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私も一人!

  • 2025-08-06 (Wed) 12:32
  • 総合

 今回の九州湯巡りはできるだけ身軽な旅にしたいと考えていた。キャリーバッグは持たず、背中に背負うリュックだけ。着替えも最低限にとどめた。短パン2つにポロシャツ2枚。パンツは3枚に半袖下着3枚。書物は毎朝読む英文の祈祷書と山頭火の文庫本1冊だけ。これにラップトップのパソコンと電子辞書を入れれば、リュックはほぼパンパンの状態。
 海外の旅でも時にそうだが、短パンやポロシャツ、下着類は機会があるたびに自分で洗濯し、清潔さを心がける。今回も宿に洗濯機があれば、夜には洗濯に精を出した。乾きの早い乾燥機がついていることが多く、私のような旅行者には大助かり。ポロシャツもずいぶん年季が入ったものとなった。どこかで新しいものを購入しても罰は当たらないだろう。今の旅の日程だと宮崎に入った時点で買うことになるのかもしれない。郷土に金を落とすのも悪くなかろう。たいした金ではないが。
 福岡の自宅を出てから一週間近く経過した。携行した山頭火の句集はほとんど開いていない。作った句もない。いや、一つだけある。嬉野温泉の宿近くの木陰を散歩している時に蝉時雨を耳にして読んだ句だ。たいした句でないことは重々承知している。私の友人の一人に新聞社勤務時代の同僚で、見識豊かな俳人がいるが、彼にはこのような句など恥ずかしくてとても見せられない。ただし、山頭火は季語や五七五の定型にこだわらない自由律俳句で知られた俳人。私のような俳句の基本などわきまえていない無粋な男の作にも微笑んでくれることだろう。
 さて、嬉野温泉の木陰を歩いている時に私の頭に浮かんだのは次の一句。――せみしぐれ 耳にするのは あといく夏―― 古希を過ぎ、来世がにじり寄りつつあると時に感じている身に浮かんだ切ない感慨。山頭火は微笑んでくれることだろうと書いたが、いややはり、一笑に付されるか。
 一年ほど前のこのブログで「咳をしても一人」という句について書いている。山頭火の作かと思っていたがさにあらず、尾崎放哉という俳人の作だった。彼も晩年を山頭火のように放浪流転で過ごした俳人だった。山頭火の作で言えば次の句が知られているかと思う。――分け入つても分け入つても青い山――。味わい深い句だ。私が今手にしている句集では次のように説明されている。「大正14年2月、いよいよ出家得度して肥後の片田舎なる味取観音堂守となったが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であった」と。
 「分け入つても・・・」の句には「大正15年4月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た」との前置きがある。そうするとこれは「解くすべもない惑ひ」を憂える句なのであろうか。俗物の私には文字通り、いくら歩を進めても人家が見えず、目の前に広がるのは草木が茂る山また山ばかりであり、旅人にとってはため息の出そうな光景を詠んだと思えたが、人生のあるいは芸術の深淵を探ろうとする決意、迷いをも描いているのだろうか。この句の三句後に「放哉居士の作に和して」と前置きして次の句があった。――鴉啼いてわたしも一人――
 気ままな一人旅にある私などからは想像もつかない俳人の孤独・寂寥がうかがえる。

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