June 2025
懐かしきトウモロコシ
- 2025-06-28 (Sat)
- 総合
前回の項で「2025年6月時点での気がかりなことは何と言ってもイスラエルとイランの交戦か」と書いた。まだよく分からない点は多々あるが、どうやら両国の戦闘が激化する最悪の事態は回避された模様だ。認めたくはないが、トランプ米大統領が決断を下した米軍による軍事介入、すなわちイラン領内の核施設攻撃が功を奏したようだ。彼のことだから、これからは大真面目で自分はノーベル平和賞を受賞するに値するとことあるごとに宣うことになるのだろうか。絵空事であって欲しいと願う。
それはともかく、おそらくあの名作 “1984” (邦訳『1984年』)を書いた英作家のジョージ・オーウェル氏でも想像できなかったであろう奇妙きてれつな展開を我々は目にしている。トランプ氏はイランの核施設を完璧に破壊したとして、イランに対話路線を歩むよう求めた。これを受け、イスラエルは「勝利」を宣言したが、不思議なことに核施設に重大な被害を受けたことは間違いないイランも「勝利」を主張し続けている。その背景にはイランは米軍の攻撃の前に濃縮ウランを「非公開の場所」に移送していたのだという主張がある。だから、米軍の攻撃は徒労に終わったというわけだが、トランプ氏側はこれを真っ向から否定している。真相はやがて明らかになるだろう。
それにしても、核開発という一大プロジェクトの根幹に大打撃を加えられたイランが米国にそれ相応の仕返しに出ないことも意外に思える。確かに、イランは精鋭軍事組織「革命防衛隊」がカタールにある米空軍基地をミサイルで報復攻撃してはいる。しかし、これにしても事前通告がなされており、死傷者は出ていない。トランプ氏はSNSで人的被害がなかったことについて、イランに謝意を表明したとも報じられている。何というのどかさ! ウクライナの人々が耐え続けている辛苦を思わざるを得ない。
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暑い夏の到来で八百屋さんに足繁く通うようになった。お目当てはもちろん、スイカ。スーパーでも買えるが、私はよくのぞいている八百屋さんのスイカが一番信頼がおけるので、そこで切り売りされているスイカを一日おきに買い求めている。昨日もその八百屋さんをのぞいた。そうしたらトウモロコシが目に入った。遙か昔、田舎の実家でもトウモロコシを栽培していた。お袋がかまどで蒸したトウモロコシを頬張ったことを記憶している。大好物とまでは言わないが、郷愁をそそられる果物(穀物)だ。
客が少なかったこともあり、いつも気さくに質問しているおばちゃんに「このトウモロコシどうやって料理するのですか?」と尋ねた。彼女は「蒸すんですけど、面倒だったら、電子レンジでチンしても食べられますよ」と言う。「え、チンするだけで食べられるんですか」「ええ、(500Wなら)2分40秒ぐらいかな。房を取って水でよく洗って、ラップで包んでチンするんですよ」。彼女の言葉を聞いていて、最初は買うつもりはなかったが、一つ買ってスイカとともに持ち帰った。
土曜日。洗濯を済ませたお昼時、ランチの代わりにトウモロコシをチンした。マヨネーズをかけてかじりついてみた。美味い! 知らなんだ。こんなに簡単にトウモロコシが食べられるなんて! この後、ガスコンロであぶれば、焼きトウモロコシができるのかな?
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元凶はT氏?
- 2025-06-21 (Sat)
- 総合
仕事で結構忙しい日々が続いている。高校では期末テストの時期となり、採点作業に追われた。もう何度も書いているかもしれないが、まさか古希を過ぎてこれほど忙しい日々を過ごすことになるとは・・・。夏休みが待たれる。今夏も海外の旅は考えていない。気楽な独り身の暮らし。どこか静かな海に出かけ、のんびり海水浴と読書の時間を持ちたいと考え始めているが、どうなることやら。
それにしても、我が身のことだけを考えていていいのだろうか。世界はとんでもない危機的状況に直面しつつあるようだ。最近はあまり熱心にそうした情勢をフォローしておらず、間違ったことを書きそうでスルーしたくなるが、このブログは個人的な備忘録でもあり、折々の思いはやはりきちんと記しておきたい。
2025年6月時点での気がかりなことは何と言ってもイスラエルとイランの交戦か。一昔前ならこのような激しいロケット攻撃、その応酬のミサイル攻撃が世界が見つめる中、連日繰り返されるとは想像しづらかったのではないかと思う。イスラエルの後ろ盾は米国だが、これまでの米政権だったら、今回のような武力攻撃は容認しなかったではないか。もう一つ意外に感じたのは、イランには存外、頼れる友好国がいなかったのかという思いだ。アラブ民族ではないイランがかくも孤立無援の国だったとは思わなかった。
トランプ米大統領は米軍の軍事介入を真剣に考慮しているとも伝えられる。イスラエルは支配下におくガザ地区のパレスチナ住民にも無慈悲の砲撃を続けており、イスラエルのこのところの「傍若無人ぶり」は理解に苦しむ。イスラエルにとって仇敵とするイランの核武装は何としても阻止したいということは分かる。しかし、いずれアラブ諸国の中に核武装に走る国は出てくるかもしれない。そうした国をそのつど攻撃するわけにはいかないだろう。イスラエルの戦略が私には見えない。
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ミスタープロ野球の長嶋茂雄氏が今月初めに死去した。職場でスマホの画面を開いてその速報を目にした時、思わず声が出た。「巨人大鵬卵焼き」世代の一人である私にとって「巨人」を代表するのは間違いなく、長嶋さんだった。私が長嶋さんと最も「接近」したのは、監督就任後に成績不振で解任された直後に彼がどういう事情があったか知らないが、ナイロビを訪問した時。私は当時、読売新聞社のナイロビ支局に赴任していた。たまたまナイロビ市内の高級ホテルのカジノをのぞいていた長嶋さんを至近距離で目撃したが、当然のことながら彼は何人もの取り巻きに囲まれており、おいそれと近づける雰囲気ではなかった。
長嶋さんの訃報に接し、思い出したことがあった。彼が現役を引退した1974年10月14の試合直後のセレモニーで語った「私はきょう引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉。今も語り草になっているあのスピーチを私は留学先の米国で聞いた。長嶋さんのファンだった今は亡き長兄がカセットテープに録音して送ってくれたのだ。今とは違い、当時はこうした出来事に海を越えて触れるのは大変なことだった。大学の寮で有り難くテープに耳を傾けたことを覚えている。長兄が黄泉の国で憧れの人と出会うことなどありうるのだろうか。
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カーソル復活!
- 2025-06-07 (Sat)
- 総合
I’m completing a middle-grade novel. (私は今ミドルグレイドの小説を書き終えようとしている)という文章に出くわした。とっさに頭に浮かんだのは a middle-grade novel とは「平均的なレベルの小説」すなわちハイレベルではないが、そこそこの内容を伴った小説というように解釈した。念頭にあったのはhigh-grade(高級な)という表現。ハイグレイドでなくミドルグレイドと解釈したのだ。もっとも書き手が自分が今手がけている作品をこのように卑下して表現するとは思えないので、おそらく違うのだろうとも思った。調べてみると、これはその小説を読むであろう読者の年齢層を想定しているということを知った。
ネットではa middle grade book を literature intended for children between the age of 8 and 12 と紹介していた。小学校3年生から中学校1年生ぐらいの年齢層の子供たちをターゲットにした書籍だろうか。8歳ならまだ思春期にも達していない子供たちだ。そうした読者層にアピールする作品を作るのは大人の読者を念頭にした作品を作るのとはだいぶ趣が異なるのだろう。middle grade を調べる延長線上で teenager を改めてチェック。こちらは「13歳から19歳まで」の10代の少年少女と説明されていた。
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毎日向き合っているパソコンが突然制御不能になった。カーソルと呼ぶのだろうか、矢印のようなポインターが画面から忽然と消えてしまったのだ。カーソルがないと何もできない。パソコンの電源を落とすことすらできない。二三日格闘したが何の変化も起きなかった。最後の手段は以前にお世話になったことのあるパソコンに詳しい方に電話を入れて助けを請うた。それが昨日(金曜日)。私はマウスは使用せず、キーボードの下にあるタッチパッドを触って操作している。彼は持参したマウスでいろいろチェックしていたが、マウスも機能不全。どうもパソコン内部の基板そのものが故障したのではという見立てだった。
古いパソコンを取り出し、このブログをスクロールして確認すると、私は今のパソコンを2020年8月に購入している。世界最軽量という触れ込みだった。そこそこの値だったと記憶している。ブログを読み返すと、私は2020年代はこのパソコンで乗り切りたいと意気込んでいる。まだ5年しか使っていない。神様がそろそろ買い換えの時期だとおっしゃっているのだろうか。それなら致し方ない。それでも念のため、メーカーに電話してお伺いをたてよう。本来なら電話で直接あれこれ伺いたいのだが、昨今では電話でそうした相談窓口に到達するのは至難の業に思えてならない。何とかスマホでリモート相談することが可能になった。これが実に便利でスムーズにやり取りできた。スマホのリモート相談恐るべし。
カーソルが復活した方法は以下の通り。キーボードの一番上にF1からF2、F3・・というキーがある。私のパソコンではF4のキー上に小さなマウスのマークが見える。ボードの最下部のFnと書いてあるキーを押しながらF4を押した。カーソルが出てこない。やけくそ気味に何度も何度も押し続けた。それでも何の変化も起きず、あきらめ気分になり、ネットで探した修理屋さんに持ち込んで相談しようと思っていると、あら不思議、消えた時と同様、忽然とカーソルの矢印が再び姿を現わした。感動ものである。それで今こうやってパソコンに向かい、この項を打っている次第だ。神様に感謝!
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グギ・ワ・ジオンゴ氏のこと
- 2025-06-01 (Sun)
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土曜日。朝刊の社会面の下の方にふと目をやると、死亡記事が出ていた。グギ・ワ・ジオンゴ氏。享年87歳。名前の後に「ケニア出身作家」と記されている。ケニアではいやアフリカではよく知られた作家だが、日本では知っている人はまれだろう。
記事によると、グギ氏は米ジョージア州で死去。死因は不明だが、人工透析を受けていた。1938年英植民地だったケニアで生まれ、ウガンダの大学在学中に創作活動を始めた。代表作は独立前のケニアの様子を描いた『一粒の麦』。現地語で書いた戯曲などで、母国の暗部を暴露したとして命を狙われ亡命生活に。ノーベル文学賞候補として名前が挙がったとも。
『一粒の麦』は私も感銘を受けた作品だ。ナイロビ支局に赴任し、アフリカを現地取材していた1980年代末、グギ氏はすでにケニアを離れていた。記事にある通り、当時のダニエル・アラップ・モイ政権に疎まれ、亡命の道を選択せざるを得なかったからだ。私は『一粒の麦』を題材に記事を書いたことを思い出した。
それで本棚を漁った。本棚の中に何かあるような。あった。読売新聞社が出版した『20世紀文学紀行』(1990年)。記者がカメラマンと一緒に現代文学の足跡を辿る紀行本で、私はアフリカにまつわる二作を担当した。そのうちの一冊が『一粒の麦』だった。小説の詳しい筋はさすがに覚えていないので、『20世紀文学紀行』から引用する。自分自身が書いた原稿だから許してもらおう。
次の書き出しで始めている。当時親しくしていた地元記者の言葉だ。「白人たちは聖書を持ってやって来た。おれたちは土地を持っていた。白人たちは一緒に神に祈ろう、と言った。おれたちも目をつぶって祈った。目を開けた時、おれたちは聖書を手にしていたが、先祖伝来の土地は白人のものになっていた。わかるだろう。これがアフリカの歴史だ」
グギ氏の作品に一貫して流れるのは「独立闘争はだれのため、何のためのものだったのか。独立は支配者階級の肌の色を白から黒に変えただけで、労働者、農民が搾取される基本的構造には何ら変化がないのではないか」という告発である。私がナイロビ支局で勤務していた頃、ケニアの人々が熱狂的にグギ氏を支持していたというわけではない。アフリカ諸国の中では経済も政情も比較的に安定していることもあり、グギ氏の主張に距離を置く人々が多かったという印象だ。だが、彼の主張には今もアフリカ全土で共鳴する人々が多いのではないかと思う。むしろ増えているのではないか。
グギ氏の訃報に接して思い出したことがある。グギ氏が亡命する前に住んでいた家を訪ねたことだ。ナイロビから遠く離れていた。グギ氏はケニア最大部族キクユ族の出身。モイ大統領は少数部族カレンジン族出身であり、そのこともあってかグギ氏は疎まれたようだ。グギ氏の妻が暮らすと聞いた家を訪ねると、彼女は台所仕事をしていた。ごく普通の質素な家の台所。私が簡単な自己紹介を済ませて突然の来訪を詫びると、彼女は困惑したような笑みを浮かべた。「特段お話することはありませんよ」という感じで。台所の壁には夫を追放したモイ大統領の肖像(写真)が飾ってあった。不思議な思いで肖像を見つめた。グギ氏の妻は品のある顔立ちをしていた。私はなぜ彼女の家を訪ねたのだろうか。この訪問は記事にはしなかった、できなかったのではないかと思う。
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