March 2014
球春到来
- 2014-03-30 (Sun)
- 総合
約1週間の旅から帰福した。「福に戻る」というニュアンスが気に入り、福岡に戻る度に好んで使っている。徳島では歓待され、楽しいひと時を過ごした。京都ではすぐ上の実兄の家で三泊した。男兄弟で残っているのは我ら2人だけ。これは理屈を超えた関係だろうか。
さて、落ち着いてみると、もう3月も終わりで、すぐそこに4月がやってきている。そんなに急ぎなさんなと声をかけたいが、そういうわけにもいかない。寒さ厳しい冬が去り、暖かい春がやって来るのは大歓迎なのだが、実は頭が痛い問題が一つ浮上する。まあたわいないことなのだが。私にはそうなのだ。日米での「球春」(spring of baseball)の到来だ。
時差の関係でアメリカ東部時間で午後7時にプレーボールが宣せられる時、日本は午前8時。机に向かう快適で貴重な午前中の時間がほぼテレビの前で費やされることになる。西海岸でのゲームはさらにその3時間後にプレーボールとなる。複数のゲームをテレビ観戦しようとすると、午後3時頃まで付き合わされることになる。ほっと一息ついたら、今度は夕刻にプロ野球がプレーボールとなるではないか。仕事をする時間がない!
まあ、野球に興味のない人には意味のない悩みであり、どうということもないのだが、私には決して無意味なわけではない。言い訳ではないが、MLB(Major League Baseball)と呼ばれる大リーグは英語の格好の「教材」が転がっており、大学の授業で学生に教える表現の参考になることが少なくない。a clutch hitter(いざという時に頼りになる人)などの野球用語が普通に日常生活で使われているケースも多い。移籍日本人選手が活躍することもあって、放送中に解説者から日本野球あるいは日本文化に関するコメントも飛び出すなど、結構面白い。もちろん、英語での現地放送に耳を傾けることが必須だが。
かてて加えて、今年はあの田中マー君がニューヨークヤンキースでプレーする。目の肥えたニューヨークのファンに彼のプレーがどう映るか。MLBのホームページをのぞくと、マー君にはこれまでも、「向こう7年間で1億5千5百万ドルという化け物的高値の契約金を獲得した選手」(Tanaka who gets himself an absolutely monster deal at $155 million over seven years) などと紹介されている。彼に与えられたハードルは高い。例えば6回を投げ3失点で勝利投手になれば普通なら「合格」だろうが、地元ファンはどう反応するか。彼らが納得するのは7回を投げ、1失点だろうか。シーズン全体では最低でも18勝5敗だろうか。もちろん、内容にもよるが。
楽天時代のマー君には興味はなかったが、海を越えれば応援せざるを得ない。その他にも黒田、岩隈、ダルビッシュ、青木など活躍が期待できる選手が目白押し。おっと、忘れてはならない選手がいた。川崎選手だ。ソフトバンク時代に「ムネリン」と呼ばれていた頃は見向きもしなかった選手だが、シアトル・マリナーズを経て、トロント・ブルージェイズに移籍してからの孤軍奮闘ぶりは注目に値する。失礼ながら、あれほど「非力」ながら、そしてあれほど「ブロークンな英語ながら」、地元のトロントファンの心をがっちりつかんだハッスルプレーには拍手を送りたい。
さあ、大リーグ開幕を前に私はまた宮崎の山里に数日間こもる予定だ。MLBは見たくても見れない・・・。
(写真は、帰福後の楽しい2年ぶりの会食風景。メンバーの関係は・・・)
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徳島にて
- 2014-03-24 (Mon)
- 総合
先週末から徳島を経由して関西に来ている。徳島市では一昨年、昨年に引き続き、三回目の講演会だった。徳島トーストマスターズクラブという英語の熟練者のグループと徳島を外国人に紹介するボランティアクラブの招きで、今回は英語から日本語への文学作品の「翻訳」をテーマに話をさせて頂いた。
さすがに三回目となると、顔見知りとなった方々もいて、一年ぶりの再会を喜ぶ笑顔に遭遇した。ひょんなことから私の徳島講演の集いはスタートした。3月の第一日曜日の南大隅町(鹿児島)・稲尾岳参拝と並び、3月末の徳島への旅は私にとって欠かせない年中行事となった感じだ。
今回の講演会では要望に応え、冒頭、アフリカ特派員時代に手がけた南アフリカの伝説的指導者、ネルソン・マンデラ氏の釈放直後の単独インタビューのさわりの部分の録音を聞いてもらった。マンデラ氏は当時71歳。ウィニー夫人(当時)の不倫を知らず、新生南アの民主化に向け、希望に満ちた思いが迸るようなインタビューだ。昨年12月に95歳で他界したマンデラ氏の「肉声が聞けて良かった」と思って頂いたようだった。
本題はパワーポイントに要点を簡略に記して話をした。英語で語るのが主眼だったが、テーマとなった「翻訳」という性質上、ほとんど日本語での話となった。数日前に下訳を終えたばかりのコンスタンス・ワイルド(オスカー・ワイルドの妻)の伝記本や、4年前に翻訳したマーク・トウェインの小説『二人の運命は二度変わる』を中心に話を進めた。
この種の講演会を済ませていつも思うのは、ああ、もっと上手く話せたのに、という悔いの念だ。それなりに「場数」を踏んだつもりであるが、所詮語りのプロではない。
とはいえ、講演会終了直後、足を運んで頂いた方々からは優しいねぎらいの言葉をかけて頂いた。場所を移しての懇親会でも、アンケート用紙に走り書きした参加者の感想が読み上げられ、翻訳の苦労、楽しさがよくうかがえたという感謝の言葉を耳にした。面映ゆい思いをしながら、そうした声に耳を傾けた。
本題に入る前に、「つかみ」として披露したのが、oxymoron という表現。撞着語法(矛盾語法)という訳語がある言葉で、矛盾する言葉を二つ並べる表現だ。an open secret(公然の秘密)とか a deafening silence(耳をつんざくような静けさ)といったものだ。「私はこれまで幾冊かの本を出していますが、全く無名の物書きです。おそらく、全国で5本の指に入る無名作家だと思います」と語りかけた。これは撞着語法と言うよりは自虐的表現(a self-deprecating expression)か。私は機知に富んだ表現(a witty remark)と考えて口にしたのであるが。そもそも五指に入る無名作家とは何ぞや? そういうものはあり得ないだろうと。いずれにせよ、この自虐的ユーモアは説明を要することなく、予想以上に受けた。徳島の人のユーモアを解する力は相当ありと見た次第だ。
懇親会の席上、また来年の3月も徳島訪問を約束させられてしまった。私の脳内にある「引き出し」はそう潤沢ではない。はてさて、来年は何について話したものやら!
(写真は上が、髪の毛が伸びた筆者。一歩間違うと落ち武者。下が、講演会の風景)
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翻訳脱稿
- 2014-03-20 (Thu)
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前回のブログで少し触れていた翻訳が本日の昼前、ようやく完了した。嬉しい。嗚呼、これで少し楽になった感じだ。まだ、これから誤訳のチェック、語句の修正など推敲を重ね、訳注をどうするか、その訳注の考察、解説(あとがき)の執筆など、厄介な作業が待っているが、少なくとも下訳(荒訳)は完了したのだ。
今回の本の翻訳にいつ着手したのか覚えていない。手帳にも書き入れていない。このブログをさかのぼると、昨年10月26日にアップした「秋の味覚」の項で「今は午前中は出版社から依頼された新しい翻訳に取り組んでいる」と書いているので、10月には着手していたのだろう。
ということは、半年かかったことになる。確固とした本業があるわけでもないが、まあ、片手間の仕事のように、一日数時間程度少しずつ翻訳してきた。いや、難解な文章が多かった。というか、日本人(私)に馴染みのない人名や地名、語句が頻出するので、その読みを調べるだけでも骨が折れた。女性のファッションの記述、それも19世紀末の英国のそれなど、私にはチンプンカンプンの世界で、ため息交じりにぼやきながらキーをたたいた。『幸せの残像』のように感情移入することもなく、メガネが涙で曇ることも皆無に近かった。それでも読み応え(訳し応え)のある作品だったことは間違いない。
翻訳したのは “Constance The Tragic and Scandalous Life of Mrs Oscar Wilde” という伝記だ。英国のフラニー・モイル氏が2011年に発表した作品で、奔放な人生を生き、ウィットに富んだ警句が散りばめられた戯曲で知られたアイルランド出身の作家、オスカー・ワイルドの妻、コンスタンスの数奇な人生をたどっている。オスカー・ワイルドは好きな作家の一人だ。『ドリアン・グレイの肖像』は複数回読んでいる。彼の戯曲も何度も観ている。言葉の天才だと思う。彼が同性愛にまつわる行為で投獄され、健康を害して早すぎる死を迎えることがなかったならば、どれほどの傑作を残してくれていただろうと思う。
私は2012年に英国及びアイルランドを旅した時、ロンドンでモイル女史がこの伝記について語るレクチャーに参加する幸運に恵まれていた。昨春に刊行した『イギリス文学紀行』のオスカー・ワイルドの項でもこの伝記のことについて簡単に触れている。当時はこの本(本文328頁)を帰国後に翻訳することになろうとは考えもしなかったが。
この翻訳本は “Woman’s Best” と称し、フィクション・ノンフィクションを問わず、世界中の女性の生きかたについて書かれた書籍を翻訳出版していくプロジェクトを展開している福岡市の出版社「書肆侃侃房」から刊行される予定だ。校正作業など終わり、「完成品」を手にしたら、このブログで改めて紹介したい。
とにもかくにも本日はそういう次第で気分が良い。本来なら、行きつけの(時々のぞく)居酒屋に行き(私はそこではママたちから「とくちゃん」と呼ばれている。匿名希望のとくだ)赤のグラスワインで祝杯を上げたいところだ。ただ、この日曜日に年一回、恒例となった感のある徳島市での英語講演会が控えており、そこで話す内容をパワーポイントに整理する作業が終わっていないので、今宵はコンビニで安い赤ワインを買って、自宅で一人静かに祝杯を上げたい。ウヒッ!
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オレンコヒー
- 2014-03-16 (Sun)
- 総合
「さあ、表紙も一新したことだし、これからはせいぜい、アップするようにします」と還暦を迎えた頃に書いたものの、その後もブログの方は遅遅として進まず、ははとしてため息をつく日々だ。
別に怠けているわけではない。定食いや定職のある人々には申し訳のないほど気楽な日々であることは事実だが、そのような身でも一応種々の仕事、いや、世間一般の見方では雑事が多く、これで結構やらなければならないことがあるのだ。無為に過ごしている時間は「現役」の頃の方がはるかに多かったかもしれない。いや、きっとそうだと思う。
いつから着手したか、記憶も定かではないが、今手がけている翻訳がもう少しで脱稿する運びだ。脱稿といっても、あくまで下訳(私は荒訳と呼びたい心境)であり、これからが推敲を重ねたり、訳注を工夫したり、解説(あとがき)を用意したりとなかなか骨の折れる作業が待っている。私にとって翻訳本はマーク・トウェインの小説の翻訳『二人の運命は二度変わる』、イランのベストセラー小説の翻訳『幸せの残像』に続き、三冊目となるが、今回のが一番難解だった。いやまだ完了していないので過去形で書くのははばかられる思いがする。これから著者なりネイティブの人に相談して確認したい英語表現が少なからずある。
大学の授業も新年度は後半から二校に増え、夏には別の大学で集中講義をする予定だ。集中講義は今教えている英語とは直接関連のないテーマであり、気合を入れて取り組む覚悟だ。その下準備を少しずつ進めているが、結構骨が折れる(painstaking)。
そうした仕事の合間に飲んでいるのが琵琶茶(南大隅町の特産品)とコーヒー。琵琶茶は麦茶に似た味わいで健康に良いだろうなあという感覚は胃袋で感じられる。これに牛乳を混ぜてほぼ毎日飲んでいる。コーヒーは素朴なドリップ式で飲んでいるが、これはどうもうまくない。昨今のコンビニで売っている百円コーヒーの方が格段に美味い。時々のぞくコーヒー専門店で熱湯は少し冷ましてからそそぐこと、お湯が落ち切るのを待たないこと、そうでないと苦味が混じることなど、教えてもらって実践しているが、私の淹れるコーヒーはうまくない。水道水はだめなのかな、福岡の水は悪くないのに、と思い、コンビニでペットボトルの水を買ってきて今朝試してみた。
あれ、これ何? 甘い!? オレンジジュースのような香りまでする。何だこれは? 遂に私の味覚は狂ってしまったか? 狐につままれたような感じになり、ペットボトルに目をやると、オマガ! ミネラルウォーターには違いがなかったが、「愛媛県産温州ミカン・エキス入り」と表記してあるではないか! 道理でオレンジジュースのような味がしたわけだ。仕方がないので水道水で淹れなおしてコーヒーを飲んだ。
まだ今回はいい。お金を無駄にしたわけではない。これから数日間はミカンエキス入りのミネラルウォーターが楽しめる。私は以前に酒の肴にコンビニでビーフジャーキーのようなものを買って帰り、ビールを飲みながら食べたことがある。一つ二つつまんだが、どうもうまくない。何だか塩気が抜けたような味のジャーキーだった。マヨネーズに醤油でもたらして、それにつけて食べようかと思い、ふとその商品の入ったビニール袋を見やると、いやに地味な字体でデザインにも全体に「華」がない。あれ? 商品名を改めて読んでみると、「ドッグフード」と記してあるではないか!オマガ!
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今年も稲尾岳詣で
- 2014-03-03 (Mon)
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今年もまた、先週末、鹿児島は大隅半島にある南大隅町を訪ねた。海にも面した山あいの地区、打詰(うちづめ)集落の恒例の伝統行事、稲尾神社参拝にお付き合いしたのだ。 麓から930㍍の険しい山頂に設けられた稲尾神社に集落の人たちが3月の第1日曜日に参拝する行事だ。途中3回の小休止を入れて、約2時間と少しで登り終える。正直きつい。私は今年で5回目の参加となったが、今年も疲労困憊となった。いや、今までで一番きつかったかもしれない。何しろ、この一年はパソコンに向かうことの多い日々。部屋から一日外に出ないこともある暮らしだ。英語表現だと sedentary(座業の)な暮らしだ。
それなりに準備はして臨んだ。靴は今まで一度もはいたことがなく、靴箱の隅に放っておいていたものの、靴底にギザギザが真新しいジョギングシューズを持参した。これなら勾配のある山道にも適しているかと期待した。(実際はスケート靴のようによく滑った)。リュックに替えの下着も入れて、頂上でのほっとしたひと時に冷えた体が風邪をひかないように配慮した。(これはグッドアイデアで効果を発揮した)。町役場に勤務する出迎えのT氏夫妻との一年ぶりの前夜の楽しい会食での焼酎飲みもごく控え目にした。(それでもかなり飲んで、登山時に皮膚から焼酎が噴き出す感じだった)
前置きが長くなった。要するに、今年もハアハアゼエゼエあえぎながら、無事登り終えた。打詰集落は私の古里同様、高齢者の多い限界集落。昨年は地区外からの参加者も多く、30人前後の人たちが参加していたが、今年は雨天の予報も災いしてか、地区の参加住民は3人。地区外から私とT氏で総勢5人の寂しい稲尾岳詣でとなった。30人もいると、ゆっくり後ろから登って来る人もいて、私には「心強く」感じたが、5人ではそうもいかない。上記のような激しい有酸素運動をしていたのは私一人だった。
下山した後は集落のご婦人方が用意してくれた赤飯やイノシシの煮つけを肴にビールを頂いた。参加常連となった感のある私に、集落の人は「なすさん、今年も来て頂いてありがとうございます」と次々に言葉をかけてくれる。
新聞社勤務時代の取材が縁となり、私が毎年、稲尾岳神社詣でに足を運んでいるのはそれなりに理由があるのだが、それはいつかきちんと文章にしたいと思っている。
今回は去年の今頃のブログでも紹介したエピソードを再び記しておくにとどめたい。930㍍の山頂に設けられた稲尾神社の祭神は不詳だが、私の古里同様、平家の落人部落の伝承がある。霊験あらたかな社であることを私は身をもって知っている。数年前の参拝で下山の途中、転んで右足首を痛烈に捻挫したことがあった。一晩中腫れと痛みが取れず、苦悶した。松葉杖での出勤も覚悟して、うなされながらその晩は地元の旅館で寝た。今でも不思議なのだが、一夜明けたら、捻挫が嘘のように快癒していた。遠いところ参拝に来ての不覚の捻挫を祭神が憐れんでくれたと私は信じて疑わない。通常あれほどの痛みを伴う捻挫はちょっとやそっとの日数では直らないことだろう。
去年は30人前後の登山者がそれぞれ、思い思いの祈願をしていた。今年はわずか5人。単純計算では去年の6倍のご利益があるかもしれない。今年は何だかいいことがありそう。ウヒヒ! 私は単純な男だ!
(写真は上から、写真中央にあるのが稲尾岳。登り口。疲れを癒してくれる美味い滝の水。山頂の神社で記念撮影。集落の集会所での慰労会で頂いた赤飯とイノシシの煮つけ。帰りの垂水港から鴨池港へのフェリー上で撮影した桜島。白い噴気を上げていた)
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