪問とはいえ、福岡がとても気に入った様子だった。よく言われるように、適当に都会で、かといって東京や大阪の慌ただしさはなく、のんびりとしたところがお気に召したようだ。
 私はブライアンとは『アメリカ文学紀行』の取材でアメリカ各地を歩き回っていた時、ネブラスカ州で出会った。アメリカは車がないと動きが取れないところが多い。陸の孤島のような田舎町にどうやって行こうかと途方に暮れていた時に、マイカーで長距離を運転してくれ、取材の便宜を図ったくれた人物がブライアンだった。私はあとがきできちんと彼に謝意を表したが、パソコンの故障でメール履歴が消滅し、ずっと連絡不能だった。
 それがひょんなことから彼と再びやり取りが可能になり、今回の来訪につながった。柔術が趣味の彼とは馬が合う。この次の再会は8年を待たなくても実現するだろう、きっと。

不难想像今后的困难。

20190722-1563772701.jpg 土曜日夜。インドネシアからの受講生二人を日本食レストランに招待して今回の台北行きは終了。翌日曜朝、少し歩いて台湾のお気に入りの朝食を食べてホテルに戻る。すでに汗びっしょり。シャワーを浴びてチェックアウト。以前に行ったことのあるマッサージ店を訪ね、覚えているマッサージ師に身体をもんでもらった。少し中国語で会話もした。
20190722-1563772734.jpg 日曜夜無事帰国。今回の台北の旅はわずか4日間だからどうということもないはずだが、少々疲労気味。一つには帰途の飛行機が揺れたこと。離陸直後に機長から「本日は雨雲のため時々の揺れが予想されますので、シートベルトを外さないように」といった趣旨のアナウンスが聞こえた。私の席は中ほど、右の翼の辺りで窓側。小窓から外の雲の様子がよく見える。離陸直後は灰色の厚そうな雲の中を疾走していくのが見えた。
 高度1万㍍を超えた頃からは雲の上を飛ぶことになり、揺れることはなかったが、九州に近づくにつれ、また雲の中に突っ込んでいくような感じで、心中穏やかではなかった。私は新聞社特派員時代にはかなりの頻度で飛行機に乗っている。アフリカ勤務時代には4人乗りのセスナ機での取材も何回か経験した。だから慣れっこにはなっているが、飛行機にはできれば乗りたくない。新幹線や長距離バスの方がいいに決まっている。台湾へも釜山のようなフェリー便があれば、船便を利用するのにとさえ思う。
 揺れるのが怖いのと機中のほぼ2時間の時間を持て余し、やることがないので、いつもバッグにしのばせている「中日・日中辞典」で時間をつぶした。もう何度も頁を繰っているこの辞典に私は大いなる「恩義」を感じているが、不思議とこの機中での時間は期待以上の有意義なひとときとなった。今も嬉しく思っているので、私にとって備忘録でもあるこのブログに若干記しておきたい。
 「解決」という語。中国語の漢字は少し異なるが、私のパソコンではその違いをタイプできないので割愛。ピンイン表記だとjiějuéとなる。[ジェジュエ]という音の響きに近いが、[かいけつ]からは程遠い。私はこの語の発音をすでに何度辞書で調べたか分からない。辞書を閉じると直後にはもう忘れている。しかし、機中で改めて辞書を眺めていて、「解」のすぐ上に「姐」という同じピンインの語があるのに気づいた。「姉」という意味だ。これはもう何度も何度も耳にし、口にもしている。「あ、なんだ、同じ発音の語か」と今更ながら気づいた。「よし、今度という今度は分かったぞ。おそかりし由良之助とはしまい!」
 「不难想像」。中国語を学んでいなくとも、日本人には意味合いが何となく想像がつく表現かもしれない。ピンイン表記だとbùnán xiǎngxiàng。私の辞書には「容易に想像できる」とある。格調高く言うと「想像するに難くない」となるか。私はいつも「难」という語の発音に難儀しているが、辞書を改めて眺めていて、「男」も「南」も同じピンイン表記であることに初めて気づいた。「なんだ、そういうことかいな!」。「老若男女」は中国語では順番が逆転して「男女老若」。ただし「老若」とは言わず、「老少」となり、合わせて「男女老少」。ピンイン表記だとnánnǚ lǎoshào。
 以上のような語彙、表現の類を辞書を繰りながら脳裏になんとか叩き込もうとしていたら、揺れの怖さを瞬間的に忘れてもいた。ほどなく福岡空港に降り立った。

北投温泉

20190720-1563612217.jpg 金曜日の期末報告会。韓国の受講生2人がこの日朝急遽帰国したため、教室の壇上に立ったのは9人だった。それぞれが台北での4か月近くの生活を振り返ったり、自分の夢を語ったり、アジアの特色ある食べ物を語ったり、とても聞きごたえのある報告だった。改めて驚いたのは、皆が流暢な中国語をしゃべっていたことだった。
 9人が報告を終えると、黄老師はその都度私に感想を求めた。英語が苦手な受講生もいたので心苦しかったが、私はほとんど英語で印象を口にした。中国語で応じたかったのだが、私の拙い中国語ではそれはまだ無理。とにもかくにも、皆が笑顔で報告を終え、和やかな雰囲気に包まれた。私ははるばる来て良かったと思った。
20190720-1563612249.jpg この日の夜は韓国人の李先生と会食。彼も受講生仲間で私よりは一回り若いが、他のクラスメートに比べればずっと私に近い世代だ。日本の大学で教えているので、何の違和感もなく日本語で会話できる。4月に台北を去る直前にレストランで彼にご馳走になっていたため、今回はそのお返しをすると決めていた。瓶ビールで乾杯した後、麻婆豆腐や魚介の炒め物などを肴に紹興酒を飲みながら楽しく語らった。彼は来春まではこの地で中国語の力を磨く予定だとか。私とは差がつく一方だが、私もそれなりに頑張ろう。
 土曜日朝、久しぶりに少しだけ二日酔い気味で目覚めた。本日は夕方まで予定もない。とりあえず朝飯を食べようと7時過ぎ、ホテルの周辺を歩き回ったが、どうも適当なお店がない。改めて気がついたが、ここら一帯は歓楽街だ。日本語の看板も多く、夜の蝶が快楽を誘っているお店がそこかしこに。この時刻でも扉の向うからカラオケの歌声に女性の笑い声が聞こえるお店もあった。徹夜で営業しているのかい!
20190720-1563612287.jpg 天気は悪くない。歩いているだけでうっすら汗ばんでくる。いつか足を運びたいと前から考えていたところがあった。MRTの電車で行ける北投という地にある温泉地。電車で行けるというのも有難い。中山駅から淡水線に乗り、ほどなく北投駅に、そこで乗り換え、次の駅が温泉地の新北投駅。案内板に従って歩くとあっという間に目的地に着いた。源泉池と思われる地熱谷では湯気が立っている。案内板を読むと、水温は75度以上の高温だから注意せよと書いてあった。
20190720-1563612383.jpg それにしても暑い。汗はだらだら。周囲は温泉宿というかホテルがそこかしこに見えるが、日本のようにぱっとお湯に浸かれるところはないのだろうか。「温泉 浴室」という案内の文字が見えたので階段を上がり、入り口で尋ねると、「一人か?」「そうだ」「40分、料金150元」とのこと。おばちゃんの指し示す個室をのぞくと、狭いコンクリートのたたきに湯船のようなものが見える。清潔感はなく、潔癖症の我が兄貴だったら絶対入らないだろうなあと思いながら、お金を払った。温泉と水を蛇口から勢いよく混ぜて満たし、浸かってみると、まあまあの感覚。お湯が目に触れると目がちょっと痛かった。
20190720-1563612320.jpg 頃合いを見て湯から上がったが、下着も短パンもポロシャツも汗でびっしょり。う、気色悪(わる)! 着替えを持参すべきだった。もっともその後もすぐにまた汗びっしょりになったので同じことだったろうが・・・。
 ここでは温泉の類はホテルや旅館などに宿泊して味わうのが無難なのかもしれない。

再び台北に

20190718-1563460080.jpg 木曜日。無事台北の桃園空港に到着した。台風の影響で運航中止も覚悟して福岡空港に向かったが、ほぼ定刻で出発した(ように思う)。風による揺れも案じていたが、そう揺れることもなく、むしろ快適な空の旅となった。
 今回の台北の旅は蒸し暑さが分かっていたため、早朝、短パン姿でアパートを出た。運航のドタキャンを危惧して土産物も用意しておらず、キャリーバッグの中は洗面用具と着替えが中心。疲れを癒してくれる入浴剤の木酢液もプラスチック容器に入れた。こんなに身軽な格好で海外の旅に出かけるのは初めて。これも気さくに旅ができる台湾ならではか。私はブログで自分の写真を披露するのはなるべくしないようにしている。人様に見せられるような容貌・風体からは程遠い。だが、とても気分が良いので桃園空港に到着直後、見ず知らずの人に私の写真を記念に撮ってもらった。いつか懐かしく思い出すこともあるだろう。
 その写真を撮ってもらう前に済ませたのは例によって、空港内のショップでスマートフォンやパソコンが使えるルーターを借り受けること。日曜までの4日間のレンタル料金は600元(日本円で約2,160円)。ショップは混んでいたが、カウンターのお嬢さんにいつも苦労する接続をお願いしたところ、笑顔で応じてくれた。台北が好きにならずにはおれない。
 MRTと呼ばれる電車で台北中心部に向かおうと思ったが、時刻はすでに現地時間でもお昼過ぎ。夕刻から語学講座のクラスメートたちとの小宴が待っているので、ランチを腹に収めておいた方が無難。それで何度か利用したことのある空港内のカフェでAランチを注文。たいして期待もしていなかったが、これが意外と美味かった。英語では「チーズ・オムレツ・ブランチ」と表記されていた。ホットコーヒーを入れて220元(日本円で約790円)。安くはないが、それだけの価値があった。
20190718-1563460132.jpg 腹ごしらえを終えて、いざ「出陣」。ホテルをどこか探さなくては。今回はわずか3泊だから、前回のようにラブホテル兼用の格安の宿でなくともいいだろう。これまでの短い滞在の定宿にしていたホテルにでも行ってみようかしら。MRTで約50分だったろうか、終点の台北駅に到着。そこから地下のショッピングモールをちんたら歩いて中山駅から地上に。ホテルのフロントで空室を尋ねると、予想通りの1泊1,300元(約4,680円)の部屋を割り当てられた。とりあえず2泊でチェックイン。これまではフロントのおばちゃんたちとは日本語でやり取りしていたが、今回はできるだけ中国語でチャレンジした。おばちゃんたちも辛抱強く私の稚拙な中国語に付き合ってくれた。
20190718-1563460162.jpg 夕刻から台湾料理のレストランで先述の会食。黄老師を含めて総勢10人が集まった。皆の中国語に耳を傾ける。格段に上達していることが分かる。隣に座ったインドネシアのK嬢にこの4か月で中国語が上達したと感じるかと尋ねてみる。「もちろんよ。今は皆と話す時は中国語で会話しているわ」と嬉しそうに話す。彼女は前日の最終試験で百点満点だったとか。羨ましい。会食終了後、食事代の支払いとなったが、「遠路はるばる来たから」と黄老師が私の分は出してくれた。かたじけない!(私は令和というより昭和の人間か?!)
 明日はクラス全員が一人10分間のプレゼンをすることになっている。私はそれを見る(聞く)ために来たようなものだ。吸収できるものはしっかり吸収して福岡に戻ろう。

diplomatic vandalism

20190716-1563239652.jpg トランプ米大統領のことはできるだけ無視したいのだが、彼は私のような英語にまつわる話題を書き散らしている者には格好の題材を提供してくれてもいる。従って食指が動かざるを得ない。辞任した英国のダロック駐米大使が本国に送った外交公電の新たなリークが明らかになった。今度はトランプ大統領がイラン核合意から離脱した背景には、この合意を実現したオバマ前大統領への反発・敵意があり、トランプ氏が歴史的合意を反故にしたことは diplomatic vandalism(外交的破壊行為)だと報告していたという。
 英BBCの見出しでは、New leak claims Trump scrapped Iran nuclear deal ‘to spite Obama’ とうたっていた。spite は辞書を引くと、「悪意」「意地悪」という名詞の他に「意地悪をする」「わざと困らせる」という動詞が載っている。in spite of …(…にもかかわらず)という慣用句は知っていたが、上記のように動詞でも使えることは知らなかった。トランプさんにお礼を言わなければならないが、それにしても、彼が次々に打ち出すあの手この手の施策は何のことはない、前任者への嫉妬・敵意に基づくということではないか。普通なら信じ難いが、トランプ氏の場合は信じられるから不思議だ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という成句を思い出す。トランプ氏はことほどさように幼稚なのだ。そう思えば、彼のこれまでの言動は合点が行く。
                  ◇
 香椎浜のジョギング路で細々と続けているスロージョギング。ついに最近、短パンで走るようになった。長いジョギングパンツではさすがに暑苦しい。上半身の両腕はすでに真っ黒だが、下半身はずっと日光を浴びていないため、足首からふくらはぎ辺りは真っ白。このアンバランスは少し恥ずかしいが、致し方ない。
 晴れていると日光が少しきついが、風はまだ十分涼しい。曇り空が多かったせいか、部屋のクーラーもまだオンにしていない。手元の温度計は今午前9時過ぎで27.9度。涼しくさえ感じる。そう感じるのはいつまでだろうか。
 先ほどテレビでは台風が発生したことを伝えてもいた。台北の大学の語学講座の老師(先生)から台湾に向かう飛行機の発着に要注意というラインメールも届いたばかり。何とか、木曜朝の福岡―台北の便には影響しないことを祈るのみ。
                  ◇
 NHKの中国語の中級講座で次の文章があった。「(私は)今まで(彼が)笑った顔を見たことがないんだよ」。日本語では場の状況から主語や人称代名詞を省略して話すのが普通だから、「今まで笑った顔を見たことがないんだよ」というのが実際の発話。中国語では「我从来没见他笑过」となっていた。中国語では主語や人称代名詞がきちんと添えられることが多いという違いの他に、私が興味深いと思うのは、日本語では「笑った」という大事な要素が最初の方に出て来るのに対し、中国語ではほぼ最後に出て来ること。私にはまさにこれもSOVの日本語とSVOの中国語の違いを物語るものではないかと思えてならない。
 参考までに英語だと、上記の文章は I’ve never seen him laugh. となるのだろう。ここでも「笑う」(laugh)という大事な要素は最後に出て来ている。

ホームドラマも和製英語

 7月だというのに今年はまともな台風が来襲していないように感じている。台風の本格的シーズンはまだ少し先というのは承知しているが、それでも例年ならこの時期には台風の一つや二つは来ているような気がする。だから台風のニュースを聞かないのは大いに結構なのだが、どうも不思議な気がしてならない。どこかのテレビでいつだったか、地球温暖化の影響か、台風は今後、発生だか来襲の数は減るが、その代わり、スーパータイフーンと呼ばれる猛烈な勢力の台風が発生するようになると言っていた。数が減るのはいい、規模が猛烈になるのはご免こうむりたい。
                  ◇
 韓国のドラマ「かわせ運命」(原題)がいよいよ大団円を迎えつつある。現実にはあり得ないような筋立てで、まさか最後まで興味津々で見続けることになろうとは思わなかった。予定では今週火曜日夜が最終回。良かった。台北に発つ前に見終えることができる。韓国語の学習のために見ているのだと自分を納得させていたが、果たして本当に役立ったのかと疑問符もつく。たまに字幕が実際の言葉とは乖離した意訳だと気づくことはあったが。
 「かわせ運命」は韓国の典型的なホームドラマだった。安心して見ていられた。ホームドラマ(home drama)は私の電子辞書では和製英語とある。和英を引くと、a play (TV drama) depicting family life と出ている。英語でよく見る表現にa sitcom (situation comedy) と呼ばれる、観客の笑い声が聞こえるジャンルのドラマがあるが、私は「かわせ運命」も背後の笑い声はなくとも、このジャンルに含めたいと感じていた。いずれにせよ韓国のドラマはうかつに手を出すと、病みつきになるから「要注意」だ。
                  ◇
 夏本番。私はスイカが大好き。漢字では西瓜とも水瓜とも書くようだ。中国語では西瓜(xīguā)。韓国語では수박。発音を無理を承知でそれぞれカタカナ表記すると、シーグァとスバㇰ。中国語のシーグァが日本語のスイカになったのは何となく推測できるような気がする。シーグァがスバㇰに変化したのはちょっと「飛躍」が必要なような・・・。
  スイカだけで必要な栄養価が取れるのだったら、一日三食スイカでも構わないと思っているが、そういうわけにはいかないので、夕食後のデザートとして頂いている。いつも捨てるだけの皮がもったいないなあと思っていて、ネットのクックパッドで調べてみると、皮の部分も漬物にして食べることができるようだ。よし、早速やってみよう。
 という次第で、クックパッドに書かれているように、スイカを食した後の緑色の固い皮を包丁で削ぎ落としてポリ袋に入れ、砂糖や塩、酢、だし昆布などを加えて揉み、冷蔵庫で冷やした。翌日取り出して食ってみたが、味はいまいち。これならいっそのこと、お得意のらっきょう酢の方がましではとらっきょう酢のタッパーで漬け込んでみたら、こちらはなかなかの味だった。乏しいレパートリーに夏の風味が一つ加わったと喜んでいる。
 そう言えば、はるか昔のこと。盛岡に勤務していた頃、盛岡名物の冷麵にはまったことがある。真っ赤な汁のあの冷麵の丼にはなぜかスイカの果肉が浮かんでいた。麺と辛い汁を胃袋に収めた後にそれを食べるのが楽しみだった。懐かしい! (注:中国語の瓜の字は日本語のそれと微妙に異なるが、私のパソコンでは同じ字にしかならない)

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