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ヘロドトスの『歴史』

  • 2015-04-02 (Thu) 15:12
  • 総合

 紀元前5世紀に生きたギリシアの歴史家ヘロドトスが著した『歴史』を読んでいる。西アジアを当時席巻していたペルシア帝国がギリシア諸都市の征服を目指して突き進んだペルシア戦争と呼ばれる東西抗争の歴史を綴った書だ。
 岩波文庫の全三巻の翻訳『歴史』。古代ギリシア文学者の松平千秋氏(故人)の労作で初版は1971年。私が手にしているのは2013年刊の第52刷というから、長年にわたって読み継がれてきた名著であることがうかがえる。上巻の「はしがき」の冒頭に次のように記されている。———— 本書は、ローマのキケロによって「歴史の父」と称されたヘロドトス(前四八四ごろ——四三〇以後)の著作「歴史」の全訳である。————
 ヘロドトス自身は歴史上の偉大な出来事が時の経過とともに忘れ去られることのないように筆を執っているのだと述べ、冒頭に近い部分で「かつて強大であった国の多くが、今や弱小となり、私の時代に強大であった国も、かつては弱小であったからである。されば人間の幸運が決して不動安定したものでない理(ことわ)りを知る私は、大国も小国もひとしく取り上げて述べてゆきたいと思うのである」と記している。
 この書の中にふんだんに盛り込まれている説話やその土地々々の時代風習が興味深い。小アジアの異邦人であるリュディア王国のクロイソス王は諸国を歴訪しているアテナイ(アテネ)の賢人に尋ねる。「世界で一番仕合せな人間」に遭遇したことがあるかと。彼は賢人がそれは王様ご自身ですという返答を期待していた。だが、その賢人は次のようにすげなく答える。「どれほど富裕な者であろうとも、万事結構ずくめで一生を終える運に恵まれませぬ限り、その日暮らしの者より幸福であるとは決して申せません。腐るほど金があっても不幸な者も沢山おれば、富はなくとも良き運に恵まれる者もまた沢山おります。(中略)人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差控えねばなりません」
 上巻ではナイル川やそこに住むエジプト人のことが詳述されている。「エジプト人はこの国独特の風土と他の河川と性格を異にする河とに相応じたかのごとく、ほとんどあらゆる点で他民族とは正反対の風俗習慣をもつようになった。(中略)小便を女は立ってし、男はしゃがんでする」。アルテミス(ギリシア神話の月と狩りの女神)の祭りに参集するエジプト人の様子は次のように書かれている。「男女一緒に船で出かけるのであるが、どの艀(はしけ)も男女多数が乗り組む。カスタネットを手にもって鳴らす女がいるかと思えば、男の中には船旅の間中笛を吹いているものもある。残りの男女は歌をうたい手を叩いて拍子をとる。船がどこかの町を通る時には、(中略)ほかの女たちは大声でその町の女たちに呼びかけてひやかし、踊るものもあれば、立ち上がって着物をたくしあげる者もある。(中略)この祭で消費する葡萄酒の量は、一年の残りの期間に使う全消費量を上廻るのである」
 あれ、この当時はエジプトの宗教的戒律はそれほどでもなかったのか、と思い、すぐに自分の無知に気づいた。これは紀元前5世紀の物語だ。中東世界でイスラム教が誕生したのは西暦7世紀まで待たなければならない。イエス・キリストもまだ誕生していない時代のお話(歴史)なのだ。
 なお、恥を忍んで言えば、読んでいて思わぬ「発見」もあった。これは続で。

 ペルシア帝国を創設したキュロス王との戦いに敗れ、捕われの身となったクロイソス王が次のように語る場面がある。「平和の時には子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならぬのじゃ」と。実は昨年暮れに翻訳本が出た拙著『オスカー・ワイルドの妻コンスタンス 愛と哀しみの生涯』を訳していて、この表現に遭遇していた。新婚のオスカー夫妻の自宅を訪ねた著名な人々がコンスタンス夫人に求められ、サイン帳に記帳していた文章の一つとして紹介されていた。私はこの個所を訳しながら、これがヘロドトスのこの『歴史』に綴られた言葉だということを露知らなかった。知らなくとも、訳することができたからだ。“In Peace sons bury their Fathers —— In War Fathers bury their sons.” (平和な時には息子たちが父親たちを埋葬するものだ。戦争が起こると、父親たちが息子たちを埋葬する)。二千五百年の時空を超えてもなお色あせない至言であり、警告だと思う。

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