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クリスティー『五匹の子豚』論、または異説『月と六ペンス』論

(アガサ・クリスティー『五匹の子豚』の真相部分に言及しておりますので、ご注意のほどを。最新訳は、ハヤカワ文庫から発刊されています。)

まずは驚愕の事実から書いておきます。

このたび再読して気づいたのですが、被害者の画家エイミアス・クレイルの名前は小説家キングズリー・エイミスからとられたものだという説明がありました(最新訳61ページ)。調べてみたところ、このキングズリー・エイミスは、実はロバート・マーカム名義で「新007シリーズ」を書いたこともあり、また「サマセット・モーム賞」を受賞したこともある作家でした。ところが生まれたのは1922年で、クリスティーの『五匹の子豚』が発行された1942年には、まだ20歳でオックスフォード大学の学生だったのです。エイミスが小説家として名を馳せるのは1957年に『ラッキー・ジム』を発表した以降のことです。これらのことから考えると、「母親のリチャード・クレイル夫人がキングズリー・エイミスの愛読者だったので、息子にエイミアスという名前につけた」という記述は、後年に付け加えられたものとしか考えられないのです。

いずれにせよ、被害者の名前が小説家由来のものだという設定は、示唆的で興味深いものだと思います。というのも、この作品においては総ての容疑者が「小説」とはいわないまでも「物語」の記述者になっているからです。彼ら「五匹の子豚」に17年前の事件を回想し記述するように依頼したのはポアロです。このたびポアロが試みたのは、それらの「物語」の解釈を反転させる(=読みかえる)事だったともいえるのです。例えば、AがBに「ひどい人だ」と言った場合、多くの人はひどいことをされたのはAだと解釈します。しかし、AはBがCに対してした行為を見て「ひどい人だ」と言っている可能性だってあるのです。5人の書いた記述には、「妻キャロラインがエイミアスを殺したに違いない」というバイアスがかかっています。そのバイアスをはずせば、また違った解釈を浮上させることができるかもしれない。今回ポアロが試みたのは、そのようなことではなかったのかと思われます。

しかし、解釈は飽くまで解釈です。何しろ17年前の事件ですから、いまさら物的な証拠が出てくるはずもありません。毒の入っていないビール瓶の指紋を拭きとっていたという記述こそ、キャロラインの無実の決定的な証拠だとポアロは断定しましたが、例えば、こんな可能性だって考えられないでしょうか。本当に夫を殺してしまったことに動揺したキャロラインは、自分の痕跡を抹消しなければならないと焦ったあげく、テーブルからグラスからビール瓶にいたるまで総ての指紋を拭きとってしまった。ところが、少し冷静に戻った彼女は全く指紋が残っていないことの不自然さに気づき、とりあえず死んだ夫の手に無理矢理ビール瓶を握らせた・・・。また同様に、ポアロがエルサ・グーリアを犯人だと断定した根拠は、「エイミアスとキャロラインとの会話をエルサは立ち聞きしていた(かもしれない)」「キャロラインがコニイン<毒>を盗み出すのをエルサはこっそり見ていた(かもしれない)」というように想像や推測の域を出ないものです。ポアロとエルサは最後に二人だけで話をしますが、結婚をしようとしているカーラ・ルマルションの将来のために、母親が無実だったという「あらたな物語」を結託して創作していた可能性だってあるのです。(このような点で、私は『五匹の子豚』を、「動機」が「物理的な事象」に落とし込まれた完璧な傑作とする霜月蒼さんの『アガサ・クリスティー完全攻略』とは少し見解を異にします。)

『五匹の子豚』には不思議な場面があります。ポアロはアンジェラ・ウォレン(キャロラインの妹)に、事件のあった当時サマセット・モームの『月と六ペンス』を読んでいなかったのかと尋ねます(最新訳364ページ)。実は、このポアロの指摘はドンピシャリで、当時アンジェラは間違いなく『月と六ペンス』を読んでいたのです。そもそも容疑者5人に公平にひとつずつ質問をしなければバランスが悪いと感じたポアロが、とってつけたような質問をしたわけで、当てずっぽうに尋ねてみたらドンピシャリだっただけなのかもしれません。とはいうものの、不思議なことに、なぜ彼がこのような推理をしたのかについて、一切説明がなされていないのです。ここで、あえて推測してみますと、おそらくポアロが推理したのは、前回アンジェラと会ったときの会話からです。パリでホテルの部屋から出てきた友人にぱったりと出くわしたアンジェラは、その友人のバツの悪そうな表情から連想し、さらに昔に見た友人フィリップ・ブレイクの部屋から出てきた姉キャロラインの表情を思い出し、この二人が恋愛関係にあったことを知ったのです(最新訳241ページ)。『月と六ペンス』にもパリの場面があって、画家ストリックランドとブランチ(ストループの妻。ストループはストリックランドを自分の住居に住まわせてやっていた)が、お互いの目があった後に、ブランチの方がバツの悪そうな表情をする場面があります(光文社古典新訳文庫181ページ)。この二人が恋愛関係に陥ったことは後ほど判明するのですが、「あのときの表情は隠された事実を物語っていた」という認識を、アンジェラは実際の出来事ではなく、読んだ小説から得ていたと考えられるのです。現実だと思われていたことに、いつのまにかフィクション(物語)が忍び込んでいたといえます。

『五匹の子豚』に登場する5人の人物は、それぞれに過去を回想し手記を書きます。それらは、そもそも現実に起こったことの記録だったはずなのですが、先に述べた「傲慢で浮気な画家である夫に腹を立てた妻が、その夫を毒殺した」というバイアスがかかっており、さらに各人がそれぞれに対して抱いているイメージや感情が忍び込んでいます。彼らの記したものは、むしろ客観的な回想の域を超えて、各自が思い描いた物語に変質しているとさえいえるのです。物語である以上、また違った解釈を試みることは可能であると、ポアロが判断したのも当然です。私たちをとりまいている世界は解釈変更可能な物語でおおわれている。それが『五匹の子豚』という作品の隠れたテーマではないでしょうか。

実はモームの『月と六ペンス』という題名も謎めいています。光文社古典新訳文庫の松本朗先生の解説には以下のようにありました。「タイムズ文芸付録」に掲載された前作『人間の絆』に対する書評に、「ほかの多くの青年と同様、主人公フィリップスは『月』に憧れつづけ、その結果、足もとにある『六ペンス』銀貨には気づかなかった」と書かれていた。これを読んだモームが「月」は理想を、「六ペンス」は現実をあらわす比喩として、『月と六ペンス』のストリックランドにも応用できると考えたものと思われる(406ページ)。この『人間の絆』の主人公の名前が『五匹の子豚』の登場人物と酷似しているのは、よくできた偶然の一致です。名前といえば、ポアロがメレディス・ブレイク(フィリップの兄)と会うために紹介状を書いてもらう人物がメアリ・リットン=ゴアとクロンショー提督です。メアリ・リットン=ゴアは『三幕の殺人』の登場人物の名前です。きっとクロンショー提督も、どこかにご出演ではなかったかと推察されます。ご存知の方がいらっしゃれば、是非お教えください。 

また名前こそ明記されていませんでしたが、アンジェラ・ウォレンと初対面したポアロは彼女のことを「好みに合う女性ではなかった」と感じています。また、「ポアロの好みは昔から、華やかで贅沢な女だった」とも書かれてありました(最新訳224ページ)。実際ポアロが愛した唯一の女性ヴェラ・ロサコフ夫人は、まさに「華やかで贅沢な」女性です。このようなクリスティー関連の小ネタを見つけることができるのも、『五匹の子豚』という作品の愉快な魅力です。

Comments:4

通りすがり 2015-06-03 (Wed) 09:16

わたし自身もネットで調べて知ったのですが、「月と六ペンス」に関しては、原文ではアンジェラがアミアスに向かって「ハンセン病にかかってしんでしまえばいい」というセリフがあるそうです。ハンセン病+画家=「月と六ペンス」ということだと思います。日本語訳ではアンジェラのセリフが「不治の病にかかってしんだらいい」となっているので、日本語訳で読むと「月と六ペンス」が出てくるのがかなり唐突なものに感じてしまう、というのが真相のようです。

gotou 2015-06-10 (Wed) 18:08

まさにご明察です。
私の書いたものは、飽くまで「異説」ということで。

えん 2016-12-14 (Wed) 21:39

クロンショーは仮面舞踏会の登場人物だと思います。

名無しのリーク 2017-03-26 (Sun) 14:06

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