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久しぶりの関西・富山

  • 2013-03-26 (Tue) 14:31
  • 総合

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 徳島から大阪、京都を経由、富山・魚津まで訪ね、昨夕、福岡に戻ってきた。良く食べ、良く飲んだ旅だった。また、一段と太ってしまった。まあいい、これからは普段の「粗食」の生活に戻る。自然と体重も落ちていくだろう。
 大阪ではアフリカ・タンザニアの旅でお世話になったKさんに再会し、アフリカの思い出に浸った。京都ではすぐ上の兄の家で日本酒を堪能した。魚津は東京・千駄木でスナックを営んでいたMママの手料理に舌鼓を打ちながら、隣家の親戚の一家の人も一緒に1年ぶりの話に花を咲かせた。隣家の小2の可愛いらんちゃんとは今ではすっかり仲良し。彼女には「三段あご」とからかわれた。そう言うお嬢も健康いっぱいのふくよかさなので、おもわず、「ふん、そっちはデブ夫人じゃないか」と応じてしまった。あの子にこういう冗談が言えるのも、あと1、2年だろう。
 魚津からの帰途。新大阪経由の新幹線に乗車したが、結構混んでいた。通路にも乗客があふれ、空席を探すのは容易ではなかった。広島を過ぎた辺りでようやく空席を見つけた。よく考えると、今は春休み期間中か、家族連れが多かった。会社勤務を辞め、家庭のない身だと、こういう季節の移り変わりにも疎くなる。
 読もうと思っていた本を大阪のホテルに忘れていた。新聞も読むところは読み、眠るのにも飽きた。パソコンはモデムの調子が悪く、ネットが通じない。ああ、まだ博多まではだいぶ時間がある、どうやって時間をつぶそうかと思案していて、電子辞書があることに気がついた。辞書の中に「世界文学100作品」と「日本文学300作品」が収納してある。アフリカの旅以来、車中で暇を潰す時に活用していた。そうだ。夏目漱石の名作「こころ」を英国の旅で読んで以来、途中で放っておいたことを思い出した。学生時代以来、文庫本で何度か読んだことのある作品。テーマがテーマだけに漱石の作品の中で特に好きなものではないが、読み出したからには最後まで読み終えないと。細部は忘れていることも結構あるものだ。
 それで新幹線の車中で「こころ」を読みかけたところから読書。「先生」が「私」になぜ自死を選択せざるを得ないかを淡々と綴った手紙の部分だ。「「先生」が自死を選んだ大正3年(1914年)の作とあるから、ほぼ100年の歳月が流れている。
 これまでこの作品を読んでも印象に残っていず、今回改めて気が付いた表現があった。「先生」が愛する妻に向かって冗談で言う、「もし自分が殉死するつもりならば、明治の精神に殉死するつもりだ」と答えるところだ。昭和に生まれた私の世代は、「昭和の精神」で育まれ、今、「平成の精神」に囲まれている。いや、そもそも「昭和」はともかく、「平成の精神」と呼べるものが果たしてあるのか・・・。
 「私は酔興に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外に誰も語り得るものはないのですから。それを偽りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います」という文言にもしばし、カーソルを動かす手が止まった。
 (写真は、すっかりモダンになったJR大阪駅前)

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