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英語でさるく 那須省一のブログ

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ジヨで十分じ・よ!

 東京都に初の女性知事が誕生した。先輩知事の石原慎太郎氏は選挙戦中に小池百合子氏のことを「大年増の厚化粧」と悪態をついたらしいが、まあ、コメントにも値しない下品な言い草だ。これではどこかの国で信じ難い破廉恥な発言を繰り返し、物議を醸している大富豪の大統領候補と大差ない。
 多くの国で女性が「ガラスの天井」(glass ceiling)を打破しているのは良いことだと思う。主要国で見れば、ドイツは人気に陰りを見せない安定感抜群のメルケル首相。イギリスはブレグジット(Brexit)の余波で瓢箪から駒が出る形で就任したメイ首相。今秋の大統領選で意欲満々のヒラリー・クリントン氏が選出されれば、米英独の3首脳が女性となる。日本で女性首相が生まれるのはまだまだ先のことだろうが、首都東京の顔に女性がなったことで、女性の社会進出が一段と加速定着することが期待される。
 海外のメディアでもこのニュースは大きく報じられていたが、いささか取材(確認)不足のものもあったようだ。例えば、米ワシントン・ポスト紙(ネット版)では、Although turnout was low at about 27 percent, voters overwhelmingly backed Koike, a onetime television news anchor who speaks English as well as Arabic, which she learned as a student in Egypt. と伝えていた。この都知事選の投票率が60%近かったことは周知の通りである。
 次のような文章もあった。Koike will have to get to work quickly. She’s due in Rio de Janeiro for the opening of this year’s summer games, which open Friday. She is set to serve a four-year term running up to the 2020 games. 小池新都知事がリオに駆けつけるのは開会式ではなく、閉会式だ。
                 ◇
 韓国語を学んでいて、語感が日本語と似ているなあと感じることがある。それは日本も韓国も中国の漢字文化圏に属しているのだから当然と言えば当然のことであるが、漢字とは離れたところで、例えば、語尾のところでそう感じることがある。例えば、「・・・」という表現。これは日本語だと「~だろ」という感じかと思う。韓国語では「パンマル」と呼ばれる「ため口」で、礼儀正しい言い方をする時には「・・・지요ジヨ」となる。
 なぜ、この「지」にこだわるかと言えば、我が宮崎では語尾に「・・じ」と言う人たちがいるからだ。県庁所在地である宮崎市の人たちだ。40年以上前のこと、宮崎大学に入学して、県内外の学生と初めて触れ合った時のこと、私には宮崎市内出身者が例えば「それは俺のやじー」(それは俺のものだよ)などと言うのが強く印象に残った。私の出た西都市ではこういう「じー」という語尾は聞いたことがなかった。それで、韓国語の「ため口」でこの「・・・지」に出合うたびに、不思議な懐かしさを覚えてしまうのだ。
 今月末に久しぶりに釜山を訪ねる予定だが、私がこの「・・・지」を実際に使うことはないだろう。何しろ「ため口」だからだ。よほど親しくない限り、口にすることはないと思う。それでないと相手に「この男、無礼な人だ」と思われてしまうだろう。逆に言うと、早くこういう物言いができる親しい友人ができるといいのだが、この年になるとそう上手くは運ばないだろうことぐらい承知している。私は当面は「・・・지요」で十分だ。

回文とは異なるが・・・

 先週の金曜日。また中洲の歓楽街を歩いた。人恋しくなったわけではない。高校時代の同級生から暑気払いでもしようとメールがあったからだ。それで落ち合うのに便利の良い中洲で落ち合った次第。先週のぞいたお店にまた足を運んだが、生憎予約客で満室とか。それで友人が行ったことのある西中洲の小料理屋に行った。
 久しぶりの再会だった。先週末にも少し飲んでいるので、この夜は勘弁してもらい、もっぱらウーロン茶をあおった。彼が美味そうに生ビールを干すのを見ても気持ちがざわつくことはなかった。ささやかな宴の最中、連絡が遠のいた同級生O君の話になり、O君の携帯に電話。O君は定年退職後はどうやら好きなゴルフを中心にした優雅な生活らしい。電話に出たO君は「那須君、君のブログたまにのぞいているが、俺には難しすぎて・・・」と宣う。
 英語に加え、最近は韓国語、中国語の雑学的要素も加わった。まあ、私には「備忘録」的なブログだから、O君、許してたもれ。別に気取って書いているわけではない。私にはそれでも同級生のO君がブログをたまにのぞいてくれているだけで嬉しかった。
                 ◇
20160801-1470018219.jpg O君には悪いが、英語に関する記述が楽しみという「読者」もおられるようなので、いつも読んでいる米インターネット新聞「ハフィントンポスト」の記事を紹介したい。これは何とも興味深い漫画(cartoon)だ。
 この漫画を読んで最初に頭に浮かんだのは日本語の「回文」という、上から読んでも下から読んでも同じ文意になる巧妙な文章だ。この漫画の文章の面白さは普通に読むと左のドナルド・トランプ氏の主張となるが、逆から上に読み上げていくと、右のヒラリー・クリントン氏の訴えとなるというもの。文章を区切る句点(ピリオド)がないところがみそか。
 トランプ氏の主張と思って普通に読み進めれば、“It’s getting worse. So don’t try to convince me that the future is bright in America because, when you take a closer look, there’s anger and hate, even if it’s not who we are as a nation. But you should be scared (of) crime, terrorists, illegals. We need to do something. Believe me, fear is greater than hope. Because we can’t be optimistic and you’ll never hear me say America needs bridges not walls.”
 ヒラリー氏の主張と思い、下から逆に読むと、“America needs bridges not walls. And you’ll never hear me say we can’t be optimistic, because hope is greater than fear. Believe me, we need to do something. Crime, terrorists, illegals. You should be scared. But it’s not who we are as a nation, even if there’s anger and hate. Because, when you take a closer look, the future is bright in America. So don’t try to convince me that it’s getting worse.”
 しばし考えさせられた。これは何を意味するのか。考え方の出発点が異なるということか。それとも庶民とはかけ離れた階層に属す二人の主張には所詮大差がないということか?

ヒラリーの決意

 暑い。大学の前期最後の授業。最後だから珍しくスーツを着て、駅から大学へ歩く。すぐに汗びっしょり。サラリーマン時代には毎日こんな苦労をしていたのか。遠い記憶。この日朝足を通したズボンはお腹回りがぎりぎりだった。もう少し普段の運動の負荷を増やさないといけなそうだ。悲しくなる。
 郷里の先輩のメールでらっきょう酢にハーブを入れているとあった。そうか、そういう手があったか。よし、スーパーに行き、ハーブを買い求めることにしよう。それをゴボウ、ニンジンの瓶とゴーヤのタッパーに入れてみよう。どんなに香しいピクルスに変貌することだろうか。今から楽しみだ。お腹回りの引き締めにも役立ってくれるといいのだが・・・。
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20160729-1469764532.jpg 米民主党の党大会。この国の歴史上初めて主要政党の大統領候補となったヒラリー・クリントン氏が受諾演説を終えて閉幕した。女性に対する壁としてはおそらく世界で最も強固なものの一つであろう「ガラスの天井」を打破したヒラリー氏。彼女のスピーチを端的に表現すると、アメリカをさらにより良い国にしようという “a strong commitment”(強い決意)だろうか。党大会会場のフィラデルフィアが舞台となった独立宣言起草の歴史に言及しながら、先人は小異を捨てて団結し、世界中の国々がモデルと仰ぐ国を育んできたのだと訴えた。共和党候補のドナルド・トランプ氏が豪語するように一人の個人の力で変革はもたらされるものでもなく、“We are stronger together.” と国民の融和の大切さを強調した。
 私には前日にジョー・バイデン副大統領がヒラリー氏を激賞したスピーチも印象に残っている。彼はトランプ氏を痛烈に批判した。例えば次の文章。“He’s trying to tell us he cares about the middle class. Give me a break. That’s a bunch of malarkey.” 私は最後の語は初めて耳にした。電子辞書を引くと、「たわごと」(nonsense とか silly things)と載っている。「トランプ氏は自分がミドルクラスの人々を大切に思っていると私たちに信じさせようとしているが、冗談も休み休み言ってもらいたいものだ。彼の言っていることはたわごとのオンパレードだ」ぐらいの意味合いだろうか。
 アメリカに帰国した私の恩師によると、このmalarkeyという語は彼が若い時には何度か耳にしたことがあるが、今ではすっかりすたれた語彙で、こうした語を使うと、揶揄の対象となる可能性がある。しかし、労働者階級を含めたミドルクラスを代表するバイデン氏がこの語を使っても誰も彼を揶揄ったりすることはないだろう。それは彼がこの語を堂々と使う資格があるからだという。なるほど。バイデン氏はそういう人物だったのだ。
 ところで、上述の通り、昨日は前期の最後の授業。前期は私の力不足からか、学生からはあまり手応えが感じられず少々がっかりしながら、大学のロビーでスクールバスを待っていた。学生が一人近づいてきて、「先生、私のこと覚えていますか?」。去年教えた成績の良い学生だった。彼女は最近洋画を見ていて、登場人物が “Give me a break!” と叫ぶシーンで私のことを思い出したという。彼女が受講していた講座では何度もこの表現を説明していた。強烈な不満や時に憤りを口にしたい時の口語表現だと。「先生、あ、あの表現だとすぐに分かりました」と彼女は嬉しそうに語った。私も嬉しく思ったのは言うまでもない。

屋根が抜け落ちるほどのスピーチ

 サブリミナル効果からか、韓国語ドラマの食事場面に誘われたかのように、コンビニでカップラーメン(라면)を買ってしまったことを書いた。一か月ほど前のことだ。特売コーナーにあって、229円のものが180円となっていた「博多とんこつラーメン大盛」。
 このカップラーメン、ずっとテーブルの上に置いていたのだが、本日お昼過ぎ、遂に熱湯をそそぎ食した。昼は抜くことが多いのだが、たまにはいいかと開封した。この暑さなので汗をかきかき・・・。味はまあまあだった。でも、また買って是非食べたいという類のものでなかったことも確かだ。
                 ◇
 ヒラリー・クリントン氏が有力な大統領候補として脚光を浴びる米民主党の党大会が東海岸のフィラデルフィアで開幕し、ヒラリー氏が正式に指名獲得にこぎつけた。CNNテレビの生放送からも大会会場の熱気が伝わってくる。
 初日にはファーストレディーのミシェル・オバマ夫人や指名をヒラリー氏と最後まで激しく競ったバーニー・サンダース上院議員らが登壇し、ヒラリー氏を応援するスピーチを行った。共和党の党大会に比較して、民主党の演者はどれも論旨が明快で排他的でもなく、党大会だけで判断すれば、圧倒的に民主党の勝利と私には映った。
20160727-1469595170.jpg 初日のスピーチの中でも際立ったのがミシェル夫人のそれだった。彼女のスピーチの素晴らしさは、米メディアの一つで見た “Michelle Obama Bring The House Down At DNC” という見出しが物語っていたかと思う。bring the house down(満場の大喝采を浴びる)とはいい成句だ。聴衆の拍手喝采で屋根が抜け落ちるからこの表現だという。
 8年前の候補者選びではオバマ大統領と激しく争ったヒラリー氏をミシェル夫人は絶賛した。例えば次の表現。“I trust Hillary to lead this country because I have seen her lifelong devotion to our nation’s children. Not just her own daughter, who she has raised to perfection, but every child who needs a champion.”(私はヒラリーが生涯を通してアメリカの子供たちのために働き続けていることをこの目で見てきており、彼女がこの国の良き指導者となるのを信じて疑わない。彼女は自分自身の娘を完璧に育て上げているが、この国のすべての子供たちが彼女のような存在を必要としているのだ)
 次のようなくだりも最大級の賛辞と言えるだろう。“What I admire most about Hillary is that she never buckles under pressure. She never takes the easy way out. And Hillary Clinton has never quit on anything in her life.”(私がヒラリーについて最も尊敬の念を抱くのは、彼女はいかなる切羽詰まった状況下においても白旗を揚げることは決してないことだ。彼女は易きに流れることは断じてしない。彼女は人生においてそれが何であれ、途中で匙を投げたことなど一度もないのだ)
 世論調査では共和党候補のトランプ氏との支持率は拮抗していると報じられている。ヒラリー氏が現時点で伝統的な民主党支持層の支持をがっちり抑えているとも言えないようだが、11月の大統領選でヒラリー氏が勝利するようなことになれば、私は後々、ミシェル夫人のこの日のスピーチが分水嶺と見なされるような気がしてならない。

水泳と游泳と수영

20160726-1469494088.jpg 毎日、物騒な事件が国内外で起きている。火曜朝、起床してテレビをつけると、NHKが神奈川県の障害者施設に刃物を持った男が侵入し、19人が心肺停止になる殺傷事件が発生したと伝えている。犯人の男は施設の元職員で警察に自首したという。一体何があったのだろう? こういうご時世だ。英BBCではトップでこの事件の初報を報じていた。
 地震の多発以来、毎朝目覚めるとNHKテレビを見ることが習慣となっている。普通のニュースをやっていると安堵する。NHKを見た後は字幕を頼りに韓国語放送にとぶことが多かったが、このところは米CNNが多い。大統領選の動向を見るためだ。今週は民主党の党大会で女性初大統領を目指すヒラリー・クリントン氏に関するニュースをたっぷり視聴することになりそうだ。
                  ◇
 水泳。中国語では游泳(ヨウヨン:yóuyǒng)。韓国語では수영(水泳:スヨン)。こう毎日暑いと、午後遅くなると、自然とプールに向かっている。何度も書いたかと思うが、私はゆっくりしか泳げない。だから、レーンさえ空いていれば、クロール、平泳ぎ、時にヘタフライ、そして横泳ぎをまじえながら、マイペースで泳ぐ。レーンが混んでいれば、歩きのレーンを歩くだけで済ませることもある。
 日曜日は珍しく混んでいたので、ずっと歩いていた。そうしたら、初心者用レーンで泳ぐ人がおじいさん一人になったので、少しだけ泳いで帰ろうと、そのレーンに入り、ゆっくり泳いだ。「対岸」にたどり着き、立って顔を上げると、そのおじいさんが私の顔をじっと見つめる。一人でそのレーンを泳ぎたかったのだろうかしら。「あなたは水しぶきをたてないで上手に泳いでいるが、どうしたら、そういう風に泳げるのですか?」と問いかけてくる。「え、水しぶきですか? いや、そう言われても・・・」「私は水しぶきがひどいと監視の人に怒られていて困っているんですよ。あなたのように水しぶきを上げないで泳ぎたいんです」「え、あ、なるほど。でも、水しぶき上げて泳いだ方がカロリー消費して健康にはいいんじゃないですか。私のはほとんど運動になっていないような泳ぎ方ですから」「でも、私は今の泳ぎ方では怒られるんですよ」
 ここまでのやり取りで事情がのみ込めた。このおじいさんはクロールのかき手が真横から入るので、水しぶきが真横にとぶのだ。この人が泳いでいる時、隣の歩きのレーンのおばちゃんたちは手をかざして水しぶきをしのいでいる。そのことには前から気づいていたが、ご本人とこうやって言葉を交わすのは初めてのこと。困った。私は人様に教えるほどの泳ぎではない。でも、おじいさんは本当に困った表情だ。仕方ない。少しでも参考になればと、私の考えを話した。水をかく手を身体の真後ろから真っ直ぐ前に投げ入れるようにすればいいのでは。実際にそうしてもらったが、身体が固くなっているので、両手ともに横からでないと水中に投げ入れることができないようだ。それに長年の癖は一朝一夕では直すことはできない。ひとしきり説明した後、歩くレーンから離れたレーンが空いている日にはそこでゆっくり泳いだらいいと勧めた。私はいつもいくばくかの劣等感を抱きながら泳いでいる。そんな私の泳ぎ方でもおじいさんには参考になったことが少し嬉しかった。

たまのご褒美

 夕刻の中洲に出向いた。金曜夜の賑やかさはこの地が九州一の歓楽街であることを実感させる。私もついこの間までこうした光景の一部だったのがもう随分昔の気さえする。この夜の目的は一か月ほど前に行ったお店の再訪。丁度いい機会だったから、普段からパソコンの不具合の調整などでお世話になっている出版社のS君を誘った。
20160725-1469406565.jpg くだんのもつ鍋店。昔の人はよくぞ言ったものだ。「もつ鍋は友」と。いやあれは「持つべきは友」だったかもしれない。注文したのは前回と全く同じもの。上もつ鍋。それが煮上がる前にイカ刺しとゴボウ天を肴に、断酒を解禁しての焼酎オンザロック2杯。そして、真のお目当てだった地鶏飯を最後に食する。これは釜飯の一種と呼ぶべきものだろうが、これほど美味い釜飯は近年味わったことがない。この夜のものも期待を裏切らなかった。S君もとても喜んで食べていた。今回は私が支払って締めて9,550円。石部金吉的日々の自分へのたまのご褒美としては安いものだろう!
 普段粗食に徹していると(本人は特段そう意識しているわけではないが)、たまの外食が何と素敵な味わいになることか、を再確認するとともに、中洲というか福岡の食の美味さをも再認識した一夜だった。(残念、写真が逆さま、私には直せない!)
                 ◇
 このところ、永六輔氏だの大橋巨泉氏だの、私の世代には、懐かしい個性的な著名人が相次いで他界している。マルチタレントの永六輔氏の逝去は英BBCも報じていたが、あれっと思ったのは彼が中国人を祖先とする(of Chinese descent)と冒頭に紹介されていたこと。海外のメディアは普段我々が気づきもしないことを子細に伝える。
 同じくマルチタレントの巨泉氏は私の世代には深夜番組「11PM」とほぼ同義のようなものだろう。中学生の私はわくわくしながら(あの当時ちょっとエッチな)番組を見たものだ。新聞のラテ欄に「女優〇〇裸の告白」とあった日などは絶対に見なくてはとテレビの前に座った。実際に放送されたのは、肉体派女優〇〇の過去の赤裸々な告白だけであり、裸体とは何の関係もなく、凄くがっかりしたことを覚えている。
 ふと思った。確か、この人の本をいつか買ったような記憶が。本棚のどこかに埋もれているはずだ。探したらあった。『巨泉日記』(講談社2000年刊)。内容は恥ずかしながら全然記憶に残っていない。ひょっとしたら、まともに読んでいないのかもしれない。それで手にして読み進めた。本題が示すようにエッセイ風の日記だから読みやすかった。
 人気絶頂にありながら56歳でテレビの世界からセミリタイアして、生活の中心をオーストラリアやニュージーランドなど海外に移し、そうした国々で土産物店を営みながら、大好きなゴルフや釣りなど悠悠自適の日々————。彼の人生哲学がよくうかがえた。最晩年は闘病生活も余儀なくされたようだが、私を含めた凡人からは羨ましくなるような人生を思うままに送った人であることは間違いない。
 彼の主張にすべて同意するわけではないが、「要するに、人生はいかに成功するかとか、カネを儲けるかでなく、いかに心の平和を得るかがキイなのである。特に中年以降に悩まされるストレスやトラウマが良くない」という指摘はその通りだと思う。合掌。

没问题(méi wèntí)

 米大統領選の共和党候補にドナルド・トランプ氏が正式に確定した。よその国の民主的に実施されている大統領選のことを外野からあれこれ口をはさみたくないが、今の日本にとって文字通り死活的に重要な同盟国、アメリカの最高指導者にトランプ氏が選ばれることがないように祈りたい。ヒラリー・クリントン氏が素晴らしいとは決して思っていないが、この場合は彼らが良く口にする表現でいきたい。“Choose the lesser of two evils.”
 木曜日朝、CNNテレビでは党大会の会場で間もなくそのトランプ氏と指名争いを競ったテッド・クルーズ上院議員がスピーチすると告げていた。私は大学の授業があるため、自宅を後にするしかなかった。選挙戦中にトランプ氏とは犬猿の仲となったクルーズ氏がトランプ氏への支持を表明するか否かが注目され、ぜひ、生で見たいと思っていたのだが・・・。
 授業が終わって、パソコンで確認すると、クルーズ氏は「(本選では)良心に従って投票を」と訴え、最後までトランプ氏の支持表明には至らず、党大会の会場はブーイングの嵐となったという。クルーズ氏の妻には罵声が浴びせられ、警護されながら会場を後にしたとか。いやはやアメリカは実にワイルドだ!
 それはそれとして、トランプ氏の得意満面の映像を見る時、なぜ不安な心もちになるのか少しく考えてみた。心に浮かんだキーワードは次の語だ。“humility”(謙虚さ)。いや、彼の場合は “a complete lack of humility” (謙虚さが微塵もないこと)と呼ぶべきだろう。私たちの日常生活でも、ある程度の謙虚さを持ち合わせていない人との接触は辛いものがある。本棚の英語の聖書は誰であれ、高慢であることを強く戒めている。そこにあるのは “humility” と同義の “humble” という語だ。Romans(ロマ書)に次の一節がある。“Do not be proud; be humble and grateful – and careful.”  
                 ◇
 NHKラジオの中国語講座。「没问题」という表現が出てきた。これは容易に意味が類推できる。日本語だと「没問題」ということだろう。テキストでは「大丈夫です」という訳文となっている。声調を含めた発音は「méi wèntí」。上って下がって上る感じだ。英語だと“No problem.”にぴったり合った表現かと思う。日本語だと上記のように「大丈夫です」となるが、より正確には「問題はありません」という表現が妥当だろう。韓国語だと「괜찮아요」(ケンチャナヨ)という表現もあるが、「문제가 없어요」(ムンジェガオプソヨ)で日本語とほぼ同じニュアンスが出る。
 何を言わんとしているかというと、英語や中国語ではno(没)という意味合いの語が最初に出てきて、problem(问题)が続いている。日本語と韓国語では問題(문제)が先に出てきて、ありません(없어요)という意味合いの動詞が続いている。私には何となく、英語と中国語の近さ、日本語と韓国語の近さが感じられるのだ。
 スワヒリ語(東アフリカの公用語)では“No problem.” に該当する表現は “Hakuna Matata.”。英語表現に似てなくもない。これもケニア特派員時代には多くの場面で耳にした表現だった。問題が少ないケースでもこう言われれば、何とかなるかなと思えたものだ。日中関係も早く「没问题」となることを願いたい。

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