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英語でさるく 那須省一のブログ

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国立ハングル博物館へ

20191019-1571492565.jpg 旧知のP、Jさんと会食した翌日、Jさんの職場があるプレスセンターを訪ねた。その前にランチを食べようと思った。目の前をお昼を食べ、仕事に戻るといった感じのサラリーマンらしきグループが横丁の通りから出て来た。都市部ではどこでも見る光景だ。その横丁の通りに美味くてリーズナブルの食堂が何軒かあるのだろう。そう当たりを付けて横丁に入る。あった、らしき食堂が。おばちゃんが何を食べるか尋ねるので、「ビビンバ」と答える。
20191019-1571492599.jpg アサリのビビンバが出てきた。どうもしっくりこない。目の前に醤油のような瓶がある。おばちゃんに目で質問すると、そうそう、それを少しご飯に垂らしてよく混ぜて食べるのよ、との感じ。そうしてみたら、本当に美味くなった。幾皿か出てきた小皿の総菜も含めて完食。納得の8,000ウォン。
 Jさんと懇談した後、辺りをちんたら歩いていたら、遠くに銅像が見えた。どうもハングルを創設したあの世宗大王の銅像のようだ。世宗大王の銅像があるからにはハングルの歴史を紹介した博物館があるに違いない。
20191019-1571492645.jpg ソウルに発つ前に公民館の中国語講座で学んでいる人から国立ハングル博物館という場所があり、無料で入館できると聞いた。韓国語上達の願をかけるために、ぜひそこに足を運ばねばと思っていた。私は事前に入念にチェックすることは怠る性分。一人旅だから許されることだと承知している。
 世宗大王の銅像のところまで歩いた。実に堂々とした銅像だ。近くに博物館らしき大きなビルが幾つかあったので訪ねたが、どうもハングル博物館ではないようだ。係員の女性が私の来訪の意図を理解して、丁寧に目指すべき場所を地下鉄の駅名を含めノートに書いてくれた。この間のやり取りは何とかほぼ韓国語で済ますことができたのが嬉しかった。小人は些細なことにも喜びを見いだすのだ!
 ただ、この日(金曜)はもう午後も遅い時間帯だったので、明日(土曜)に行くことにしてホテルに戻った。土曜は朝に荷物を受け付けに預けることになっている。荷物といってもキャリーバッグに洗濯物を詰めたレジ袋一つだけだが。
 土曜朝、多少二日酔い気味で最寄りの地下鉄駅に向かう。昨日夜は最初の夜に行った屋台で焼酎を飲んだ。たいした量ではないのだが、ソウルに来て以来、毎晩飲んでいるので、普段は飲まない自分には少し焼酎疲れかもしれない。ホテルで朝にシャワーを浴びてもあまりすっきりはしなかった。
20191019-1571492689.jpg さて、ようやくたどり着いた国立ハングル博物館(국립한글박물관)。地下鉄の二村(이총)駅で下車して地上に上がると、凄くいい天気だった。まさにうららかな秋日和。これだけで幸せな気分に浸れる。博物館の周辺は散歩道や木立が広がっており、芝生の上では家族連れや年配の人たちが弁当を広げてピクニックのような雰囲気だ。実にのどか。
20191019-1571492726.jpg ハングル博物館に入館してハングルの歴史を紹介したビデオや展示物を見た。朝鮮王朝の第4代王、世宗大王(在位1418-1450)が1443年に創設したハングル文字の凄さについて考えさせられた。我々の祖先は日本語から漢字を捨てなかったことを考えると、思いは複雑だ。それについてはまた項を改めて書きたい。

南大門市場

20191018-1571358274.jpg 一夜明けてフロントで来週月曜までの宿泊代金を一括で払う。金土日は代金がアップするが、再度のホテル探しも難儀だからOKする。そして土曜日だけは朝に荷物をまとめてフロントに預けることも承諾する。それぐらい、どうということもない。
 木曜朝、真っ先にやったことは前日にホテル探しに面倒をかけた駅のトラベルサービスで働く女性二人にお礼のお菓子を渡すこと。喫茶店で買い求めたクッキーを手渡した。気は心とかいうではないか。凄く喜んでくれた。
20191018-1571358321.jpg この日は夕刻に韓国人の友人2人と再会する以外は予定がない。とりあえず、ソウル駅にまで出かけてみることにした。そこからソウルを代表する市場と言われる南大門市場に行くことにしよう。ソウル駅の周辺を歩いていて高いところにある通路のようなものが目についた。あそこから眺めればいい景観が楽しめるのでは。それで上がって見た。確かにソウル駅周辺のいい景色が眺められた。通路そのものも植栽が豊かで見事な盆栽も置いてある。空中庭園といった感じだ。こんな粋なもの、昔からあったのだろうか?
20191018-1571358367.jpg 観光案内所みたいなボックスがあったので、のぞいてみる。係員のような女性が一人いた。尋ねてみると、一昨年にできたものだという。元は高速道路の橋梁だったとか。その道路が老朽化したのを契機に遊歩道として生まれ変わったのだという。元の道路が完成したのが1970年。遊歩道として再生したのが2017年。それで遊歩道のあちこちに since 7017 という告知があったのがようやく理解できた。最初は7017って何のこと?と思いながら歩いていたのだ。
20191018-1571358416.jpg 歩き疲れてランチは南大門市場の中にある食堂街の店をのぞいた。狭い通路に美味そうな品々が並んでいる。胃袋がいくつあっても足りないだろう。感じの良さそうな一軒に入り、キムチチャーハンを注文する。びっくりするような美味さではなかったが、まずまずの味。スープとお惣菜もほぼ完食。リーズナブルな6,000ウォン。
20191018-1571358454.jpg その後もちんたら歩き、カフェを何軒か利用して、夕刻、約束の地下鉄駅に向かう。ソウルは地下鉄が充実しているが、乗り継ぎ駅が実に難解。私だけ? 約束の時間に遅れないように気を遣った。この夜再会したのはもう何十年前になるか、中東のイラクでサダム・フセイン大統領がまだ君臨していた頃、日本人を含む多くの外国人が米軍の爆撃を阻止するための人質となった事件を取材するために、首都バグダッドで会った韓国人の元記者2人だ。2人とも少し私の年下でまだ現役の身だ。
 Pさんは今は大学で経済学を教えている。Jさんはメディアの全国的組織の要職にある。私はバグダッドで取材をした当時の記憶は薄れている。記事はスクラップとして残していない。当時パソコンがあればどれほど良かったことだろうかと思わざるを得ない。ブログもあったら折々の思いを綴ることができただろうに。Jさんは出会いが1990年の9月だったと明確に覚えていた。そうだ。90年9月だった。30年ほど前になる。バグダッドのホテルの私の部屋で彼ら韓国の取材陣と語らい、酒を飲んだことは覚えている。
 この夜の話題はいつしか年金のことにも及んだ。第二の人生をどう過ごすかということにも。韓国語で語らいたかったのだが、やはり英語で語り合うしか手はなかった。残念!

久しぶりのソウル

 疲れた。久しぶりのソウル。前回のソウル訪問の記憶はほとんど残っていない。だからソウルでは全くのstranger と言える。第一、仁川国際空港に到着して、入国審査を受けるために電車に乗りターミナルを移動しなければならないことに面食らった。
 入国審査を終え、空港で日本円を韓国ウォン(₩)に取りあえず両替。2016年3月には福岡の銀行で両替したレートは1¥=9.30₩だった。今回、仁川空港での両替のレートは1\=10.13₩だった。少しだけ「日本円が得する」か。ほぼ1,000円=10,000ウォンの計算でいいようだ。両替後、スマホを使うためにルーターを借りようとしたが、台北に比べ割高のような気がして、スマホを使う機会もないので、今回は借りるのをやめた。ホテルかどこかでパソコンのメールを確認して、ブログをアップすることさえできればハッピーだ。
 仁川空港から電車に乗った。1時間ほど乗車して、弘大入口駅に着いたのであてもなく下車した。もう少し乗っていれば、ソウル駅に到着することは分かっていたが、ガイドブックにこの駅の周辺が載っていたので、何となくこの辺りで安いホテルがあるのでは目論んだのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。
 例によって犬も歩けば棒に当たる式で周辺を歩き回り、ホステルの看板が目に飛び込んできたなら、一人部屋があるかと尋ねた。なぜかどこも満杯。料金を尋ねると、一泊7万ウォン(約7千円)で週末には倍額と宣うではないか。いや、それなら、普通のホテルをあらかじめ予約しておけば良かったと悔いた。
 弘大入口駅内にトラベルセンターという観光案内所があり、そこに引き返して相談した。若い女性2人が勤務していたが、一人は日本語が堪能でいろいろとパソコンで適当なホテルを探してくれた。私はひと頃よく尋ねた釜山では確か4万ウォンの安ホテルを常宿にしていることを覚えていたので、何とかその辺りのレートを考えていたのだが、上記のように若者が利用するホステルからして私には手が出せそうにない価格。
 結局、彼女たちの苦労の甲斐あり、地下鉄で一駅離れただけの近場に4万ウォンの安いホテルを見つけることができた。一人が直接電話をしてくれた。日本では外国からの観光客に、しかも何の準備(予約とか)もしていない、いい加減な訪問者にこのように懇切丁寧に応対してくれるものだろうか。深く感謝した。
 さて、道に迷い迷いしながら、通行人にも何度か尋ねたりして、目指すホテルにたどり着いた。土地勘もないのでよく分からないが、どうもラブホテルの一角にあるそういうホテルのようだ。困ったことに受付にいた中年のご婦人に英語が全く通じない。もちろん日本語もだめ。私の韓国語のレベルでは込み入った話はできない。入室してみたら想像以上にきちんとしていた部屋だったので、来週月曜まで連泊したいと言ったら、喜ぶかと思っていたら、困った顔をするではないか。OKはしてくれたものの、日中は荷物を出してくれというようなことを言っている。ははーん。ショートのカップルに部屋を使わせたいので、日中は部屋を空けろということかと推察した。
 その夜、ホテル近くの屋台で焼酎とイカ焼きなどを食した。相席した人と日本語に韓国語を交え、楽しく会話していたら、離れたテーブル席にいた男性客から私に向かって罵声が飛んできた。

“a minor miracle”

20191014-1571035774.jpg ラグビー・ワールドカップの熱狂がさらにボルテージを上げている。むべなるかなだ。日曜夜のゲームは私も少なからず興奮しながらテレビで見た。アイルランドに勝利したのはともかく、負ければグループリーグでの屈辱の敗退が決まるスコットランドは必死になって攻めてくるだろう。体力と底力に優るラグビー伝統国のスコットランドを破るのは並大抵ではないだろうなと思っていたが、堂々と力で押し切った。
 私はラグビーには詳しくない。ロンドンで暮らした3年間、観戦に足を運んだこともないし、BBCが放送していたラグビーの本場のゲームも熱心に見た記憶はない。日本の代表チームが当時は逆立ちしてもイングランドやスコットランド、ニュージーランドなどの伝統国に勝てないことも影響していたのだろう。それが今や、ワールドランクで7位にまで上昇するほどになっている。
 月曜朝、BBCのホームページをのぞくと、日本代表を称賛する表現があふれていた。台風19号の惨禍を克服しての国を挙げての勝利とうたっていた。実施が危ぶまれていたゲームが行われたこと自体が “a minor miracle” (奇跡に近い至難の業)であると述べ、その上スコットランドを破ったことは “A huge moment for this incredible country” (この驚くべき国にとって胸を張れるひととき)と称えている。記事を抜粋して紹介すると・・。
 After a horrendous Saturday that brought death and destruction, it was a minor miracle the game went ahead in the first place, a roaring tribute to the people responsible for clean-up after Hagibis battered this area 24 hours earlier.
 When they turned over that last Scottish raid the acclaim of the home support was deafening. A huge moment for this incredible country, a huge moment for this World Cup. Scotland are heading home. Japan? Who knows how far they're heading. Further than they've ever gone before, that's for sure.
 日本代表の次のゲームは20日の準決勝進出をかけてアフリカの強豪、南アフリカとの一戦。私はソウルにいる。ホテルの部屋でも観戦できるだろうか。まさかどこかお店で実況中継を流してなどいないだろうなあ。日韓関係では寒風が吹き荒ぶ時期だけに。
                 ◇
 韓国語の学習。NHKラジオの初級講座は母音や子音をやっている。だいたいは聞き流すことができる。中級はそうはいかない。何度もテキストを読み返している。本日は「こういうときは、どうすべきでしょうか」という助言を求める場面でのやり取りが出てきた。「이럴 땐 어떻게 해야 되죠?」(イロル テン オットッケ ヘヤ テジョ?)。これなど、ソウルの旅先で使えそうな表現に思える。先方の返答の内容を理解するのは一苦労だろうが、ゆっくり話してもらえれば少しは会話が成立するかもしれない。
 私は上記の文章は目で見れば、何となく分かる。問題はこういう文章がさっと頭に浮かび、口にできるかだ。そしてこの表現をさまざま場面で応用できればいいのだが、それはどうも・・。そうできれば私にとって “a minor miracle” だ。

台風に再び思う

20191013-1570967528.jpg 台風19号が大きな爪痕を残して去った。私の住む九州は被害を免れたが、首都圏を中心とする東日本では記録的な豪雨に見舞われ、多くの人命が失われたようだ。それにしても、河川の水が堤防を越え、住宅地に流れ込み、家屋の浸水をもたらす水害の類は何とか事前に手を打てないものだろうかとつくづく思う。
 英BBC放送のホームページ上では台風19号(Typhoon Hagibis)による惨状がトップニュースで報じられていた。自衛隊が出動して取り残された住民を救助する活動の写真が掲載されていたが、大きな台風が来るたびにそうした写真を目にするのは、自然災害に弱い都市、即ち災害に無力の日本というイメージを国際社会に定着させることになる。
                  ◇
 大リーグ。ナショナルリーグは日本人選手所属のチームが消えたので関心も消滅。アメリカンリーグは田中マー君のニューヨークヤンキースが残っているので応援継続。日曜日朝(現地は土曜夜)アリーグのチャンピオン決定シリーズとなるプレーオフ第2弾が始まった。ニューヨークヤンキース対ヒューストンアストロズ。絶対的エースを2人も抱え、猛打が売りのアストロズはこの後に続くワールドシリーズ制覇の下馬評も高い。対するヤンキースの第一戦の先発を託されたのはマー君。
 マー君が初回からポカスカ打たれるのではないかと案じていたが、制球よく投げていた。三振を取るよりも打たせて取る巧みな投球。味方の好守にも助けられて5回を1安打無得点で抑え、チームは6回表を終えた時点で3対0でリード。しかし野球は6回以降が勝負だ。私はこの日、英語教室のある日だったので、後ろ髪を引かれる思いで自宅を後にした。
 教室を終え、スマホで確認すると、マー君は6回裏も抑え、1安打4三振の好投でマウンドを降りていた。まずは文句なし。できればせめてもう一回、7回までは投げ切って欲しかった。球数はわずか68球。ブーン監督が第1戦を何としても勝利するため、石橋を叩いて渡る思いで早めの投手交代を決断したのだろう。ヤンキースはアストロズと異なり、先発投手陣は弱いが、中継ぎ、抑えのいわゆるブルペンは大リーグ一とも称されている。
 この日、結局ヤンキースは打線がその後も追加点をあげ、7対0で快勝した。マー君はプレーオフ第1弾でも勝ち投手となっており、10月のプレーオフシーズンに強い評価をさらに上げた。今プレーオフは7戦4勝制。もう一戦投げることを求められることになる可能性大だ。マー君は不調な時期には手厳しいヤンキースファンから「高い買い物」と揶揄されることもあったが、今は評価が一変しつつある。ワールドシリーズまで駒を進め、さらに活躍すれば、そうした雑音が一掃されることは間違いない。
 ヒンチ監督は次のように評している。“That’s probably the best that we’ve seen him in a small sample to execute his game plan, his pitches, his tempo,” Astros manager AJ Hinch said. “Just about everything was working for him. He was just really, really good tonight.” (「彼と対戦したことは多くはないが、狙い、投げる球、テンポなどおそらくこれまででベストの投球だったと言える。すべてが彼のプラスに働いていた。彼は今夜、本当に本当に良かった」)。敵将にかくも褒められるとはマー君も悪い思いはしないだろう。

That's batshit crazy!

20191010-1570711005.jpg シリアを中心とした中東情勢が緊迫している。発端はトランプ米大統領がシリア北部にクルド人勢力とともに展開していた米軍の撤収を表明したこと。クルド人勢力に敵対するトルコ軍の軍事作戦に道を開くこととなり、シリア北部への空爆や砲撃が始まった。
 米国はこれまでクルド人勢力を支援して、イスラム過激派組織「イスラム国」の掃討に当たってきた。今回の米軍の行動はクルド人勢力への裏切り行為に当たるのではないかと、米国の与党共和党内からも反発の声が上がっている。このニュースをフォローしていて、オバマ前政権で安全保障担当の補佐官を務めていたスーザン・ライス氏がトランプ大統領のこの方針を「支離滅裂」と非難しているニュースが目に入った。見出しでは “This is bats**t crazy” となっていた。おそらく英語でいわゆる four-letter word と呼ばれる、あまり公然とは口にできない卑猥な語だと推察がつく。本文を読むと、batshit と出ていた。batshit crazy という語彙は私の辞書には掲載されていない。ネットで調べると、「支離滅裂」とか「常軌を逸した」といった意味のようだ。unbelievably crazy といったところだろうか。
 トランプ大統領の方針はこれまで米軍と一緒にイスラム国打倒のために戦ってくれていたクルド人勢力が武力に優るトルコ軍の攻撃にさらされるのを黙認する行為に他ならない。ウクライナ疑惑から弾劾訴追の動きが加速しているトランプ大統領に対する非難の声はますます大きくなるだろう。国際政治の場から早く退場して欲しいと願う声も勢いを増すのではないか。異国の指導者が米大統領の苦境に我が利ありと無法な蛮行に出ることがないことを祈りたい。
                 ◇
 勝負の世界は非情、ということを改めて実感した。プレーオフが佳境を迎えている大リーグ。ナリーグでは木曜日(現地では水曜日)リーグチャンピオン決定シリーズに出場する2チームが決まったが、何と、前田健太投手の所属するロサンゼルスドジャースはワシントンナショナルズに信じ難い逆転負けを喫し、プレーオフから敗退した。2勝2敗で迎えた最終戦、ドジャースは有利なホーム球場にナショナルズを迎えた。1、2回に好調な打線が計3点を挙げてリードした時には、これでプレーオフの勝ち上がり確実と多くの人々が思ったことだろう。
 私は木曜朝からずっとこの試合を見ていた。7回を終わって3対1でドジャースがリード。お昼過ぎに用事があったので出かけた。中継ぎに回った前田君も控えているし、まあ勝つだろうと思っていた。用事を済ませて帰宅すると、何と痛恨の逆転負け。しかも、救援した大エースのカーショーが8回に2本のソロホームランを浴びて同点とされ、延長10回表には別の投手が満塁ホームランを打たれ、裏を完璧に抑えられ、7対3でゲーム終了とは。
 前田君はカーショーの後を引き継ぎ、3者三振の見事な投球を見せていただけに、ベンチの采配ミスではと思わざるを得ない。レギュラーシーズンではドジャースはリーグトップの106勝を挙げ、ワイルドカードから勝ち上がってきたナショナルズは93勝に過ぎない。それでもリーグチャンピオン決定シリーズに出場する権利を獲得したのは伏兵ナショナルズだった。ドジャースファンには悪夢のような試合だったことだろう。残念! 

벼락 공부(一夜漬け)

 来週半ばからの韓国の旅が迫ってきたので、韓国語の学習に力を入れている。手にしているのはNHKラジオで現在放送中の韓国語中級レベル「レベルアップハングル講座」のテキスト。この講座は最初の放送は2015年秋のようだが、私は昨年1-3月に初めて聴講したので、今は2回目。私には結構難しいと思われる文章も出てきたりしているが、ソウルで韓国語を使う際に大いに役立ちそう。 
 韓国語の独学を始めて以来、これまで釜山には何度か足を運んでいるが、手ごたえを感じたことは皆無に近い。今回は少しは違うのではないかと期するところ大だ。そう期待するのはこれまでの釜山の旅では身につけていなかった韓国語の表現が幾つか理解できるようになっていることだ。
 例えば、「~のようです」「~みたいです」というマイルドな言い方は以前は全然できていなかった。そこまでは手が回らなかったと言うべきか。今は「~같아요」(カッタヨ)と言えば、そういう意味合いを表現できることを承知している。「明日は雨が降りそうですね」ならば、「내일은 비가 올 것 같아요.」(ネイルン ピガ オル ゴット カッタヨ)で大丈夫なようだ。これくらいはテキストやメモ帳を見ないでも何とか口にできるかなと思う。
 また釜山の旅では「今日は街を散歩するつもりです」という文章ならば、これまでは「산책할 생각합니다」(サンチェックハル センガク ハムニダ)という固い表現しか知らなかったが、今は「산책할 거예요」(サンチェックハル コエヨ)という言い回しを習得した(と思っている)。
 自信はない。できるだけ英語(日本語)に逃げないで、精一杯韓国語をしゃべり、聞き、力にしていこう。そうでないと、費やす時間とお金がもったいない。
                 ◇
 また、大きな台風が日本に向かっている。九州には向かってこないように、ネットで気象衛星画像を見て、念を送っていたが、関東圏に上陸しそうな雲行きだ。千葉県は先の台風で大きな被害が出たばかり。猛威を振るわず、さっと過ぎ去るように祈り、念を送っている。
 日本で開催中のラグビー・ワールドカップも盛り上がっているが、大リーグもプレーオフの熱戦を展開している。田中マー君のいるニューヨークヤンキースは第一関門を順調に勝ち上がり、アリーグの優勝決定シリーズに駒を進めた。前田健太投手のロサンゼルスドジャースは明日のゲームに勝てば、ナリーグの優勝決定シリーズに進むことができる。日本人ファンの理想はヤンキース対ドジャースのワールドシリーズだ。
 マー君がアリーグの優勝決定シリーズ進出へ先発勝利で貢献した先日の試合後に、同僚の強打者アーロン・ジャッジが次のようにマー君のことを称賛していたのが印象に残っている。“He’s an artist out there. Every postseason he always has a special game.” マウンドでの力投をアーチストと形容されるとは頼もしい。つい最近、大リーグのホームページ上でマー君のことを Masa-hero とユーモラスに呼んでいたのを思い出す。こうした言葉遊びはネイティブスピーカーでないと思いつかない。両親が彼を「将大」と名付けた時に、海の向こうでいつかMasa-hero と称えられるとは想像しなかったことだろう、きっと。

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