英語でさるく 那須省一のブログ
180度の豹変は one-eighty turn
- 2023-06-18 (Sun)
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米誌「ニューヨーカー」を読んでいてゴルフの記事に目がとまった。Monahan tried to justify his one-eighty by saying that “circumstances change” and ….(モナハン氏は「状況の変化」を理由に方針を180度変えたことを正当化しようと試みた)。初めて目にする表現だったが、one-eighty の意味合いは類推できた。なるほど、英語でも同じように言えるのかと。私の辞書には残念ながら載っていなかったが、ネットで検索すると “do a one-eighty” “turn a one-eighty” などで「考え方や態度を一変させる」ことを意味するとか。
モナハン氏とは米ゴルフを牽引してきた組織、米PGAツアーのジェイ・モナハン会長のこと。去年の秋だかにこのブログでPGAツアーと中東サウジアラビアのオイルマネーが後ろ盾のLIVゴルフの対立を紹介した。最近になって両者が和解し、対立を解消することが明らかになった。万事めでたしと思えばそうでもなく、米メディアでは “Money win.” とか“It was always about money.” などと酷評されている。人権軽視のサウジマネーとは一線を画する姿勢を表明していたモナハン氏の豹変が今後も論議を呼ぶのは必至。
国際社会で露呈した不祥事や不名誉をスポーツの世界で帳消しにしようとする行為を sportswashingと揶揄する新語があることも上記の記事で知った。
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大リーグ。エンゼルスの大谷選手が一段と脚光を浴びている。正真正銘のスーパースターになりつつあるようだ。彼にはsportswashingは無縁の世界だから、安心して応援できる。できるのだが、チームのリリーフ陣が情けない。日本時間で日曜早朝のゲームでは大谷選手が大リーグトップの23号ソロを打った7回表の時点で8対2と大量リードした。楽勝だなと思っていると、あろうことか、リリーフ投手陣がノーコンで塁上を埋められ、あっという間に逆転さよなら負けを喫してしまった。これではプレーオフに勝ち残るのは無理だろう。応援する気も失せてしまう。あほらし!
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ネットで電子書籍を購入した。ざっと読み終えた。プリントアウトを試みた。何度トライしてもうまくいかない。いろいろ調べて分かった。電子書籍はそう簡単にはプリントアウトできないようになっているらしいことが。
それでやはり、書籍を購入しようと思い、ネットで改めてチェックしてみた。欲しいのはカズオ・イシグロの2009年刊行の短編集 “Nocturnes”。『夜想曲』というタイトルで邦訳本も出ているようだ。以前にも感じたが、ネットで注文すると数日内に自宅に届くその便利さ。しかも安い。これを洋書が置いてある書店で買おうとすると(まず、置いてない確率が格段と高いが)往復の電車(地下鉄)賃で、下手するともう一冊同じ本がネットでゲットできる勘定になる。街中の書店が段々と消えていくのも道理だ。複雑な心境になる。
届いた洋書をじっくりと読んだ。気になる語彙にはマーカーを走らせて。カズオ・イシグロの小説はやはり面白い。英語も読みやすい。日本人の血が流れているからではないだろうが。短編小説を読むオンラインの英語教室では今、オー・ヘンリー賞を受けた短編の数々を読んでいる。次はこれを読もうかなと考え始めている。
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思い出した! Dorian Gray だ
- 2023-06-15 (Thu)
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ウクライナで続いているロシアが仕掛けた戦争のことは、このところ全然書いていない。書いていないが、ずっと心にかけている。きっと多くの人たちがそうだろうと思う。それがウクライナの人々に対しできるせめてものことだ。私は毎朝、神棚に手を合わせ、ウクライナの地と人々に平和な日々、平穏な暮らしが一日も早く戻ってくることを祈っている。
しかし、よくよく考えるとこの戦争は異常極まりない戦争だ。通常2か国間の戦争はお互いの領土を攻撃し、打撃を与える戦いだ。今のウクライナ戦争はロシアが一方的にウクライナを砲撃、しかもアパートや病院など民間施設も攻撃対象となり、これをウクライナが迎撃する戦いとなっている。ウクライナがロシア領に砲撃を浴びせることは皆無に近いのではないか。こんな理不尽な戦争はないだろう。挙げ句の果てにはロシアのプーチン大統領は自国の存在が危うくなると核兵器の使用も辞さないと脅している。敗色濃厚となることも含まれるのだろうか。ウクライナから見たら「出口」が見えない戦争に思えてならない。
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最近物忘れがひどくなっているような気がする。数日前から思い出せないのがオスカー・ワイルドの小説の中に出てくる主人公の名前。作品のタイトルも正確には言えないーーなどと前項で書いた。もちろんネットで検索すれば、即座に分かるのだが、「自力」で思い出したいと。
上記のことを書いたのは日曜日だった。私は昔の友人とか有名人の名前を忘れた時には、その人の顔を思い浮かべながら、あいうえお、かきくけこの順で思いつく名前を念じ、その人の名前を思い出そうとする。この方法で結構名前を思い出す。今回は欧米の人だから慣れないabcの順でその主人公の名前を思い浮かべようと試みた。何も当たりがなくて週末が過ぎた。明けて月曜日。仕事を終えて最寄り駅で下車し、駅中の喫茶店でお茶を飲みながら、何気なく再び主人公の名前を思い出そうとしていたら、ふとドリアン、いや、Dorianという名前が頭に浮かんだ。そうだ、Dorian Gray だ。そしてタイトルは “The Picture of Dorian Gray”(邦訳『ドリアン・グレイの肖像』) だ。
この本のことを思い出したのは他愛ないこと。ともあれ、ワイルドは好きな作家の一人だ。もちろん彼が残した作品が好きという意味である。2012年に『イギリス文学紀行』を出すために英国とアイルランドを取材の旅で訪れた時、彼の故郷のアイルランドを旅したことを懐かしく思い出す。彼が残した数々の名言も味わい深いものが多い。私は以前に女子大で英語を教えていた頃には、彼の代表作な短篇 “The Happy Prince” を教材にして講義の中で読んだ。我々日本人にも読みやすい分かりやすい作品だった。今取り組んでいる英語短編小説読書会的なオンライン英語教室でもいつか、まだ読んだことのない彼の作品を読む機会があればいいと少し思ってもいる。
ところで、彼が本来なら作家としての絶頂期に当局から逮捕・投獄されるなどして46歳で不遇の結末を迎えたのは、英国では当時厳しく糾弾された同性愛ゆえ。LGBTQ(同性愛者ら性的マイノリティの人たち)に対する理解が深まりつつある今の時代に生きていたならば、彼の人生(文学)も全く違ったものになっていたことだろう。
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紹興酒のこと
- 2023-06-11 (Sun)
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最近物忘れが酷くなっているような気がする。老化現象?「実年齢7掛け論者」の身としてはそうは思いたくないが、以前ならぱっと頭に浮かんだ類の人名や物事が思い出せないことが相次いでいる。数日前から思い出せないのがオスカー・ワイルドの小説の中に出てくる主人公の名前。タイトルも正確には言えない。英国文学紀行の本を執筆した際も含め、何度か読んだことがあるにもかかわらずだ。読みやすい英語で書かれており、日本人にはとっつきやすい作品だ。
なぜ、この作品の主人公のことを思い浮かべたかというと、特段のことではない。私は今なお帯状疱疹の痛みに悩まされているが、その他の健康状態はまずまずかと素人判断している。それで昔は「私は○○ではありませんが、青年のような気持ちで生きています」と挨拶したいものだと時々考えていたことがふと脳裏をよぎったのだ。○○とはワイルドの作品の主人公。欧米でちょっとしたテーブルスピーチを求められた時などに使えるのではないかと当時は考えていた。だから、○○はいつでもすぐに頭に浮かんだ。
ところが、数日前に○○を思い出そうとしてちょっと愕然とした。出て来ないからだ。小説のだいたいの筋は覚えている。主人公は自他ともに認める美青年。だが、性根は良くなく鼻持ちならないと形容できよう。彼が恐れるのは年をとって若さを失い、その美を失うことだった。それである時、知り合いの画家が描いてくれた肖像画が自分の代わりに年を取ってくれ、現実の自分はいつまでも若さあふれる存在であり続けることに気づく。まるで願いを叶えるために悪魔と取り引きしたようなものだ。傲岸不遜の彼はやがて自分に惚れたうら若き少女を死に追いやったり、肖像画を描いてくれた画家を殺害することになる。今、こうして粗筋を思い出しながらも、○○という主人公の名前が出て来ないのが悔しいし、情けない。本棚にある著書を手にとるか、ネットで検索すれば即座に分かるのだが、それはここではしたくない・・・。もう少し自力で「悪戦苦闘」したい。
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CNNのニュースをオンラインでチェックしていたら、中国では昨今、大学や大学院で学んで立派な学歴を手にしても、社会でそれを活かせない、つまり働き口が見つからず、人生設計が描けない若者が増えているという記事を報じていた。高学歴の若者が毎年、何百、何千万人という数で社会に出てきても、経済の分け前は限られていて、平等に行き渡ることが難しい時代になったということか。記事では閉塞感に陥ったそうした若者が中国文学の祖とも言える先人、魯迅(1881-1936)の作品に共感を覚えていると報じていた。
魯迅ならば私も遙か昔に『狂人日記』だか『阿Q正伝』を読んだことがあり、何となく親近感を抱く人物だ。記事を読んで彼の名前は中国語で何と発音するのだろうとネットで調べていて、彼は中国浙江省紹興の出身であることを知った。地名は見覚えがある。おお、あの紹興酒の紹興ではないか。今頃気づくとは何と愚かであることよ! 紹興酒は久しく飲んでいないが、現役の頃に中華料理店に足を運ぶとよく飲んでいた。あの甘ったるい印象の醸造酒が魯迅先生と因縁浅からぬお酒であるとは! 帯状疱疹の痛みから解放された暁にはぜひ紹興酒を買い求め、魯迅先生をしのぼうと決めた。
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人はなぜ本を読むのか?
- 2023-06-03 (Sat)
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人はなぜ本を読むのか。ほぼ隔週の日曜日にオンラインで開いている短編小説を読む英語教室で先月取り上げた作品の中にこのことを記述した一節があった。著者はギリシアの作家で “Where They Always Meet” という作品。中年の通信社の女性記者マリーナが夜勤の仕事に就いていると、一人の風変わりな若い女性が闖入してくる。闖入者は開口一番 “Good evening. I’m Stalin’s granddaughter. Putin is after me, wants me dead. You have to help me.”と訴える。
旧ソ連に君臨した独裁者で1930年代に国民を大量虐殺したと言われるヨシフ・スターリン(1879-1953)の孫娘とはただ事ではない。彼女は自分をマリーナ・アリルーエワと名乗る。マリーナはアリルーエワを追い出すわけにもいかず、メモを取りながら、彼女の数奇な半生に耳を傾ける。そうした中で飛び出すのが冒頭の問いだ。アリルーエワはマリーナに問いかける。“Do you know why people read?”
アリルーエワの答えは単純明快だ。彼女は続けて次のように語る。“We read because we want to live more than one life.” 多くの人が彼女の答えに同意するかと思う。私もその一人だ。一度だけしかない人生。せめて書物の中で多くの「人生」を疑似体験し、自分の人生に少しでも潤いを与えたい。もちろん、単にそれだけでない人もいることだろう。そもそも人生に意味などあるのか。善人であれば天国が待っているのか。死後の世界はあるのか。死んでしまえばそれで終わり、あとは無の世界が延々と続くのであれば、物足りなく思う・・・。
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先週、兄一家が京都から来福し、楽しい会食のひとときを過ごした。長男の嫁さんも可愛い男の子を連れてやってきてくれた。兄にとっては初孫だ。これまでスマホの画面上で見たことはあるが、対面して会うのは初めてのこと。生まれた当初は私に似ていたらしいが、2歳になった今は長男にそっくりだと思った。兄弟の多い私は甥っ子、姪っ子も少なくない。これが甥っ子としては6人目。翻って生涯独身の私には子供も当然ゼロであるのは悔いの残る人生。上記の小説の登場人物の言葉を借りれば、“I want to live once more from the start.” となるのだろうか。いや、学生時代からでもいいが、リセットが効かないのも人生だ。
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帯状疱疹の痛みからまだ解放されていない。もう書き飽きた気もするが、このブログは備忘録でもあるから、また書いておかねばならない。帯状疱疹を発祥したのが正月明けだからもう5か月が経過したことになる。こんなに長く一つの病(やまい)に取り付かれたのは初めてのこと。気も滅入る。
症状は快方に向かっていると信じているが、数日前の朝の寝起きは辛かった。背中の痛みは治まりつつあると思っていたが、寝起きに背中が酷く重かった。痛くはないのだが、どんよりとした重さとでも呼びたいような陰鬱な気分に陥った。いやはや、なんだこれは!という思いだ。実は今は市内のペインクリニックに行き、週一回ブロック注射というものを受けている。これが最後の頼みと思っている。これで効果がなければどうすんべ?いやもうその先のことは考えたくもない。神様に快癒を祈るしかない!
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再び ChatGPT
- 2023-05-18 (Thu)
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一見、万能にも思える生成AI(人工知能)を今後どう処遇していくのかが日本を含めた国際社会の大きな問題となっているようだ。インターネット上の膨大なデータを駆使して、人が書いたような自然な文章、さらには精緻な画像を作ることができるAI。最近では対話型AIサービス「チャットGPT」が広く知られるようになっている。
火曜日の夕刊を読むと、永岡文科相が閣議後の記者会見で、学校現場での取り扱いを示すガイドライン(指針)について、「夏前をめどに策定、公表したい」と述べたとか。夏休みには学校から作文や読書感想文といった課題が出され、生成AIが悪用される懸念もあり、夏休み前に公表したい思惑のようだ。夕刊の記事は生成AIを「作文などで悪用されると、教員らが見抜くのが難しいという指摘がある」と書いている。
数日前のCNNの記事では米ハリウッドのシナリオライターたちの集まりである全米脚本家組合(WGA)が報酬の増額を求めてストライキに出たことが報じられていた。実は脚本家たちが憂えたことの一つに生成AIの台頭も上げられていた。生成AIが彼らの仕事の領域を「浸食」することを危惧しているからだ。AIがシナリオを書く時代が到来し、ライターが不要になるのではないかと。さらにこれまでの作品自体が生成AIの「土壌」として活用されることになり、何らかの規制・歯止めが喫緊の課題だと訴えた。
私は3月中旬の項で「ChatGPT」について書いた。その時は英語版だった。次のような他愛ないエピソードを紹介した。私がパソコン上で “Give me a very funny joke within 100 words or so.” と求めると、最初のジョークはそうでもなかったが、二つ目、三つ目のジョークは割と面白いものが提示された。テーブルスピーチに織り交ぜることもできるような面白さだと感じた。驚いたのはそのスピード。瞬時に打ち返しがあったのだ。
それで、日本語でも凄いのだろうなと思い、日本語版にアクセスしてみた。
私 面白いジョークを100語以内で述べてくれますか?
GPT ある日、おばあさんが銀行に行き、窓口でお金をおろしたいと言いました。窓口係の人が聞いた「いくら引きおろしますか?」という質問に、おばあさんは答えました。「今日はおしめ代が必要なので、5000円お願いします!」。おばあさんのユーモアのある回答に、窓口係の人も思わず笑ってしまいました。どうでしょうか?お楽しみいただけたでしょうか?
正直全然面白くないとGPTに伝えた。するとGPTは丁重に謝罪し、この後、続けてジョークを書き送ってきたが、そのどれもが面白くもなんともない。私はあきれ果て、失礼だとは思いながら、「あなたはあまりユーモアのセンスがありませんね、正直言って」と伝えた。GPTは「申し訳ありません。ジョークのセンスは主観的なものであり、個人によって受け取り方が異なることもあります。私は人工知能であり、ユーモアのセンスは人間とは異なる場合があります。ご期待に添えず申し訳ありませんでした」と返してきた。これも瞬時に。
まあ、他愛ない笑い話の類だったら、我々も十分GPTに抗して行けるのではないかと思うが、最新の科学的データや古今東西の数多くの文献に基づく文章を書くことが求められると太刀打ちできないのではという気がする。便利なそして恐ろしい時代の到来か!
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He was nothing if not vulgar as usual.
- 2023-05-13 (Sat)
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毎朝の日課、キリスト教の祈祷書(daily devotions)“Walking in Grace 2023” を読んでいて、次の表現に手が止まった。-- I still remember the look the gal at the bank gave me when she asked me my occupation and I proudly said, “I run cows.” -- the gal at the bank とは「銀行の窓口業務嬢」ぐらいの意味合いだろうとは推察できた。ただgal という語は久しく目にしていなかったので、念のため辞書で確認した。
(若くて活発・陽気な)女の子、ギャル(girl)」という意味が載っている。発音(母音)が異なるが、「カモメ」という意味のgull という語に似ていることも思い出した。
NHKラジオの中国語講座。「国破れて山河あり」という我々日本人にもよく知られた中国・唐の詩人の言葉が紹介されていた。広辞苑には「戦乱のために国都長安は破壊されたが、その周囲の山河は昔の姿そのまま存在する、との感慨の言葉」と記してある。私はこの言葉を幾度となく目にして中国語での発音も覚えた(つもりでいた)。しかし、今回改めてそうでないことを自覚した。中国語では「国破山河在」。問題は「破」の発音。po という音は覚えていたが、声調は? ↘と下がる第四声の音であることはすっかり忘れていた。
上記のような年齢による記憶力の劣化はいかんともし難いのだろう。乱暴にカタカナ書きすると、「グオポーシャンフーザイ」となる「国破山河在」に続く詩句を私なりに考えるとすると、以下のように続けたくなる。「我死世间续」。「私が死んでも世の中は続いていく」。「続いていく」は「继续」(継続する)と書くのが正しいことは知っているが、前の句と「釣り合い」が取れないので「续」の一字だけにした。「国破山河在。我死世间续」。まあ、これは杜甫先生でなくとも今の中国人に「こんな文章はない」と笑い飛ばされることだろう。
◇
顔も見たくない、声も聞きたくない人物が一人だけいる。面識はない人物だ。あのトランプ米前大統領だ。それでも、どうしても目にし、耳にすることになる。米社会・政治で今なお大きな影響力をふるっており、米メディアにしばしば登場するからだ。正確には共和党支持者の中でも頑迷な右派層に属している人々の間で今も人気と記すべきだろうか。
つい最近もトランプ氏が大きなニュースになっていた。どうやら、CNNが米北東部の町でトランプ氏のタウンミーティング(対話集会)を主催、放映したらようだ。私は見たくもないので詳しくは知らないが、「信頼できる米政治のニュース源」として重宝しているニューヨーカー誌のコラムニスト氏が定期コラムで酷評していた。
ベテランジャーナリストのスーザン・グラッサー氏のコラムの見出しを読んだだけでだいたいのことは推察できた。“Don’t say you haven’t been warned about Trump and 2024”
私はCNNがトランプ氏に今なお彼の支離滅裂の主張を一方的にまくし立てる場を与えたことに驚いた。視聴率を狙っていたのだとしたら、CNNも地に落ちたと言わざるを得ない。グラッサー氏も “A lying liar is going to lie. Trump is nothing if not consistent in that.” と切り捨てていた。nothing if notという語句は過去に辞書で何度調べたことか。二重否定だから veryと同じ意味に戻る。「トランプ氏が嘘つきの権化であることに関しては昔も今も偽りなく一貫していた」。ほめているのではない、もちろんのこと。
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カミラ王妃?!
- 2023-05-09 (Tue)
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先月末、とあるクリニックに足を運んだ。帯状疱疹の痛みが一向に収まらないからだ。発症して以降、4軒目のクリニック訪問となった。尊敬する先輩からそこでは私の症状を緩和してくれる錠剤が入手可能かもしれないと告げられていたからだ。果たせるかな、その錠剤を頂いた。
とても親切な医師でコロナワクチン接種の危険性、接種後の数々の後遺症について色々と説明してもらった。そうしたことを詳述した書籍も何冊か頂いた。ゴールデンウィーク期間中に読ませてもらった。「目から鱗」とでも表現すべきなのだろう。多くのことを学んだ。そして今改めて思っていることは、コロナワクチンは接種する必要はなかった、いや、接種してはいけなかった、それは寿命を縮めることになるだけという疑念と悔恨だ。これからは絶対にコロナワクチンの接種は拒絶しよう!
◇
どこにも遠出しないゴールデンウィークだった。帯状疱疹の痛みを抱えたままでは致し方ない。好きな焼酎もほとんど口にしなかった。まあ、飲む気になれないから、苦ではなかった。テレビでプロ野球を見ていて、何気なくチャンネルをカチャカチャしていたら、英王室のニュースが生中継されていた。チャールズ国王の戴冠式だ。英王室だったら、BBCだろうが、CNNも熱心に報じている。CNNをだらだらと見た。
私が新聞社のロンドン支局に勤務していた頃はチャールズ皇太子の国王即位と言えば、脳内に??が幾つか浮かんでいたことだろう。当時のそして今もまあたいして変わりないのではと思うが、多くの英国民はエリザベス女王には畏敬の念を抱いていたが、その息子にはそうは好感を持っていないのではと思う。
CNNテレビを見ていておやっと思ったのは、カミラ夫人が Queen Camilla と表示されていたこと。CNN記者もQueen Camilla と呼んでいた。これまでは彼女の正式呼称は Queen Consort (国王の配偶者)だったのではないか。いつからQueenに格上げされたのだろう。報道によると、戴冠式を境にQueen Camilla と呼ばれることになったのだとか。
Queen Camilla という呼称を目にし、耳にすれば、当然のことながら、英国民はいや世界中の人々はチャールズ国王の前妻、亡きダイアナ妃のことを思い浮かべるだろう。ダイアナ妃との離婚を招くことになったチャールズ皇太子(当時)とカミラ夫人の不倫関係がダイアナ妃の悲劇の死の遠因となったと見なすことも可能だろう。本来なら自分がそう呼ばれるべきだったQueen の称号がカミラ夫人に与えられていることを、ダイアナ妃は草葉の陰でどう感じているのだろう・・・。まあ今さら詮無きことではあるが。
CNNテレビを見ていてもう一つ感じたことはウィリアム皇太子の弟であるヘンリー王子が戴冠式で皇太子の列から離れた列に座らされていたこと。妻のメーガン妃が参列していなかったことも目を引いた。さらに、ヘンリー王子は王室から離脱しているから何の不思議でもないのかもしれないが、戴冠式の式典終了後のバッキンガム宮殿でのバルコニーからのお披露目にもその姿が見られなかった。ヘンリー王子一家が安らぐ場所は英国ではなく、居住地に定めたアメリカになるのだろうか。まあこれもどうでもいいことだが・・・。
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