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玉名温泉を堪能

  • 2025-12-26 (Fri) 21:50
  • 総合

 玉名温泉から帰宅した。早朝、午後、夜中と日がな一日、お湯に浸かっていた。朝食はホテルが朝食会場で提供してくれるのでいいのだが、問題はランチと夕食。玉名温泉の周辺は悲劇的に飲食施設が貧弱だった。ランチ難民、夕食難民となるのは不可避だった。まあ、それでも何とかお腹を満たすことはできたのであまり文句は言いたくない。
 夕食難民となってホテル周辺を徘徊しているうちに、何軒か感じの良さそうなお店も見つけた。玉名温泉は福岡からそう遠くはない。在来線でも博多駅経由で2時間余、2,130円で行ける。宮崎や大分、鹿児島の温泉地はそういうわけにはいかない。年明けにもまた足を運びたいと思った。これぐらいは亡きお袋も許してくれるだろう。
                  ◇
 玉名温泉滞在中に今年最後のオンライン英語教室を実施した。ナイジェリア出身の作家の “Miracle in Lagos Traffic” という短篇。ナイジェリアの貧困というか貧富の差を背景に描かれていた。比較的裕福な一家の娘が腎機能の病気を患ったため、腎臓のドナーを探すことになる。母親は敬虔なクリスチャンであり、彼女の願いが通じたのか、商都ラゴスの通りで物乞いと変わらない仕事に従事している貧しい少年と知り合い、彼の腎臓が奇跡的に娘のそれと「適合」していることが判明する。母親は狂喜乱舞して少年とその父親にドナー提供を要請する。少年一家には夢のような経済支援も申し出る。
 話はトントン拍子に進み、手術の日がやってくる。娘一家の運転手が少年の住むスラム街に迎えに行っており、少年はその車で病院に到着する手はずになっていた。だが、少年は現れず、運転手から母親の携帯に電話が入る。身体にメスが入る手術に怖じ気づいたのか、それとも既に十分お金を手にしており、娘一家を土壇場で欺そうと目論んでいたのかは読者には分からない。運転手が母親に少年一家の掘っ立て小屋が幽霊のように消えちまっていますと報告するくだりが面白い、私は声を立てて笑いそうになった。ラゴスの庶民の一筋縄ではいかないしたたかさがよく出ていた。
 母親が運転手の報告をどう受け止めたのかは書いてない。そのくだりを原文で紹介するとーー。Something in his voice sounded like he might have been laughing. 原文に忠実に翻訳すると、「彼の声にはどこか、さっきから笑いっぱなしなのでないかと思わせるものがあった」ぐらいだろうか。私はちょっと訳文に手を加えたくなった。原文にない要素を訳者が勝手に付け加えることは普通は許されないことだろう。それは承知しているが、私は場合によってはそれもある程度許されてもいいと考えている。(もちろん、きちんとした翻訳本であれば、筆者の許可を得ることが先決だろうが)。
 一家が雇っている運転手は薄給で雇われていることが分かる。日本人の視点からは信じ難い薄給だが、ナイジェリアという国では平均的報酬なのだろう。給与の増額を願い出るが、一蹴されてしまう。運転手はそうした不満を抱えているので、裕福な一家が見事に足元からすくわれたことに少し「溜飲」を下げる思いがしたのかもしれない。私は訳文の冒頭に手を入れて、「運転手の弾んだ声を聞いていると・・・」としたかった。彼の声は間違いなく沈痛ではなく、面白がっているところがあったに違いないと思うからである。

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