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競馬は予想だけ

  • 2022-05-27 (Fri) 07:38
  • 総合

20220527-1653604551.jpg このブログでギャンブルのことはあまり書いていないかと思う。お里が知れることを恐れてのことだ。だが、私はギャンブルには大いなる興味を抱いている。高校卒業後の麻雀を皮切りにパチンコ、競馬、カジノ遊びに現(うつつ)を抜かしてきた。そして辿り着いた結論は・・。見て楽しむ、傍観して楽しむのが一番であり、身銭を切るのは愚の骨頂ということだ。最近出合った英単語を使って表現すれば、It is witless to spend money on gamblingとでもなるのだろうか。もっともお金を賭けなければそれはギャンブルとは言えないかも。
 テレビをつけると日本中央競馬会(JRA)が若者に狙いをつけたCMを流しているが、だまされてはいけない。地獄への第一歩となるのだ・・・と私なら言いたいところだ。とはいえ、世の中には何らかの社会経済活動が必要ではある。あまり目くじらを立ててあれこれ言うのはよした方がいいだろう。
 お金をかけないで楽しむ分には競馬は刺激的な趣味だ。競馬新聞やスポーツ新聞などを購入する必要はない。ネットを漁れば基礎的な情報は入手できる。過去のレースさえもJRAのサイトから見ることができる。昔は考えられなかったサービスだ。その上でレースを頭の中で組み立て、勝ち馬を予想する。ぼけ知らず。脳内はいやが上にも活性化される。勝ち馬を予想して(馬券を買ったつもりで)テレビでレースを観戦する。結果は?
 このようなことを話すと、何人かの人に質問されたことがある。「でも、予想した馬券が実際に当たった場合など、特に大万馬券でも当たっていた時などには悔しいと思うのではないですか?」。もっともな指摘である。私は次のように答えている。
 「確かに。でも、私が実際に馬券を購入していたら、神様がきっと外れるように差配していたことでしょう。それでも予想した馬券が当たれば私の推理が正しかったことであり、それだけで満足です。それにまあ、まず当たりませんからね。競馬はそう甘くありません」
 多少の負け惜しみがあるかもしれない。でも、パチンコを含め一切のギャンブルからきれいに足を洗って良かったと思っている。「足を洗う」。英語では “wash one’s hands” と言うようだ。悪癖や悪事から決別するときに日本語は足を洗い、英語では手を洗う。中韓では?と辞書やネットで調べてみると、中国語では「洗手不干」と出てきた。英語と同じように手を洗うらしい。韓国語では手も足も両方使った表現があるようだ。手であれば「손을 씻다」であり、足であれば「발을 빼다」。
 さて、今週の日曜日は競馬の祭典とも称される日本ダービーが府中の東京競馬場で行われる。7500頭を超す3歳馬の中から選ばれたエリートの18頭が一生一度の栄冠を目指す。騎手、調教師はもちろん、競馬関係者には胸躍る一日となるのだろう。馬券を買う競馬ファンにとっても予想の腕の見せ所か。私も密かに心に秘めた馬がいる。その馬の馬名をここに記してレース後に胸を張りたいが、外れる可能性も大。やめておこう。
 公民館の中国語教室でギャンブルが話題に上った。ギャンブルは中国語では日本語同様に「賭博」と書き、発音はdǔbó となり、敢えてカタカナ書きすると「ドゥボー」。辞書にはギャンブル狂の訳語として「赌鬼」(dǔguǐ) という語が載っていた。発音はともかく意味合いはすぐ分かる。私もかつては赌鬼の一人だったのだろう。慚愧に堪えない。

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