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『坑夫』の違和感

  • 2022-05-05 (Thu) 14:52
  • 総合

20220505-1651731493.jpg ゴールデンウィークも終わりに近い。たかだか一週間にも満たない連休をゴールデンウィークと呼ぶのは気恥ずかしい気がしないでもない。100年後の日本人がこの時代を眺めたら、どう感じるのだろうか。もっとゆっくり休暇を取れよと思うのか。ご先祖様はなんとつましい暮らしをしていたものよと苦笑するのだろうか。まあ、一線を退いた私は毎週がゴールデンウィークみたいなものだからあまり御託を並べる資格はないが・・。
 それでも仕事の準備から解放されるこのゴールデンウィークは久しぶりに伸び伸びと過ごすことができた。天候にも恵まれた。押し入れの布団、毛布をベランダで干し、洋服ダンスの衣服も陰干しすることができた。大リーグにプロ野球を堪能したし、夜には長いこと観ることのなかったケーブルテレビの洋画劇場も楽しんだ。
 東京勤務時代にはゴールデンウィークには宮崎の田舎に里帰りして長姉夫婦の山仕事をよく手伝った。山仕事の朝は早い。朝6時にはたたき起こされていた。折角の休暇が休暇の意味をなさなかったが、そう苦ではなかった。普段ふしだらな生活を送っていたことへの「罪滅ぼし」の意識があったのかもしれない。
                  ◇
 夏目漱石の『坑夫』を読んだ。読みながら、なぜ以前にこの小説を投げ出したのか分かったような気がした。それはそれまで読んできた漱石文学とは性質を異にする気がしたからだろう。高等遊民の世界とは異なる、世間知らずの若者の煩悶が描かれていた。いや、煩悶と表現していいのか迷う。生活に追われている庶民から見たら、自暴自棄の自殺願望で自死の場所を探したあげくに鉱山に行き着いた若者は甘っちょろいと映ることだろう。坑夫の仕事も結局は虚弱さゆえに許されず、楽な帳場の仕事を5か月やっただけで帰京する。
 作品中には今の時代には考えられない社会的弱者に対する差別用語が頻出していた。作品が発表された明治41年(1908)には一般的な社会通念だったのだろうが、今読むとさすがに手が止まる。とはいえ、この作品は若き漱石青年の投影ではなく、モデルと見立てた若者を通して当時の鉱山労働者の苦しい生活の一端を描いたものだろう。漱石文学の価値を減じるものでないかとも思う。
 読んでいてマーカーを走らせたところが一か所あった。それをここに記す。
 偶然の事がどんな拍子で他の気に入らないとも限らない。却て、気に入ってやろうと思って仕出かす芸術は大抵駄目な様だ。(中略)骨を折って失敗するのは愚だと悟ったから、近頃では宿命論者の立脚地から人と交際をしている。ただ困るのは演説と文章である。あいつは骨を折って準備をしないと失敗する。その代わりいくら骨を折っても矢っ張り失敗する。つまりは同じ事なんだが、骨を折った失敗は、人の気に入らないでも、自分の弱点が出ないから、まあ準備をしてからやる事にしている。
 スピーチと文章についてはきちんと準備をしないと失敗する。かといっていくら用意周到に準備したとしても結局は失敗する。これは主人公の若者の述懐というより、作家の肉声であるのだろう。私の場合には「骨を折った失敗」であっても自分の弱点が露呈すると思うが、漱石先生にしても文章、スピーチともに難物であったらしい。慰めにはならないが。

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