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また一句

  • 2026-03-27 (Fri) 18:00
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20260327-1774601866.jpg 玉名温泉まで持参した文庫本を読み終えた。いろいろ考えさせられることがあった。備忘録のブログだから、感想をここに記しておきたい。『脳科学者の母が、認知症になる』(恩蔵絢子著、河出文庫 2018年)。タイトルには袖見出しのような「記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?」という文言もみえる。
 脳科学者の恩蔵氏は最愛の母がアルツハイマー型認知症と診断された。門外漢の私が何とか理解できたことを以下に列挙すると、脳内で「今ここ」で起きていることを長期に記憶する部位は「海馬」と呼ばれる。年を重ねると誰でも脳が全体的に少しずつ萎縮するが、初期のアルツハイマー型認知症の人は海馬の萎縮が著しい。海馬は「記憶の中枢」とも呼ばれるが、記憶の貯蔵庫の役割は上部にある大脳皮質が担っている。海馬が傷つくと大脳皮質に保存されている記憶を呼び起こすのが困難になるとか。
 結論的に書けば、認知症となり、以前のことが思い出せなくなり、新しいことも覚えられなくなっても、認知症は“その人らしさ”までも奪ってしまう病ではないと脳科学者の恩蔵氏は説いている。さらに言えば、認知症の人には「理性は失われても感情は残っている」と言われるように、この感情こそが人間のモラルや理性の源らしい。感情を司るシステムは海馬の隣にある扁桃体が担う。理性だけでは対応できない状況下、力を発揮するのが感情だとか。アルツハイマー病では物事の理解力、判断力、記憶力といった能力は損なわれるが、感情は残っており、感情が作る“その人らしさ”もある。
 アルツハイマー病のリスクファクターの第一位は年齢だという。恩蔵氏は訴えている。「高齢化社会が進めば当然人口の中でこの病を持つ人の比率が高くなる。それは、誰もがこの病気と無縁ではいられなくなるということだ」。思い返せば、私の亡き母、亡き長姉も晩年は認知症となり、じれったい思いを抱きながら接してきた。明日は我が身ということだろう。母や姉の分まで精一杯健康に生きたい、生きねばならぬと思う。
                  ◇
 玉名温泉のトロン湯に連日何度も浸かっている。背中の帯状疱疹にどれほどの効能があるのか分からないが、じんわりと癒やしてくれているような気がしないでもない。私の他に湯治客はいないようで、私一人でお湯を独占することもしばしば。ぼけっとした頭でお湯の中に寝そべっていて、あ、そうだ、前回ここの湯に浸かっているときには拙い句をひねっていたことを思い出した。たかだか3か月ほど前のことだが、記憶もあやふや。
 このブログを振り返ってみると、以下の句があった。――木々枯れて 古希の身体に 痛みなお―― 師走、露天風呂からみえた光景を読んだ句だ。今回は特段の思いも浮かばないでいる。思案のあげくに浮かんだ一句は――ふと気づく 湯煙先に 山桜――。今回初めて気がついたのだが、露天風呂のすぐそばに桜の木があり、花を一杯咲かせていた。山桜と記したが、詳しくは知らない。今春、まともに見た初めての桜かもしれない。
 明日はまた在来線で福岡に戻る。久しく会っていない高校・大学の先輩からメールがあり、彼の研究室で再会することになった。彼は農学博士でこれまでも貴重な健康生活の助言を頂いてきている。認知症に関しても、予防策などあるのか尋ねてみようかしら。

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