- 2026-03-10 (Tue) 12:23
- 総合
朝夕はまだ寒いが、日中は春がすぐそこまで近づいているような気配を感じることが増えてきた。学校でも卒業式(終業式)シーズンを迎え、慌ただしい雰囲気だ。非常勤講師の身にはあまり関係はないが、任期終わりが近づき、来月からの新年度ははてさてどうしようかと思いを巡らしている。お金の問題ではない。いや、お金の問題もないことはないが、仕事は欲しい。それで子供たちの成長(学力)に貢献することができれば願ったり叶ったりではある。いずれにしろ、こちらは先方からの要請(依頼)がなければ動けない。しばし、様子見だ。古希を過ぎた独り身。少額の年金だけで糊口を凌ぐことは無理な話ではない。
なんだか話が暗くなってきたが、気分は悪くない。3月は行事が格段に増えることもあり、仕事(授業)がない日が続く。その分、報酬はなくなるが、読書なり散歩なり、好きなことを気楽にやれるのは有り難い。ずっとこのままでもいいやと思わなくもない。90歳までは働きたい、働かねばと願っているわりには意志薄弱か。
とまあ、戯れ言はともかく、ごく最近、できうる限り現役で頑張りたいと思うできごとがあった。横浜から姪っ子夫妻が赤ん坊(女の子)を連れて会いに来てくれたのだ。昨年夏に生まれたEちゃん。これまでラインメールで日々の成長は写真を見て癒やされていたが、実際に会うのは初めてのこと。ほぼ毎日のようにスマホの画面で見ていたとはいえ、やはり実物は異なる。思ったより小さいのにちょっと驚き、しかし、抱っこしてみると、思いのほかずっしりと重いのにこれまたびっくり。いや、そんなことより、実に可愛いかった。私の年寄り顔を見て泣くのではないかと恐れていたが、はにかみ、慣れるにつれ、笑顔を見せるようになった。
独身の私が孫を抱っこすることは一生ないが、そんなことは普段、意識せずに暮らしている。Eちゃんを抱いて、あやして、ふと思った。世の高齢の男はこういう喜びを味わい、人生の意義を感じているんだろうなあと。姪っ子の赤ちゃんを見て、世の普通の人たちの幸せを感じることになろうとは! 風来坊の私を神様が憐れみ、このような喜びを付与してくださったのだろう。Eちゃんが成人する、20歳になるまで頑張るとしたなら、私は92歳になっている。その頃まで現役でいたいと願う。まあ、公立の学校で教壇に立っているのは無理だろうが、私の夢はその頃はどこかで私設の語学堂みたいなものを設け、地域の老若男女に英中韓の三か国語を教えること。英はともかく、中韓はまだとても人様に教えるレベルに達していない。諦めてはいない。少しずつ前進して、いつか、これなら教えることのできるレベルではと思えるほどに上達したい。
問題は体力というか健康。視力が弱ってきており、今、この項はソファーに座り、膝の上でパソコンを裸眼で打てているが、最近は細かい字は虫眼鏡で拡大して確認することが増えた。他の身体上はそう問題はないように思える。いや、ある。背中右の帯状疱疹の違和感はまだ消えていない。日中は何ら気になることはないが、明け方、ベッドの上でちょっとした違和感を今もなお感じている。いつ完治するのだろうと思う。
とまあ、いろいろ願いかつ悩みは尽きないが、日々元気に仕事に励むことができる幸運を神様に感謝して生きている。「努力は足し算、感謝は掛け算」。主イエス様と郷里の銀鏡神社に感謝だ!
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