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英語でさるく 那須省一のブログ

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『カフネ』を読み終えて

 とある英文の文章を読んでいて、sea glass という見慣れない語に出くわした。筆者が浜辺を歩いていて、時々遭遇するものらしい。「海のガラス?」。普通の英和辞典には載っていないので、ネットで検索してみると、海や湖の海岸に漂着したガラスの破片のことで、長い年月をかけて波や砂によって角が取れ、表面が磨かれて曇りガラスのようになり、独特の味わいがあることから、こう呼ばれるようになったとか。「浜辺の宝石」との異名も。
 人工物の海中投棄は海洋汚染につながり、深刻な問題だが、このような「副産物」もあるのか。面白がってばかりはいられないだろうが、海遊びの新たな楽しみになるのかなとも思った。海と言えば、今夏は游ぐ機会があるのかしらん。
                  ◇
 時々のぞいている小さな書店。最近では向田邦子のエッセイ本『海苔と卵と朝めし』や夢野久作の文庫本を購入して読んだ。読み終えたばかりの作品は『カフネ』(講談社・2024年刊行)というタイトルの小説。著者は阿部暁子。この小説で初めて知った作家だ。
 奥付には「岩手県出身、在住。2008年『屋上ボーイズ』で第17回ロマン大賞を受賞しデビュー」とあり、以下数冊の著書のタイトルが付記してある。これだけではどういう人物だかは分からない。もちろん、これ以上の情報が欲しければ、ネットでグーグルすれば何か分かるだろう。ただ、今回は密やかな読後感に浸りたくて何も検索しなかった。
 まず、淡々とした文章に引き込まれるように読んだ。たまに時系列に戸惑うことがあったが、作品の魅力を減じるものではなかった。推理小説のような側面もあったが、なんとなくそうしたジャンルにこだわることなく読み進めた。読み終えた今思うことはこういう作品は現代だから書かれえたのであり、一昔前だったら、相当の抵抗を感じる読者がいたのではなかろうかと感じたことだ。いや、私の思い過ごしかもしれない。私が時代についていけなくなっていることを物語っているのかもしれない。
 物語は不妊治療の甲斐なく死産に終わり、打ちのめされる四十歳過ぎの女性、その女性の一回り年下で姉思いの心優しい弟、その弟の元婚約者の女性という三人を中心に展開する。読者はこの弟と元婚約者の関係は普通予想するような男女の関係ではないのではという疑念を抱きながら読み進めることになる。この弟がある日突然死するのだが、事件性はあるのか、ないのか。両親や姉、さらには結婚するには至らなかった元婚約者にまで遺産を相続したいという遺言書を残していたことからミステリーが深まっていく。
 ネタバレになるかもしれないが、実にあっけなく早世した弟は同性愛者だった。女性を愛することができなかったのかまではともかく、愛し合っていた会社の男の同僚も登場する。かといって同性愛だけが主要なテーマの物語ではなく、性的な描写は皆無に近い。むしろ、家族の関係、夫婦の関係、介護や子育てなどの問題がちりばめられている。特に貧困にあえぎながらも死に物狂いで子育てに奔走するシングルマザーとけなげな子供たちのエピソードは読み手の心を打つ。それでも私の印象に残ったのは同性愛や同性愛者の苦悶がさりげなく普通の光景として描かれていたことだった。そういう時代なのだろう。

懐かしきトウモロコシ

 前回の項で「2025年6月時点での気がかりなことは何と言ってもイスラエルとイランの交戦か」と書いた。まだよく分からない点は多々あるが、どうやら両国の戦闘が激化する最悪の事態は回避された模様だ。認めたくはないが、トランプ米大統領が決断を下した米軍による軍事介入、すなわちイラン領内の核施設攻撃が功を奏したようだ。彼のことだから、これからは大真面目で自分はノーベル平和賞を受賞するに値するとことあるごとに宣うことになるのだろうか。絵空事であって欲しいと願う。
 それはともかく、おそらくあの名作 “1984” (邦訳『1984年』)を書いた英作家のジョージ・オーウェル氏でも想像できなかったであろう奇妙きてれつな展開を我々は目にしている。トランプ氏はイランの核施設を完璧に破壊したとして、イランに対話路線を歩むよう求めた。これを受け、イスラエルは「勝利」を宣言したが、不思議なことに核施設に重大な被害を受けたことは間違いないイランも「勝利」を主張し続けている。その背景にはイランは米軍の攻撃の前に濃縮ウランを「非公開の場所」に移送していたのだという主張がある。だから、米軍の攻撃は徒労に終わったというわけだが、トランプ氏側はこれを真っ向から否定している。真相はやがて明らかになるだろう。
 それにしても、核開発という一大プロジェクトの根幹に大打撃を加えられたイランが米国にそれ相応の仕返しに出ないことも意外に思える。確かに、イランは精鋭軍事組織「革命防衛隊」がカタールにある米空軍基地をミサイルで報復攻撃してはいる。しかし、これにしても事前通告がなされており、死傷者は出ていない。トランプ氏はSNSで人的被害がなかったことについて、イランに謝意を表明したとも報じられている。何というのどかさ! ウクライナの人々が耐え続けている辛苦を思わざるを得ない。
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 暑い夏の到来で八百屋さんに足繁く通うようになった。お目当てはもちろん、スイカ。スーパーでも買えるが、私はよくのぞいている八百屋さんのスイカが一番信頼がおけるので、そこで切り売りされているスイカを一日おきに買い求めている。昨日もその八百屋さんをのぞいた。そうしたらトウモロコシが目に入った。遙か昔、田舎の実家でもトウモロコシを栽培していた。お袋がかまどで蒸したトウモロコシを頬張ったことを記憶している。大好物とまでは言わないが、郷愁をそそられる果物(穀物)だ。
 客が少なかったこともあり、いつも気さくに質問しているおばちゃんに「このトウモロコシどうやって料理するのですか?」と尋ねた。彼女は「蒸すんですけど、面倒だったら、電子レンジでチンしても食べられますよ」と言う。「え、チンするだけで食べられるんですか」「ええ、(500Wなら)2分40秒ぐらいかな。房を取って水でよく洗って、ラップで包んでチンするんですよ」。彼女の言葉を聞いていて、最初は買うつもりはなかったが、一つ買ってスイカとともに持ち帰った。
 土曜日。洗濯を済ませたお昼時、ランチの代わりにトウモロコシをチンした。マヨネーズをかけてかじりついてみた。美味い! 知らなんだ。こんなに簡単にトウモロコシが食べられるなんて! この後、ガスコンロであぶれば、焼きトウモロコシができるのかな?

元凶はT氏?

 仕事で結構忙しい日々が続いている。高校では期末テストの時期となり、採点作業に追われた。もう何度も書いているかもしれないが、まさか古希を過ぎてこれほど忙しい日々を過ごすことになるとは・・・。夏休みが待たれる。今夏も海外の旅は考えていない。気楽な独り身の暮らし。どこか静かな海に出かけ、のんびり海水浴と読書の時間を持ちたいと考え始めているが、どうなることやら。
 それにしても、我が身のことだけを考えていていいのだろうか。世界はとんでもない危機的状況に直面しつつあるようだ。最近はあまり熱心にそうした情勢をフォローしておらず、間違ったことを書きそうでスルーしたくなるが、このブログは個人的な備忘録でもあり、折々の思いはやはりきちんと記しておきたい。
 2025年6月時点での気がかりなことは何と言ってもイスラエルとイランの交戦か。一昔前ならこのような激しいロケット攻撃、その応酬のミサイル攻撃が世界が見つめる中、連日繰り返されるとは想像しづらかったのではないかと思う。イスラエルの後ろ盾は米国だが、これまでの米政権だったら、今回のような武力攻撃は容認しなかったではないか。もう一つ意外に感じたのは、イランには存外、頼れる友好国がいなかったのかという思いだ。アラブ民族ではないイランがかくも孤立無援の国だったとは思わなかった。
 トランプ米大統領は米軍の軍事介入を真剣に考慮しているとも伝えられる。イスラエルは支配下におくガザ地区のパレスチナ住民にも無慈悲の砲撃を続けており、イスラエルのこのところの「傍若無人ぶり」は理解に苦しむ。イスラエルにとって仇敵とするイランの核武装は何としても阻止したいということは分かる。しかし、いずれアラブ諸国の中に核武装に走る国は出てくるかもしれない。そうした国をそのつど攻撃するわけにはいかないだろう。イスラエルの戦略が私には見えない。
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 ミスタープロ野球の長嶋茂雄氏が今月初めに死去した。職場でスマホの画面を開いてその速報を目にした時、思わず声が出た。「巨人大鵬卵焼き」世代の一人である私にとって「巨人」を代表するのは間違いなく、長嶋さんだった。私が長嶋さんと最も「接近」したのは、監督就任後に成績不振で解任された直後に彼がどういう事情があったか知らないが、ナイロビを訪問した時。私は当時、読売新聞社のナイロビ支局に赴任していた。たまたまナイロビ市内の高級ホテルのカジノをのぞいていた長嶋さんを至近距離で目撃したが、当然のことながら彼は何人もの取り巻きに囲まれており、おいそれと近づける雰囲気ではなかった。
 長嶋さんの訃報に接し、思い出したことがあった。彼が現役を引退した1974年10月14の試合直後のセレモニーで語った「私はきょう引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉。今も語り草になっているあのスピーチを私は留学先の米国で聞いた。長嶋さんのファンだった今は亡き長兄がカセットテープに録音して送ってくれたのだ。今とは違い、当時はこうした出来事に海を越えて触れるのは大変なことだった。大学の寮で有り難くテープに耳を傾けたことを覚えている。長兄が黄泉の国で憧れの人と出会うことなどありうるのだろうか。

カーソル復活!

 I’m completing a middle-grade novel. (私は今ミドルグレイドの小説を書き終えようとしている)という文章に出くわした。とっさに頭に浮かんだのは a middle-grade novel とは「平均的なレベルの小説」すなわちハイレベルではないが、そこそこの内容を伴った小説というように解釈した。念頭にあったのはhigh-grade(高級な)という表現。ハイグレイドでなくミドルグレイドと解釈したのだ。もっとも書き手が自分が今手がけている作品をこのように卑下して表現するとは思えないので、おそらく違うのだろうとも思った。調べてみると、これはその小説を読むであろう読者の年齢層を想定しているということを知った。
 ネットではa middle grade book を literature intended for children between the age of 8 and 12 と紹介していた。小学校3年生から中学校1年生ぐらいの年齢層の子供たちをターゲットにした書籍だろうか。8歳ならまだ思春期にも達していない子供たちだ。そうした読者層にアピールする作品を作るのは大人の読者を念頭にした作品を作るのとはだいぶ趣が異なるのだろう。middle grade を調べる延長線上で teenager を改めてチェック。こちらは「13歳から19歳まで」の10代の少年少女と説明されていた。
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 毎日向き合っているパソコンが突然制御不能になった。カーソルと呼ぶのだろうか、矢印のようなポインターが画面から忽然と消えてしまったのだ。カーソルがないと何もできない。パソコンの電源を落とすことすらできない。二三日格闘したが何の変化も起きなかった。最後の手段は以前にお世話になったことのあるパソコンに詳しい方に電話を入れて助けを請うた。それが昨日(金曜日)。私はマウスは使用せず、キーボードの下にあるタッチパッドを触って操作している。彼は持参したマウスでいろいろチェックしていたが、マウスも機能不全。どうもパソコン内部の基板そのものが故障したのではという見立てだった。
 古いパソコンを取り出し、このブログをスクロールして確認すると、私は今のパソコンを2020年8月に購入している。世界最軽量という触れ込みだった。そこそこの値だったと記憶している。ブログを読み返すと、私は2020年代はこのパソコンで乗り切りたいと意気込んでいる。まだ5年しか使っていない。神様がそろそろ買い換えの時期だとおっしゃっているのだろうか。それなら致し方ない。それでも念のため、メーカーに電話してお伺いをたてよう。本来なら電話で直接あれこれ伺いたいのだが、昨今では電話でそうした相談窓口に到達するのは至難の業に思えてならない。何とかスマホでリモート相談することが可能になった。これが実に便利でスムーズにやり取りできた。スマホのリモート相談恐るべし。
 カーソルが復活した方法は以下の通り。キーボードの一番上にF1からF2、F3・・というキーがある。私のパソコンではF4のキー上に小さなマウスのマークが見える。ボードの最下部のFnと書いてあるキーを押しながらF4を押した。カーソルが出てこない。やけくそ気味に何度も何度も押し続けた。それでも何の変化も起きず、あきらめ気分になり、ネットで探した修理屋さんに持ち込んで相談しようと思っていると、あら不思議、消えた時と同様、忽然とカーソルの矢印が再び姿を現わした。感動ものである。それで今こうやってパソコンに向かい、この項を打っている次第だ。神様に感謝!

グギ・ワ・ジオンゴ氏のこと

20250601-1748749829.jpg 土曜日。朝刊の社会面の下の方にふと目をやると、死亡記事が出ていた。グギ・ワ・ジオンゴ氏。享年87歳。名前の後に「ケニア出身作家」と記されている。ケニアではいやアフリカではよく知られた作家だが、日本では知っている人はまれだろう。
 記事によると、グギ氏は米ジョージア州で死去。死因は不明だが、人工透析を受けていた。1938年英植民地だったケニアで生まれ、ウガンダの大学在学中に創作活動を始めた。代表作は独立前のケニアの様子を描いた『一粒の麦』。現地語で書いた戯曲などで、母国の暗部を暴露したとして命を狙われ亡命生活に。ノーベル文学賞候補として名前が挙がったとも。
 『一粒の麦』は私も感銘を受けた作品だ。ナイロビ支局に赴任し、アフリカを現地取材していた1980年代末、グギ氏はすでにケニアを離れていた。記事にある通り、当時のダニエル・アラップ・モイ政権に疎まれ、亡命の道を選択せざるを得なかったからだ。私は『一粒の麦』を題材に記事を書いたことを思い出した。
 それで本棚を漁った。本棚の中に何かあるような。あった。読売新聞社が出版した『20世紀文学紀行』(1990年)。記者がカメラマンと一緒に現代文学の足跡を辿る紀行本で、私はアフリカにまつわる二作を担当した。そのうちの一冊が『一粒の麦』だった。小説の詳しい筋はさすがに覚えていないので、『20世紀文学紀行』から引用する。自分自身が書いた原稿だから許してもらおう。
 次の書き出しで始めている。当時親しくしていた地元記者の言葉だ。「白人たちは聖書を持ってやって来た。おれたちは土地を持っていた。白人たちは一緒に神に祈ろう、と言った。おれたちも目をつぶって祈った。目を開けた時、おれたちは聖書を手にしていたが、先祖伝来の土地は白人のものになっていた。わかるだろう。これがアフリカの歴史だ」
 グギ氏の作品に一貫して流れるのは「独立闘争はだれのため、何のためのものだったのか。独立は支配者階級の肌の色を白から黒に変えただけで、労働者、農民が搾取される基本的構造には何ら変化がないのではないか」という告発である。私がナイロビ支局で勤務していた頃、ケニアの人々が熱狂的にグギ氏を支持していたというわけではない。アフリカ諸国の中では経済も政情も比較的に安定していることもあり、グギ氏の主張に距離を置く人々が多かったという印象だ。だが、彼の主張には今もアフリカ全土で共鳴する人々が多いのではないかと思う。むしろ増えているのではないか。
 グギ氏の訃報に接して思い出したことがある。グギ氏が亡命する前に住んでいた家を訪ねたことだ。ナイロビから遠く離れていた。グギ氏はケニア最大部族キクユ族の出身。モイ大統領は少数部族カレンジン族出身であり、そのこともあってかグギ氏は疎まれたようだ。グギ氏の妻が暮らすと聞いた家を訪ねると、彼女は台所仕事をしていた。ごく普通の質素な家の台所。私が簡単な自己紹介を済ませて突然の来訪を詫びると、彼女は困惑したような笑みを浮かべた。「特段お話することはありませんよ」という感じで。台所の壁には夫を追放したモイ大統領の肖像(写真)が飾ってあった。不思議な思いで肖像を見つめた。グギ氏の妻は品のある顔立ちをしていた。私はなぜ彼女の家を訪ねたのだろうか。この訪問は記事にはしなかった、できなかったのではないかと思う。

“I’m sorry I do’t have a plane to give you.”

20250524-1748059974.jpg トランプ米政権の発足以来、新聞の国際面などで報じられるニュースはあまり読む気になれず、従ってこのブログで扱うこともあまりなくなった。それでも時にはこれはやり過ぎだろとあきれてパソコンに向かうこともある。最近では名門ハーバード大に対する留学生追放令か。外国からの留学生受け入れに必要な連邦政府認定が取り消されることになる。そうなればハーバード大は新たな留学生の受け入れができなくなり、在籍中の留学生は他大学への転籍を余儀なくされるとか。開いた口がふさがらないとはこのことだろうか。
 読売新聞から引用すると、ハーバード大に対する今回の措置の理由について、国土安全保障省の長官は「ハーバード大がキャンパス内で反ユダヤ主義を助長したことや中国共産党と協調している」責任を問うためと説明している。トランプ政権はすでにハーバード大を始め他の名門大への連邦政府の資金援助を凍結している。外国からの留学生の授業料は各大学にとって重要な資金源となっており、今回の新たな締め付けで各大学は財政的にさらなる窮地に立つ。トランプ政権の権力、支配力を誇示したい思惑が見え隠れする。
                  ◇
 トランプ大統領は南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領をホワイトハウスに招いて会談したニュースでも物議を醸した。これはおそらくトランプ大統領と一時(今は多少冷却化?)親密な関係にあった南ア出身の実業家イーロン・マスク氏が悪しき情報を吹き込んでいるのではないかと思われる。
 南アはアパルトヘイト(人種隔離政策)が制度上は消滅した今も多数派の黒人社会と少数派の白人社会の軋轢が続く。白人のマスク氏がラマポーザ政権にどういう思いを抱いているか知らないが、良くないであろうことは想像できる。読売新聞を再び引用すると、トランプ氏が南アで白人、特にアフリカーナーと呼ばれるオランダ系白人の人々が迫害されていると根拠の乏しい持論を振りかざしたのだという。これに対し、ラマポーザ氏は両国の関係悪化に歯止めをかけるべく冷静に反論を展開したとか。
 南ア社会には今なお癒やしがたい人種間の溝が残り、多くの国民が経済格差、犯罪発生に悩まされているが、アフリカーナーの人々はまだ富裕層に属しており、底辺で依然苦悶しているのは圧倒的に貧しい黒人層だ。トランプ氏はアフリカーナーの多くの人々が殺害された後に埋められているとして白い十字架が両側に並べられた一筋の道路のビデオをラマポーザ氏に示したが、実はそれは墓標などではないことが後に判明した。
 ラマポーザ氏がトランプ氏の誤解を解けたかどうかは分からないが、ラマポーザ氏がなかなかの役者であることを再認識するエピソードもあった。アパルトヘイ時代に彼が労組の指導者だった頃に、私は彼の記者会見に何度か立ち会ったことがあるが、その頃から老獪な交渉者であることは承知していた。彼は今回の首脳会談に際し、「防戦一方」ではなかった。会談の合間にトランプ氏に “I’m sorry I do’t have a plane to give you.” と痛烈な皮肉の一言を放っていた。もちろん、先の中東諸国訪問でトランプ氏がカタールから大統領専用機(エアフォース・ワン)の代替機としてジャンボ機(ボーイング747型)をプレゼント(賄賂?)されたことを皮肉ったのだ。トランプ氏にその皮肉が通じたかどうかは疑わしい。

麻雀人気に思う

 煩悩の塊の私が今なお時間があればパソコンで楽しんでいるのは麻雀と将棋の「観戦」。その他にもいくつかあるが、ここではこの二つの遊戯について思うところを書いておきたい。まず、将棋。日曜朝から名人戦第四局がAbemaTVで生放送されていた。藤井聡太名人対永瀬拓矢九段。聡太名人は強すぎる。判官びいきと言うのであろう、なんだか聡太名人に連戦連敗の観のある永瀬九段を応援したい。そう思いながら見ていた。持ち時間が長いタイトル戦だから、合間に野球や大相撲を見たり、風呂に入ったりしながらの観戦となった。パソコンのスクリーン上に表示されるAIによる形勢判断が行ったり来たりする激戦となっていた。とはいえ、最後には名人が勝利するのだろうなあと思いながら見ていた。
 あに図らんや、深夜になり、挑戦者の永瀬九段が優勢になり、そのまま押し切った。徳俵で踏みとどまった勝利で第5局につなげた。情けないのは、プロ棋士の戦いを見ていて、どちらが優勢かよくは分からないことだ。詰みが近くなっても、それが分からないのは劣等感を覚えるしかない。聡太名人や永瀬九段はもちろんのこと、プロ棋士の将棋脳の世界は私のようなど素人には想像もつかない。
 その点、麻雀の世界は素人にも手が届くように思える。将棋のプロは棋士と呼ばれるのに対し、麻雀のプロの場合はプロ雀士と呼ばれている。麻雀も今ではすっかり「世間」の認知度が上がったようで、AbemaTVなどではプロ雀士の諸団体の定期戦が毎日のように無料配信されている。Mリーグと呼ばれるプロ雀士の団体戦が人気を集めており、1チーム4人で構成される9チームが毎年9月から翌年の5月まで総当たりのプレーを繰り広げ、セミファイナル(6チーム)、ファイナル(4チーム)の総力戦で優勝を争う。最新のMリーグは終了したばかりで最後まで予断を許さない白熱したゲームとなり、セミファイナルで3位につけていたチームが見事逆転で初優勝を飾った。
 それにつけても、一昔前までは麻雀がこれほどお茶の間で楽しめる遊戯になろうとは想像もしなかった。これもAbemaTVのようにインターネットテレビの普及のおかげであり、地上波テレビだけだったらここまでは普及しなかっただろう。Mリーグはしかも、数々の有力企業が参加している麻雀チームのスポンサーとなって支えている。何しろ、あの朝日新聞社も参画していて、終了したばかりのシーズンは「朝日新聞Mリーグ2024-25」と銘打たれていた。
 私は将棋については駒の動かし方は承知しているが、定石は理解していない。だからへぼ将棋だ。麻雀の腕前もたいしたことはないが、まあ、そこそこ打てるとは思っている。とはいえ新聞社を辞めて以来、久しく卓を囲んでいない。近い将来、卓を囲むこともありそうにはない。インターネットで観戦するだけで十分だ。麻雀は将棋とは異なり、運の要素が極めて強いゲーム。将棋はプロ棋士に素人は1万回対戦しても1回も勝てないだろうが、麻雀は素人がプロ雀士と対戦しても結構勝てる可能性を秘めていると思う。それだけ運の要素が強いからだ。
 運の要素が大きく、素人でも勝てる可能性のある遊戯にプロと呼ばれるプレーヤーが存在すること事態を不思議に思わないでもない。

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