- 2026-06-14 (Sun) 07:46
- 総合
ズームを活用して毎月2回、日曜日夜に催している英語教室。最近読み始めたのはドイツ在住の作家、多和田葉子氏の作品『献灯使』(2014年)で、その英訳本 “The Emissary” を一緒に読んでいる。正直に書くと、英訳本には原作とは異なる部分があり、誤訳の可能性大と思えなくもない。私も過去に何冊か翻訳に取り組んだことがあり、翻訳の難しさは承知しているから、あまり声高に言いたくはないのだが・・・。
とはいえ、翻訳者の苦労(工夫)の跡がうかがえる訳文もあり、受講生と一緒に楽しく読ませて頂いている。物語は近未来の超高齢化社会となっている日本で、義郞という名の曾祖父が無名という名のひ孫を慈しんで育てている。二人の他に家族はいるようなのだが、普段はこの二人だけの暮らしだ。義郞の年齢は軽く100歳を超えているが、家事一切を引き受けている。読んでいくと、この頃の日本は超高齢者が貴重な労働力となっていることが分かる。70,80台の人はそもそも高齢者ではなく、「若い老人」と呼ばれている。
私は普段「120歳まで生きるだろう」と「豪語」している。根拠は何もない。ただ、漠然とそうなって欲しい、そうなるのではと思っているだけのことだ。ただ、ここ最近はちょっと自信がなくなりつつある。背中右の帯状疱疹が一向に完治する気配はないし、歩く速度もだいぶ遅くなったような気がする。体力は確実に落ちてきているのか。だから、この小説を読んで100歳をとうに過ぎた人々が元気に活動している描写に接すると悪い気はしない。
もう一つ。この小説は超高齢者が元気な反面、子供たちが頼りない。無名もそうだ。軟体動物のように心許ない。無名は小学生だが、少し歩くと疲れが出て、義郞が自転車で送り迎えすることになる。無名はなぜか両親や祖父母とは離れて暮らしており、どうやら、曾祖父母世代がひ孫を育てているのが珍しくない時代のようだ。この時代は日本政府は鎖国政策をとっており、外国とは没交渉であり、英語を始め外国語(外来語)が排斥されている。
話の本線とは関係ないところで私がちょっと考えさせられたのは無名が義郞に連れられて歯医者に行き、診察治療をしてもらい、歯医者に丁重にお礼を述べるシーン。原文だと「無名は『僕の歯に優しくしてありがとう』などとすました顔でお礼を言ったので義郞は胃がひっくりかえるほど驚いた」とある。
私が興味を覚えたのは、無名の子供らしからぬ大人びた所作というか礼儀作法に義郞が驚いたことではなく、そもそもこういう描写が成り立つ背景だ。著者がこの描写をしたのは、おそらく日本では業務というかサービスを受けた際に顧客(消費者)が相手方にきちんと礼を述べることが段々と希薄になっていることが脳裏にあったのではないかと、私は思っている。だからこそ、古い人間の代表格のような義郞でもひ孫の礼儀正しさに虚を突かれた思いがしたのではないか。
普段の生活で日本人は「無口」になってしまったと私は思っている。スーパーやコンビニなどで支払いを済ませ、商品を手にレジを去る際、果たしていかほどの人が店員さんに対し、「ありがとう」の一言を添えているだろうか。多くの人が無言で立ち去っているのではないだろうか。病院でもしかり、図書館でもしかり。日本人はいつから「物言わぬ民」になってしまったのだろうかと私は思うのだ。










