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トランプの家

ただただ面白いというしかない映画  ~ ペドロ・コスタ監督『ホース・マネー』

かつて、これほどわからないことだらけで、これほど面白い映画があったであろうか。
まず幾枚かのモノクロームの写真が続く。いつの時代、どこの場所を映したものかわからない。壊れた建物が見え、映し出されている人々は豊かではない生活を強いられているようには感じとれる。少しカラー写真が映し出されたりもするのだが、肖像画が映し出されている時点で、どこからともなく足音が響いてくる。映画における足音というものが、かくも魅力的になることを改めて実感させられもするが、やがてカメラが不意に横移動し、階段を降りていく後ろ姿とともに、いつの間にか映画は始まっている。

上半身裸の男が向かっているのは牢獄なのか病院なのか、それもわからない。トンネル状の通路を歩いていることだけは確かだ。ここでトンネルを歩く人間の姿が、いかに映画的瞬間にふさわしいかを思い返さずにはいられないのだが、この男が誰なのか、病んでいるのか正常なのか、それすらも知らされないうちに映画は進んでいく。登場する総ての人物が架空と現実の間に存在しており、これまた見舞い客なのか病人なのか(はたまた医者なのか)わからない女性まで出現する。ただ理解できるのは、この女性も映画の中では女優という役割を演じているということだけだ。

やがて何とも味わい深い歌声とともに誰ともわからぬ人々のショットが映し出され、例の男が戦車と兵隊に追いつめられたり、明らかに廃墟となった建物の中で壊れた電話をかけたり、親類とおぼしき男と可笑しな歌をデュエットしたり、極めつけはエレベーターの中で人間なのか銅像なのかわからない銀色の兵隊と会話ともつかぬ会話をしたりと、限りなく面白い場面が目白押しに続くのだが、ただただ面白いのであって、何を描こうとした作品なのか全く理解させないまま映画は終わっていく。

映画のパンフレットを買い求め、冒頭の蓮實重彦氏の文章を読めば、(そこに、あの『伯爵夫人』不機嫌会見が嘘であったかのような朗らかな表情を浮かべた蓮實氏が、ペドロ・コスタ監督と一緒に写っていたりもするのだが)、例の男がヴェントゥーラという名であり、1975年3月31日にポルトガルで起こった「カーネション革命」にまつわる彼自身の体験を描いた映画であることが判明するのだが、何がわかったところで、この映画の面白さが変容するわけでもない。

わからなさという点ではジャン=リュック・ゴダールの映画と双璧をなすのであろうが、ゴダールの映画がただただ美しいのに対して、ペドロ・コスタの映画はただただ面白い。しかも、やはり美しい。特に照明の使い方においては絶品である。おそらく監督自身の発言をはじめ、映画の内容が理解されてくるにつれて、この作品にまつわる言説は日増しに発信されていくであろう。しかし、結局のところ、この映画自体の存在感の前では、あらゆる言節は沈黙せざるをえないのではないか。

ペドロ・コスタ監督の『ホース・マネー』は、そんな映画である。

不均衡の極致~ 映画『山河ノスタルジア』を観て

ジャ・ジャンクー(賈 樟柯)監督の『山河ノスタルジア』を観た。

例えば、タオの父が営む家電屋のドアの音。

不均衡に「でかい」音がするのである。この映画の中には、面白いほどに「不均衡」なものが横溢している。

花火やダイナマイトの爆発音。祭りやディスコで鳴る音楽。

何も音だけではない。登場人物たちの演技に突然介入する不思議な間。異常に遅いタオのバイク。困惑から喜びへと豹変する彼女の表情。

唐突に落下する飛行機。横転しそうになりながら石炭を落とすトラック。斜めに飛ぶヘリコプター。

それらを単なるディフォルメな表現と解してもつまらないだろう。また人は「極端な描写」にこそリアリティを感じてしまうのかもしれない。

しかし映し出される個々の画面は、「郷愁」や「自然」を描くという意図を遙かに超えて存在している。

映画においては調和だけが美しいのではない。作品『山河ノスタルジア』は、その事実をあらためて思い起こさせてくれる。

物語は、別れた旧友の不治の病、父の死、息子との再会、その息子の中年女性との恋へと、まさに予定調和から遠ざかるように横滑りに滑っていく。物語の展開そのものが「均衡」を欠いているのである。だからといって、映画『山河ノスタルジア』は「故郷喪失者の破滅的悲劇」という、ありきたりな物語へと集約されていくわけでもない。

これとて、人は、断片的な記憶で形作られるリアルな「人生の物語」を読みとってしまうのかもしれない。

しかし、そこに人が何を読みとろうと、最後に踊るタオのダンスの生々しさは如何ともしがたいのではないか。

雪の光景にも、タオの年齢にも不似合いなダンス。彼女は単に懐かしがっているだけなのか。それとも、年甲斐もなくふざけているだけなのか。

どんな解釈してみたところで、この作品がもつ生々しい不均衡を調整しつくすことはできない。

今一度いうが、映画においては調和だけが美しいのではない。

パロディ小説(パラフィクション)「『災厄の町』の最悪な結末」④(最終回)

(エラリイ・クイーン『災厄の町』の真相部分に触れておりますので、かならず作品を、できることならハヤカワ文庫の越前敏弥先生の新訳でお読みになってから、お読みください。文中に記載されているページ数は、そのハヤカワ文庫版のものです。)
 
                  (4)

貴方にしてみれば、誰が犯人になってもよく、事件が迷宮入りになっても何の差し支えもなかった。ジムが逃走に使った車に事故を引き起こす仕掛けをしたのも貴方ではないのかね。しかし、パットから「木箱」の話を聞いた貴方は、瞬間的に「ローズマリーの正体」と「ノーラ犯人説」を思いついてしまったのだ。それでパットとカートに名探偵よろしく「新たなる真相」を語ることに決めたんだろう。自分はパットを好きだったが彼女をカートに譲るかのような偽善を装い、ふたりの恋仲を復活させるには自分の説く真相を受けいれるしかないような状況を作りつつ、貴方は名推理を展開した。その名演技たるや拍手喝采ものであったが、よく考えてみたまえ、自分の中にあるエラリイ・クイーン性を否定せんがため犯行におよんだ貴方が、エラリイ・クイーンばりの推理を披露してしまったとは、何とも皮肉な話ではないか。貴方は、さらに「最悪な結末」を迎えてしまったのだ。」

しばらくスミス氏は沈黙を守っていたが、おもむろに口を開いた。
「ところで、貴方こそ一体誰なのですか。」
「申し訳ない、自己紹介が遅れた。私の名は、サイモン・アーク。」
またスミス氏は、しばらく沈黙する。
「ところで、アークさん。私が本物のエラリイ・クイーンじゃなかったとして、おかしいとは思いませんか。これだけの事件が起こって、エラリイ・クイーンの偽物が出現したというのに、本人が何も言わずに黙っていたとは、どういうことなんでしょうか。」
「それこそ世迷い言というものだよ、君。エラリイ・クイーンなんていう人物は、この世には存在しない。ふたりの作者が作ったペン・ネームに過ぎないのだ。その作中に登場する探偵エラリイ・クイーンも、当然作られた人物に決まっているではないか。」
「でも、エラリイ・クイーンが架空の存在だとするなら、スミス氏だって実在しないのではないですか・・・」
エラリイ・スミスは、そう反論したが、すでにサイモン・アークは目の前から消えていた。(註;サイモン・アーク・・・エドワード・D・ホックの作品に登場する宗教研究家。悪魔を探し求めている。二千歳を超えているとされている。)

サイモン・アークは二千歳を超えても、まだまだ生きていた。2007年になって彼に初めて日本という国を訪れる機会がやってきた。この国にあるプロ野球の「阪神タイガース」という球団に、悪魔が取り憑いているという情報を得たからである。この球団を応援する人々は、球団がいくら負け続けても熱情的な応援をやめない。優勝でもしようものなら、突如破壊行為を始め暴徒と化すのである。日本に着いたサイモンは、かつて友人から教えてもらった「イセのアヅサユミ」という話を直に読みたくなった。ブック・ストアーやライブラリよりもハイ・スクールというところの方が、この物語を簡単に入手できると聞いていたサイモンは、現地で知り合った英語教師の協力もあって待望の物語を読むことができた。サイモンは思った。「実に面白い国だ。日本という国は。こんな話をハイ・スクールの生徒に読ませるなんて・・・。」

ホテルに宿泊したサイモン・アークは夜の無聊を慰めるため部屋のTVのスイッチをいれた。ややロック調の音楽が鳴り、そこには大きく『ガリレオ』という字が映し出されていた。日本語の覚束なかったサイモンだったが、画面を見ているだけでストーリーを理解することはできた。そのストーリー展開をたいへん馴染みあるものに感じつつ、こう彼はつぶやいていた。「おお、ここにも『超常現象の家(幽霊屋敷)=死体か宝の隠し場所』パターンが援用されている。やはり、実に面白い国だ。日本という国は。」もっともサイモンには、そのガリレオと名付けられた男が同じようにドラマの中で「実に面白い」と語っていることを知るよしもなかったが・・・。

さかのぼること30年。ひとりの悩める日本の脚本家がいた。彼が共に仕事をする映画監督は『災厄の町』を映画化できる権利を獲得していた。それはよかったのだが、どうしても彼には物語の中で毒物が混入される場面の絵が浮かばなかった。パーテイの会場で、毒物の入った飲み物を自分が狙った特定の相手にだけ飲ませる方法は、あるのだろうか。S藤という名のその悩める脚本家は考え続けた。やがて、彼が脚本を担当した映画は『配達されない三通の手紙』と題して上映されることになる。

それから約20年後。またしても日本には悩める脚本家がいた。彼の悩みも同じであった。パーテイの会場で、毒物の入った飲み物を自分が狙った相手にだけ飲ませる方法は、あるのだろうか。M谷という名のその有名な脚本家は、よく発想に行き詰まるとコンビニエンス・ストアに出かけた。そのコンビニはハイ・スクールの近くにあるせいか、コンビニとしては珍しく子供の玩具も陳列されていた。トランプ、花札、けん玉、ボードゲームと並んだ横に、小さな手品グッズも置かれていた。「手品・・・、マジック・・・。」そのとき天啓とでも呼ぶべきものが彼のところに降りてきた。「そうだ! マジシャンズ・セレクトがあった!」しかし、これはまた別のお話。

再び2007年。場所は日本の阪神甲子園球場。ナイターが終わり、総ての客が帰り去った球場は、あの喧噪が嘘であったかのように静まりかえっていた。どうやら、ここにも悪魔はいなかったようだ。この辺にも海があるという情報を得ていたサイモン・アークは、潮風が吹いてくる方角に向かって歩き始めていた。

「実に面白い国だ。この国は。これからも世界は様々な災厄に見舞われるであろう。しかし、この国だけは、この面白さによって、最悪の結末を迎えることを回避できるのかもしれない・・・。」

パロディ小説(パラフィクション)「『災厄の町』の最悪な結末」③

(エラリイ・クイーン『災厄の町』の真相部分に触れておりますので、かならず作品を、できることならハヤカワ文庫の越前敏弥先生の新訳でお読みになってから、お読みください。文中に記載されているページ数は、そのハヤカワ文庫版のものです。)

                 (3)

この家の風評が自然に発生したものなのか、誰かによって捏造されていたものなのか、作品を読んで判断することはできない。しかし、もし後者だったとした場合、例えばジムが激怒した理由は、「災厄の家」が建てられた「場所」に問題があったとも考えられる。その敷地の地面の下には何かが隠されていたのだ。ところが「災厄の家」が建てられてしまったがゆえに、それが取り出せなくなってしまった。それが三年経った頃、何らかの理由があって取り出すことが可能になったのだ。また、ひょっとしたら不動産屋のペティグルーがグルだったのかもしれないが、最初に家を買おうとしたハンター氏が急死したのも、決して自然死ではなく、この家に人を住まわせないための謀略だったと考えられないだろうか。

それとも隠されていたのは公には離婚したことになっている長女ローラの夫の死体だったのかもしれない。駆け落ちしたのはよかったが、その後ローラには新たな恋人ができてしまい、巡業役者だった夫は殺されて一時的にライト家の隣の敷地に埋められてしまった。後から他の場所に移動させて永遠に放棄される予定だったのが、そこに「災厄の家」が建てられてしまったというわけだ。新たな恋人こそ実はジム・ヘイトだった。彼が書き残していた手紙は自分の妻を殺すかのよう見せかけた暗号で、本当のターゲットはローラの夫だった。そこまで考えると、あそこまでローラとジムが親しかった理由もうなずけるのだが、ジムが死んでしまった今となっては総てが闇に葬られてしまった。しかし、この推理をここまで進めてきたところで浮かびあがってくるは、この「災厄の家」にあえて住もうと考えたある人物が、のこのこライツヴィルにやって来ていたという問題なのである。

さて、エラリイさん、そろそろ事件の真犯人を挙げようではないか。今まで積み重ねてきた推理に基づけば、どう考えてもジムが犯人だと考えるのが妥当だ。しかし、困ったことに、誠に困ったことにエラリイさんはジムが絶対に毒物を混入しなかった、その場にいて自分は一瞬たりとも目を離さなかったと主張している。あのときの証言が嘘だったなら嘘だと、どうか正直に言ってほしい。あるいは貴方にはノーラを犯人に仕立てあげる必要性があったのだろうか。それにしてもノーラ犯人説には無理がありすぎる。ではジムでもノーラでもなく毒物が混入でき、ローズマリーを死に至らしめることができた人物は誰なのか。もはや答えは明白だ。エラリイ・スミスさん、貴方だよ。貴方以外に考えられない。

さてさてエラリイ・スミスさん。そろそろ正体を明かしたらどうだろうか。貴方いったい誰なんだ。本当にうまく化けたものだよ。間違いなく多くの読者も騙されたことだろう。自分を名探偵エラリイ・クイーンに仕立てあげるなど、簡単にできる技じゃない。この『災厄の町』の中に、いつものクイーン警視やJ.J.マックが登場しなかったのも当然である。かつてエラリイ・クイーンの講演会を聴いていたパットが、貴方の顔を記憶違いしていたのが幸いだったね(p91)。これ幸いと名探偵に化け通すことを思いついた、この点で今回の事件では貴方の完全勝利だったといえる。

それでは貴方の動機は何だったのだろうか。いや、貴方には殺人の動機など必要なかった。貴方がノーラの命を狙う理由はない。もちろんローズマリーを狙うこともできなかったはずだ。要は、この「災厄の家」で忌まわしいことさえ起こればよかったのだ。そうすれば人々の足は再びここから遠のく。間違いなく貴方は何らかの方法でジムが何かをここに隠していたことを知ったのだろう。後はただ、ほとぼりが冷めた頃この家から隠し続けられたものを取り出しさえすればよかったのだ。それが貴方の真の動機だったわけだが、この「災厄の家」に隠されていたものを見つけるか、この下に埋められていたものが掘り出されれば、自ずと真相は明らかにされるであろう。ハンター氏の死が殺人であったことも証明できるかもしれない。

しかしながら、ここまで推理を進めてきて、結局何も出てこないのではないかというのが、私のたどりついた結論である。もちろん徹底的に「災厄の家」を家捜ししてみて初めて判明することではある。それでも私に明白なのは、もし隠匿物を見つけるために殺人を犯していたとするなら、貴方はジムが毒物を混入するところを見たと法廷で主張しさえすればよかったはずなのである。にもかかわらず頑強にジムは毒物を混入していないと貴方は言い張った。さらには自分が毒物を混入できたとまで表明していた。まさにその一点によって、貴方が殺人という行為におよんだ、もっと高次の理由があると、私には思われて仕方がないのだ。何よりも目につくのは、あまりにも貴方の顔が名探偵エラリイ・クイーンに似ているということである。それが双子に見紛うほど瓜二つなのだ。パットが貴方をエラリイ・クイーンだと思い込んだのも無理はない。思うに貴方は整形手術を受けたのではないのかね。そして貴方こそ『シャム双子の秘密』に登場していた謎の男スミスではないのか。当時一介の脅し屋に過ぎなかった貴方は、極限状態で披露されたエラリイ・クイーンの名推理を目の当たりにし、この名探偵と同化してしまった。貴方は顔に手術まで施し、身も心もエラリイ・クイーンと一体化して人生をやり直すつもりだった。ところが、貴方の精神に乖離が起こり始めたんだろう。『チャイナ蜜柑の秘密』や『スペイン岬の秘密』を読むうちに、だんだん貴方はエラリイ・クイーンを名探偵だとは思えなくなってきたのではないのかね。自分の中にいるエラリイ・クイーンを許せなくなったといったところだろう。

貴方は密かに毒物を混入した。狙う対象は誰でもよかったのだ。この無差別殺人は、むしろアガサ・クリスティーの作品に描かれていたパターンだ。あるクリステイーの作品においては。殺害後に証拠を隠滅するトリックまで用いられていたのだが、現実的には残念ながらそこまでうまくできなかったようだね。自身がエラリイ・クイーンであることに耐えられなくなった貴方の精神が、アガサ・クリスティーの考案したトリックを実現することによって、新たな別の人格を生きようとした。エラリイ・クイーンよりアガサ・クリスティーの方がはるかに優れた作家であることを立証することによって、自分の中にあるエラリイ・クイーン性を否定したかったんだろう。簡単に言ってしまえば、自分で自分を納得させたかったということだ。ところが実際にはトリックは完遂されず、ジムは逮捕され、はちゃめちゃな裁判まで開廷されることになってしまった。「災厄の町」で起こった事件は、何とも「最悪の結末」を迎えることになってしまった。

パロディ小説(パラフィクション)「『災厄の町』の最悪な結末」②

(エラリイ・クイーン『災厄の町』の真相部分に触れておりますので、かならず作品を、できることならハヤカワ文庫の越前敏弥先生の新訳でお読みになってから、お読みください。文中に記載されているページ数は、そのハヤカワ文庫版のものです。)

                     (2)

では、ノーラが犯人でなかったとすれば、真犯人は誰か? それを指摘する前に、この『災厄の町』の中に書かれていることで不思議かつ奇妙だと私が感じたことを述べておきたい。例えば、三年間も留守にしていながら、なぜジムはヒョコヒョコ帰ってきたりしたのだろうか。だいたい突如婚約者を捨てて出ていった男が、許してもらえると考えること自体が図々しい。実は、ある友人から教えてもらったことなのだが、何でも日本という国には平気で男が三年待たせた女のところへ戻ってくる古い物語があるそうだ。確か「イセのアヅサユミ」とかいう題名だったと思う(註;『伊勢物語』第二十四段のこと)。ジムは、その物語を読んで思うところがあったのではないのだろうか。この古い物語では、最後には待っていた女が死んでしまうと聞いている。何だか『災厄の町』の下敷きになっていても、よさそうな話ではないか。

ノーラは一応あのときジムが失踪した理由を説明していた(p218)が、はたしてこれも本当の話だったのだろうか。自立心の強かったジムは、自分の給金で家賃を支払える家を町の反対側に借りようと決めていた。にもかかわらずノーラの両親が勝手に家を建てて家具までそろえたことが、失踪の原因だったと彼女は説明していた。この一件がジムのプライドを大きく傷つけていたことは間違いない。しかし、それだけの理由でジムは本当に町を出ていったのだろうか。しかも、三年間連絡もなしとは。一瞬ジムが激怒してしまったとしても、よくふたりで相談しあって、ジムが借りようとしていた家に住めばよかっただけの話ではなかったのか。この一件には、どうも明かされている以上の秘密が隠されているような気がしてならない。

これは私の邪推に過ぎないが、ジムと長女のローラとの仲も、どうも気になって仕方がない。貴方が記載されたことを読むかぎりでは、その前後関係が明確でないところもあるのだが、ジムとノーラがつきあい始めた頃には、駆け落ちから戻ってきたローラは、すでにライト一家とは疎遠になっていたはずである。それにしては失踪から戻ってきたジムが妙にローラと親しいのである。深夜に酔っ払ってアパートにまで行き、金を無心までするなんて、たいした仲だ。ローラもローラで不動産屋のペティグルーから借金までして、愛する義弟のために金の工面をしてやっている。ローラが妹思いの姉だったとしても、そこまでしてやる彼女の思いには、何か過剰なものが感じられる。そもそもジムとローラの間にも人には言えぬ何かがあって、ジムの失踪期間が三年もの長きに渡った理由も、その何かの中に隠されているとは考えられないだろうか。

さて、これら一連のことに端を発し、ジムとノーラが住むことになっていた家は「災厄の家」と呼ばれるようになった。そこに住もうとしたハンター氏が死んでしまったわけだから、この名称は決定的なものになってしまった。貴方自身も「この家にはたしかに何かがあった。・・・そう、空虚で、中途半端な、どこか宇宙を思わせるような何かだ」と書いている(p35)。やはり、この家は建てられてはならなかったのだ。ただし、飽くまでも私は、呪術的な意味ではなく、物理的な意味でこの物語の舞台が「災厄の家」だったのではないかと考えてみたいのである。

実は、私の専門分野にも関連することなのだが、超常現象、オカルト現象、あるいはポルターガイスト現象の大半は嘘である。そして、ほとんどのミステリー作品においては、その嘘には捏造されるだけの理由がある。もっと限定した云い方をしても差し支えないだろう。ミステリーにおいては、ある場所で超常現象が起こっているというデマが囁かれるとき、必ずその場所には何かが隠されている。隠されているものは、死体か宝物(現金)のどちらかだ。人を怖がらせて家に近づけないようにするためのデマが流されるのである。もちろん世の中には「怖い物見たさ」で侵入してくる者もいるだろう。そんなときも侵入者の目は飽くまで怖い物に向けられて、本当に隠されているものには向かわないものである。

この「超常現象の家(幽霊屋敷)=死体か宝の隠し場所」というパターンは、かなり古くからあったミステリーの定石である。シャーロック・ホームズのライヴァルと呼ばれる探偵たちが活躍する一連の作品にも散見される。アガサ・クリスティーが生み出した聡明なる夫婦探偵などは、ポルターガイスト現象が起こる幽霊屋敷があると聞いただけで、そこに宝物が隠されていると断定しているほどだ。もちろん、このパターンは現代でも継承されており、様々なバリエーションに変奏されながら援用され続けている。

パロディ小説(パラフィクション)「『災厄の町』の最悪な結末」①

(エラリイ・クイーン『災厄の町』の真相部分に触れておりますので、かならず作品を、できることならハヤカワ文庫の越前敏弥先生の新訳でお読みになってから、お読みください。文中に記載されているページ数は、そのハヤカワ文庫版のものです。)

                (1)

エラリイの前に座った男は、独り言をつぶやくように語り始めた。長身で年齢は七十歳ぐらいだろうか。それほど老齢ではないのかもしれないが、顔には深いしわが刻まれている。ともかく一種独特の雰囲気をもった人物だった。

「スミス、スミス・・・、エラリイ・スミスか。いい名前を思いついたものだ。『シャム双子の秘密』に登場した謎の男もスミスだった。どうして、スミスという名前は謎めいた雰囲気を醸し出すのだろうか。最後まで謎の作家を気取りたかった貴方が、クイーンの名前を明かさなければならなかったのは、お気の毒だったとしかいいようがない。それにしても高名なる名探偵殿、あのライツヴィルという土地に来て、貴方の名推理も少し鈍ってしまったんじゃないだろうか。

この人物だと思い込んでいたものが、実は別の人物だった。ミステリーの定石だというものの、今回貴方が見破った真相はお見事としかいいようがない。しかし、それにしても真犯人を割り出すまでにチト時間がかかりすぎではないだろうか。貴方は現場でじっと毒物が混入されるかどうかを観察していたはずだ。しかもジョンは絶対に混入していない。となると、簡単な消去法を用いさえすれば、ジョン以外の人物で毒物を混入できる可能性のある人物は自ずと特定できるだろう。よりによって、自分を犯人に仕立てる回りくどい狂言まで演出して、今回の貴方の振る舞いは酔狂にもほどがある。昔の本が木箱の中から出てきた話を聞かなければ、そもそも解明できないほどの謎ではなかったはず。名探偵エラリイが鈍くなったのか、それとも名探偵エラリイは話を捏造しているのか。

仮に貴方が最後にパットとカートに説明した真相が正しかったとしても、奇妙なことは、まだまだある。一番わからないのは、ノーラのジムに対する気持ちだ。間違いなくノーラは自分を裏切っていたジムを許せなかっただろう。しかし、投獄された後、何の釈明もしようとしないジムの姿を見て、ノーラは心を動かさなかったのだろうか。ジムが本当に愛していたのはノーラだった。そのことは間違いないはずだ。そのことに気付かないほどノーラは鈍かったのだろうか。その点については、なるほどエラリイ名探偵、君は巧みな説明をしていた。「人生を破滅させられたことを、ノーラは異常をきたした心で感じとり、そのふたりへの復讐を考えた」(p492)要するに彼女は精神に異常をきたしていたのだと。しかし、それにしては随分と狡猾にノーラは計略を実行している。わざとジムが書いた手紙の存在を知らしめたあたり(p255)、精神に異常をきたした人間が考えたことにしては実に緻密ではないか。

さらに不思議なのは、本当にノーラが犯人だったとして、いったい何時彼女は毒物を混入できたのだろうか。ローズマリーがノーラのグラスを奪い取ることを予測できなかったことを根拠にして、貴方はジム犯人説を否定したが、どうしてどうしてノーラだって、そんな予測はできなかったはずだ。ではノーラはローズマリーがグラスを奪い取る瞬間に毒物をいれたのか。いや、いくらなんでも、そんな時間はなかった。だとするなら、ノーラはローズマリーが自分のグラスを奪い取る可能性にかけて、あらかじめ毒物を混入していたとしか考えられない。では、もしローズマリーがグラスを奪い取らなかったら、ノーラはどうするつもりだったのだろうか。

ここでひとつ想定されることがある。飽くまでひとつの可能性だが、実はノーラは自ら毒を飲んで自殺しようと考えていたのではないだろうか。公衆の面前で堂々と自殺を謀ることもまた、ジムに対する最大級の復讐になったはずである。夫の裏切りによって自分がどれほどの絶望を味わったのか、その表現として、これほどインパクトのあるものはない。少なくとも、ノーラが自殺を企てていたことを否定できる根拠はないはずだ。貴方ともあろう名探偵が、その可能性について全く言及していないことも、不思議といえば不思議なことである。

パロディ小説(パラフィクション)「『スペイン岬の秘密』の不都合な真実」⑤(最終回)

(エラリー・クイーン『スペイン岬の秘密』の真相部分に触れておりますので、かならず作品を、できることなら越前敏弥先生と国弘喜美さんの新訳でお読みになってから、お読みください。)

      従者テイラーからエラリー・クイーン様へ宛てた手紙(5)

「ただ、ここでさらに恐ろしいことを推理せねばなりません。間違いなくエラリー様も充分にお考えになられたことでしょうし、たとえエラリー様が真相にたどり着いておられたとしても、間違いなく公表されることはなかった、もうひとつの問題です。しかし、私は私一人だけが貴方様の本当のお気持ちを理解しておることを表明するために、あえてここに書かせていただきます。それはローザ様に共犯の可能性がなかったかという問題です。最初にデイヴィッド様が仕組まれた狂言には、ローザ様を容疑者から完全にはずすという意図があったのは確かです。それでも不思議でならないのが、はたしてデイヴィッド様が、あれほど愛し大切にされてきたローザ様を、あのような恐ろしいめに合わせるものでしょうかということです。

また事件全体を通して、やや不鮮明なところが残ったのはローラ・コンスタブル様の死です。どうも崖から落ちたのは事故のようにも思われますし、はたして石を当てられたぐらいで人が崖から落ちたりするのかという疑問も残りました。犯人はマーコ様の細君ということで決着がつけられましたが、この後におよんで、マーコ夫人がローラ様を殺害する理由があったのかという点も疑問です。誠に恐ろしい話になってしまいますが、ローラ様が崖から落ちたとき、一番近くにいらっしゃったのは実はローザ様だったのです。

そうですね。私の想像が走りすぎているのかもしれません。このような話を申しあげるには、ローラ様の命が狙われる理由を先に説明しておかねばなりませんでした。間違いなくローラ様はマーコ様から脅されていたでしょうが、そのローラ様が一方でデイヴィッド様とローラ様の秘密を知ってしまっていたとしたら、どうなるのでしょうか。マーコ様の死を契機にして「強請られていた者」が「強請る者」に成り代わってしまった可能性があるのです。そういたしますならローザ様にもローラ様を殺害する充分な動機が存在してしまうことになります。ローザ様が犯罪者に成りうるような女性だったと考えるなら、最初のデイヴィッド様の仕組んだ狂言にもローザ様が加担していた可能性も浮かんでくるのでございます。

しかし、たとえエラリー様が以上のようなことに気付かれていたとしても、総てを我が身一つに背負っていこうとするデイヴィッド様の姿を知ってしまった以上、本当の真相を決して明かそうとはされなかったことでしょう。そのような貴方様の思いを、私としましても充分受け止めさせていただいているつもりではございますが、それでもなお、貴方様が隠し通されようとした真実には、さらに奥があるように思えてなりません。最後に、その真実について記させていただきます。どうか、ここまで失礼なことを書き連ねましたる、その付け足しとお思いください。

さきほどデイヴィッド様とローザ様が近親相姦だったのではなかったかと書いてしまいましたが、実はお二人の愛は近親相姦ではなかったのではないでしょうか。何を訳のわからないことをと・・・、いえ、貴方様は決してそうはお思いにならないでしょう。そうです。実はおふたりは本当の叔父と姪という関係ではなかったのではないでしょうか。それなら、おふたりの間に自然な恋愛感情が生まれても何の不思議もございません。要するにステラ様とデイヴィッド様が本当の兄弟(姉弟)ではなかったということです。では、デイヴィッド様とは何者だったのでしょうか。私にはデイヴィッド様と殺害されたジョン・マーコ様とが異様なまでに似ていたという点が気になります。デイヴィッド様とマーコ様こそが本当の親族ではなかったのでしょうか(本当の兄弟?)。もしこれでデイヴィッド様とローザ様に血のつながりがないことが明確になれば、おふたりは苦しむことはなかったでしょうし、何者からも脅されることもなかったでしょう。とはいうものの、例えば仮にステラ様が真実をご存じだったとして、それを表明するのは無理だったと推察されるのです。マーコ様は、あのような人物でした。マーコ様と同族であると明かすことが、またデイヴィッド様にとって、この上なき不都合(例えば、デイヴィッド様には犯罪者の血が流れているといったような)になった公算が大きいと考えられます。(もちろんローザ様がステラ様の本当の娘ではなかった可能性も存在します。その場合もローザ様に何らかの「出生の秘密」があることになってしまいます。)

「不都合な真実」から逃れるためには、さらに「不都合な真実」を明かさねばならなかった。このような悲劇的な構図が、ここにできあがってしまっていたと想像しています。重ねて申しますが、私がごとき者が想像できますことを、エラリー様が考えつかれなかったはずはないのでございます。「不都合な真実」を公表することが、さらに不幸しか生み出さないことを知る貴方様は、真実を隠し通すという決断をくだされたに違いないのです。先に述べましたように私の想像が単なる妄想でしかなかったら、どうか一笑に付して、この書面を破棄していただければと思います。今後も事件に遭遇されたエラリー様が、まさに人知れぬ苦悩を背負われることになるのは想像に難くありません。そんな折、ひとえに貴方様の苦悩に思いを馳せる老人がいたことを、ほんの少しでも思い出していただければ、このうえなき幸せに存じます。」

読み終えた手紙を折りたたみながら、エラリーはぽつりとつぶやいた。
「テイラーは総てを語った。されど、秘密は守られた・・・。」

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