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英語でさるく 那須省一のブログ

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実名と匿名の差

 先月の項で、ケニアの友人からケニアの国政の現状を憂えるメールが届いたことを紹介した。その際に、次のように書いた。——ケニアでは昨年行われた大統領選でウフル・ケニヤッタ大統領が「再選」を果たしたと主張し、今月末(一月末)に二期目の就任式典が行われる運びとなっている——。
 これは全くの事実誤認だった。ケニヤッタ大統領は昨秋、とっくに二期目の就任式を行っていた。私はそれをすっかり失念していた。友人が指摘していたのは、大統領の宿敵、野党のライラ・オディンガ氏が大統領選の真の勝利者は自分であるとして、自身の「宣誓式典」を強行しようとしていたことだった。
 オディンガ氏は実際に1月30日にナイロビ市内の公園で宣誓式典を行い、オディンガ氏の熱狂的な支持者に祝福された。英BBC放送のネットでは、オディンガ氏が “people’s president” として宣誓したと報じていた。ケニヤッタ大統領にしてみれば、面白かろうはずもない。政権は宣誓式典を実況しようとしていた民放テレビ3局の放送を無期限停止する措置に出た。今のところ、懸念されている主要部族間の大規模な衝突には至っていないのが救いだが、ケニア政治の混迷は深まるばかりだ。友人は嘆く。「無益な権力闘争に明け暮れている間に、ずっと先を歩いている先進諸国との差はますます開くばかりだ」
                  ◇
 NHKラジオで毎日聴いている中国語と韓国語の初級講座が一昨年の夏秋に聞いていたものの再放送となっている。つまり、私が手探りで独学を始めた頃に食らいついていた講座が再放送されているのだ。のんびりとマイペースで学習している身にはそれでもまだ十分難解なところも多々あるが、一昨年に比べれば理解度は格段に上がっている。テキストを見ないで素で聴いていてもだいたい意味合いが分かる文章もたまにある。
 例えば、「他身体不太好,不应该喝酒。」という文章。「彼は体があまりよくないので、お酒は飲むべきではありません」という意味だ。中国語の発音を示す拼音(ピンイン)を私にはここで併記できないのが残念だが、こういう文章が流れてきた時、私にはその意味合いがすっと理解できた(と記憶している)。少しは力をつけつつある証左と呼べないだろうか。
 嬉しいのは再放送だから、テキストを新しく購入する必要がないことだ。今の初級講座は2月、3月とあと2か月続く。4月からは新しい講座がスタートするのだろうが、それまではたっぷり復習に精を出せる。
 NHKのテキストを購読するようになって気になっていることを一つ記しておきたい。それは「まいにち中国語」の読者の便りを紹介するコーナー「読者来信」に掲載されている読者の便りは本名をきちんと書いているケースが大半なのに対して、「まいにちハングル講座」の同様のコーナー「みんなの広場」では圧倒的に匿名希望の便りが多いことだ。どちらの講座も中高年の読者が多いような印象がある。投稿を読んだ際に、投稿者が実名か匿名かでは読後感が微妙に異なるように私は感じる。「まいにちハングル講座」で匿名希望が異常に多いのは、投稿者が韓国語を学んでいる事実を周囲の人々に知られたくないのだろうかと勘繰りたくさえなる。まさかそういうことはないだろうけど・・・。

「舌足らず」

 日本語の新聞を読んでいて、私の場合は読売新聞が主だが、時に「消化不良」に陥ることがある。特に国際面のニュースだ。自分がかつてそうした職場で働いていたからだろうが、もう少し、伝えるべき内容と「格闘」して、良質の記事を読ませて欲しいと願うのだ。
 最近ではニューヨーク発のグラミー賞の授賞式の記事がそれ。期待にたがわず、トランプ米大統領に異議申し立てする政治色の濃い式典となり、ヒラリー・クリントン元国務長官がトランプ政権の内幕を描いた暴露本を読み上げるビデオも上映されたとか。ヒラリー氏は「彼は長年、毒を盛られるのを心配している」などと読み上げ、会場からは大きな歓声が上がったという。
 それはそれでいいのだが、なぜ大きな歓声が上がったのか、この記事だけではよく分からないかと思う。私は前日に英BBC放送のネットで彼女が実際に口にした文章を読んでいた。思わず笑ったが、まあ、これくらいのブラックユーモアは許されるだろう。ヒラリー氏は大統領がファーストフッド(fast food)を偏愛している理由について語っていたのだ。
 “He had a longtime fear of being poisoned,” she said. “One reason why he liked to eat at McDonalds. No one knew he was coming and the food was safely pre-made.”
 彼女の言葉を少し長めに翻訳すると、「トランプ大統領は長年、毒を盛られることに恐怖感を抱いている。彼がマクドナルドを好む理由もまさにそこにあり、このファーストフッド店であれば誰もまさか彼が来店するとは思わないし、第一、売られているハンバーガーは前もって作られているから、毒を盛られる心配がないのだ」とでもなるだろう。
 新聞記事は常にスペースの問題を抱えている。いくら面白い記事でもニュースが立て込んでくれば、原稿は刈り込まれていく。それでも、記事のみその部分は最後まで残す必要がある。スペースに限りがあれば、他の部分を削ぎ落としてみそは絶対に残す。上記の国際面の記事では削ぎ落とせる箇所はたっぷりあるように見受けられた。残念!
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 もう一つ、読売新聞から。10年ぶりに全面改訂された岩波書店の辞典「広辞苑第七版」に、九州に馴染み深い言葉が収録されたとか。「はなれたり集まったりすること」を意味する「離合」だ。「列車や自動車がいきちがうこと」という説明が新たに加わったという。
 「離合」という語はとても使い勝手がいいと思う。狭いトンネルや林道の多い九州の山間部をドライブしていると、対向車がとても気になる。乗用車同士だったらまだしも、向こうが大型トラックだったりすると、「あ、あれでは離合できない!」と慌てたりする。九州(福岡)に転勤し、九州各県の山間部を取材のためレンタカーで走っていた時、大型トラックとの離合がなかなかできず、冷や汗をかいたことが幾度かある。
 だから私は「離合」は標準語だとずっと思っていた。とある温泉で入浴客が「九州(宮崎)では車がすれ違うことができることを離合って呼んでますね。面白い表現ですね」と話しているのを聞いて、初めて地域限定の語だと知った。この意味での「離合」は英語ではおそらく、pass each other か。As the road was wide, the two cars could pass each other.(道幅が広かったので、二台の車は離合できた=行き違うことができた)

大相撲も英語での時代

 大相撲は昔ほど熱心に見なくなった。日本人力士がだらしないのか、魅力ある力士がいなくなったからなのか・・・。初場所も時々、終盤の取り組みを見てはいたが、相撲ファンの期待を一身に集めている横綱稀勢の里のふがいない途中休場に興味はとっくに失せていた。ただ、平幕の栃ノ心の躍進は目を見張るものがあった。あの相撲を続けることができれば、大関も夢ではないだろう。
 日曜日の千秋楽は割と早い時間からテレビを見た。驚いたことが二つ。一つはNHKでも日英の二か国語放送が始まっていたこと。衛星放送の大相撲では以前から副音声で英語の放送が聞けていたが、地上波のNHKでも英語の放送を聞けるとは知らなかった。英語放送を担当していた英語ネイティブの話者が誰なのか知らないが、大相撲に結構詳しい人であることは間違いないようだった。終盤に喜劇的な4連敗を喫していた横綱鶴竜対これも不本意な成績の大関豪栄道の結びの一番を前にして、この英語ネイティブの人は「横綱が honorable と呼べる最低限の成績は少なくとも11勝」と語っていた。なるほど、小学生の頃からの大相撲ファンの私でさえ、そういうことはすっかり忘れていた。次の春場所以降も英語放送が聞けるようだと英語の勉強にも役立つはずと思った次第だ。
 もう一つの驚きは元大関照ノ富士の憔悴した姿。彼が大関に上がった頃は、私は照ノ富士は必ず横綱に駆け上がると思っていた。いや、誰もがそう考えたことだろう。それほど、照ノ富士は大きくて強かった。大関の座から陥落してからの取り組みは見たことがなかった。それで久しぶりに見た彼の姿は精彩がなく並の力士にしか見えなかった。英語放送では彼が糖尿病(diabetes)を患い、不振にあえいでいると紹介していた。今の照ノ富士からは muscle toneが感じられないと憂えていた。この語を耳にしたのは初めて。だが、何となく意味合いは理解できたような気がした。ネットで調べると、「筋緊張」という訳語が出てくる。要するに「筋肉の張り」ということだろう。確かに、彼の体からは「筋肉の張り」が全然感じられなかった。病が治れば、かつての照ノ富士が復活するのだろうか。私は彼のファンではないが、大相撲のために復活を願う。
                 ◇
 寒い日が続いている。情けないことに朝起きがつらい。それで日課としたいと考えていた朝の散歩をこのところずっとさぼっている。明日は早起きして朝の散歩だ!などと考えてベッドに入るも、翌朝はそんな意欲は失せている。私には日本人力士のふがいなさを口にする資格はないようだ。最近はプールからも遠ざかっている。こんなに長期間、プールから離れているのもかつてないこと。体重計が怖い。普段はいているジーンズは胴回りの部分がかなり「空き」があったが、その「空き」が凄く減ってきているのが実感できる。
 私は2月には体力を使う予定が一件、入っている。今のままでは危うい。他の人たちに迷惑をかける恐れもある。2月からちょっと頑張ろう。いや、明日からでもいいのだが、天気予報だと明日も冷え込みがきついみたいだ。せめて月替わりから。2月は私の誕生月だ。中国語だと天体の月は「月亮」。昔は「月」だけで良かったらしいが、今は2語だ。

松茸酒

 少し前に今年からたまには、縄のれんをくぐってもいいかなと書いた。まだそうしていないが。今月は正月明けに関西の旅で再会した人たちや実兄の家でほんの少しだけ飲んだに過ぎない。次は来月の誕生日を一人酒(焼酎)で祝うぐらいかなと思っていたら、釜石に住む古い知己、Sさんからお酒が届いた。
20180124-1516766900.jpg 箱を開けて見ると、何と日本酒に松茸が入れてある。そうだ、このSさんは松茸取りの名人で以前にも松茸入りの日本酒を贈って頂いたことがあった。Sさんにお礼の電話をかけて話しているうちに、無性にこの酒が飲みたくなった。日曜日だったので、朝酒ぐらいは神様も許してくれるだろうとグイっと一杯あおった。松茸の独特の香りがして美味だった。
 松茸酒はまだかなり残っている。残りは冷蔵庫で冷やしておいて、来月の誕生日に有難く頂くことにした。果たしてそれまで我慢できるだろうか。2回も週末をはさんでいる。なんだか段々ハードルが下がりつつ、いや下げつつあるような気がしないでもないが、この「ハードルが段々下がりつつある」は英字新聞の四コマ漫画で “The bar keeps getting lowered.”と表現できることを知った。我々には「ハードル」がぴったりくるが、英語ではサッカーのゴールでお馴染みのbar の方が好まれるようだ。
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 アフリカのニュースもネットでできるだけフォローしているつもりであるが、中国語・韓国語の独学を始めて以来、おろそかになっているかもしれない。そうした折、昨秋、福岡まで訪ねてきれくれたケニアのデニス君からメールが届いた。メールが届いたのは嬉しかったが、内容は心が重くなるものだった。
 ケニアの国政の現状を憂えるメールだった。ケニアでは昨年行われた大統領選でウフル・ケニヤッタ大統領が「再選」を果たしたと主張し、今月末に二期目の就任式典が行われる運びとなっている。しかし、野党陣営の対抗馬であるベテラン政治家のライラ・オディンガ氏は大統領選で不正があったとして、再選そのものを認めていない。野党陣営ではこのまま与党側が就任式を強行すれば、ケニアは内戦状態に突入すると警告しているらしい。デニス君はそのことを深く憂慮して、私にメールを送ってくれた。
 この政治危機の根底に流れているのは長年の部族対立。ケニヤッタ大統領は最大部族のキクユ族出身。オディンガ氏はキクユ族と対峙してきた有力部族のルオ族出身。ケニアに限らないが、アフリカの国々ではこうした部族対立が今もなおくすぶり続けているケースが少なくない。有力部族の代表がぶつかる大統領選で結果の公正さが問われると、積年の部族抗争が再燃し、幾多の一般市民が巻き添えで命を落とすパターンをもう何度、繰り返していることか。
 デニス君が書いてきた通り、月末の就任式までに与野党双方が妥協点を見つけ、武力衝突を回避する道を探って欲しいと心から願う。多くの邦人が住み、日本からのサファリ観光も根強い人気のケニアでまた惨劇が繰り返されるのは目にしたくない。さらに言えば、もし、ケニア発で流血の事態が報じられることになれば、日本人や国際社会が抱くアフリカのイメージはさらに悪化することになるだろう。何としても避けたい負の連鎖だ。

神様に感謝!

 関西から帰福直後からなぜか体調を崩した。風邪? 体温を測ってみる。36.4度。私は平熱が35.7度だから、36度台でも少々調子が悪くなる。大学の授業再開を翌日に控えた火曜夜は最悪だった。熱がある時のお決まりで、全然眠れない。いかん、少しでも眠らなければと焦るが、睡魔は一向にやってこない。風邪薬を探すが、生憎買い置きがない。困り果て、未明(何時だか覚えていない)すぐ近くのコンビニに走ってみたが、風邪薬は置いてなかった。子供だましの健康飲料を買い求め、悪寒に震えながら帰宅し、ベッドに潜り込んだ。
 翌日、体調不良のまま、髭もそらずに(それずに)大学に向う。不思議なのは食欲は落ちていないことだった。朝飯を抜いたので西鉄福岡駅のレストラン街でランチを食べた。教室では帽子とコートを羽織ったまま授業。こちらの「異常さ」が分かったのか、学生たちは「先生、大丈夫ですか。インフルエンザではないですか?」と尋ねる。「いや、風邪だと思う。ずいぶん昔にインフルエンザに罹った時は高熱でとてもこうやって授業などできなかった・・・」
 授業を終える頃は不思議と少し気分も良くなった。この日の翌日も別の大学で授業があり、何とか授業を済ませた。帰りの電車の中で体温を測って見ると、なんと38.4度。まずい、これはインフルエンザではないか。それにしてもおかしい。体調は良くないが、きつくてたまらないというほどではない。食欲もある。それでもさすがに病院に行かざるを得ない。最寄り駅からアパートまでの帰途に救急病院があるのを承知していた。駆け込んでみると、外来の患者はほとんどおらず、閑散としていた。
 まずはインフルエンザの検査。看護師さんに鼻腔に棒状のものを突っ込まれ、待つこと10分余。検査の結果、ネガティブだった。神様に感謝!きちんとした薬ももらったし、まずは一安心だ! いつもはちょっとした風邪なら「独力」で直していた。今回は大事には至らなかったが、「生兵法は大怪我の基」だと肝に銘じた。
                 ◇
 またまた、トランプ米大統領の暴言が物議を醸している。この人、本当に任期を全うできないのではないか。そうなって欲しいという気持ちも強い。もとから大統領の座にあるべき人物ではなかったのだと今さらながら思える。今度の発言はアフリカやカリブ海の途上国に対する暴言だ。トランプ氏はこうした国々をあろうことか “shitholes” と蔑んだと報じられている。読売新聞ではこの語を「クソだめ」と訳していた。大統領曰く、なぜ “shitholes” のところからでなく、「ノルウェーのような国々から移民がやって来ないのか」と。
 当然、いわれのない侮辱を浴びせられたアフリカの国々は怒り心頭だろう。アフリカ連合(AU)は早速、大統領に謝罪を求めたようだ。ジャパン・ニュース紙が掲載したAP電によると、大統領の暴言が出た場に同席した野党民主党院内総務のステニー・ホイヤー氏は「大統領の発言は人種差別的(racist)であり、恥知らず(disgrace)だ」と語っている。
 トランプ大統領は報道は事実を逸脱していると批判をかわそうとしているようだが、共和党は果たしていつまでこの loose cannon(何を言い出すか分からない人)を擁護し続けるのだろうか。

アサンテサーナ

20180108-1515396530.jpg 関西で三日間ほど過ごし、帰福した。予想外の出会いもあり、有意義なひとときだった。大阪ではKさんが仲間と定期的に集まっているスワヒリ語のグループのランチ会に飛び入りで参加させてもらった。大阪外語大(現・大阪大学)でスワヒリ語を学んだ人たちのグループだとか。
 スワヒリ語はケニアやタンザニア、ウガンダなど東アフリカで話されている公用語。私もナイロビ支局に勤務していた頃は英語で書かれたスワヒリ語の入門書を買って、少しだけ学習したことがある。母音が日本語同様、aiueoの五つしかなく、日本人にはとても取っつきやすい言語だったと記憶している。ナイロビに腰を落ち着けた日々が続いていたら、基礎は把握できたのではないかと思うが、アフリカ大陸を駆け回る記者稼業では無理だった。
 それでも挨拶程度の表現は今も覚えている。大学で英語を教えていて、スワヒリ語のことを話したいと思う時もないわけではないが、上記の入門書も転勤・引っ越しで今は手元になく、学生に語れるだけの材料がない。Kさんたちのスワヒリ語やアフリカにまつわる話に興味深く耳を傾けた。アフリカを代表する言語であるスワヒリ語が国際社会の中でプレゼンスを増す時代が到来して欲しいと願うが、現実は・・・。もっとも今の私は隣国の言語の独学でアップアップの状態だから、再びスワヒリ語にまで手を出す余裕はないが・・・。
                  ◇
 京都・亀岡には実兄が住んでおり、実兄の家を訪ね、久しぶりに色々話に花を咲かせた。私には3人の兄がいたが、長兄、次兄は難しい病気で相次いで黄泉の国に旅立っており、男兄弟は私たち二人切りになってしまった。残念至極だ。
 最後の日は芦屋にあるキリスト教の「子羊の群れ教会」に足を運んだ。このブログでも何度か書いたような気もするが、私は週末にかけ関西を訪れた際には、この教会の日曜礼拝にできるだけ行くようにしている。私のような者でもそこに身を置くだけで心が洗われる。教会を率いるピーターさんとも言葉を交わすことができた。実はピーターさん夫妻とは私が20歳の青二才で、アメリカのジョージア州に留学していた頃からの知り合い。当時、フィラデルフィアで布教していたピーターさんのことを耳にして、同じ日本人ならと厚かましくも訪ねて行き、二週間ほど居候させてもらった。私にとっては大恩ある夫妻だ。奥様の薦めもあり、礼拝で再洗礼を受けた後、奥様とレストランで楽しく食事して別れた。
 毎朝、本棚の上に飾った田舎の神社の御札に手を合わせている私は果たしてクリスチャンと呼べるのだろうかしら? とまあその辺りは許してもらうとして、教会がネットで流している日曜礼拝にはほぼ毎週アクセスして、耳を傾けている。夕食がほぼ出来上がる時には、英語と中国語、韓国語、日本語で神様(と亡きお袋)に感謝の言葉を述べるのが日課となっている。拙い感謝の言葉だから、とても人様に聞かせられるようなものではないが。
 そうした感謝の際には最後にスワヒリ語でも一言、付け加えている。“Asante sana.”(アサンテサーナ)。「ありがとう」という意味の表現だ。感謝の表現はどの言語も響きがとても良いように思われる。Thank you. 감사합니다(カムサハムニダ)に 고맙습니다(コマプスニダ)。谢谢(シェシェ)。ありがとうございます。

久しぶりに神戸

20180105-1515127241.jpg 正月が過ぎ、関西に来ている。まずは神戸。博多から新神戸までの新幹線の自由席は結構混んでいた。新神戸で下車する際、通路に立っている乗車客の間をすり抜けるだけで一苦労した。日頃暇人なのに混むのが分かっている時期に旅をせざるを得ないのは辛い。
20180105-1515127264.jpg 神戸でホテルにチェックイン後、三ノ宮駅の待ち合わせ場所へ。この夜はU先生とKさんと再会を約していた。旅先ゆえ手元に手帳がないので、最後に歓談したのはいつだったか分からない。この2年は会っていないような気がする。レストランでコースを注文した後、再会を祝して乾杯。前回は断酒中の身ゆえ、私はウーロン茶だったが、今回は晴れて酒を飲んだ。メニューから選んだのは「超辛口」と書かれた純米日本酒「播州一献」。まずまずの口当たりだった。
 英語学者ながらイスラムの世界に詳しいU先生。タンザニアで長く勤務した経験があり、スワヒリ語に精通しているKさん。中国語・韓国語を独学している私。言葉を巡る話題で大いに盛り上がった。U先生は農家の長男であり、大学教授の仕事を退官した今でも農業に従事しながら、イスラムの人名などについて精力的に著述を続けておられる。自分の家で食べるお米は自作しているとか。私から見れば理想的な人生を歩んでおられる。楽しい語らいの後はまた一年後の再会を訳して別れた。次はKさんの住む大阪で桜の季節か。
                 ◇
 大晦日から新年にかけ、アパートで一人で過ごしたため、これはいい機会とケーブルテレビで放送している年末年始の中国語と韓国語の番組を沢山見た。日本なら新年の特番が目白押しだから中韓もさぞかしと思いきや、特段のことはなかったように見受けられた。中韓ともに我々が祝う新暦の新年よりも旧暦の正月、いわゆる春節の方が賑々しく祝われるもののようだ。
 中国語の番組で印象に残っているのは、あの毛沢東主席が台頭する日中戦争の時代を背景とした戦争ドラマ。私が見たシーンでは日本兵の狂気的な残忍なシーンは幸いにしてなかったが、伝え聞くところではそういうシーンを満載したドラマも少なくないとか。なるほど、幼児の頃からそういう戦記物を繰り返し目にしていたら、彼らの対日観はかなりいびつなものとなるだろう。複雑な思いをしながら、ドラマの筋を追った。
 それで思い出したのは、子供の頃に見たアメリカの戦争物のドラマ。タイトルも内容もよく覚えていないが、とにかくナチスに率いられたドイツ兵が愚鈍極まりなく描かれていた。もちろん、日本語の吹き替えで見たのだろう。子供心に面白かったことだけは覚えている。ひょっとしたら、20歳でアメリカに留学していた頃に見たドラマと記憶がダブっているかもしれない。いずれにせよ、そうしたドラマを見て大笑いしても、ドイツ人一般に対するイメージが悪化したことは決してない。あくまでドラマとして見ていたからだ。
 それでは今、現在進行形で日本兵の非道な振る舞いをテレビで見ている中国の子供たちは日本にどういうイメージを抱くのだろう。両親や親戚が「爆買い」とともに持ち帰る日本の土産話を好意的に受け付ける余地があるのだろうか。「ドラマと現実は別の世界」と理性的に受けとめてくれることを心から願う。

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