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英語でさるく 那須省一のブログ

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残映はzanei?

20221225-1671935049.jpg 英字紙「ジャパン・ニュース」のカルチャー欄に懐かしい顔が見えた。歌手のちあきなおみ氏。名前は漢字で書くべきか? ネットで検索してみると、ひらがなでいいようだ。1947年9月生まれとあり、75歳。70代半ばになったのか。元歌手、元女優と記されている。表舞台から姿を消してしまったのでこういう記述になるのだろう。
 英字紙の記事は読売新聞からの翻訳で、ちあきなおみ氏が1992年9月に夫の死別とともに引退して30年を機に、彼女と親しい関係にある音楽プロデューサーの証言などを交えながら、彼女が今なお日本の歌謡曲の世界で美空ひばりと双璧をなす歌手と崇められていることを紹介していた。“Naomi Chiaki is second to none.”(ちあきなおみは唯一無二の存在)とはそのプロデューサーの言葉だ。今秋新しく発売されたコンセプトアルバム「残映」も好調な販売を続けているとか。彼女の今なお衰えぬ人気を物語るエピソードだろう。
 代表曲「喝采」は強く印象に残っているものの、私は記事を読んで初めて彼女のたぐいまれな「歌唱力」を知った。いつかテレビ画面に彼女が再び奇跡的に登場するようなことがあれば、私は間違いなくテレビの前に釘付けになるだろう。さすがに今もかつての歌声を期待するのは酷だろうとは思うが・・。
 ところで、英字紙で「残映」はどう紹介されていたか。次のように紹介されていた。“Zanei” (Sunset glow) reached No. 1 on the weekly Oricon rankings in the “enka and kayokyoku” song category on Oct. 31, …… 私は最初、zanei に戸惑った。座寧? ( )の中のsunset glow を見て、ああ、「日没の輝き」を意味しているのか、「残映」だなと思い至った。英語表記が紛らわしい時には “Zan-ei”とハイフォンを入れるか、中国語のピンイン表記のように分かち書きを明示する “Zan’ei”と表記するのが望ましいと改めて思った次第だ。
                   ◇
20221225-1671935125.jpg ジャパン・ニュース紙上にもう一つ韓国発の面白い記事があった。こうした記事はネットでもお目にかかれることはあるが、じっくり楽しむにはやはり実際の紙面を手にするのが一番のような気もする。韓国で来年六月から韓国民の年齢の数え方が国際社会のそれと同じやり方に「統一」されるという話題。他愛ないニュースではあるが・・・。
 要するに韓国では今もなお、赤ん坊が誕生すると、即1歳と見なされ、年が明け正月がやって来ると更にもう1歳の年を加える年齢の数え方をしているとか。例えば大晦日におぎゃーと誕生するとその場で1歳となり、翌日のお正月で2歳を迎える。一年が経過して正月を迎えると3歳となる。つまり、日本でならやっと1歳となった時点で韓国の赤ん坊はすでに3歳児と勘定されることになる。
 公的な書類などではいわゆる満年齢で記述するケースもあるようだが、普段の生活では旧来の数え方で済ませていることもあり、混乱が生じることも少なくないとか。誕生日が年末に近ければ、実年齢(満年齢)と2歳近い差が生じる。この記事の見出しはS. Koreans to become younger as way of counting age changes となっていた。年長者に対する敬語使用が日本とは比較にならないほど厳格な韓国。確かにソウルで韓国人の友人と年齢の話題になった時に、お互いの年の数え方に微妙な「ずれ」を感じたことを思い出す。

冬休みの本確保!

20221219-1671434903.jpg コロナ禍もあり、出版社・書肆侃侃房がある天神方面にはすっかり縁遠い日々を送っていた。今年も残り少なくなり、挨拶ぐらいはしておこうと先日、故郷・西都市の名菓を手土産に久しぶりに足を運んだ。田島社長と歓談の後、社長から「これ冬休みに読んでみなさいな」と書肆侃侃房の近刊、10冊近い本を頂いた。私の好みを熟知しておられ、韓国の小説・短篇、台湾に関係する本も含まれていた。有り難い!
 帰宅後、早速読み始めた。まず最初に手にしたのは黄順元(ファン・スノン)著の『木々、坂に立つ』(白川豊訳)。著者の黄順元氏(1915-2000)は平壌生まれで日本に留学経験もあり、大戦後の46年に南朝鮮に越南している作家。韓国文学をかじっている人なら誰でも知っている高名な作家だろうが、無知な私は初めて。帯カバーにある通り、南北分断と朝鮮戦争(1950-53)をめぐる若者群像が男女の性を絡めながら描かれている。今の視点から「生」の価値や「命」を軽々と放棄する生き方を批判するのはあまり意味のないことかもしれないが、時代に翻弄されてもがく若者たちの姿が痛々しい。実に読み応えのある作品だった。
                  ◇
 時々参加している徳島を中心としたオンラインの英語愛好者の集まり。ほぼ三か月置きの一夜パソコンの前に集い、英字出版物の話題で盛り上がる肩の凝らない集いだ。先日の集まりでは泣くこと、涙の効用が話題に上った。人は泣くことによってストレス、緊張を解きほぐしているのだとか。従って、涙は健康に役立つものであり、泣くことを我慢することは愚の骨頂。そのくだりの英文はーー。Studies show that people who hold back tears are more likely to get sick or suffer from stress-related issues. So, for health reasons, it’s best to cry whenever necessary. (研究によると涙を我慢する人々はそうでない人々より病気になりやすく、またストレスに起因する病状で苦しむ可能性が高い。健康のためには必要があればいつでも泣くのが最善の方策なのだ)
 正直、私は昔から涙もろい。今でも小説を読んだり、ドラマを見たりしていて、思わず涙ぐむことも少なくない。さすがに人前で大粒の涙を流すことははばかられるが、涙腺が熱くなることは昔も今もしばしば。嗚咽でなければそう恥じ入ることでもないだろう。だから上記の記事を読んだ時には「我が意を得たり」と思った次第だ。
 人の身体のメカニズムはともかく、いわゆるストレスが長寿(longevity)を妨げる最大の敵ではないかと私は思っている。社会生活はとかくストレスとの戦い、いや正確には戦ってはいけない、ストレスをどうやって回避するか、それが不可避ならいかにそうしたストレスをため込まないように暮らすかがかぎを握っているのだと思う。思えば、大学卒業以来勤めた新聞社を56歳で早期退社したのも我が人生のストレス回避には大いに役立ったのかもしれない。ストレスを回避するために社を辞するのだとなどとは露思っていなかったが。
 そして今、私は中学校で教壇に立ち、中学生に英語を教えるという新たな仕事に着手している。現時点で言えることは新しい仕事はストレスとは無縁であり、教えることがかくも楽しく有意義であることかと再認識させられている。これが私の人生のストレス蓄積になるようなら改めて考え直そう。

セレンディピティー(serendipity)

 購読紙を読んでいてとあるコラムに目がとまった。街の書店(本屋)が全国の地方自治体から姿を消しつつあることを指摘していた。書店が一店もない市区町村が26%を占めているとか。コンビニやスーパーの中には雑誌や週刊誌など限定的な定期刊行物を置いているところもあるが、図書館を除けば、多岐にわたる本に接する機会は地方に住む人たちにはほとんどないと言えるのかもしれない。コラムは人は本との出会いにより「思いがけない場所」に導かれるとして、そうした本との出会いを英単語の「セレンディピティー」とともに紹介していた。「幸せな偶然」という訳語を当てていた。
 「セレンディピティー」は私も好きな語だ。serendipity。アフリカ特派員時代に愛用していた古い辞書には一言「掘り出し物上手」との説明が載っている。学生時代に使っていた英英辞書には “faculty of making fortunate and unexpected discoveries by chance” とある。今使っている電子辞書には「掘り出し物を偶然見つける才能、予期することなく大きな発見をすること(能力)、掘り出し上手」と記されている。
 「セレンディピティー」を単なる「幸せな偶然」と解するのはもったいないかと思う。英英辞書にあるように “faculty” の意味合いも含みたい。“faculty” は「才能」とか「機能」という意味だ。人生において掘り出し物を見つけるのは確かに万人にできることではない「才能」だろう。私のような凡人には難しいことかもしれない。でも「機能」であれば、普段からアンテナを高くして、心を研ぎ澄ましていれば、凡人の懐にもたまに飛び込んでくるものかもしれない、などと私は願っている。すべては神様の摂理(providence)かもしれないが。
                  ◇
 先週末の土曜日に高校・大学時代の友人と久しぶりに会った。日曜日にも東京での新聞社時代の同僚とこれも久しぶりに会った。土曜日の再会は彼らの家に近い小倉駅前のしゃれたレストランで。当然のことながら、お酒で乾杯。まずはビールを飲んだ。健康を考え、この秋以来、ずっと断酒を続けていることは何度か書いているが、古い友との再会で飲まない訳にはいかない。焼酎はともかくビールを飲むのは今年の正月以来ではないか。久しぶりのビール、しかも地元の地ビールは格別に旨かった。お代わりもした。ビールの後で焼酎のお湯割りを数杯頂いたが、肝機能が調子が良いからか、酔うこともなく帰宅の途に就いた。
 新聞社時代の同僚とは天神でランチをともにした。古巣の話で盛り上がったが、さすがにここで詳述はできない。同僚は私と異なり、ついこの間までメディア関連の全国組織の重職にあった。今はそれからも解放され、来年からまた新しい仕事に就こうとしている。才気あふれる人だからユニークな仕事をするものと思う。お互いに健康で会える幸運を喜びたい。さて、この次に会えるのはいつだろうか。
 両方とも最後に会ったのがいつだったか思い出せなかった。3年前後会っていないことは容易に察しがついた。ラインメールをスクロールして、高校・大学時代の友人とは3年前の12月に会っていることが分かった。やはり3年の歳月が流れていた。故郷の土もこの3年は踏んでいないということか。亡きお袋や姉のことは毎朝神棚の前で、さらには夕食の前にその名を念じているものの、お墓参りはとおいとおい・・・。

Samurai Blue が色褪せないことを!

 日本中を席巻したサッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会。日本代表のサムライブルー(Samurai Blue)たちは決勝トーナメント初戦で姿を消した。先制点を上げた時になぜか不吉な予感がした。グループリーグで勝ち点を上げた2試合は苦境からの逆転勝ちだったからだ。やはり決勝トーナメントを勝ち抜くのは大変なことだった。
 優勝経験のあるドイツやスペインといった欧州の強豪を破ったのだから、前回大会で準優勝国のクロアチアといえども勝てるのではないかと密かに期待していたのだが・・・。私は途中からベッドに入り、ラジオでゲームを聴いていたが、PK戦(penalty shootout)に突入する頃からはテレビで見た。日本の最初のキッカーはエースナンバーの10番を背負った南野拓実選手。端正な顔立ちの選手で人気があるだろうことは容易に察しがつく。私は彼の顔が緊張で青ざめているように見えた。おいおい、大丈夫かいな?と心中案じた。彼の右足から放たれたPKは素人目ながら力がないように感じた。相手GKは易々とボールをとらえ、ゴールとはならず。以降、日本チームのPKは浅野拓磨選手をのぞいて相次いで失敗した。
 サムライブルーは奮闘虚しく当初の目標として掲げていた8強入りはならなかった。16強で終わったのはこれが4度目とか。ワールドカップの次回大会は4年後のこと。次回大会で決勝トーナメントを勝ち進むことを祈ろう。そうでないと、愛称の blue が「青色」が合わせ持つ「元気のない、落胆した」の意味に転じる可能性もある。英辞書をひくと、the blues は「(音楽の)ブルース」の他に「憂うつ」という意味もある。
                  ◇
 ネットで海外のニュースをピックアップしていてもあまり心が弾むものがないことは何度も書いてきている。これは久しぶりに「朗報」だと思った。米議会上院選で唯一決選投票に持ち込まれていた南部ジョージア州で民主党候補が共和党候補に勝利したと報じられたニュースだ。共和党候補はあのトランプ氏が肩入れしてきた曰く付きの候補であり、もしこの候補が勝利するような展開になれば、トランプ氏の影響力が依然、米政界では揺るぎがないことを強く印象づけることになっていただろう。
 トランプ氏の威光は確実に衰えつつあると見なしていいのだろうか。ジョージア州の上院議員が確定したことで、上院の勢力図は民主党51に共和党49と民主党が優勢を維持した。バイデン政権与党の民主党はこれまでのように50対50で上院議長でもあるハリス副大統領の1票を必要とすることはなくなった。
 トランプ氏は既に2024年の大統領選に出馬する意向を表明しているが、最近でも2020年の大統領選で不正があった、本来なら自分が大統領として再選されていたのだと蒸し返し、そのために米国の憲法そのものを停止すべきだと信じ難い主張を展開している。普通の国だったらトランプ氏のような人物が政界に居座り続けるのは到底無理だと思えるのだが、こともあろうに米国でそれが許されているとは・・・。

Doan 凄いぞ!

 私がこのブログでサッカーの話題に触れることは滅多にない。英国を旅している時はイングランドや欧州のサッカーリーグの放送をよく見ていたが、日本でJリーグのゲームをまともに見たことはない。多くの野球ファンはそんなものだろうと思う。
 しかし、ワールドカップとなると話は別だ。日本のグループリーグ突破をかけた金曜未明(日本時間)のスペイン戦。私は野球で言えば「大阪桐蔭対ヤクルトスワローズ」のようなものではないかと踏んでいたが、あに図らんや2対1で逆転勝ち、2大会連続の決勝トーナメント進出を決めた。ゲーム開始は午前4時。私はスマホの目覚ましを合わせて早めに寝たが、さすがに起き上がって寒い部屋に行き、テレビをつけるのは億劫に感じた。それでスマホのラジオでNHKの生中継を聴きながらうつらうつら。もうろうとした意識の中でスペインが先制ゴールを決めたような・・。前半が終わった頃に少し意識がしっかりしたのでトイレに立ち、さすがに後半ぐらいはテレビで見てやろうと思った。
 寒い居間に行き、ストーブをつけてテレビをオンにした。点差が開いていないことを祈りながら画面上部のスコアを見やる。2対1と見える。あれ? スコアが動いているぞ! お互い1点ずつ入れたのかな? 画面を凝視すると、あら不思議? 日本が2対1でリードしているではないか! 噓だろ!と思い、何度もスコアを見やったが、どうやら日本がゲームをひっくり返したようだ。委細は分からないが、万歳! 日本、そのまま逃げ切れ!
 そして実際、日本は後半のロスタイムの7分も何のその逃げ切った。あっぱれ! 凄い! ゲームが終了した後に堂安律選手(24)の同点ゴール、更に田中碧選手(24)の逆転決勝ゴールのビデオを見た。堂安選手の左足でのシュートは相手GKが必死で阻止しようとした手をはじいてネットに。これは見事というほかないシュートであることは私のような素人目にも明らかだった。それにしても凄まじい攻防だった。試合中に画面に決勝トーナメント進出の2か国が暫定的に幾度も表示されたが、敗退したドイツもコスタリカも一時は勝ち残りの可能性がある緊迫したゲーム展開だった。
 ところで、英字メディアでは大活躍の堂安選手はDoan と表記されている。最初この名前を目にした時に、ドウンもしくはドーンという名前の外国人選手を紹介しているのかなと思った。ネットで検索すると欧米の人名にDoanという名があり、発音はドウンのようだ。ドーンならdawn という単語が頭に浮かぶ。これなら「夜明け」という縁起のいい語だ。堂安選手はこれで今大会2得点目。日本が欧州や中南米のサッカー強国と肩を並べるほどの力をつける「夜明け」まで近づいたとしたなら、それを象徴するような名前ではないかなどと私は考えたりしている。まあこじつけだが・・・。
 それにしても、日本がコスタリカには負けるが、ドイツとスペインを倒して首位で「死の組」と言われたグループEを勝ち抜くと予想した人など皆無に近かったのではないかと思う。ここは森保一監督(54)の手腕を素直に称えるしかないだろう。次は来週早々に初めての8強入りを目指し、強豪クロアチアとの戦いが待っている。もう十分だろうとねぎらいたいが、そこはそれ、またもっと行けると熱い声援を送るのだろう。「夜明け」の次は何が待っているのか。選手名のアルファベット表記が少し気になる・・・。

現代英語川柳

20221125-1669356273.jpg サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会が開幕した。強豪国のグループE組に入った日本は初戦でドイツと対戦し、2対1で逆転勝ちした。グループリーグを突破し、「8強以上」を目指す日本にとっては願ってもない好スタートとなった。
 正直に書くと、私は前半を見て、日本の負けを覚悟した。翌日の仕事の朝起きのため、後半は見ずにベッドに向かった。翌朝目覚めて枕もとのスマホを開いて確認すると、日本が逆転勝ちと出ている。宮崎の方言で書くと「たまげたばい」(方言でないかもしれない)。日本チームがこれほどたくましくなっているとは知らなかった。特に決勝ゴールを決めたあの浅野選手の得点は背後から執拗に迫る相手ディフェンスを振り切り、角度のないところからの難しいシュート。お見事と言うしかないだろう。
 ジャパン・ニュース紙は締め切り時間の関係で金曜日の朝刊でこのニュースを一面トップで報じていた。その見出しだけを見ても、意図するところ、日独戦の意味合いが理解できるかと思う。“Japan scores late to stun wasteful Germany”。普通の見出しは字数制限があるが、字数制限の無視を許してもらえるなら、「日本、終盤の反撃でドイツに仰天の逆転勝利 ドイツは再三の好機を逸す」みたいな感じか。
                  ◇
 私の古い友人からユニークな著書が贈られてきた。『Senryu--杉山昌善の現代川柳 英訳』。表紙に書かれた著者名はジョーゼフ・ヒックス氏。私は彼をジョーゼフと呼んだことはない。常に「ジョー」だ。米ジョージア州ラグレインジ出身の68歳。私が紅顔の美少年(?)だった大学3年時にラグレインジ大学に留学し、ジョーと知り合った。彼はその後、来日し、広島大学の大学院で学び、桜美林大学や立命館アジア太平洋大学(別府市)で教壇に立った。一昨年からは立命館宇治中学校高等学校の校長職にある。
 文学博士の彼はオペラの声楽も手がけるなど多趣味だと承知していたが、川柳にも通じているとは知らなかった。今般の出版は彼のお師匠さんの川柳作家、杉山昌善氏の選りすぐった140の作品を英訳したものだ。英訳とはいえ、杉山氏の薦めもあって杉山氏の川柳を下敷きにしたジョーの手になる川柳、詩になっていると理解した方がいいらしい。読んでみると、川柳の魅力が英語に活写されていて、英語学習の手助けになる。
 私の印象に残った作品を幾つか紹介したい。杉山氏の川柳、ジョーの英訳川柳の順。
 一葉で天寿まっとう蝸牛 The snail; Spending a whole lifetime, On just one leaf.
 人間を創りて神の知らんぷり “And as if He didn’t know any better”! God created Man.
 私には余ってしまうネジがある My life an Ikea project; A few screws are left over.
 困ります私を好きと言う鏡 Now I have problems! My mirror says that it’s fond of me.
 一斉に北風になる友たちよ Fair weather friends, they can turn on you all at once like the North Wind. [野暮を承知で少し説明すると、fair weather friendとは「都合のいい時(だけ)の友人」を意味する]
 この川柳本にご興味があれば、以下のウェブサイト(http://sugiyama-shouzen.com/)をご覧ください。

Are you a hard worker?

 日中は汗をかくこともまだある。小春日和(Indian summer)と呼ぶには暑過ぎるかと思う。それでも早朝目覚めて机に向かったりしていると肌寒さを感じる季節となった。それでガスストーブを引っ張り出した。手帳を見ると、去年よりも若干遅いようだ。ということは去年の方が肌寒かったのだろうか。
 ウクライナではロシア軍の無意味かつ無慈悲な砲撃で各地のエネルギー施設が破壊され、これからの冬の暖房が一段と厳しいものとなることが確実視されている。ウクライナの人々の辛苦を思えば、ここ福岡で寒い寒いなどと嘆いていては罰が当たるというものだ。それにしてもプーチン大統領が狂気の核兵器使用に踏み切る前に何とか停戦交渉が実現できないものか。プーチン氏でも耳を傾けるような指導力や威厳のある人物は国際社会には存在しないのだろうか。
                  ◇
 米議会でお馴染みの顔がまた一つ表舞台から「消えた」。民主党を長年率いてきたナンシー・ペロシ議長だ。彼女の若々しい顔立ちから御年82歳とはにわかには信じ難い。トランプ氏の言動に辟易していた頃から、ファッショナブルな服装のペロシ氏を議長席に見るのは心が和らぐものだった。だが民主党は先の中間選挙で共和党に多数派の座を奪われ、それに伴い、ペロシ氏は下院の民主党指導者の座を後進に譲ることになった次第。
 彼女は17日、議場でお別れのスピーチをして、過去20年の議長時代に歴代の大統領と手を携えて米国民のために働くことができたことに感謝を捧げた。ブッシュ(子)大統領、オバマ大統領、バイデン大統領。一人抜けているような・・・。今後、彼女のメディアの露出は激減することになるが、ペロシ氏の今後の更なる活躍を祈りたい。
 アメリカ社会を見ていてお手本にしたいと思うことはそうはない。ペロシ氏の存在が象徴するように、年齢で引退が即決まるような社会でない点だけは見習いたい。自分自身の年齢が高齢者の階段を上がるようになるとつくづくそう思う。
                  ◇
 「彼は努力家だ」という文章が出てきた。NHKラジオの英会話講座だったか何か記憶があやふや。英語だと “He is a hard worker.” という表現が普通らしい。「一生懸命に働く、学習する」というのが原意だろうか。努力家ということは「手抜きをしない」ことを意味する。「手抜きをする」は cut corners という慣用句が頭に浮かぶ。そうすると「彼は手抜きをしない」は He never cuts corners. という英文が成立する。それで辞書を引くと、この英文は「彼は完璧主義者だ」という訳文になることが分かる。「努力家」=「完璧主義者」となるが、この二つはぴったり重なり合うものではないだろう。中国語で何と言うのだろうと調べてみると、「他是个勤奋的人」という文章が出てきた。「努力」が「勤勉」に化けてしまったが、まあこちらは理解できる。
 私もここ何年かは勤勉な生活を心がけているが、もし新聞記者時代からずっと勤勉な日々を送ってきていたなら、今頃は中国語も韓国語もひょっとしたらスワヒリ語も堪能になっていたのではと思わなくもないが、すべて「后悔无及」(後悔先に立たず)だ。

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