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久坂部羊さん『破裂』(幻冬舎文庫)という名の破裂

 たしかに小説なのですが、これは本当に小説なのでしょうか。前作『廃用身』もそうでしたが、久坂部羊さんの作品を読むとき、多くの読者は小説という概念から疑ってかからねばならないという思いに駆られるはずです。作中に登場する症例や療法がフィクションにしてはあまりにも生々しく、私たちは実際の世界と仮構された世界との中間地帯のようなところにおかれてしまいます。いったい、この奇妙な感じはどこから来るものなのでしょうか。
 小説『破裂』は、「医療ミス」と「医師の野望」そして両者をめぐる裁判劇という点では、山崎豊子の名作『白い巨塔』と似た構造をもっている作品だといえます。しかし『白い巨塔』と明確に一線を画するのは、この作品にとりあげられている問題が勧善懲悪型の善悪二元論では割り切れないという点です。作者の問題意識は、そもそも「医療とは何なのか」という根源的な問いを出発点にしていると考えられます。ある意味人類は「医療」という奇妙なものを背負ってしまっているのです。人間が人間を治すことには神の領域に属する反自然的な側面があり、そこから様々な矛盾や限界が生じてくるのですが、一方で「死」や「痛み」や「苦しみ」から逃れたいという願望があるかぎり人類は医療を捨て去ることができません。「怪我や病気を治したい」という日常的なベールに包まれているかぎりは露呈しないような問題が、ある極限の出来事や発想と結びつくとき、「医療」はその奇異な本体を容赦なくあらわしてきます。いや単に「医師不足」や「介護問題」といった日常的な事柄にも、この容赦ない本体は潜んでいると考えた方がいいのかもしれません。小説『破裂』の登場人物たちは、医師も、作家も、官僚も、どこか正しくてどこか変です。しかし、それは人類が背負ってしまった「医療」というものが、どこか正しくてどこか変だということの如実な反映だとも考えられるのです。
 しかし、この作品の本当の凄さはクライマックスの法廷劇に物語の白眉がおかれている点にあります。気鋭の科学技術が登場し、それをめぐる討議が頂点に達していくあたりは、普通の小説として読んでも充分に面白いのです。『破裂』は二重の意味で特異な医療小説だといえましょう。実は「医療」そのものが人類の生み出した壮大なフィクションなのかもしれません。冷徹な肉眼には、いつでも誰でも完璧な医療を受けられるということ自体が絵空事めいたことに見えてくるでしょう。一方で、医療という創作は現実的な効力、しかもかなり強い効力をもってしまっているがゆえに厄介なのです。その厄介さを単純な理屈で割り切ろうとする者は、必ず医療の重要なエッセンスを見落としてしまうはずです。                        
 これからも人類のとるべき道は、敏感で繊細な感性をもって「医療」という奇妙な事象と付き合っていくことなのかもしれません。作者の次の作品に期待をかけたいと思います。

 

Comments:1

exod 2020-04-21 (Tue) 03:47

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