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『謎解きはディナーのあとで』考①

 (第一話「殺人現場では靴をお脱ぎください」の真相部分に言及しますので、未読の方はご注意ください。)
 大ベストセラーになったミステリーですが、この作品の人物設定には、かなり奇妙なところがあります。
大財閥「宝生(ほうしょう)グループ」に仕える影山という「執事」が探偵役になるのですが、いくら大富豪とはいえ、今日に執事という職業が存在すること自体が不自然です。また、その富豪の令嬢=宝生麗子が刑事をしていることにも、また、その先輩刑事に別の富豪の息子=風祭警部(風祭モーターズの御曹司)がいることにも、あまり必然性を感じることができません。なぜ彼らが刑事になったのか、その明確な理由が説明されていないため、現実味がなくリアリティを欠いた人物たち物語であるかのようにさえ感じられます。彼らは小説世界の中にだけ生きている人間なのかもしれません。
 しかし、この小説世界が推理小説の空間として実によくできているのです。古来、推理小説の世界では「執事」のような存在が名探偵となりズバリと真相を指摘することがありました。『ジーヴズの事件簿』しかり、「ミス・マープル」しかり、アイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』しかり、そして「家政婦は見た」シリーズしかり、です。なぜ本来は枠外にいるような「執事」が名探偵になるのか。そこには「意外な名探偵」という設定以上の、深い意味合いが隠されているように思われます。これら「執事」的存在は、彼(彼女)が奉仕する探偵や刑事や医者や学者といった専門家たちを相対化する人物として登場してきているのです。ややもすると専門家は、「自分には理解できる」「自分は必ず解明できる」といった自負心から、物事の本質を見落とすということがあります。風祭警部が自身を決して客観視できないように、専門家には「自分は知らない」「自分には理解できていない」と謙虚に認めることが難しいのです。それゆえに、何のこだわりもなく物事をみている「執事」的存在の方が、より真実に近づくことができるという逆転現象が起こったりもするのです。
 宝生麗子は、風祭警部を完全に見下しています。まぁ警部の言動をみているかぎり、いたしかたがないとも思うのですが、一方で彼女には自分も愚かな存在であるかもしれないと疑う視点が欠けています。また、その侮蔑心の裏には「宝生グループ」の方が「風祭モーターズ」よりも大きいというプライドも隠れていることに気付いていません。そんな麗子の自負心を執事である影山が粉々に砕くという物語になっているのです。
 「自分は知っている」という自負心にとらわれている人間は、何でもないような疑問の前には立ち止まらないものです。第一話「殺人現場では靴をお脱ぎください」では、ブーツを履いたまま室内で被害者(吉本瞳)が殺されたという点が問題になるのですが、その謎を解明へと導くのは、もうひとつの小さな疑問です。影山は、ひとつの謎を解くために、もうひとつの謎を組み合わせて考えるという手法をとります。(彼なら瞬時にして死体がブーツを履いていた理由を見抜けそうでもありますが・・・)。家主と顔を合わせるときには必ず挨拶をしていた吉本瞳が、殺された日だけは帰宅した際、家主にろくな返事をしなかったという謎に対処していくことが、ブーツの死体という問題に光明を与えるのです。
「自分には理解できていないことがあるかもしれない」という懐疑心をもたない人間は、このような小さな疑問点を些末な問題として退けてしまいがちになるものです。対照的に影山は少しでも疑問に感じたことを徹底的に考え抜くという謙虚な姿勢で謎にたちむかっています。
 そのような謙虚さをもっている彼も麗子の高慢さを攻撃するときには容赦がありません。「お嬢様はアホでございますか」という彼のキツい一言によって、「自分は刑事だ」「私は富豪令嬢だ」という麗子のプライドは、ずたずたに傷つけられていくのです。
 フジテレビ制作のドラマ(第一回)では、原作にない要素が加味されていました。ドラマにおいて掘り下げられているのは犯人の動機という点です。(そもそも、この短編作品は一時間枠のドラマにするには短すぎるような気がします)。犯人が殺人にまで及んでしまったことには、プライドという要因が大きく関与していたというようにドラマは脚色されていました。同様に誇り高きプライドをもつ麗子は犯人に共感を示します。原作における「高慢と無知」という主題が、ドラマにおいては「純粋さと悪意」という問題に変換されているように感じました。原作もドラマも宝生麗子が「お嬢様」という自身の殻を破ろうとしていく成熟の物語としても味わえるようにできています。
 ドラマのキャラクターでの最高傑作は何といっても風祭警部(椎名桔平)です。喫茶店で「ブルーマウンテン・プレミアムブレンド」を注文していながら、ただの「ブレンド・コーヒー」と区別できない場面なんて最高です。
謎解きはディナーのあとで

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