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「適度の理解」

  • 2016-06-10 (Fri) 09:43
  • 総合

 暑くなってきた。去年の手帳にはうかつにもいつクーラーのスイッチを入れたのか記していない。ブログを読み返すと、7月9日の項で、マンションのエレベーターを降りた途端に、ムッとする外気に触れ、「おや、これはもう夏の空気だ。これから本格的夏の到来だな」と感じ、「まだ扇風機で何とか済ませているが、いよいよ冷房の出番か」と書いている。とすると、まだあと1か月程度は我慢することになるのか。できるかな?
                 ◇
 『英語で話すヒント——通訳者が教える上達法』(小松達也著・岩波新書 2012年)という本を読んだ。著者の小松氏は日本初の会議通訳エージェントであるサイマル・インターナショナル創設に参加した同時通訳者として名高い人だ。
 拙著『英語でさるく』でも書いたが、私は学生時代、小松氏に面談し、同時通訳の仕事をしたい希望を伝えたことがある。この時、小松氏に同時通訳者の世界がいかに厳しいものであるかと諭され、新聞記者の仕事を選択した。当時のことを思い出しながら、著作を読んだ。
 「はじめに」に次のようにある。英語の話を聞く場合も、100%分かる必要はありません。「完全な理解」というのはそもそも無理なのです。外国語話者が目標にすべきは、適度の理解(reasonable understanding)だと言われます。「適度の理解」とは、細かい点は落しても大意をつかむこと、話し手が何を言いたいかを捉えるということです。
 さらに「聞き取り」に関して次のように書いておられる。事実、「全ての単語を聞き取ろうとする」というのが第2言語での聞き取りにおける最大の問題なのです。流れてくる音声の中から2つでも3つでも単語が聞き取れれば、話し手が発した音声以外のいろんな情報を活用してかなりのことを類推できるからです。聞き取れない単語があったからといってがっかりすることなく、聞き取れた単語を中心に前後関係から何を言わんとしているのかを類推する、という態度が大切です。
 全く同感だ。同時通訳の世界でさえすべての単語を聞き取ることが必須でないのであれば、私たちが目指すゴールラインは下げてしかるべきと言うつもりはない。小松氏の言う類推とはイマジネーションでもあるだろう。イマジネーションを働かせることで英語力はぐっと身に付く。私はそう思う。だから、私はこのくだりを読んで嬉しく思った。
 ただし、私には同意できない指摘もあった。発音に関する項で、小松氏は英語が中国語やフランス語などと比べ比較的平易であることから、次のように述べている。英語の発音は日本語話者にとって大きな問題ではない、と私は思っています。英語の母音の数は日本語より多いのですが、母音も子音もだいたいローマ字と同じように発音されますから、英語の綴りの通りに発音すれば、ほぼ通用します。中には、laugh(笑う)[ラフ]、やwomen(女性の複数形)[ウイミン]のように綴りとは違う発音をする単語もありますが、数は非常に限られており、たいていは綴り通りで大丈夫です。
 私は英語は綴りの通りに発音していれば、それで事足りるとは思わない。むしろ、英語の音素と日本語の音素は根本的に異なるという認識から学習を始めることが大事ではないかと思っている。もちろん、似ている音素はあるだろうが。

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