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再び「コピ」(coffee)

  • 2016-01-25 (Mon) 09:38
  • 総合

 中東から流れてくるイスラム過激派に絡む新聞紙上のニュース。このところ、ほとんど見出しを眺めると、読み飛ばしている。イスラム世界との接触に乏しく、中東情勢に疎い身には理解しづらいことも一因しているが、シリア内戦に至っては敵味方の関係が錯綜しているようで、このところ何度も似たようなニュースを読まされているような感じだ。
20160125-1453683296.jpg 英字紙「ジャパンニュース」が英タイムズ紙の特集紙面を転載する日曜日。‘Isis says I am next one: they will cut off my head’(イスラム国が「次はお前を処刑」と宣告) という見出しに引き込まれるかのように、久しぶりにシリア内戦を報じた記事をじっくり読んだ。この見出しの下には He and his friends risk everything to expose the grim reality of life in Raqqa. Abdel-Aziz al-Hamza describes how his group is defying Isis and putting their lives at risk with the use of social media. (アブデル・アジズ・アルハムザは友人たちとともにイスラム国にひるむことなく、ラッカの人々が余儀なくされている悲惨な現実をソーシャルメディアを駆使して命がけで伝えている)という袖見出し的な要約文が見える。
 この記事で紹介されているアルハムザ氏はラッカ出身の24歳の青年。彼はラッカの人々が内戦が勃発するまではごく普通の暮らしをしていたと語る。ラッカはシリア北部のユーフラテス川のほとりにあり、人口約22万人。イスラム教スンニ派が大多数の都市だが、内戦前までは住民は飲酒も喫煙も自由に楽しめたという。シーア派やキリスト教徒とも共存していた。しかし、イスラム国に支配されるようになった二年ほど前から、体制に非協力的な人々は次々に処刑される恐怖政治が到来。圧政により日々の食べ物にも事欠き、性の奴隷として強奪される女性も続出しているという。
 アムハムザ氏は反イスラム国の行動ゆえに彼らから命を狙われたため、トルコ経由でドイツに逃亡。彼にとって目下の敵は残酷な圧政を敷くイスラム国だが、真の狙いは「イスラム国よりもさらに多くの一般市民を殺害して」きたアサド政権打倒だという。いつの日か祖国に再び戻る夢も捨てていないと語っている。彼らの精神的タフさに敬意を表したくなる。(アルハムザ氏の言葉は続で)
                          ◇
 韓国語の発音に苦労している。素人程度の知識であえてここに書けば、二種類ある「オ」という母音が厄介だ。なかなかその違いを聞き取るのが難しい。従って言うのも難しい。これに激音や濃音の要素が加わるとさらに難儀。プールで歩きながら、退屈しのぎを兼ね、手を口にかざして音が外に漏れないようにしながら、この二つの母音の練習に励んでいる。
 激音は息を激しく出す。この激音に関して、私が今手にしている本には次のように書かれている。「韓国人が聞いて、『あ、この人ネイティブスピーカーじゃないな』と感じるポイントの一つが激音です。激音をきっちり発音できないと、ピリッと引き締まらず、ぼやけた印象の韓国語になってしまいます」
 例えば、コーヒー。前にも書いたが、韓国語で커피コピ。気をつけて発音しないと、「鼻血」を意味する코피コピとなる。せいぜい、練習しよう。来月にはおそらく、二泊か三泊あたりの韓国の旅に出ているだろう。この時、自分の発音がどれだけ通じるか楽しみだ。 

 アルハムザ氏がイスラム国の追っ手を逃れ、地下に潜行してイスラム国の非道さを国際社会に訴える目的の一つは、イスラム国の宣伝を鵜呑みにして世界各地からイスラム国に身を投じる若者に真実を知ってもらうことであるという。彼は絶望してはいない。記事の終わりにタイムズ紙の記者に次のように希望を語っている。
”I hope I’ll go back, but I’m not sure. I want to go back to my home; that’s the reason we keep doing these things. We don’t know if we can stay alive until that time. Before the war, if anyone young died it was a very sad thing. Everyone remembered the person for years. But right now if you are killed in the morning you will be forgotten by the evening, because it has started to become a normal thing to lose friends, families, relatives.”(いつか帰国することを願っているが、そうなるかどうかは分からない。祖国にいつかは戻りたい。だからこうした活動を続けているのだ。その日が来るときまで生きているかどうかも分からない。内戦が始まる前は若い人が死ねば、それはとても悲しい出来事だった。皆がその若者のことをずっと何年も覚えていたものだ。しかし今は、誰かが朝に殺されたとしたなら、夕刻には誰もその人のことを覚えていないだろう。友人や家族、親類が命を落とすのはすっかり当たり前のことになってしまったからだ)

Comments:2

テラバルマサヨシ 2016-01-27 (Wed) 14:30

宮崎日大高校の寺原(テラバル)と申します。土曜日の講演を心より楽しみにしています。1955年生で、この年になるといろんなことがありますが、東京にいる家内と、「命があるだけで幸せだね」とメールで励ましの連絡を取りあっているところです。「I have done battle every single day of my life.」~私は一日たりとも闘わなかった日はありません~という「サッチャー元英国首相」の言葉も命あってのことですね。中東にしろ、スキーバス事故にせよ。

nasu 2016-01-29 (Fri) 10:50

寺原先生 初めまして。コメントありがとうございます。少しは参考になるお話ができればいいのですが。福岡も宮崎もあいにく、金土曜は雨模様ですね。

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