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クリスティー『邪悪の家』論

 (アガサ・クリスティー作『邪悪の家』の真相部分に言及しますのでご注意ください)。
 作品『邪悪の家』も「アガサ・クリスティー生誕120年」を記念してハヤカワ文庫から新訳(真崎義博さん訳)が発刊されています。旅先でニック・バークリーという若い女性と出会ったポアロは、置き忘れられた帽子から彼女の命が狙われている可能性を察知します。あらためて問いただしてみると、案の定彼女はここ数週間のうちに何度か危険な目にあっていました。ポアロの進言によってニックは身近に従姉妹のマギーを呼びよせるのですが、何とニックと間違えられてマギーが殺害されています。
  この事件の真犯人はポアロが対決してきた犯罪者のなかでも強敵の部類に属するものです。名探偵の能力を利用して犯罪を成りたたせる手際には、さすがのポアロも翻弄されている感じがします。マギーが殺されてしまった直後のポアロは、犯人の「動機」という問題に固執していました。ところが、この事件の本質は、「動機」にではなく「偽装」という点にあったのです。事件が偽装されたものであることを見破るためには、距離をおいて出来事を眺める必要があるのですが、このときの彼は問題に「くっついて」対処してしまっています。興味深いのは、このあとポアロは容疑者のリストをみずから作成し、その直後ゴミ箱に捨てている点です。その時点で彼は自分の思考の方向性が違っていることに、直感的に気づいていたのかもしれません(物語の終盤で、このリストは復活していますが・・・)。
  今回もポアロは相棒ヘイスティングズの何気ない一言をヒントにして真相を解明していますが、それ以上に重要な鍵となったのは被害者マギーの残した手紙でした。結局、完璧にみえた犯人の奸計も単純なところで穴があったということで、恐るべき強敵もポアロの天才にはかなわなかったということになるわけですが、どんな天才的な犯罪者にも弱点はあるのです。それは自分の犯罪が完全だと思っているという、まさにその点にあるのです。犯行の偽装を完璧な物にしようとすれば、犯罪者は自分の計画にどこか不完全なところがあるかもしれないという前提にたって悪知恵を絞らねばならないのですが、そもそも自分の計略が不完全だと本気で考えている人間は犯行にはおよばないものです。感情的で突発的な犯行でないかぎり、どこか犯人は自分が完璧であると信じているがゆえに、人を殺害したりもできるのです。犯罪者は黙っていることができないというのがポアロの持論ですが、自分が完全であると思いこんでしまう人種の性(さが)をポアロは感受していたといえましょう(実際にクリスティーの小説に登場する犯人の多くは、余計なことをしてしまったがゆえに、自分の尻尾をつかまれています)。
  部分的に割愛されているもののドラマの方は、かなり原作に忠実に創られていました(ドラマの題名は「エンドハウスの怪事件」)。セント・ルーにある実物のマジェステック・ホテルでロケが行われているためでしょうか、飛行艇の存在がクローズ・アップされ、ポアロがそれに乗っている場面からドラマは始まります。航空機による世界一周という事柄が、作品のひとつの背景になっており、その点で『オリエント急行の殺人』ともつながっているという印象をもちました。登場人物の全員が怪しく、何らかの嘘をついているというミステリーの原形は、この作品を起点として生み出されていったのかもしれません。ニックを演じる女優はどうも誰かに似ているという感じがしてしかたなかったのですが、彼女の演技をみているとニックの犯行の動機は単に財産目当てではなかったのではないかという気もしてきました。愛する男を自分より精彩を欠くマギーに盗られた女の憎しみが、おのずと伝わってくるかのようでした。
  

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