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クリスティー『茶色の服の男』論

 偉大なる落語家・笑福亭福笑師匠が一番お好きなアガサ・クリスティー作品です。『スタイルズ荘の怪事件』『秘密機関』『ゴルフ場殺人事件』に続く第四作で、クリスティーの名声を世界的にならしめた『アクロイド殺し』の一つ手前の作品です。後年執筆される諸名作の原形を読みとるならば、代表的な傑作と呼んでもさしつかえない一品といえるでしょう。
 主人公アン・ベディングフェルドは作中でつぶやきます。「だってシューザン、あなたも探偵小説を読んだことがあれば、いちばん怪しくない人物がいつだって犯人だってことぐらい、知ってるはずよ。」この時点で、推理小説において重要な「意外な犯人」というエッセンスが壁に当たっていることがうかがわれます。推理小説は、すでにクリスティーの時代で行き詰まっていたとも考えられるのです。この壁に直面した推理小説作家にとって選ぶことができた道は、「犯人の意外性」以外の意外性を読者に与えるということでした。その道は現代の推理小説にまで続いています。クリスティーも、この作品において別の意外性をもたらすということを試みていました。
   ところが、この作品以後クリスティーの代表的傑作として後世に残ったものの多くは、「意外な犯人」という試みによって書かれているのです(あの名作しかり、この傑作もしかり・・・)。壁を乗り越えるため、推理小説という形式そのものの破壊が行われたと解釈できるような場合もありました。とはいうものの私たちはクリスティーを新しい形式の創造者とこそ思いはしますが、あまり形式の破壊者とは感じないはずです。なかなか微妙な問題になってきますが、クリスティーにとって推理小説の限界は、決して形式の不備ではなく、自分の力量を向上させるための壁としてとらえられていたのではないでしょうか。ただ単純に割り切れないのは、ある種の創造的な精神にとって「形式の不備」と「力量の向上」は同時に感受される問題になっていることがあるのです。たとえばレイモンド・チャンドラーは既成の推理小説を激しく批判しましたが、彼自身は新しい小説形式の創造に成功しているといえます。
 微妙なのは、そこのところです。ともかくもクリスティー女史は地道に小説を書き続け、数多くの作品を残しました。その中には意外性のインパクトは少ないものの、小説として充分に面白い作品も多くあります。この世には「単なる破壊者」で終わってしまう人もいるでしょう。破壊者となるのも創造者になるのも紙一重なのかもしれませんが、破壊者となりさがらない秘訣を私たちはクリスティーから学ぶことができるのではないでしょうか。

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