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“Wow!”

  • 2021-10-25 (Mon) 10:32
  • 総合

 スカイプを利用した英語教室で読んでいるカズオ・イシグロの作品 “Klara and the Sun” のパート3の末尾に主要登場人物で病弱な少女、ジョージーが死ぬのが怖いと言って母親にすがるシーンが描かれている。“Don’t want to die, Mom. I don’t want that.”
 誰だって死ぬのは怖いだろう。私もそうだ。まだまだ先の話と思っているから怖いという切実な恐れは抱いていないが、やがてそうなる日が来るかもしれない。それはともかく、毎朝読んでいるキリスト教の祈祷書に次の一節があった。死期が迫った人のもとを訪れた友人から聞いた話として紹介されていた。次のような記述だった。
 They went to say goodbye and sat together with the family in her last moments. She had not spoken for hours and her breathing was slowing down. In her final moment she uttered a single word. Her last as she journeyed from here to there. Loud and clear, the word was heard. “Wow!” she said. And took her final breath.
 私はこれとそっくりの話を読んだ記憶がある。アメリカの著名なビジネスマンが息を引き取る間際の言葉が書かれていた。私の記憶が正しければ、その最期の言葉も “Wow!” だった。なぜ臨終の言葉が “Wow!” となったのか、我々には知る由もなく、想像するしかない。実は私はずっと考えてきている。なぜ、「おお!」という驚きというか感嘆というか、まあ普段は滅多に発しない言葉を口にしたのだろうかと。
 私なりの推測はこうだ。この世からあの世に旅立った人は黄泉の国にたどり着いた時点でおそらく、先に旅立ったゆかりの人々がこぞって出迎えに来ているのではないか。例えて言えば、小学校時代の校庭で挨拶をする校長先生のように演壇に立つ自分(故人)がいて、眼前には数多くのゆかりの人々が微笑みながら歓迎の意を表している。「よくやって来たな。懐かしいな。元気でいたか」。「いや、元気じゃないから皆さんとこうして再会できているんですよ」と私なら軽く笑いを取っていることだろう。
 そう考えると、死ぬのもそう怖くはないような気もする。特に天寿を全うしてごく自然に死期を迎えるのであれば何も注文をつけることはないのではないか。できれば、「嗚呼、面白い人生だった。何も悔いはない。さあ、次はどんな展開が待っているのだろう」というような気になれば最高だろうと思う。
                  ◇
 今年から通い始めた韓国語の無料講座。今月から後期教室が再開された。講師の先生が変わり、受講生も大半は知らない人たちだ。何年も通っているベテランの受講生が多いようで私にはまだ笑えないところで笑っている。私は辞書を引き引き、付いていくのがやっとの状態だが、独学の身には大いに勉強になっている。第一、初歩的なことも忘れているかおざなりに学習してきたので身についていないことに気づかされている。
 例えば次のような文章。「韓国語を勉強して6年になります」。韓国語では「한국어를 공부한 지 6년이 됐어요.」となる。私は됐어요と되었어요が同じ意味の表現であり、通常は短い됐어요が好まれるということを知らなかった(忘れていたのかもしれない)。ここ数年は中国語の学習の方が楽しいと思っていた罰が当たったような・・・。

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