英語でさるく 那須省一のブログ
息を吐かない無気音
- 2017-04-13 (Thu)
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新学期がスタートした。教える大学が私の住むところからは南の方角から北の方角に変わった。週に2日の授業。二日目。最寄りの駅のホームに立って、入ってきた快速の電車に乗り込んだ。次の駅名のアナウンスを聞いて、すぐに間違った電車に乗ったことに気づいた。いつもの習性で博多方面の電車に乗っていたのだ。次の駅で下車して小倉方面の電車に乗り換えた。タイミングよく快速電車が滑り込んで来て、恥ずかしい遅刻は免れた。
その前日には大学からの帰途、路線バスに乗っていて、小銭が足りないことに乗車後に気づいた。260円の料金のところ、小銭入れには160円しかなかった。慌てて財布を確かめると、そういうときに限って千円札が切れている。両替機に目をやると、千円札しか両替できません、と明記してある。困った。普段は乗車前に小銭入れをしっかり確認しているのだが・・・。
駅に到着。運転手さんに小銭が160円しかないこと、できれば5千円札の両替をしたいことを告げた。運転手さんは嫌な顔ひとつせず、いいですよ、次回にお支払いくださいと笑顔で免じてくれた。お礼を言いながら、とりあえず160円を料金箱に入れ、次に乗車するときに不足分の100円を支払うことを約して下車した。そんなこんなでとりあえず、新学期は気持ちよくスタートした次第。
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中国語のお話をまた一つ。NHKラジオの「まいにち中国語」という語学講座を毎日、有難く聞いているが、4月号のテキストの末尾の連載コラムに面白いのがあった。中国で日本語を教えた経験のある語学講師の森田六朗氏の「中国語と日本語のHAZAMA」というコラム。以下、紹介させてもらう。ベトナムや韓国の日本語学習者にとって、日本語の「つ」の発音は難関で、「おつかれさま」が「おちゅかれさま」になり、「スポーツの持つ美しさ」が「スポーチュのもちゅ、うちゅくしさ」となるのだとか。中国人は清音と濁音の区別に手こずり、「ちょっと待ってください」を彼らが発音すると「ちょど・まで・ください」となるという。そういえば、ケーブルテレビでいつか見たCMで、韓国のイケメンアイドルが「胸はじゅむ〇〇TV」と言っていたのを思い出した。「弾む」が「はじゅむ」。
日本人は中国語の「無気音」と「有気音」の区別に苦労する。中国語の「不」(bu)は日本語の無声音「プ」・有声音「ブ」の違いではなく、有気・無気の別、つまり発音するとき「空気を強く吐き出しているか、いないか」の違いだと。「不」(bu)は息を吐かない無気音。
中国語を学習し始めて以来、発音に難儀しているが、この有気音・無気音の区別もその一つ。ある語学書には「日本語には清音と濁音があるが、中国語には基本的には濁音はない」と明記してあった。別の本には中国語のboは「シッポ」の「ポ」を言うときのように無気音で発声せよとあった。「ボ」ではないのだ。私はこれまでbで始まる音は何のためらいもなく、バビブベボの感覚で発声してきた。どうも根本から考え方を改めた方が良さそうだ。
英語にしろ、韓国語にしろ、いずれの言語にも言えることだが、学ぶからにはできるだけその言語の原音に近づく努力はしたいと思っている。そうした姿勢こそ学習者がその言語に対して示す敬意と思えるからだ。彼らもそうした努力を多としてくれるだろう。
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こういうメルトダウンも!
- 2017-04-10 (Mon)
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先週金曜日、宮崎で本当に久しぶりにゴルフ。去年は一度もクラブを握っていない。ゴルフからこんなに長く遠ざかったのはこのスポーツを覚えて以来、初めてのこと。会社勤務を辞めるということはこういうことでもあるようだ。同伴プレーヤーにあまり恥ずかしいゴルフは見せられないと先月末から3回練習場に足を運び、満を持して臨んだが、この日の宮崎は生憎の雨。普通ならキャンセルしてもおかしくなかったが、ゴルフバッグは宅急便で送り済みだし、この次いつプレーできるかも不明ゆえ、いざゴルフ場へ。
石部金吉の日々を送っている私にこれぐらいの憩いは神様が与え給うのではと期待したが、神様はさすがに憐れんでくれた。時折小雨に見舞われたものの、何とか18ホールプレーし終えた。同伴予定の2人は雨天でキャンセルしたため、親しい友人と2人で和気あいあいとプレー。これは酷い!という打球は皆無に近く、納得のいくプレーができた。
その夜は妹、妹の友人を含めて4人で楽しく会食。普段は禁じている酒(焼酎)をこの夜はしこたま飲んで、久しぶりに酔っ払った。これも神様は許してくれるだろう。心身ともにリフレッシュ(?)して帰福。
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ゴルフと言えば、米オーガスタ(ジョージア州)で行われていたメジャー初戦のマスターズ・トーナメントはスペインのセルヒオ・ガルシアがプレーオフの末に、イングランドのジャスティン・ローズを下して悲願の初優勝を飾った。74度目のメジャー挑戦での初勝利の喜びはひとしおだろう。かつて「エルニーニョ」(神の子)とも呼ばれた彼も37歳となり、近年は丸みと落ち着きが出たようだ。アメリカではギャラリーからブーイングを浴びることも珍しくなかったが、この日は大きな声援を送られていた。
マスターズがプレーオフに持ち込まれる直前、大リーグも見ていた。シアトルマリナーズ対ロサンゼルスエンゼルス戦。マリナーズの岩隈久志投手が6回を2安打1失点の好投で降板し、その時点で7対1の大差をつけていたので、これで岩隈投手は初勝利を手中にしたと思っていたら、9回裏の攻撃で相手に大量7点を奪われ、10対9で屈辱的なサヨナラ負け。岩隈投手は初勝利が吹っ飛び、チームはアリーグ西地区でダントツ最下位の1勝6敗。
マリナーズファンにはフラストレーションがたまる一方だろうなあと思いながら、ファンのリアクションを探してみると、次のコメントが目に入った。That comeback must be a franchise record for the Angels and that meltdown must be a franchise record for the Mariners. Unbelievably demoralizing for the Mariners as they fly home for opening day tomorrow after a 1-6 start. Mariners’ fans must already be saying “Maybe next year” after only seven games on top of their team having the longest playoff drought of any MLB team. Hard to believe things could be any worse for them. Brutal!
あのイチロー選手がマリナーズに移籍して大リーガーとしてデビューし、大活躍した2001年を最後に、マリナーズは低迷を続けている。今年もすでに「また来年があるさ」と思っているとの声。いくら何でも「早っ!」。確かにファンから見たらmeltdown(炉心溶融・瓦解)と自虐的に呼びたいほどの恥ずかしい「大逆転負け」だった。
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I wish I had a good command of Chinese.
- 2017-04-03 (Mon)
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球春到来。日本のプロ野球とアメリカの大リーグがいよいよ開幕した。テレビと付き合う時間がこれからますます増えていくことになる。日米の野球が好きなだけ楽しめるケーブルテレビは便利なことこの上ないが、読書や語学の学習に費やす時間が激減することにもなる。日常生活はラジオさえあれば十分ではないか。いっそテレビなど片付けてしまえ!という心の声が聞こえてきそうだ。
日本時間では月曜未明に生放送された大リーグの開幕戦、ニューヨークヤンキース対タンパベイ・レイズ戦。栄えある開幕投手を任された田中マー君は残念ながら3回ももたずにノックアウトされた。惨敗後もジラルディ監督のマー君への信頼はまだ揺るがないようだ。"Today he didn't have his command. It's hard to figure out. It's one game, don't make too much of it, and [Tanaka will get] back to work on Saturday." 監督の言葉にあるcommand は日本で言う「コントロール」のさらにワンレベル上の制球力を意味するようだ。
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韓国の朴槿恵・前大統領が遂に逮捕された。テレビで見た彼女の顔は哀れを誘うほどに憔悴していた。「トレードマークだったアップにした髪はほつれ、化粧を落とした顔は、やつれきっていた」(読売新聞)。最高権力の座から奈落の底への転落。あの顔を見ただけで、彼女の心中が容易に想像できた。
ジャパン・ニュース紙ではロイター通信の記事を使い、次のように報じていた。Ashen-faced and flanked by two female officers in the back seat of a black sedan, Park’s hair was down, apparently because she had removed the hairpin that held her hair in her trademark chignon style. まさにashen-facedだった。読売新聞によると、朴容疑者は拘置所に移動する際、ヘアピンの持ち込みが許されなかったのだという。自殺防止?
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『中国語と日本語』(日本語ライブラリー)(朝倉書店 編著者・沖森卓也、蘇紅 2014年)を読んだ。私のような初学者には難し過ぎる語学書だったが、参考になることは多々あった。
印象に残った例文を一つ。这个学生我教过他数学。これは「この学生は私が数学を教えたことがある」という意味と述べてあった。漢字を見れば、何となく理解できる。少し違和感があるのは「他」という語。「彼」を意味する語であり、原文に忠実に訳すと、「この学生は、私は彼に数学を教えたことがある」といった感じだろうか。「他」は無駄なような気がしないでもないが、中国語ではこの語が必要なのだと言われれば、なるほどそういうものかと思えなくもない。英語で、This student, I’ve taught him mathematics. といった感じか。こなれた英文としては I’ve taught this student mathematics. だろうか。
上記の文章は、中国語では「動作の関与者」が主語となりうるケースの一つとして紹介されていた。中国語では「名詞性成分に限らず、動詞性成分や形容詞成分、フレーズなどもそのままで主語になることから、主語の意味役割は何かと規定すること自体無意味なことになる」とも記されていた。中国語の理解が少しだけ深まったような気がする。ようなだ。
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教え方はrustyになりたくない!
- 2017-03-29 (Wed)
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久しぶりにゴルフの練習に出かけた。コースに最後に出たのはいつだったか、記憶にない。去年は一度もクラブを握っていないから、もう少なくとも1年半以上はゴルフから遠ざかっている。石部金吉的日々でもたまのゴルフぐらいはできるかと思うのだが、不善をなすばかりの小人にしても色々やることがあるとそうもいかない。
来週宮崎に戻る用事があり、それに乗じて親しいゴルフ友達とプレーを約束した。それで重い腰を上げ、久々のスウィング。休眠中に少しはましになっているかと密かに期待していたが、やはり、駄目なものは駄目。まともに真っ直ぐ飛んでくれた球は少なかった。英語で表現すれば、“My lousy golf swing was the same as ever.” (私のスウィングの下手さは全然変わっていなかった)あるいは “My golf swing was as rusty as ever.”(私のスウィングは相変わらずお粗末だった)だろうか。lousy(下手な、ひどい)も rusty(さびた、下手になった)もできれば親しく付き合いたくない語だが・・・。
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『第二言語習得論に基づく、もっとも効率的な英語学習法』(佐藤洋一著・ディスカヴァー携書 2015年)という本を読んだ。短期間でTOEICの点数アップを目指す英語学習者を念頭に書かれたマニュアル本で、英語文法の基本を押さえる大切さが強調されていた。著者の言葉を借りれば、「文法のコアを徹底的に押さえる」ことがTOEICの点数アップのかぎを握る。それは端的に言えば、英語学習では「肯定文、疑問文、否定文」を理解することと「品詞の役割」を理解すること、この二点に尽きるのだという。
動詞はbe動詞と一般動詞から成るが、著者は「英語では一文中に動詞の数は一つという絶対のルールがあります。そのため、be動詞のすぐ後ろに動詞の原形を置いてしまうと、それは文法的ではないということになってしまいます」と述べている。
次の例文。“I am play baseball.” 英語学習者はなぜこのような文法的に正しくない文章を書いてしまうのか? 諸説あるだろうが、著者は “I am play baseball.” に対応する日本文「私・は・野球をします」から、このような間違いを犯す学習者はbe動詞が日本語の「は」や「が」に対応しているという勘違いをしている可能性を指摘している。
私はこれまで四年間、大学で英語を教えてきた。実は上記のような英文を書く学生が幾人かいた。そういう文章に出くわす度に「amと play はここでは『共存』することなどあり得ないだろう!」とショックを受けていた。そうか、彼女たちは一つの文章の中でbe動詞と一般動詞を立て続けに書くことにあまり「抵抗」を感じていなかったのか。だから、例えば「私はテニスをするのが好きだ」という文章を英訳させると、“I am like to play tennis.” といった文章が生まれることになる。私はbe動詞と一般動詞をそのまま「混在」させてはならないというのは英語学習者の「常識」と思い、特段そのことに注意を喚起することはしなかったが、ひょっとしたら、こういうこともあえて説明してやっていれば、基本的なことに気づきが及んだ学生もいたのかもしれないと、今にして思い至っている。大学レベルでそういうことを知っているのは当然のことと突き放す考え方もあるだろう。しかしながら、私には示唆に富んだ「指摘」となった。これからの授業に活かしたい。
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啄木にあらねど
- 2017-03-19 (Sun)
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春めいた気候になった。身体もほぼ元に戻った。(よく覚えていないものの)未明にまだ咳き込むことがあるようだが、日中は全然問題ない。健康の有難さを改めて認識した。
謝恩会で学生たちからもらった花束。毎朝水を入れ替え、日中は窓辺に置いて陽光を浴びさせている。やはり花のある生活は潤いがある。「可愛いね。いい匂いをありがとう」と語りかけている。あれから10日ほど経つが、まだ花びらに衰えはないようだ。もう少し楽しませてくれればと願う。お願い!
大阪勤務時代、少しの期間だけ花を花瓶に入れて楽しむ日々を送った記憶がある。長続きはしなかったが。好きな歌人、石川啄木に「友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ」という一首があったかと思う。今の心境をうたえば、「友がみな 我より長く 勤む日よ 花を貰いて ひとり香をかぐ」か。
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NHKの新年度ニュース番組のキャスターの新ラインナップが発表された。驚いたのは深夜11時15分からの「ニュースチェック11」の男女のキャスターがそっくり、夜9時の「ニュースウオッチ9」の新キャスターに抜擢されたことだ。桑子アナ、有馬記者の二人にとってより多くの視聴者に接する「昇進」の人事であることは間違いなさそうだが、視聴者の一人としては残念! あの二人の息の合った掛け合い的なニュース紹介はあの時間帯だったから可能だと思う。「ニュースウオッチ9」であの味を出すことは至難の業だと思う。いや、「ニュースウオッチ9」の視聴者は二人が今「ニュースチェック11」で醸し出している独特の味わいなどはなから求めていないと思う。
桑子アナの良さがつぼみのうちに摘み取られることになりはしないかと恐れる。彼女の笑顔に癒されていた一視聴者として残念に思う。まあ、どうでもいいことではあるが・・・。
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英字新聞「ジャパン・ニュース」を読んでいて工夫を凝らした見出しに遭遇した。“In these offices, work day is canine to 5” という見出しだ。このheadlineを見て、すっと理解がいく人の英語力は素晴らしいかと思う。
記事は米ロサンゼルス・タイムズ紙の転電で、ロサンゼルス周辺の先進的企業では社員がペットの犬を会社に連れて行き、職場にそのままいさせることを容認するケースが年々増えているというものだった。ペットが近くでくつろいでいることで職場の雰囲気が和らぎ、働きやすい環境となるのだという。もちろん、犬には「引き綱をつける」とか「吠えてはいけない」などといった一定の規則を課し、違反があれば即刻同伴出勤が禁じられるのだとか。
私は大学の英語の授業で「ジャパン・ニュース」が毎週土曜日に連載している四コマ漫画「オフィスケン太」を活用している。お茶目なハチコちゃんの家で飼われている犬のケン太がハチコちゃんのパパが勤務するIT関連の会社で癒しの犬として重宝されているという設定なのだが、まさか、海の向うでは現実にそういうことが現実となっているとは。参考までに、canineは「犬の」という意味のラテン語起源の語。発音にnine(9)が含まれているから、「通常の勤務時間」をこのようにユーモラスに表現できたところがみそだ。
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WBC侍ジャパン
- 2017-03-15 (Wed)
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風邪。熱は引いたようだが、なぜか咳がとまらない。夜寝ていて咳が定期的にやってくる。体はそうきつくないのだが、咳をするために寝つけない。昨夜はずっと咳き込んでいたような気がする。眠りも当然浅くなり、寝起きが遅くなる。こんなことは初めてだ。薬局に行ってのど飴か何か買い求めなくては!
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韓国のドラマ「変わった家族」が昨夜ついに最終回を迎えた。全149回の連続ドラマだったかと思う。後半のくだりをずっと見ていた。まあ、凄まじいドラマだった。最終回はとってつけたような大団円で、(この国のドラマによくあると思われる)物語の「一年後」の様子が最後のシーンだった。愛し合っていた金持ちの家の息子と普通の家の娘が最終的には結ばれ、どこから見てもハッピーエンドの終幕だった。とても安易なハッピーエンドと言えなくもない。いや、それ以外は形容の仕様がない。韓国語の生きた勉強になるから真面目に見ていたが、そうでなければとても耐えられなかったことだろう。
思い返せば「冬のソナタ」も最終回が意外なエンディングだった。消化不良と呼びたいような幕切れだった。今にして思えば、続編制作が念頭にあったエンディングだったのだろう。どこかで続編が間もなく制作されるというような話を読んだような気もする。なかなか商売上手だ。私は見る気がしない。見る気がしないが、韓国語の勉強にはなるだろう。KBSの国際放送が決まって時点で改めて考えよう。
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あまり関心はなかったが、こちらもやはり見てしまった。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)だ。小久保監督が率いる日本代表「侍ジャパン」が予選ラウンドは無敗で勝ち進み、アメリカで行われる決勝ラウンドに進出を決めた。日本は攻撃陣はいいが、投手陣が若干頼りない。第一柱になってくれる投手がいない。やはり、大谷(日本ハム)が欠場している分の物足りなさは否めない。
あまり熱心に見ていないので雑感に過ぎないが、アメリカが会場だった別組の予選ラウンドの方がレベルがずっと上だった気がしてならない。向こうで勝ち残ったのはプエルトリコ、ドミニカ共和国、アメリカ、ベネズエラの4か国。どれも大リーグで活躍するスターを集めた強豪ぞろいだ。ケーブルテレビで生中継されていたが、スピード、パワーともに次元が異なるように感じた。
海の向うでのWBCに対する関心度は分からないが、出身国の名誉を背負い、出場している選手たちは侍ジャパン同様、優勝を目指し闘志を燃やしているようだ。アメリカ代表の外野手、クリスチャン・イエリッチ選手は次のように語っている。"I think we have a pretty motivated clubhouse," Marlins outfielder Christian Yelich said. "It's all guys who wanted to be here. Nobody forced us to come play. Everybody took pride and wanted to represent our country."(「チームの誰もがとてもやる気に満ちている」とマイアミ・マーリンズのイエリッチ外野手は言った。「俺たちは人から強制されてここに来たんではなく、自らの意思で集まったんだ。国を代表して戦うことを凄く誇らしく思っているよ」)
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『マオ 誰も知らなかった毛沢東』
- 2017-03-14 (Tue)
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帰省中に『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(講談社)という翻訳書を読んだ。原著者は自伝的ノンフィクションの『ワイルド・スワン』で知られる中国人作家のユン・チアン氏と彼女の夫であるジョン・ハリデイ氏の二人。悪名高い文化大革命(1966-76年)での同胞に対して行った残忍非道な暴力事件の数々など、毛沢東という人物、その為政にいくばくかの憧れを抱いている読者は実像との「落差」に打ちのめされるに違いない。
この書では現代中国の建国の父とも言える毛沢東が権謀術数を労して権力の座に上り詰め、その後も政敵を卑劣に追い落とし、自分は酒池肉林の日々にありながら、国民には窮乏と飢餓の暮らしを強いていたことが淡々とした筆致で描かれている。彼の治世下で実に7000万有余の人々が平時において死に追いやられたと指弾されている。
読み進めるにつれ、「目から鱗」の書だった。日中戦争では毛沢東が率いる中国共産党軍は激しい抗日の戦いを繰り広げたと信じられているが、実情はその逆であり、彼はむしろライバルの蒋介石の国民党軍を日本軍が殲滅することを願い、そのような戦術に出たことが明らかにされている。また、彼は日中戦争にソ連の介入を強く望み、ソ連と日本が中国を分割するシナリオを頭に思い描いていた。そうなれば、ソ連の支援を受け、中国に共産党政権を樹立する道が容易に開かれると信じていたからだ。
軍事大国を目指す毛沢東は自分たちでは製造ができない武器を入手するためにも、同盟国のソ連にすり寄った。最終的にはソ連から原爆の製造に必要な施設の建設の確約を取り付けると、毛沢東は最高指導部のメンバーを前に次のように語ったという。「われわれは地球を支配しなければならない!」
毛沢東は文化大革命に先立つ大躍進政策(1858-61年)で重労働を伴う無謀な食糧供出計画を実施する一方、貧困にあえぐ農家から農機具、鍋釜など一切の鉄製品を徴収する馬鹿げた政策を実施し、多くの国民を死に追いやっている。次のように記されている。大躍進と大飢饉の四年間で、三八〇〇万人近い人々が餓死あるいは過労死した。これは二〇世紀最悪の飢饉、人類史上最悪の飢饉だった。毛沢東は計算ずくで何千万という人々を餓死や過労死へ追いやったのである。実際には、毛沢東はさらに多くの人間が死ぬことを計算に入れていた。最近になってようやく、毛沢東がどれほど多くの人命を失ってもかまわないと考えていたかを確実に知ることができるようになった。一九五七年にモスクワを訪問した際に、毛沢東は「われわれは世界革命に勝利するために三億の中国人を犠牲にする用意がある」と言った。当時の中国の全人口の半分である。(第40章 大躍進————国民の半数が死のうとも)
彼の独裁的手法に最後には反旗を翻した劉少奇、彭徳懐、林彪らの側近。彼らも次々に粛清されていったことが劇的に綴られている。西側では好意的に今なお受けとめられているあの周恩来首相が毛沢東の前では全くの腑抜けだったことも詳述されている。
この書はユン・チアン氏とハリデイ氏が十余年にわたる綿密な調査と数百人に及ぶ関係者へのインタビューの末に書き上げたものという。私が手にした単行本だと上下で一千ページを優に超える分量だ。英語版の刊行からすでに十年以上が経過しているが、中国の一般大衆が普通にこの本を手にして読むことはないのだろうか。(続あり)
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