- 2025-08-14 (Thu) 00:14
- 総合
九州湯の旅もあっという間に終わった。最後は別府でどこか安宿に泊まり、別府の湯も楽しもうと考えてはいたが、嬉野温泉に着いた時にかかってきた電話で予定を変更した。電話の主はアメリカに留学していた頃に親しくなった友人のJ。彼はひと頃別府に住み、近くの大学で教えていたが、その後紆余曲折を経て、再び別府に戻って来たとか。出会いから考えると半世紀以上の付き合いだ。一番最後に会ったのが私が新聞社を早期退社してアフリカやアメリカを旅していた2011年。別府に越して来て間もない彼の元を訪ね、旧交を温めた。
宮崎から日豊本線で北上して、途中駅の大分のカフェでJと奥さんのYちゃん、二人の友人を交えておしゃべりに花を咲かせた。私は留学時代にJのお母さんにとても可愛がってもらった。今回の再会で母親が102歳の天寿を全うして他界されたことを知った。合掌。Jはこれからは別府に腰を落ち着けて暮らすとのことで、楽しみが増えた。
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福岡のアパートに戻り、留守中に玄関ドアの裏側に放り込まれていた購読新聞紙を片付け、洗濯もして、一息ついている。さて、「夏休み」はまだ少し残っている。なにをして過ごそうか。とりあえずは今回の旅を「総括」しよう。といっても特段のこともないが。
『山頭火句集』(村上護編・ちくま文庫)を携行しての旅は正解だったと思う。この俳人の存在を身近に感じることができた。巻末に山頭火が書いた随筆が掲載してあり、興味深く拝読した。以下にそうした文章の幾つかを記しておきたい。
私は、我がままな二つの念願を抱いてゐる。生きてゐる間は出来るだけ感情を偽らずに生きたい。これが第一の念願である。(中略)そして第二の念願は、死ぬる時は端的に死にたい。俗にいふ『コロリ往生』を遂げることである。<私を語る>
ここに移つて来てから、ほんたうにのびやかな時間が流れてゆく。自分の寝床――それはどんなに見すぼらしいものであつても――を持つてゐるということが、こんなにも身心を落ちつかせるものかと自分ながら驚ろいてゐるのである。(中略)人生の幸福とはよい食慾とよい睡眠とに外ならないと教へられたが、まつたくさうである。<寝床>
家郷忘じ難しといふ。まことにそのとほりである。故郷はとうてい捨てきれないものである。それを愛する人は愛する意味に於て、それを憎む人は憎む意味に於て。(中略)近代人は故郷を失ひつつある。故郷を持たない人間がふえてゆく。(中略)しかしながら、身の故郷はいかにともあれ、私たちは心の故郷を離れてはならないと思ふ。<故郷>
山頭火は明治15年(1882)に山口県に資産家の長男として生まれた。10歳時に母親が井戸に投身自殺。彼が受けた衝撃は察して余りある。早稲田大文学科で学ぶなど恵まれた青春時代を送ったようだが、父親の跡を継いだ酒造業が破産。結婚し、東京で働いたこともあったが、やがて出家得度の道を選択する。
山頭火と言えば、頭に浮かぶのは、出家得度の後の乞食と流転の人生。乞食は「こじき」ではなく「こつじき」と読むようだ。そうした放浪の人生を通して句作に励んでいたが、昭和15年(1940)松山市の庵で泥酔頓死する。享年57歳。山頭火は自分自身の庵で催された句会終了後に死去したようだから、本人が望んだ「コロリ往生」だったか。