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英語でさるく 那須省一のブログ

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一度切りの人生は所詮虚しい?

 チェコ出身の作家ミラン・クンデラ氏の代表作 “The Unbearable Lightness of Being”(邦訳『存在の耐えられない軽さ』)を読み終えた。読売新聞のコラムでこの作家と作品のことを知ったのだが、チェコ語から英語に翻訳された小説は予想とはだいぶ異なっていた。
 前回の項で書いたが、1968年の旧ソ連軍による「プラハの春」弾圧を背景にした作品だけに、今起きているロシアのウクライナ侵攻のことを思わずにはおれなかった。手垢の付いた表現だが、「歴史は繰り返す」か。
 主要登場人物の一人は共産党独裁体制を容認できず、天職の外科医の仕事から追われる不運に遭いながらも、生来の嗜好というか彼にとっての「ライフワーク」と言うべきか、日々の生活で出会う幾多の好みの女性と性的関係を求める妻帯者の男(Tomas)。といえども、そうした womanizer (プレーボーイ)の生き様だけに焦点を当てたものではなく、タイトルが示唆しているように、生きることは何ぞやという重いテーマを追っている。
 冒頭部分で次のように記されている。We can never know what to want, because, living only one life we can neither compare it with our previous lives nor perfect it in our lives to come. (我々は人生で何が欠けているのか決して知ることはできない。一度切りしか生きられない我々は我々の前世と比較することもできないし、次にやって来る人生でそれを完璧なものにすることもできない)。(中略)Einmal ist keinmal, says Tomas to himself. What happens but once, says the German adage, might as well not have happened at all. If we have only one life to live, we might as well not have lived at all. (一度は数のうちに入らないのだとトーマスは自分に言い聞かせた。このドイツ語の格言によると、一度しか起こらないものは全く起こったことにはならないのだと。我々が一度しか人生を生きられないとしたなら、それは生きたことにはならないのだ、はなから)
 私が興味深く読んだのはヨーロッパの左派的考えの人たちがベトナムがカンボジアに侵攻したことに抗議し、カンボジアの困窮する人々の医療支援をしようと1980年代にタイからカンボジアとの国境に向かおうとした時のエピソードだ。
 この医療支援はヨーロッパのグループが提唱したものだが、バンコクに到着してみると、主導権はアメリカ人のグループに握られていた。記者会見も英語で行われ、ヨーロッパの非英語圏の参加者たちは猛反発する。… and here the Americans, supremely unabashed as usual, had not only taken over, but had taken over in English without a thought that a Dane or a Frenchman might not understand them. (アメリカ人たちはお決まりのようにここでも臆することなく主宰の立場に立ち、しかも英語で会見を仕切ったのだ。デンマーク人やフランス人が英語を理解しないかもしれないなどといったことには一顧だにすることなく)
 私がアフリカで新聞社の特派員として勤務していた1980年代末を思い出した。各国の記者が集まる会見があれば、当然のことながら英語主導となり、米英の記者が幅を利かせていた。中国は新華社通信の記者をごくたまに見かけることがあったが、目立つことはなかった。今は中国人の記者たちが無視できない存在感を示しているのだろうか。中国人が口にする英語は日本人よりもずっと達者なようだし・・・。

バランスオブパワー

 チェコ出身の作家ミラン・クンデラ氏の代表作 “The Unbearable Lightness of Being”(邦訳『存在の耐えられない軽さ』)を読み進めている。1968年に旧ソ連に踏みにじられた「プラハの春」が背景にある作品だと理解していたが、旧ソ連を引き継いだロシアが今牙をむいているウクライナ侵略を想起せずにはおれない記述に手が止まる。
 All previous crimes of the Russian empire had been committed under the cover of a discreet shadow. The deportation of a million Lithuanians, the murder of hundreds of thousands of Poles, the liquidation of the Cremean Tatars remain in our memory, but no photographic documentation exists; sooner or later they will therefore be proclaimed as fabrications. Not so the 1968 invasion of Czechoslovakia, of which both stills and motion pictures are stored in archives throughout the world. (ロシア帝国による過去の犯罪は人目を引かない密やかな形で行われた。百万人に上るリトアニア人の国外追放しかり、何十万人ものポーランド人殺害しかり、クリミア半島からタタール人の存在を抹殺することしかり。こうした蛮行は我々の記憶に残ってはいるが、映像や写真としては記録されていない。やがてそうした事実は存在せず、でっち上げだと否定されることだろう。1968年のチェコスロバキア侵略はそうはいかない。世界中に写真や映像が記録となって蓄えられているからだ)
 翻ってロシアによるウクライナ侵略。どちらに非があるかは明々白々だ。ウクライナの一般市民が圧倒的火力を誇るロシア軍の砲撃を受け、むごたらしい最期を余儀なくされていることは疑う余地などない。とても a discreet shadow などと形容できるものでないことは小学生にでも分かるだろう。だれもこの狂気に終止符を打つことはできないのだろうか?
 ところで、“The Unbearable Lightness of Being” には謎めいた男女の愛憎関係も描かれている。例えば、Sabina というチェコから逃れてきた画家の女性が愛人となった男性Franz の奥方であるMarie-Claudeに無礼な扱いを受けるシーン。Sabinaは手作りのペンダントを首にかけ、Marie-Claudeの邸宅で催されたカクテルパーティーに初めて足を運ぶ。Marie-Claudeはそのペンダントを目にして周囲に他の訪問客がいるにもかかわらず、大きな声で叫ぶ。“What is that? How ugly! You shouldn’t wear it.” 彼女には悪意はなかったようだが、旦那のFranzは妻は他人に対しお世辞を言うことが習性のようなって久しい(flattery had long since become second nature to her)ことが分かっており、驚きを隠せない。
 しかしすぐに彼は理解する。なぜ妻のMarie-Claudeが初対面のSabina に対して彼女のペンダントを酷評する挙に出たのかを。妻が二人のただならぬ関係を嗅ぎ取ったからではない。Sabina はMarie-Claudeが主宰する画廊で作品展を開いたことがあるが、評判はあまり芳しくなかった。次のように書かれている。Yes, Franz saw plainly: Marie-Claude had taken advantage of the occasion to make clear to Sabina (and others) what the real balance of power was between the two of them.(そう、フランツははっきりと分かった。マリークロードはこの機会に乗じてサビナや他の人々に対して二人の立場がどういう上下関係にあるかを知らしめようとしたのだ)。Marie-Claudeのようなご婦人とはお近づきになどなりたくないものだと思う一方、人間関係をバランスオブパワーの語句で形容しているのを面白く感じた。

“The Unbearable Lightness of Being”

 いや、それにしても暑い。こんな暑さは日本になかったのではないかとさえ思う。アパートの近くを歩いていると、植栽の近くの歩道に蝉の死骸が天を仰ぐように転がっているのを何匹か目にした。7日目だか8日目の生命が尽きたのかもしれないが、こんなに蝉の死骸を目にする夏は初めてのような気がする。この信じ難い酷暑のせいではないか。
 南からは大きな台風が北上しつつある。もう何日も前からパソコンの画面に「念」を送り、九州を逸れるように神様にお願いしていたが、上陸は免れるものの、西岸をかすめて北上するようだ。激しい風雨は避けられないのだろう。被害が最小限で済むことを願う!
 暑さで思い出すのは、私が個人的に最高に暑いと感じたのは1980年代末、スーダンの首都ハルツームで過ごした数日間。当時、このようなブログがあったならと思うが、なかったので仕方ない。よく覚えているのは朝起きて(水)シャワーを浴びて、ホテルを出て情報省に向かい、数分後にはホテルに舞い戻り、再びシャワールームに駆け込んでいたこと。それほど強烈な暑さだった。
                  ◇
20230808-1691453963.jpg 読売新聞の朝刊コラムでとあるヨーロッパの作家が死去したという報に接した。チェコ出身のミラン・クンデラ氏。亡命後に住んでいたフランスで逝去。享年94歳。東西冷戦下の1968年にプラハの春が旧ソ連の弾圧を受けて亡命した作家で、その代表作『存在の耐えられない軽さ』で知られるという。
 私が読んだコラム記事は<4人の男女が織りなすラブストーリーの背景に複雑な政治情勢を描いた。恋愛、そして左右の思想や体制に触れながら、人間の作り出す「軽さ」が随所にしのばせてある>と書いてある。
 恥ずかしながら私はこの作家のことも作品のことも全然知らなかった。旧ソ連を引き継ぐロシアが今ウクライナに対して犯していることを思えば、今からでも読んでしかるべき作品のように思えてきた。読むならば英訳本か。ネットで調べて買い求めた。“The Unbearable Lightness of Being”
 数日前に手元に届いたので暇を見て読み始めた。物語は冒頭、チェコの首都プラハに住むTomas という男とTereza という少女が登場する。Tomas はいわゆる「女たらし」(womanizer)で気に入った女性を見れば erotic friendship(官能的友情?)を結ばずにはおれない。しかし、そこにlove(愛)が介在することは許されない。性的行為が終われば、彼は関係を断ち、自分の世界に一人戻る。次のように書いてある。Making love with a woman and sleeping with a woman are two separate passions, not merely different but opposite.
 しかし、Terezaはそれまでの女性たちとは異なるようだ。Tomas も彼女の執拗な愛を拒むことはできなくなる。Sabinaという懇意にしている女性と愛の行為にある間もTerezaが気になって仕方がない。早く事を済ませて彼女の元に帰らなければと思う。次のような記述がある。Then one day Sabina caught him glancing at his watch during intercourse and trying to hasten its conclusion. これは日本語に翻訳するのはある意味、苦労するだろうなあと思った。いや、そうでもないかな? 

No large regrets?

 前回の項をアップしてから10日余が過ぎた。何だかパソコンを前にして文章を打つ(書く)のが億劫になっている。帯状疱疹の痛みから解放され、治癒に向かって前進していると思っていたが、どうもそうではなさそうだと気づきつつあるからだ。数日前には終日、右背中が重く、憂鬱な気分が続いた。駄文を綴る気には到底なれないのだ。
 今週には一番最後に診てもらっていた総合病院のペインクリニックに相談に足を運ぼうと考えていた。しかし、週が明けてみると、いや、もう少し様子を見てみようかと尻込みしている始末。心のどこかに「打つ手はすべて打ったのでは。あとは辛抱強く、ときが癒してくれるのを待とう」というささやきが聞こえる。
 とはいえ、非常勤講師として教壇に立っている中学校が夏休みに入り、くつろいだ日々を過ごしてもいる。去年の今頃は近くの(そう近くでもないが電車で20分余か)海水浴場に足繁く通い、クラゲや何だかよく分からない微生物に上半身を刺され、苦悶していた。酷暑の日々でも海に近づきたいと思わないのは上記の通り、これ以上の苦しみはまっぴらごめんなすっての心境ゆえ。今夏はおそらく海水に浸ることはないのだろう。残念!
                  ◇
 小人閑居して不善を為すとか。愚禿凡夫の私はなおさらのこと。幸いというか、大リーグではあの大谷翔平君がスーパーヒーロー的な大活躍を続けている。プロ野球はお付き合い程度に楽しんでいるが、翔平君の文字通り一挙手一投足はエンゼルスの浮沈とともに熱い関心を持って眺めている。
 本日(木曜日)は朝(日本時間)のゲームが悪天候で流れ、なんと、翌日にダブルヘッダーが行われることとなった。翔平君は急遽第1試合に先発のマウンドに立つことに。試合開始が金曜午前2時(日本時間)らしい。ゲームが終わるのは午前5時過ぎか。そしてほどなく第2ゲームが始まる。いつ眠れというのだ。いや、別に起きていなくてもいいのだが・・。
                  ◇
 定期的に開いているオンラインの英語教室。先週日曜日に読み終えた短編小説はアイルランド出身の作家が書いた “Rainbows” という作品だった。男性作家だったが、語り手は大学卒業後にアメリカの新天地に移民したアイルランド人女性という設定だった。
 語り手はニューヨークの大学で20歳ほども年長の女性教授にメンター(mentor)になってもらう。語り手の女性が20年ほど歳月が流れた後で偶然、仕事の出張帰りに長距離電車の中でかつて都会的雰囲気を醸し、憧れの存在だったメンターに再会する。自分は仕事や子育てに追われ、アメリカの多くの中年女性がそうであるように身体には贅肉も付けている。それでも次のように思う。
 I have no large regrets about what I have made of my life. It is a worthwhile life. It is a worthwhile body, too. (私は自分の人生に関し大きな後悔の念はない。生きるに値した人生だと思う。身体だってそう悲観することはない)。私にはこの語り手のように割り切ることができるか。いや、自信はない。Give me some more years.(もう少し時間をくださいな)とお願いしたいような・・・。往生際の悪さだけは自信ありか!

コメディアン対人工知能(AI)

 YouTubeで無料で楽しめる米風刺番組 “Daily Show” のことを何回か取り上げてきている。頭の回転の速いスティーブン・コルベア氏が仕切っているコメディーショーだ。今はそれができない。全米脚本家組合の人たちがストライキを行っているからだ。彼らが書く脚本がなければコメディーショーも成り立たないようだ。脚本家に加えて、今度は俳優業の人たちもストライキに突入したことをネットニュースで知った。
 読売新聞朝刊を開くと、国際面に該当する記事が載っていた。以下引用させてもらう。ハリウッドの有名俳優ら約16万人が加入する全米映画俳優組合が大手制作会社に待遇改善と人工知能(AI)の規制を求め、14日からストを決行すると発表した。脚本家組合との合同ストとなるのは1960年以来63年ぶりとか。
 両組合が問題視しているのはインターネット上で動画を配信するストリーミングとAIの台頭。脚本家も俳優も仕事が奪われる危機に直面しているとして、報酬の増額やAIに対する何らかの規制措置を求めている。俳優組合は制作会社が俳優の演技をAIに学習させる動きについて、彼らの仕事を将来にわたって脅かすものだと批判している。
 ところでAIが書くシナリオと生身の人間の頭脳から生み出される語りはどちらがより面白いのだろうか。BBCに上記のコルベア氏とAIによる語りを比較した記事が載っていた。時期はバイデン大統領が2024年大統領選への出馬を表明した5月初めのネットの記事だ。
 The real Stephen Colbert: “Of course, we know President Biden’s real opponent is the ravages of time. If he wins a second term, he will be 86 when he leaves office and voters feel, to put it delicately, that is way too [expletive] old … But what matters is that Biden is young at heart … it’s all his other organs we have to worry about.”
 AI Colbert: “Big news today, folks! President Biden has announced that he will be running for re-election. That’s right, the man who once said he didn’t want to run for President because of his age is now saying, ‘Age is just a number, and so is 78!’
 “Now, I know some of you might be concerned about President Biden’s age. In a recent poll, 50% of Americans said they were worried about his age, and the other 50% were Joe Biden. But let’s be real, folks, Biden’s age is not a big deal. He’s got the energy of a 30-year-old, and the memory of a … well, I forgot what I was going to say.”
 コルベア氏はバイデン氏が気が若くとも肉体的機能は大丈夫なのと茶化している。コルベア氏ならではのユーモアだ。これに対し、AIが操るコルベア氏はバイデン大統領が78歳と述べているが、実際には80歳。AIが基にした資料が古かったための「誤差」のようだ。AIの信頼性に対する疑念が消えないことを物語っているとも言える。肝心のユーモアはどうだろう。ある世論調査によると「米国民の半分はバイデン氏の高齢に不安を感じている。残りの半分はバイデン氏本人だった」と。なんだい、調査したのはわずか2人の米国民だったのかい! このくだりは結構笑える。最後には「何を言いたいのだったか忘れちまったよ」と締めるくだりも悪くない。膨大な「蓄え」から瞬時に面白さを「抽出」するAIに生身の人間が対抗するのは「徒手空拳」に思えなくもない。そうでないことを祈りたいが!

When he met the person, they were 17.

 AbemaTVの韓国ドラマ「マネーゲーム」(머니게임)という全16回のドラマをようやく見終えた。実に面白かった。韓国ドラマはどうしてあんなに面白いのだろう。全16回で良かった。あれがもし全160回ドラマだったら、どれほどの時間を割いて、いや、どれほどの時間を奪われていたことだろう。もうしばらくは韓国ドラマには近づきたくない。
 もっとも韓国語の勉強になるからと近づいたのだった。少しは勉強になったのかもしれない。しかし、音声に注意を払おうとしても、ついつい字幕を読んでいて、あまり勉強にはならなかったのかもしれない。
 今回、韓国ドラマを見て、改めて思ったことは、韓国語が敬語に満ちていることだ。日本語にも敬語はあるが、日本語の比ではないだろう。しっかり身につけなければ、旅先で思わぬ失態を演じることになることだろう。ここで印象に残った表現を記しておきたいが、私はこのパソコンでハングルを書くのは非常に面倒で大変な時間がかかる。簡単な方法があるのかもしれないが、どうも分からない。まだ、中国語の方が楽だ。
                  ◇
20230713-1689245896.jpg 英語はその点、敬語の概念が「希薄」だから気が楽だ。そう思っているが、最近、BBCのニュースを見ていて、気になる表現に出くわした。以前からこういう表現があることは承知していたが、実際に目にすると??と思ってしまう。その人の性自認が「確定」していない場合、その人を代名詞で受ける場合、he でも she でもなく、they で受けるのが一般的になったようだ。
 BBCの記事はBBCテレビを代表するアンカープレゼンターのヒュー・エドワーズ氏(61)が10代の若者に対する性的なスキャンダルの渦中の人物であることを報じたものだった。タブロイド紙がこのスキャンダルを報じた過去数日間、私も一体誰だろうと思っていた。本日目にした記事でBBCニュース報道の顔とも言えるエドワーズ氏が名指しされていた。
 彼は夜10時からのニュース番組の司会の他、総選挙報道のアンカーマンとして、そしてエリザベス女王の死去など英国の大きなニュースを仕切ってきた。BBCで最高の収入を誇るとも報じられている。そのエドワーズ氏がスキャンダルの渦中の人物であることを氏の妻が声明で発表。声明は夫のエドワーズ氏が「深刻なメンタルヘルスの問題を抱えている」ことを明らかにし、夫や子供たちのプライバシーを尊重して欲しいと訴えていた。犯罪性はないようだが、エドワーズ氏が若者に対し、性的に露骨な写真の代価として支払った金額は3年間で640万円に上ったとの報道もある。
 BBCの記事に次の記述があった。As well as hosting the Ten O'clock News on television, Edwards has led coverage of major news events, such as elections and the death of Queen Elizabeth II. The initial allegations, first reported on Friday, were that the presenter paid a young person for explicit photos, beginning when they were 17.
 この若者がhe とも she とも表現されず、they と表現されている。詳しいことはまだ分からないが、おそらく、明確な性自認には至っていないからだろう。いわゆるnon-binary と呼ばれる人々か。日本では第三の性やXジェンダーとか呼ばれているようだ。

声調に苦しむのは音痴ゆえ?

 中国語の声調の難しさ。何度もこのブログで書いているので自分でも辟易しているのだが、やはり、また書いておきたい。木曜日。この日は仕事のない日なのでゆったりとNHKラジオの中国語講座を聴いていた。「これ、オスザル? それともメスザル?」という文章が流れていた。「オスザル」は中国語で「公的猴子gōng de hóuz」、「メスザル」は「母的猴子mǔ de hóuzi」と表現することを知った。このオス、メスを表す「公的」、「母的」は中国語では「区別詞」と呼ばれるものだとか。
 私が軽いショックを受けたのはサルの意である「猴子(hóuz)」の声調が第2声で、右上がりの語であったこと。ラジオで講師の方々がしゃべる音を一生懸命に聴いていて、私は右下がりの第4声であると信じていた。全くの逆ではないか。これまでも何回もこういうことがあった。私の聴き取り能力が劣化しているのか、いや、ずっとそうだったのか。そういえば、歌を歌うとき、よく音程が狂う、狂ったことに気づけないのも、こういうことと関係があるのかもしれない。劣等感を抱かざるを得ない。私のように「音感」が悪い者には中国語習得は難関ではないかと思い始めている。嗚呼、情けない・・・
                  ◇
 韓流ドラマは癖になるのが嫌で敬遠しているが、パソコンでAbemaTVを適当にスクロールしていると、面白そうな韓国語ドラマを目にすることもある。ちょこっと見てすぐに忘れている。
 AbemaTVの韓国語ドラマは途中から有料になるものがある。プレミアムという記載がなされていると有料と分かる。このプレミアムと記載されているものには近づかないようにしている。無料のものは試しに見てみる。だいたい、3回目までは無料で見れるようだ。4回目以降はプレミアム。「初回登録なら月額960円が無料!いつでも解約OK」と案内ボックスが表示される。高くはないが、こうした誘いに応じていたら切りがない。
 実はしばらく我慢していれば、プレミアムの「縛り」が解除されることを知っている。今回はまったのは「マネーゲーム」(머니게임)という全16回のドラマ。金融危機に直面した韓国の経済官僚たちが米国のファンドを相手に熾烈な経済闘争を展開するドラマで、それに韓国社会の学歴問題や格差問題を絡めて飽きさせない作りとなっている。私は4回目以降、プレミアムが徐々に解除されるに従って見ていき、今13回目まで見終えた。
 本当なら字幕を見ずともドラマを楽しめたら最高なんだろうが、さすがにそれはまだ私には無理だ。また日本語で聴いても私には分からない難解な経済ワードが続出して参っているが、そういうことはともかく毎回が緊迫したやり取りが満載で引き込まれる。
 キリッとしたたたずまいが魅力の経済官僚に成り立てのヒロイン。高齢で富裕な経済学者で知られたくない過去を持つ元経済官僚に彼女が語るシーンが印象的だ。彼女には一攫千金で無謀な投資を繰り返し、借金にまみれ、離婚に追い込まれた叔父がいる。「(この国は)生まれた瞬間から公平ではない。汗を流した労働が否定され、情報と数字を使った詐欺が神話になる世の中。神話は憧れを生むので、そしてその神話で生活を破壊して、時には人を死に追いやることもある。(そうさせないようにするのは)お金持ちの義務であり責任です」

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