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英語でさるく 那須省一のブログ

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大リーグ開幕!

 大リーグが開幕した。NHKでは平日にもかかわらず、地上波放送でロサンゼルスエンゼルス対ヒューストンアストロズ戦を生中継していた。私は無論、何の異論もない。エンゼルスの大谷翔平君が早速マウンドに上り、先発投手として力投した。打者としても1番を打った。残念ながら、味方打線が対戦相手の好投手の前に沈黙し、敗戦投手となったが、まずまずのスタートとなったようだ。今シーズンの活躍が期待される。投手としては15勝、打者としては50本のホームランをかっ飛ばして欲しいと願う。
 翔平君の存在は大リーグの規則をも動かしたようだ。これまでは投手はマウンドを降りると、自動的に打者として打席に立つことはできなかったが、今シーズンからDHであればそのまま引き続きゲームに残り打席に立つことができるようになった。二刀流の翔平君にとってはそれだけ打席数が増えることになる。
 翔平君のことだけを気にしていたら、ダルビッシュ投手もこの日、好投していたようだ。大リーグのホームページを見て、サンディエゴパドレスのエースの彼が対戦相手のアリゾナダイアモンドバックスを6回無安打に抑え、勝利投手の権利を手に降板したことを知った。おっと思ったが、最終的に抑えが打たれて、4対2で悔しい逆転負けを喫し、勝ちが消えた。ダルビッシュはなんだかずっと不運に見舞われているような気がしてならない。力投して勝ち投手の権利を手に降板して幾度となくゲームをひっくり返されているような・・。
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 公民館の韓国語教室で신상을털다 という表現を教わった。忠実に直訳すると「身の上をはたく」という意らしい。ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)やネットで話題の人物の個人情報を暴く行為を意味するとか。「はたく」という動作から私は日本語の慣用表現を思い出した。「叩けばほこりが出る」。広辞苑には「どんな人でも深く細かくさぐれば、何か欠点・弱点が見つかる」と載っている。
 韓国語を学んでいると日本語と酷似した発想の表現に出くわし、驚くことがあるが、上記の表現もそうしたものの一つとして指摘できるだろう。「공부가 되었어요」(勉強になりました)。中国語では類似の表現を見つけることはできなかった。あるのかどうか私には分からない。きっとないのだろう。 
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 台湾・台北にある淡江大学から今も時々ラインメールが届く。入学や講座の告知などだ。今日も届いた。4月8日という日付けを見て突然思い出した。そうだ心を浮き立たせて淡江大学の春季講座に1か月だけ留学して中国語を学んだのもこの時期だった。あれはもう3年前のことか。コロナ禍など思いもしない頃だった。
 少しでも滞在費を浮かせるため、大学の近くにあるビルの最上階にある連れ込み宿みたいなホテルに投宿し、毎朝、大学に歩き初歩の中国語をインドネシアやベトナム、韓国の若者と一緒に学んだ。あの頃に比べれば自分の中国語の力はついているのだろうか? 甚だ心許ない。コロナ禍が完璧に収束すれば再び淡江大学で学んでみたい意欲はある。ただ、台湾は手強い繁体字の国。簡体字に慣れ親しんだ身にはおいそれと舞い戻る気にはなれない・・・。

Madmanは誰だ?

20220405-1649144319.jpg ウクライナから恐れていたニュースが流れてきている。ロシア軍が占拠を解いた首都キーウ(キエフ)近郊の住宅地から住民の虐殺遺体が相次いで見つかっているという。読売新聞によると、ウクライナの検事総長はフェイスブックに「これは地獄。人でなしを罰するために記録する必要がある」と書き込み、徹底捜査する方針を表明したとか。むごたらしい「戦争犯罪」が行われたことは明らかだろう。
 予測できたこととはいえ、何とも形容しがたい世紀末的な現実が迫る。技術革新が進んだ21世紀の今日、さらに信じ難いことはそうした事実が肝心のロシア国民にはほとんど知らされていないということだ。プーチン政権の厳しい報道管制で政権側に都合のいいニュースしか見聞できないようだ。これではロシア国内で反戦機運が起きるのは到底期待できない。近未来の全体主義体制の恐怖を名作「1984年」で描いた英作家ジョージ・オーウェルもここまでは想像できなかったのではないかと思ってしまう。
 5日付けの英字紙ジャパン・ニュースに米ワシントンポスト紙のコラムが転載されていた。Madman threatens nuke use; not who we expectedという見出し。誰が madman であるかは改めて言及する必要はないだろう。ベテランジャーナリストの手になるこのコラムで印象に残った記述は次の一文。原文に若干手を入れて紹介する。It’s Russia’s Putin who is now playing the role of nuclear madman – erratic, delusional, bent on recapturing a bygone empire.(今や核兵器の狂人の役割を演じているのはロシアのプーチンであり、何をするか分からない、かつての帝国を再び蘇らせるという妄想に取り付かれた人物である)
                  ◇
 さて、4月となり、新年度が本格的にスタートした。私の生活には何ら変化はない。専門学校で週1英語を教え、小倉方面で月2回の英語教室で主婦の方々にも指導する。同じく月2回のペースで英語の小説を読む講座を開講し続ける(今はオンライン)。時間的余裕はたっぷりあるので精々、中国語と韓国語の独学に励もうと思っている。
 その中韓両語の支えとなっているのがNHKラジオの語学講座。ただ残念なのは4月から新しいクールとなり、初級講座は基礎の基礎から再スタート。これまでは復習になっていい側面もあったのだが、もうそろそろそう安んじてもいられない。公民館の講座とも合わせ、語彙力を着実に増やしていこうと念じている。
 初回の中国語講座でMCの劉セイラさんが語っていた。彼女は中国出身の声優で漫画家。中国語講座ではお馴染みの人物で、私はその気さくな人柄に今ではすっかりファンになってしまった。セイラさんは自分が何をやってもすぐに熱意が下がる、日本語でいうと「三日坊主」的な面もあると卑下していた。「三日坊主」は中国語では「三分钟热度」となると語っていた。三日どころか「3分程度しか熱意を保てない」ということらしい。
 辞書をひいて更に面白い表現を見つけた。「三天打鱼,两天晒网」。「三日漁をして二日網を干す」意から「三日坊主」を意味することになるらしい。3日間海に出て働いて2日間網を干して次の漁に備えるのであれば、「三日坊主」とは呼べないような気もする。3勤2休なら誰もが飛びつきたくなる理想的な仕事ではないか・・・。

「熟能生巧」

20220331-1648691611.jpg 3月も今日で終わり。明日から4月。昨年も瞬く間に過ぎ去ったような気がするが、今年もそれに輪をかけて早いよう(な気がする)。春休みに加え、公民館の中国語、韓国語講座ともに最終週は休講となるため、凄くのんびりとした一週間を過ごしている。私の年齢、いや私より年長者でも「現役」の人はいるはずで、そのような方々には申し訳ないが、やはりしばしのんびりと過ごせるのは有り難い。
 専門学校の年度最後の授業では私の好きな英語表現を語った。“Practice makes perfect.”(習うより慣れろ)と辞書に載っている。この表現を口にする時よく思い出すのは遙か昔の高校時代。器械体操部に入部し、先輩たちに鍛えられた床運動。運動神経の良くない私はマットの上で演じるバク転が怖くてできなかった。側転から両足を蹴ると、なぜ体が反転してバク転となるのか、どうしても納得できなかった。頭から落下するのではないか。
 2人の先輩が臆病な私の腰にロープを巻きつけ、私が側転からマットを蹴ると、左右から同時にロープで私の体を浮かせた。これなら私でもバク転ができた。数回のトライで自力でできるようになった。まさに “Practice makes perfect.” だ。
 ふと思った。中国語ではなんと表現するのだろうか。調べてみると、次の表現が出てきた。「熟能生巧」。辞書には「慣れてくれば上達する」と記載されている。「巧」は「巧妙な、器用な」という意味で、私には「技巧」という熟語が連想される。
 韓国語では何というのだろうとネットで調べると、次の文章が出てきた。배우기보다 스스로 익혀라. 直訳すると「習うより自らなじむこと」とでもなるのだろうか。要するに理屈ではなく、身体で、感覚で身に付けよということだろう。外国語学習では座右の銘にしたい言葉だ。
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 クリスチャンの端くれとして毎朝、ウクライナに平和と安寧が一刻も早く戻ることを祈っている。ロシアとの和平交渉で進展があったような報道もあったが、どうも額面通りに受け取ることは時期尚早のようだ。少なくともロシア軍がウクライナから全面撤退することはなさそうでウクライナを東西に分断して東半分を支配下に置きたいように見える。それが恒久的な和平につながるとは到底思えないし、ウクライナはもちろん国際社会も容認はできないだろう。
 ロシア政府からはキエフなどへの攻撃を縮小する意向など和平ムードを作り出すかのような姿勢が見られ始めているが、外電をさぐるとどうやら現実からは乖離している。都市部への攻撃はさらに激化しているかのようにさえ見える。戦火が開かれて一か月が過ぎた。ウクライナの人々は疲弊の極にあるのではないか。プーチン政権にウクライナ侵攻を続ければ続けるほど泥沼にはまり、それは結局自らの政権の首を絞めることになることを分からせるしか手はないのだろうか。
 明日からは新年度が始まる。プーチン政権が停戦に合意し、侵攻停止を表明というニュースが米CNNや英BBCなどで流れることを願うが、ロシアから日々伝えられるのは毎日がエイプリルフール? いやフェイクニュースの最たるものばかりだ。

グローバリゼーションの終焉 !?

 この一年間、NHKラジオの語学講座「まいにち中国語」を熱心に聴いてきた。実質的には6か月の講座で昨秋からの半年は前半6か月の再放送に過ぎなかったが、それでも十分聞き応えのある内容だった。(何しろ大部分は忘れてしまっているから!)それでも後半の金曜日はその週のお決まりの復習ではなく聴取者の質問に答える新しい内容が放送され、受講者に配慮した姿勢に好感を抱いた。
 先週の最後の講座ではいくつか知らない文章・語句が出てきた。先述の通り、一度は耳にしていたのだろうが、全然記憶に残っていなかった。その一つは以下の文章。「並ばなくてもいいようにあらかじめネットでチケットを買っておきなさいよ」。「~しなくてもいいように」という慣用句ははてさて?スマホのラジオから流れてきた文章は「你提前在网上买好票吧,省得排队」。「省得」という語句が皆目見当がつかず往生した。
 「省得」は敢えてカタカナ書きすると「ションダ」というような音。「生的」とか「生得」という語句は頭に浮かんだが、意味をなさない。匙を投げる直前に自分の名前にある「省」が中国語でも「節約する」「省略する」「減らす」という意味があり、そのことと関係しているのかと思い、辞書を眺めると果たせるかな、「省得」という語句が紹介してあり、「~しないで済む」と記してあるではないか。「省得排队」で「並ばなくてもいいように」との意とか。ようやくすっきりした。
 「まいにち中国語」の講座は4月からはまた新しいクールとなり、初めて学ぶ人たちのために発音の基礎から教える内容となるのだろう。さすがに私といえども、物足りない講座となることは必至。かといってその上の講座は難解すぎてなかなか楽しめない。はてどうしたものか。まあ、できることから地道に学んでいくしかないのだが・・・。
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 英会話番組で「過去にタイムスリップできればどの時代にタイムスリップしたいですか?」という問いの英訳が紹介されていた。過去に大学で教えていた頃、「タイムスリップは和製英語だよ」と何度か説明したような記憶がある。time slipと記せば立派な英語のような気がするものの、正しい英語表現は time travel。番組では過去に戻るなら、go back in time であり、未来に行くなら go forward in time と表現できると説いていた。
 私のこの歳になるともはや過去に戻りたいという気持ちはさらさらない。と言えば嘘になるか。時々そういうことを考えもする。人生のリセットができないことは承知していても。今のウクライナ情勢がやがてどういうことになるのか未来に行ければ見てみたい。いや、行くべき未来があればいいが、ひょっとして今の我々があると信じている未来など「消滅」しているのかもしれない。
 CNNの記事をネットで読んでいたら、アメリカの世界最大の資産運用会社の代表が今回のウクライナ危機でいわゆる世界の「グローバリゼーション」(globalization)の時代は終焉したと論じていた。その先にどういう時代が到来するのだろう。中露対欧米日の激しい対立の時代となるのか。アジアの国々、特にインドはどう出るのか。中南米は、中東、アフリカの国々はどちらにつくのか。まあ、夢のない息のつまるような時代に思える。

窮鼠だから怖い!

 3月も終わりに近づく。独り者だと季節の移ろいに疎くなる。嗚呼、桜が咲けば卒業式、そして月が変われば入学式、入社式だとは何となく理解できるが、らしき服装の若者を見てそうしたことに初めて気づくこともしばしばだ。
 つい先日、このところの陽気だと桜が満開になるのもそう先ではないだろうと書いた途端に寒の戻りが来たようだ。数日前に香椎浜のジョギング路を散歩したら、桜は大半がまだつぼみの状態だった。天気予報だとまたすぐに暖かくなるようだから、開花・満開は時間の問題ではあるだろう。何度も書くが、ウクライナがあのような情勢では桜の花を心から愛でる心境にはなれない。
 週一、英語を非常勤講師で教えていた専門学校の仕事も春休みとなり、来月の新学期開講まで少しの間、ほっと一息つける。この間精一杯充電して新学期に備えよう。
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20220323-1648003390.jpg 独り者だと日々の料理も時に億劫になる。現役時代には毎夜、街に出て胃袋を満たしていたが、今はそういうわけにもいかない。ただ、せめてもの救いはたいしたレパートリーもないが、料理自体は嫌いではないことだ。食事後の洗い物も苦ではない。食器や鍋、フライパンなどを片付け、台所のシンクがきれいになると、気分も晴れやかになる。昔からこうだったわけではないが、今そう思えることは自分でもラッキーだと考えている。
 一昨日だったか、冷たくなったご飯をさてどう食そうかと思い、ふとどこかに「焼き飯の素」が一袋残っていることを思い出した。キッチンの棚を漁るとあった、あった。「豚キムチ炒飯の素」。袋の裏を見ると、賞味期限は2021年11月と記載されている。ちょっと古いかな?まあ炒飯の素なら少々古くても大丈夫だろう。以前は結構上手に焼きめしを作っていたような記憶があるが、最近は腕が落ちたなあと思いながら、フライパンでウインナーを炒め、溶いた卵を落とし、ご飯を入れて、炒飯の素をふりかけ作ってみた。なんと久しぶりに旨いと思う焼き飯が完成!よしこれからはこの製品を買い求めよう。小人はささやかなことに幸せを感じるのだ。
                  ◇
 外電のニュースでウクライナの最新の情勢を追っているが、目を覆いたくなるようなことばかりが飛び込んでくる。そんな中、少しでも前向きのニュースには飛びつきたくなるが、よく読むとがっかりすることも多い。Putin’s back is against the wall—Biden という見出しの記事には思わず引き寄せられた。見出しの文言は「プーチン(露大統領)が追い詰められているとバイデン(米大統領)が主張」といった内容。
 ウクライナや国際社会には「朗報」と読んでみると、何のことはない、「窮鼠猫を噛む」がごとく、窮地に立つプーチン氏がウクライナの都市に対し、化学兵器や生物(細菌)兵器を使用する危険性が増していると警告している記事だった。今回のウクライナ危機に関する限り、バイデン氏の予測はことごとく当たっている。膠着状態に陥った感もあるウクライナへのロシア軍の侵攻がまた一段とエスカレートすることなく、何とか「決着」の糸口が見つかることを祈りたい。 

プーチンの嘘

20220320-1647745097.jpg 憂鬱な気分がずっと続いている。ウクライナ情勢。そろそろ何とかならないものか。南東部の要衝、マリウポリでは子どもたちや女性が大挙して避難していた劇場がロシア軍の容赦ない爆撃に遭い崩壊、がれきの下に大勢の犠牲者が埋まっているとか。このニュースはもう何日もNHKテレビが報じ続けている。救出作業も難航、いや、何の有効な手も下せないのだろう。大勢の幼い命が失われたのは疑う余地もないだろう。
 聖書の世界では今は「アポカリプス」(apocalypse)と呼ばれる終わりの時代とか。黙示録の時代とも言えるのだろう。確かに世の中を見回すと依然猛威を振るうコロナ禍、核兵器使用の恐れさえあるウクライナ戦争、足下では揺れ続ける日本列島、とても安穏と余生を過ごす気分にはなれない。
 土曜日に読んだ読売新聞夕刊では中面に「ウクライナ危機」と題して、北海道大学のロシア文学専門の准教授の談話が掲載されていた。それを読むと、ロシアとウクライナの「一体性」を主張するプーチン露大統領の言い分がいかにまがいものであるかが良く理解できる。プーチン氏は相変わらず露軍の侵攻がロシアをウクライナのナチス勢力から防衛するためであると言い張っている。それをまたロシアの民は支持しているようだ。まるでジョージ・オーウェルが描いた「1984年」の倒錯した世界がそっくり「再現」されているかのような印象。プーチン氏の盟友、トランプ氏は自分自身に不都合な事実や報道を fake news(嘘っぱち)と呼んでいたが、プーチン氏は自ら fake newsを現実にしようとあがいている。犠牲になっているのはウクライナのあまたの無辜の命。言葉では言い尽くせない大罪だ!
 それにしても夢想だにしなかった。2022年3月にこのようなあほみたいな世界を目の当たりにするとは。精神衛生的には早く黄泉の国に逃げた方がいいとさえ思える日々である。神様に祈ろう、まだ終わりの時代のその日でないことを。
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 韓国語の学習はずっとおざなりになっていた。NHKラジオの初級講座は惰性でずっと聴いているが、これはあくまで初級であり、いつまで聴き続けても初級の域から抜け出ることは悲しいかなないだろう。それは自分でも分かっている。
 それで最近、公民館の韓国語講座に参加し始めた。中国語講座を受講している同じ公民館だ。講座の先生は韓国出身のネイティブ話者で耳を傾けているだけで大いに参考になる。関連のテキストも天神の書店で買い求め、少しずつ問題に挑戦している。このテキストの問題を一冊真剣にやり終えればちょっとは力がつくのではと期待している。
 正直に書くと、そうしたテキストの類は過去に幾冊か購入してざっと読んでいる。ただきちんと復習していないので学んだはずの知識は身についていない。辞書を調べなくともその意味がぱっと頭に浮かぶ単語の数はしれたものだ。これからそうした単語の数を確実に増やしていきたい。ちなみに昨日は次の表現を学んだ。약을 먹었는데 전혀 안 나아요.(薬を飲んだんですが、全然治りません)。この表現を一週間後、いや数か月後にも覚えていれば少しは希望が持てるのだが・・・。
 たぶんほぼ忘れているだろう。普段の生活で使わないから!

「来た時よりも美しく」

 寒い寒いと思っていたら、急に暖かくなった。もうコートは不要か。この陽気だと桜が満開になるのもそう先ではないだろう。ウクライナ情勢を案じることさえなければ、晴れやかな気持ちになるのではとも思う。
 月2回の小倉駅前ビルでの英語教室。受講生が1人だけの教室だが、これも神様の思し召しかと考えている。スカイプを活用してのオンライン短篇小説を読む英語教室同様、楽しく向き合っている。小倉駅前ビルでの英語教室はもう一つ楽しみがある。以前は有名な地元うどん店に足を運び、ランチに好物のごぼてんうどんを食していた。今はビルの地下にあるカレー店でウインナー焼きカレーを食べるようになっている。これがなかなか旨い。このカレーを食べるために小倉まで行っているような・・・。
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 緊迫する一途のウクライナ情勢に隠れているように見えるが、中国での新型コロナウイルスの感染が再び猛威を振るいつつあるようだ。日本を含め、世界的には緩やかに収束に向かいつつあると思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。このニュースにも落胆は隠せない。本日(16日)の読売新聞朝刊によると、中国本土で変異株のオミクロン株が広く流行し、新たに事実上のロックダウン(都市封鎖)に踏み切る都市が増えているとか。
 そうした日々だから、スポーツへの関心もいまひとつ興味がわかない。ケーブルテレビではプロ野球開幕に備えたオープン戦が見放題なのだが、テレビをつける意欲は皆無。今春はまだ一試合も見ていないし、これからも見るつもりもない。
 大リーグも近々オープン戦が開始される運びのようだ。大谷翔平君の活躍が楽しみだから、生中継があればこれだけはきっと見ることになるのだろう。でも昨年のように彼の一投一打に熱中するのかとなると・・。うーん、よく分からない。ウクライナに早く平和な日々が戻ってくることをまずは祈ろう。
                  ◇
 公民館の教室の壁に次のような張り紙が掲示されている。「来た時よりも美しく」。意味はすぐに分かる。「教室を綺麗に使用しましょう」ということだ。私はこのような文言を見ると、頭の中で駄文を作ってしまう。「皆さん、来館時よりも美人になって帰宅しましょうね」。大きなお世話だい!
 日本語は文脈から主語や時には目的語を省略しても意味が通じる時には敢えて言わなくてもいい言語だ。だから私のような性分の者には格好の言葉遊びが楽しめる。以前にこのブログでも書いたことがあるが、日本語と英中両言語との大きな違いを感じるときでもある。
 病室に見舞いに来てくれた友人にお礼を言う場面。日本語では「会いに来てくれてありがとう」という言葉が頭に浮かぶ。「あなた(君)が私にと、主語、目的語を省略しても何の問題もない。日本語と語順がそっくりの韓国語でも日本語同様、私やあなた(君)は必要ないようだ。만나러 와줘서 고마워요.
 英語や中国語ではどうか。“Thank you for coming to see me.” 「谢谢你来看我。」。youも你も必要だし、meも我も必要だ。

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