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英語でさるく 那須省一のブログ
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「空気を読む」(read the air)
- 2026-04-03 (Fri)
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間もなく春休みも終わり、再び教壇に立つ日が戻って来る。去年一年間の反省を踏まえ、生徒たちに英語を学ぶことの楽しさを伝えたいと考え、またそう願っている。
クリスチャンの端くれであると思っている私は毎朝、英語で書かれた祈祷書(devotional)を読んで一日をスタートさせている。"Walking in Grace 2026” という祈祷書だ。アメリカに暮らす52人の敬虔なクリスチャンが日替わりで信仰にまつわる身辺雑記を書いている。ノンネイティブの私には英語表現の勉強にもなっている。
NHKラジオの英会話講座にも依然、大いにお世話になっている。生きた英語の発音は絶えず、耳から「栄養分」を取り込むことが大切だと思う。早朝の英会話講座は先に書いた無慈悲な放送時間の変更の影響を受けておらず、毎朝6時45分にはスマホラジオに向き合うのが日課。先日、おやっと思う英語表現がラジオから流れてきて少し驚いた。
「空気を読む」という表現。このいかにも日本語的な表現を英語ではどう言うかということについては以前に拙ブログで書いたことがあったなと思い、過去の記事をスクロールしてみると、2024年8月に書いていた。その箇所を再録するとーー。
NHKラジオの英会話講座を聴いていたら「空気を読む」という表現を英語ではどう言うかということが説明されていた。まあ、まさか read the air はないかと思いながら、考えていると read the room という表現が紹介されていた。これは思いつかなかった。直訳だと「部屋を読む」。そうか、自分がいるその部屋、その場の空気を上手に読み切ると解釈して、英語だと read the roomというイディオムが誕生したわけか。英語ネイティブ話者でないと思いつかないなと思った。
これで一件落着と考えていたが、先日の放送ではまさかの read the airが正しい英訳表現として流れていた。言葉は生き物だから、世の人々が、多くの人々がそういう使い方をするようになれば、その表現が「市民権」を得ることは承知している。若者が好んでつかう「やばい」も今では好意的というか肯定的な意味合いで使われる。「鳥肌が立つ」も今では肯定的に使われることが一般的になったようだ。
それで read the air もついに正しい実践的な英語表現の仲間入りしたのかと思った。日本語の「サラリーマン」がいつの間にか英語でも “salaryman” として「認知」されたように。とりあえず、ChatGPTに尋ねてみよう。以下の答えが返ってきた。
The Japanese expression 空気を読む (kūki wo yomu) translates literally as “read the air.” In Japanese, that metaphor feels natural and widely understood. However, in English, “reading the air” sounds unusual and is not idiomatic. Native speakers would almost always say: “read the room” → understand the mood, atmosphere, or unspoken feelings of people present.
次の指摘も興味深く読んだ。Interestingly, your Japanese phrase can sometimes imply strong social pressure to conform, which “read the room” doesn’t always fully capture. So even though they’re close, they’re not perfectly identical in cultural nuance. 「空気を読む」と “read the room” の間には微妙なニュアンスの差があることも読み取る必要があるということか。
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羅針盤いずこや?
- 2026-04-01 (Wed)
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4月。新年度がスタートした。私は今年度の仕事は高校一本で行くことになった。午前中は中学校、急いで駅に歩き、午後から高校で授業という慌ただしさからは解放される。高校の授業では色々と反省、考えさせられることがあったので、そうしたものを活かし、充実の一年としようと心に誓っている。温泉に浸かりながらそんなことを考えた。
それにしても、世の中を見渡すと暗澹たる思いに沈むことが増えた。一昔前ならアメリカがイスラエルとつるんでイランを空爆するなどとは想像しづらかった。中東全体が火の海になると危ぶんだ。既にそうなりつつあるのかもしれない。トランプ米大統領はイラン空爆の目的、すなわちイランの核開発の能力を崩壊させたとして、ちかく米軍を戦線から撤退させる意向を語っている。石油危機を引き起こしているイランによるホルムズ湾の封鎖についても、石油を必要としている国々が自分たちの軍で原油を奪い取れと信じ難い無責任発言を繰り返している。
米軍に深刻な人的被害が出始め、自身の政権への批判の声が高まる前に早いとこ、危ない戦闘の現場から逃げだそうという魂胆は見え見えだ。米軍が手を引くことで紛争が沈静化し、イランの一般の人々の犠牲がこれ以上増えないことは歓迎したいが、力は正義とばかりに気に入らない他国を攻撃する、それを結果的に容認したことの「報い」を国際社会はこれから受けることになるのか。ロシアの侵略を受けているウクライナへの余波も心配だ。
他方、改善の気運が一向にみえない日中関係も憂鬱。正直、中国のことはよく分からない。私が東京の新聞社に就職し、国際部(当時は外報部と呼ばれた)に配属された1980年代は中国は今ほどの重要性は有していなかったように思う。地方支局勤務を経て、希望通りに国際部に配属された時、同期の記者は私を含めて5人いたが、中国語専門つまり将来の中国勤務を志望していた者は皆無だった。いくつかの転勤を経て、国際部をのぞくと、配属された若手記者は圧倒的に中国語専門の記者だったことに驚いたことを覚えている。国際社会に占める中国、そして日中関係の重要性が増したことを物語っている。
今福岡に暮らし、日々の国際ニュースは読売新聞やネットの報道を中心にフォローしているが、正直、中国の政権の動向はよく分からない。気になるのは近年、政権幹部の理解に苦しむ反日、嫌日の発言の数々だ。高市政権になってからは憎悪感さえ漏れ伝わってくるように感じている。為政者から憎悪感むき出しの発言が繰り返される二国間関係が正常であるはずがない。気軽にこうした素朴な疑問を尋ねることができた尊敬する中国通の先輩記者は物故者となっており、残念至極。
読売新聞の文化欄の「思潮」に興味深い記事が載っていた。文化部記者が出版されたばかりの論壇誌をざっくり解説した記事だ。興味深そうな論点がいくつか紹介されていたが、要するに日中関係が対等で良好だった時期は歴史上ほとんどなかったのだという。日本はかつて中国から漢字や仏教、食文化などを取り入れ、恩恵を受けたことはよく知られている。だから日中関係は「一衣帯水」「同文同種」とその緊密さをよく指摘されるが、日本の政治・外交はそうした情緒的な発想から脱却して、国家としての戦略に基づいた関係構築が求められているのだという。戦略なき「対話」の呼びかけは不毛だと断じていた。
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また一句
- 2026-03-27 (Fri)
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玉名温泉まで持参した文庫本を読み終えた。いろいろ考えさせられることがあった。備忘録のブログだから、感想をここに記しておきたい。『脳科学者の母が、認知症になる』(恩蔵絢子著、河出文庫 2018年)。タイトルには袖見出しのような「記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?」という文言もみえる。
脳科学者の恩蔵氏は最愛の母がアルツハイマー型認知症と診断された。門外漢の私が何とか理解できたことを以下に列挙すると、脳内で「今ここ」で起きていることを長期に記憶する部位は「海馬」と呼ばれる。年を重ねると誰でも脳が全体的に少しずつ萎縮するが、初期のアルツハイマー型認知症の人は海馬の萎縮が著しい。海馬は「記憶の中枢」とも呼ばれるが、記憶の貯蔵庫の役割は上部にある大脳皮質が担っている。海馬が傷つくと大脳皮質に保存されている記憶を呼び起こすのが困難になるとか。
結論的に書けば、認知症となり、以前のことが思い出せなくなり、新しいことも覚えられなくなっても、認知症は“その人らしさ”までも奪ってしまう病ではないと脳科学者の恩蔵氏は説いている。さらに言えば、認知症の人には「理性は失われても感情は残っている」と言われるように、この感情こそが人間のモラルや理性の源らしい。感情を司るシステムは海馬の隣にある扁桃体が担う。理性だけでは対応できない状況下、力を発揮するのが感情だとか。アルツハイマー病では物事の理解力、判断力、記憶力といった能力は損なわれるが、感情は残っており、感情が作る“その人らしさ”もある。
アルツハイマー病のリスクファクターの第一位は年齢だという。恩蔵氏は訴えている。「高齢化社会が進めば当然人口の中でこの病を持つ人の比率が高くなる。それは、誰もがこの病気と無縁ではいられなくなるということだ」。思い返せば、私の亡き母、亡き長姉も晩年は認知症となり、じれったい思いを抱きながら接してきた。明日は我が身ということだろう。母や姉の分まで精一杯健康に生きたい、生きねばならぬと思う。
◇
玉名温泉のトロン湯に連日何度も浸かっている。背中の帯状疱疹にどれほどの効能があるのか分からないが、じんわりと癒やしてくれているような気がしないでもない。私の他に湯治客はいないようで、私一人でお湯を独占することもしばしば。ぼけっとした頭でお湯の中に寝そべっていて、あ、そうだ、前回ここの湯に浸かっているときには拙い句をひねっていたことを思い出した。たかだか3か月ほど前のことだが、記憶もあやふや。
このブログを振り返ってみると、以下の句があった。――木々枯れて 古希の身体に 痛みなお―― 師走、露天風呂からみえた光景を読んだ句だ。今回は特段の思いも浮かばないでいる。思案のあげくに浮かんだ一句は――ふと気づく 湯煙先に 山桜――。今回初めて気がついたのだが、露天風呂のすぐそばに桜の木があり、花を一杯咲かせていた。山桜と記したが、詳しくは知らない。今春、まともに見た初めての桜かもしれない。
明日はまた在来線で福岡に戻る。久しく会っていない高校・大学の先輩からメールがあり、彼の研究室で再会することになった。彼は農学博士でこれまでも貴重な健康生活の助言を頂いてきている。認知症に関しても、予防策などあるのか尋ねてみようかしら。
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再び玉名温泉
- 2026-03-24 (Tue)
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3月もいよいよ最終週に突入。ずっと3月が続いて欲しいと願ってしまう。4月になればまた仕事が再開するからだ・・・などと情けないことを綴っている自分が情けない。でも、これは正直な気持ちだ。
私は今再び玉名温泉のとあるホテルにいる。背中の帯状疱疹を癒やすため、そして何より、去りゆく旧年度の仕事の疲れを解くために、温泉の湯に浸かっている。昨日午後、最寄り駅から在来線で玉名駅まで。新幹線に乗車して新玉名駅ではなく、在来線で来られるのが嬉しい。前にも書いたかと思うが、私が泊まっているホテル周辺は喫茶店の類が皆無のようで物悲しくなるのだが、比較的安価に泊まれるのと、何より湯がいい。素人だから身体のどこに効くとか具体的に例証できないのが残念だが、少なくとも私の帯状疱疹に病んでいる背中には良さそうに思える。だから、ここに来れば朝午後深夜の三度も浸かる。
今回は四五日、投宿する予定だ。週末も部屋の空きがあれば延長しても構わないと思っているが、週末までは無理だろう。今回も先週末は空きがなく、ネットでいろいろ探っていて、奇跡的に予約を入れることができた。前回はビジネスホテルのような狭い一室に閉じ込められたが、今回は和室で広々としており、大きな窓から外を一望できる。ベッドも二つ、ウォッシュレットのトイレもなぜか二つ、私にはもったいない部屋だ。これで一泊6,000円!
このホテルに滞留している間に読む本も持参してきた。一つは主宰しているズームの英語教室で読んでいるオー・ヘンリー賞の作品集で、これを読み終えたいと考えている。その後に読みたい小説も目処がついている。日本語で書かれた小説で英訳本も出版されている。英訳本を日本語の原作と比べながら読むと楽しいかなと思わせる作品だ。言葉遊びが面白い作品で、読んでいて、ルイス・キャロルのあの有名な小説 “Alice’s Adventures in Wonderland”(邦訳『不思議の国のアリス』を思い出した。英語教室で読み始めたら、次の作品のことも追い追い書いていきたいと考えている。
◇
NHKラジオの外国語講座の番組が今月末から、放送時間帯が激変することを先に書いた。現行朝8時から放送されているのが「まいにちハングル講座」。その直前は「まいにちイタリア語」講座。イタリア語講座の最後に流れている案内が耳に入った。イタリア語講座はこれからは夜中というか未明というか午前2時15分から放送されるとか。そんな時間帯に起きていて講座に耳を傾ける人がいるものだろうか。もちろん、「ラジル★ラジル」という名のネット経由の無料配信サービスを活用すれば、過去一週間分の番組を自分の好きな時間帯に何度でも聴くことができる。だから、これまで同様の時間帯で聴取も可能。NHKのコスト削減のための不可避の措置とはいえ、長年早朝の時間帯に耳を傾けていた人たちは複雑な心境になるかもしれない。スポーツに例えれば、それまでチームのレギュラーだった選手が来月からは控えに回ってくれと言われたような感じだろうか。
私がほぼ毎朝聴いている「ラジオ英会話」はこれまで同様、朝6時45分からの放送が維持される。とりあえずは私の朝の習慣に変わりはないが、正直に書くと、後で聞き返すと、あれ、こんな内容だったかなと思うこともしばしば。脳内はまだ眠っているからか。
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可愛いEちゃん!
- 2026-03-10 (Tue)
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朝夕はまだ寒いが、日中は春がすぐそこまで近づいているような気配を感じることが増えてきた。学校でも卒業式(終業式)シーズンを迎え、慌ただしい雰囲気だ。非常勤講師の身にはあまり関係はないが、任期終わりが近づき、来月からの新年度ははてさてどうしようかと思いを巡らしている。お金の問題ではない。いや、お金の問題もないことはないが、仕事は欲しい。それで子供たちの成長(学力)に貢献することができれば願ったり叶ったりではある。いずれにしろ、こちらは先方からの要請(依頼)がなければ動けない。しばし、様子見だ。古希を過ぎた独り身。少額の年金だけで糊口を凌ぐことは無理な話ではない。
なんだか話が暗くなってきたが、気分は悪くない。3月は行事が格段に増えることもあり、仕事(授業)がない日が続く。その分、報酬はなくなるが、読書なり散歩なり、好きなことを気楽にやれるのは有り難い。ずっとこのままでもいいやと思わなくもない。90歳までは働きたい、働かねばと願っているわりには意志薄弱か。
とまあ、戯れ言はともかく、ごく最近、できうる限り現役で頑張りたいと思うできごとがあった。横浜から姪っ子夫妻が赤ん坊(女の子)を連れて会いに来てくれたのだ。昨年夏に生まれたEちゃん。これまでラインメールで日々の成長は写真を見て癒やされていたが、実際に会うのは初めてのこと。ほぼ毎日のようにスマホの画面で見ていたとはいえ、やはり実物は異なる。思ったより小さいのにちょっと驚き、しかし、抱っこしてみると、思いのほかずっしりと重いのにこれまたびっくり。いや、そんなことより、実に可愛いかった。私の年寄り顔を見て泣くのではないかと恐れていたが、はにかみ、慣れるにつれ、笑顔を見せるようになった。
独身の私が孫を抱っこすることは一生ないが、そんなことは普段、意識せずに暮らしている。Eちゃんを抱いて、あやして、ふと思った。世の高齢の男はこういう喜びを味わい、人生の意義を感じているんだろうなあと。姪っ子の赤ちゃんを見て、世の普通の人たちの幸せを感じることになろうとは! 風来坊の私を神様が憐れみ、このような喜びを付与してくださったのだろう。Eちゃんが成人する、20歳になるまで頑張るとしたなら、私は92歳になっている。その頃まで現役でいたいと願う。まあ、公立の学校で教壇に立っているのは無理だろうが、私の夢はその頃はどこかで私設の語学堂みたいなものを設け、地域の老若男女に英中韓の三か国語を教えること。英はともかく、中韓はまだとても人様に教えるレベルに達していない。諦めてはいない。少しずつ前進して、いつか、これなら教えることのできるレベルではと思えるほどに上達したい。
問題は体力というか健康。視力が弱ってきており、今、この項はソファーに座り、膝の上でパソコンを裸眼で打てているが、最近は細かい字は虫眼鏡で拡大して確認することが増えた。他の身体上はそう問題はないように思える。いや、ある。背中右の帯状疱疹の違和感はまだ消えていない。日中は何ら気になることはないが、明け方、ベッドの上でちょっとした違和感を今もなお感じている。いつ完治するのだろうと思う。
とまあ、いろいろ願いかつ悩みは尽きないが、日々元気に仕事に励むことができる幸運を神様に感謝して生きている。「努力は足し算、感謝は掛け算」。主イエス様と郷里の銀鏡神社に感謝だ!
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“turn in one’s grave”
- 2026-03-04 (Wed)
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このところ、気が滅入るニュースばかりだ。極めつけはアメリカとイスラエルによるイラン攻撃。国際社会からは米イスラエルの暴挙に非難囂々かと思ったが、そうでもないようだ。中国、ロシアでさえ、米イスラエル非難のトーンは抑制的に思える。前にも思ったが、イランという国は国際社会であまり親密な国はいないのだろうか。民族が異なるからか、宗教的には重なるイスラム諸国からも連帯の声はあまり聞こえない。
イラン攻撃を最終的に決断したトランプ米大統領にどういう「勝算」や「戦後処理」の青写真があるのかは知る由もないが、甚だ危なっかしく思えてならない。支持率が急落を続け、この秋の中間選挙で与党共和党の惨敗が危惧され、政権基盤が大きく揺らぐのは必至の情勢のトランプ氏が窮状を打破するためにイラン攻撃に出たのは容易に想像できるが、そうであれば必ず手痛いしっぺ返しを受けるであろう。いや、受けねばならない。
読売新聞の紙面を見ていると、なぜか切迫した緊張感が伝わってこない。他紙は読んでいないので知らない。私が駆け出しの記者だった頃、支局のデスクに言われたものだ。火事や事件が発生したら、支局総出で大騒ぎして取材合戦に挑め。及び腰になるな。こちらが精力的に騒いでいれば、火事や事件はほどなく収束する。このデスクは故人となったが、彼のこの言葉は今も時々思い出す。日本のメディアももっと大騒ぎして欲しい!
◇
先に英文学の名作『嵐が丘』(“Wuthering Heights”)の映画化の話を書いた。今週は終業式前の幾多の行事で授業のない日が多いため、これ幸いと繁華街にあるシネマコンプレックスに出かけた。感想を書くと、「うーん、どうかな・・」となるのだろうか。私は作品の舞台となっている英ヨークシャー地方ののどかな丘陵の光景が楽しめるのではないかと楽しみにしていたが、スクリーンでは冷たい雨が降りしきり、風が吹きすさんでいた。タイトル通りの陰鬱な「嵐が丘」のシーンの数々・・・。
もう一つ書いておかねばならないのは主役を務めた男女俳優のセックスシーンの多さ。露骨な描写はなかったものの、愛し合いながらも運命に翻弄され、別れ別れになった男女が再会後に愛を確かめ合い、女には亭主がいるにもかかわらず、奔放に愛の行為にふける。私はそうした描き方が悪いとは言わないが、途中で「あれ、エミリー・ブロンテが書いた原作はこんなにセックスシーンが多かっただろうか? どちらかというとお互いを想い合う純愛が胸を打つ作品ではなかったかな?」と首を傾げざるを得なかった。
そういえば、この映画のことを初めて知った英BBCのネットの記事では、主人公の男優と女優の体当たりの熱演を、“captivating chemistry or a hollow misfire”(魅惑的な化学反応か虚ろな失敗作か)で批評家の評価が真っ二つに割れていると紹介していた。さもありなん。観客もまばらで拍子抜けしたが、私はこの『嵐が丘』は一回で十分だ。
映画を観て散策がてら、地下鉄天神駅まで歩いた。私の頭にはとある英語表現が浮かんでいた。―“turn in one’s grave”― 英文学の取材の旅で、ブロンテ女史が眠るヨークシャーの村ハワースにある墓地にも足を運んだ(記憶がある)。“She must be turning in her grave.”(ブロンテ女史はお墓の中で憤慨してのたうち回っているに違いない)という思いだ。
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冷酷NHK!
- 2026-02-23 (Mon)
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しばらくこのブログから遠ざかっていた。なかなか執筆意欲がわかなかった。最大の要因は実姉の死去だ。7人兄(姉)妹の一番上であり、私と実家のある古里を結びつける最後の砦のような存在だった姉。その姉が高齢により亡くなった。老衰死と呼んで差し支えない自然死だと思う。享年87歳。お袋や長男、次男、次姉よりも長生きだったのが救いだ。私とはずいぶん年が離れていたが、口やかましく可愛がってもらった。まだ元気だった頃は数か月に一度は帰郷し、姉の家に足を運んでいた。
体調を壊して宮崎市内の施設に入居して以降はコロナ禍もあり、さすがに足繁く見舞うことはできなかったが、毎朝、神棚に手を合わせる時は幸姉の名前も唱えて回復と長寿を祈っていた。家族葬で営まれた告別式には新幹線と高速バスで急遽とんぼ返りして冥福を祈った。7人兄妹のうち、これで2人の姉、2人の兄がいなくなり、残ったのは兄が1人に妹が1人。寂しくなった。改めて合掌!
◇
細々と聴講を続けているNHKラジオの外国語講座。最近の講座では番組の終わりに「この講座は3月30日から毎朝午前1時から放送します」といった告知が流れている。私が定期的に聴いているのは英語と中国語、韓国語の講座。英語はともかく、中国語と韓国語の講座は基礎的なことがらを忘れないようにとそれなりに一生懸命耳を傾けている。残念ながら、もうとっくに自由自在に話せてもいいような基本的な表現もうろ覚えのため、四苦八苦している。とにかく聴き続けることに意味があると自分に言い聞かせている次第。
それで上記の通り、放送時間が抜本的に変更されるようだ。アナログ人間の私にはよく分からないが、現行のラジオ第1・第2・FMの3波を「AMと「FM」の2波体制へ再編するのだとか。これに従い、ラジオ第2は廃止され、語学番組や教育番組は主に新FMへ移行されるという。
私の平日朝の日課は 6時45分から「ラジオ英会話」を聴き、8時からは「まいにちハングル講座」続いて「まいにち中国語」をそれぞれ15分間聴いている。英語の番組は現行のままのようだが、中韓は深夜帯に持って行かれる。再放送もなくなる。このブログを書くに際し、ネットで確認すると、中韓講座はまだいい、学習者の少ない「アラビア語講座」や「ベトナム語ニュース」や「インドネシア語ニュース」などの番組は廃止されるとか。
ちょっと待ってくれよ、NHKさんよ。国際化、国際交流の深化に逆行する動きではないかいな。私はベトナム語やインドネシア語を学ぶことはこれからもないだろうが、現在、学んでいる、あるいはこれから学ぶかもしれない人々には冷酷な処遇だろう。こうした切り捨て措置はちょっと理解に苦しむ。
中韓の講座は朝8時台の放送がなくなるとはいえ、NHKのインターネットラジオアプリ「らじる★らじる」の聴き逃し配信(1週間)は継続されるようだ。通勤時間帯と重なると8時台の放送はしばしば聞き逃していて、「らじる★らじる」のお世話になっていた。だから、そう不便とは思わないが、これからさまざまな外国語を学ぼうとしている人たち、特に若い人たちには「薄情」な変更ではないかと思えてならない。
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