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“This is the least I can do.”(どういたしまして)

  • 2021-02-10 (Wed) 10:39
  • 総合

 つい最近、NHKラジオの英会話講座で次の英文を耳にしてちょっと思うことがあった。その英文は “This is the least I can do.” というもので、お礼を言われた相手に対して返す言葉であり、「私にはこれくらいしかできません」という訳文が当てられていた。
 私はこの日本文を英文にするとなると、まず最初に頭に浮かぶのは次の英文だ。“This is the most I can do.” 「あなたにはもっと色々やってあげたいが、これが私ができる精一杯です」というニュアンスを込めている。講座ではこの表現は出て来なかった。思うにこの英文では「これが私にできる関の山です」という意味合いとなるらしい。
 お礼を言っている相手に対してはやはり、“This is the most I can do.” よりも、“This is the least I can do.” とへりくだった物言いの方がベターなようだ。“Thank you so much.” と言われたら、即座に “This is the least I can do.”(どういたしまして)と返せばスマートな対応となるのだろう。ただ何となく釈然としない気持ちが私には残る。
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 韓国語の独学。こちらはこの数年、NHK第2放送のラジオ講座頼みで学んできていたが、どうも系統立てて学んでいないので、あまり力がついていないような気がずっとしている。「まいにちハングル講座」という共通タイトルのテキストも4年以上の冊数が机の端にうずたかくたまっている。問題はその中身の圧倒的大半が脳内には残っていないことだ。
 ずっとラジオを聴いてきて最近になってようやく分かりかけてきたものがある。それは用言(動詞、形容詞)の活用形をI、II、IIIと三つの語基(パターン)に分けて考える学習法。例えば、「勉強します」という表現は「공부해요」だが、「하다(する)」がなぜ「해요(します)」となるのか、すっかり忘れていた。それは「요」の前にはIIIの語基が来ることになっているからだ。上記の文章は何度も目にしていると自然と口をついて出るようになるが、私はなぜそうなるのか、こういう基本的なことをすっかり忘れていた。
 私がこれまでに読んだ韓国語の教本の中で「これが一番!」と考えている本がある。『新・至福の朝鮮語』(野間秀樹著・朝日出版社)。私はだいぶ前にこの本をさっと読んだが、今も疑問点があると、この本を開き、教えを請うているが、この本でも上記のことがしっかりと記述されていることを思い出した。もう忘れまい。
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 CNNをネットで読んでいて、米西海岸のカリフォルニア州で高齢のアジア系アメリカ人に対する暴行・強盗事件が相次いでいるという。主に中国系の人々がターゲットになっているようだが、タイ出身の高齢者が若者に襲われ死亡する事件も起きている。コロナ禍の閉塞感が背景にあるのは間違いないと見られているが、コロナによる災いをアメリカにもたらしたのは中国だというトランプ前大統領の主張にあおられ、アジア系の市民が餌食になっている可能性が大。日系の高齢者が襲われる危険性も大ありだろう。
 トランプ氏がアメリカに残した負の遺産がこれからも米国の社会を蝕んでいくことが危惧される。せめて米議会上院で始まった弾劾裁判でトランプ氏の犯罪行為を明確に認定し、暴力肯定の風潮にくさびを打ち込んで欲しいと願うのだが、果たして・・・。

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