Home > 後藤稔にまつわる話 > 内田樹先生の新著『街場の読書論』はホームズのお話から始まりにけり

内田樹先生の新著『街場の読書論』はホームズのお話から始まりにけり

  4月12日。内田樹先生の『街場の読書論』が発刊されました。
 嬉しいことに今回の先生の御著作はシャーロック・ホームズ(コナン・ドイル)の『緋色の研究』研究から始まっています。ホームズの推理にとって重要なのは「うまく説明のつかないもの」である。ところが、合理的な説明を成りたたせようとするあまり、しばしば人は「うまく説明のつかないもの」を軽視してしまいがちになる。「うまく説明のつかないもの」に反応する知性は、「ないはずのものがある」ことや「あるはずのものがない」ことを敏感に識別する察知能力にもつながっていく、と内田先生はおっしゃっています。その後、ルース・レンデルやフレデリック・ブラウン(しかも『電獣ヴァヴェリ』について)にも言及されており、ミステリー・ファンにとっても美味しい一冊になっていました。
  ほとんど同語反復的なことばかりを書かれていながら、またしても内田先生の御著書は面白いです。特に今回は福沢諭吉への言及が面白かったです。言論界は必ずしも先生が指摘されているような作家=「イデオロギー」や「正論」を拠りどころにして発言している人たちばかりではないと思います(そんな人たちの実数は多いでしょうが・・・)。一方で多くの文筆家はリーダビリティ(読みやすさ)をもった「私の言葉」の表現をめざしているものです。それでも幾多の著書は凡庸な内容におさまってしまいます。では、なぜ内田先生の著作は面白いのか。それは先生が、読者に届く言葉(表現)を鋭敏に察知する能力に優れているからだと説明してしまえば、この御著書の内容の同語反復になってしまいます。あえて別の説明を試みるとすれば、それは先生がユニークな人物だからだといえるかもしれません。ユニークさというものは、単なる技法ではなくて、その人物の人間性に深く関わる能力だといえます。名探偵の推理力に対するのと同じく、先生の能力にエビデンス(証拠)を示すことは不可能ですが・・・。

Home > 後藤稔にまつわる話 > 内田樹先生の新著『街場の読書論』はホームズのお話から始まりにけり

Search
Feeds

Page Top