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August 2016

アリナミン

20160831-1472603913.jpg 水曜早朝。約一週間の釜山滞在を終え、帰福のフェリーに向かった。語学的には収穫が少ない旅となったが、願っていた再会が果たせなかったこともあり、致し方ない。釜山港でタクシーを降り、フェリーの受付に。順調に手続きを済ませ、出国審査も終え、出発ロビーでコーヒーを飲んでいると、何やら、雰囲気がおかしい。フェリー会社の人があたふたとやって来て、対馬海峡周辺の波の状況により、出航便がキャンセルとなったという。
 この日朝6時頃に起きてホテル(3階)の窓から外を見た時、はす向かいの商店のひさし状のカバーが激しく波打っていた。あれ、強烈な風が吹いているぞ。日本の東北地方を駆け抜けた台風の余波かな。海は大丈夫かな。地理的に距離があるから、まあ、たいした影響はないだろうと踏んでいた。だから、チェックイン直後にキャンセルを伝えられ、やっぱりなあとがっかりした。
20160831-1472603945.jpg 同じフェリー会社の便は午後3時過ぎにもある。この便に切符を振り替えてもらい、これを待つことにした。この便もキャンセルになる可能性はあると言われたが、6時間以上も経過すれば、波も収まるかもしれないと望みを天に託した。
 港のフェリー待ち合い所では他にすることもない。読書にいそしむ意欲もわかない。それでパソコンを開き、この項を記している次第。釜山最後の夜はK氏に付き合ってもらった。キューバから訪韓中のジャズのグループの演奏会があるので行きませんかと誘いを受けたので同行した。演奏会の前にK氏と一緒に食事しながら、いろいろ話をした。面白く聞いたこともあった。これはいつかきちんと整理して記したい。
 ジャズ演奏会を楽しみ、K氏に別れを告げた後、地下鉄でホテルに向かった。今回の旅では南浦洞の光復路と呼ばれる大通りに立つ屋台で何度か食事した。お店のおばちゃんと韓国語で悪戦苦闘した。情けなくなるほど話が通じなかった。NHKの初級のラジオ講座のテキストが分かる程度ではやはり、現実の会話には太刀打ちできないということを再認識させられた。最後の夜も屋台をのぞこうと思ったが、屋台にいけば、焼酎をまた飲むことになる。お腹は満たされており、真っ直ぐホテルを目指した。
20160831-1472603975.jpg ホテルがすぐそこまで来たところで、いつも以上の人だかりを目にした。明らかに何かの撮影が行われている雰囲気だ。好奇心に駆られ、近くに立っていた若い女性に誰か有名なスターでも来るのかと尋ねた。多分英語で尋ねたかと思う。彼女はそうだと答え、手にしていたスマートフォンでその男優の写真を見せてくれた。見たことのない顔だった。知っているかと聞くので、日本では有名ではないようだと答えた。すると、彼女は日本人ですか。私日本語少しできますと言った。発音が良かったので、どこでその日本語覚えましたかと尋ねた。彼女は「アリナミンの歌で覚えました」と嬉しそうに言った。「アリナミン?」。そんなコマーシャルソングがあったかしら?と私は面食らいながら、必死に考えた。「アリナミン、知りませんか。彼女日本の大スターでしょ?」。3度目の「アリナミン」の発声で、彼女が意味しているのは「アムロナミエ」であることが分かった。
 彼女は小学校のアートの先生で、英語と日本語に興味があるという。私の名刺を手渡し、メールを交換することを約した。漫画のあられちゃんのような元気のいい子だった。

海雲台

20160829-1472470941.jpg 週明け月曜の釜山はとても気持ちの良い天気だった。雨を覚悟していただけに嬉しい誤算だった。本日は知人に紹介して頂いたK氏にお世話になった。彼が住む釜山近郊の観光地、海雲台ヘウンデに足を運んだ。K氏の車で海雲台を色々と案内してもらった。K氏は元公務員で日本語、英語、中国語に堪能なインテリ。私との会話はほぼ日本語に終始し、韓国語の学習には役立たなかったが、それはそれで致し方なし。
20160829-1472470979.jpg 実は最近、韓国語学習の意欲は少し陰りを見せ始めている。中国語の存在が大きくなりつつあるのだ。今回の旅に一冊だけ、新書版の本を持参したが、これが韓国関連ではなく、中国もの。『はじめての中国語』(相原茂著 講談社現代新書)。以前にざっと一読したことはあったのだが、今改めて精読している。中国語と日本語の類似、相違点が興味深く説明してあり、釜山まで持参してしまった。間もなく読み終わる予定だ。もちろん、この本を読破したところで中国語が分かるようになるわけではないが。
                  ◇
 K氏の案内で訪れた先の一つはBexcoと呼ばれる海雲台にある国際コンベンションセンター。ここで「九州フェア」と呼ばれる催しが開催中だった。さてさて何が展示してあるのだろうと興味津々で足を運んだ。ところが、写真を撮る気にさえならなかった。平日の月曜日だったことも関係しているのだろうか。来訪者は数えるほど。それぞれの県のブースが設けられていて、浴衣姿のアルバイトの韓国人若者が応対していたが、お粗末なパンフレットが目立つ程度。暗い会場はだだっ広いだけで華もなく、あれでは来場者がぜひ次の休暇は九州へと思いを募らせることなど望むべくもない。主催・共催団体もよく分からなかったが、あれで「九州フェア」とは・・・。
                  ◇
20160829-1472471058.jpg K氏に会う前にふと思った。私の服装は大丈夫かと。私のこの時期の服装はジーンズにポロシャツ、それに長年愛用しているお気に入りのベスト。ベストをよく見れば、あちこちに綻びが見られ、耐用年数はとっくに過ぎているかの感あり。そう言えば、このベストはもうかれこれ20年は愛用している。それで釜山で新しいものを買うことにした。雑貨屋が軒を並べた国際市場の衣服店をのぞいた後、大通りに面した若者の姿が多いお店に入った。すぐにこれはいいというブルゾンが目に入ったので、試着して購入。
 面白かったのはこの衣料品で相手をしてくれた女の子。片言の英語でのやりとりとなったが、人懐っこい笑顔でとても好感が持てた。私がブルゾンをはおりながら、「私いくつに見える?」と尋ねた。彼女は「フォーティ」と答えた。私が「シックスティツー」だと言うと、本当に驚いていた。悪い気はしない。アフリカでは30代でも通じた。
 買い物ついでにもう一つ。釜山に到着する前から靴がどうも気になっていた。左の靴だ。足首の辺りが少し痛いのだ。改めて左靴の後部を点検すると、薄い金属板のようなものが外に出てきていて、これが足首に触れていたことが分かった。道理で痛いはずだ。靴も買い替えろというお告げかもしれない。それで靴も新しくした。ポロシャツも二つ、下着も二つ新しく購入した。私は今回は釜山にショッピングをしに来たのかもしれない。

言葉通じずとも

20160828-1472338339.jpg これも前に書いたかと思うが、釜山の人はよく笑う。街を歩いている家族連れやカップル、レストランや屋台で食事しているグループ。屈託のない笑顔があふれている。私の限られた経験で言うなら、世界で釜山の人ほど笑い興じている人たちはいないのではないかと思える。韓国経済はそれほど活況を呈しているわけではないと聞くから、なぜこれほどの笑顔なのか私には分からない。釜山の土地柄とも呼べるものだろうか。
 今回行こうと思っていたところがあった。テレビドラマでよく出てくる銭湯だ。低温サウナがあって、貸与のTシャツに短パンを着用した男女が共用の部屋で寝そべったり、食事したりしている。別にエロチックな体験を求めているわけでは毛頭ない。日本にはないああいう憩いの場を一度体験してみたかったのだ。できれば写真にも収めたいと。
 ホテルの人にそんな入浴施設は近くにないかと尋ねると、目と鼻の先にあるとの返事。着の身着のままでいいとのことで喜んで出かけた。一階で入場料金5,500₩ を払って二階に。二階の更衣室に上ったところでなんだか感じが違うなあと思ったが、もう遅い。日本でも普通にある男専用のサウナだった。私の質問が舌足らずだったようだ。
 サウナで汗を流しながら、同じ年配の客と二人切りになったので、つい、言葉をかけてしまった。「日本語か英語かおできになりませんか?」。「ええ、日本語分かりますよ」といった感じで、彼は軽く頷いた。「私は日本から来たのですが、ここはテレビドラマによく出てくる男女共用の入浴施設ではないんですね?」。彼はまた深く頷いた。ただ、言葉が出てこない。しまった。彼は日本語など分からないのだ。しばらくして彼はサウナを出て行った。
 サウナ自体は嫌いではないので、水風呂とサウナを数回出たり入ったりした後、備え付けの歯ブラシでもないのだろうかと辺りを見回していると、先ほどの客が近づいてきた。寝転びたかったら、隅っこにそういう場所があると手振りで教えてくれる。私が横になる場所を探していると思ったらしい。いや、そうではなく備え付けの歯ブラシがないのかと探しているのだとこちらも手振りで返す。どうやら歯ブラシはないようだ。諦めて湯船につかっていると、店の人が私に歯ブラシを持って来てくれた。どうやら彼が声をかけて特別に頼んだようだ。私は洗い場にいた彼を探してお礼を言った。
 釜山の人はよく笑うだけではない。外国からの来訪者にかくも親切だ。いつのことになるか分からないが、私はやがて中国にもさるく旅に出かけたいと考えている。果たして中国でもこのような経験をすることができるだろうかとふと考えてしまった。
20160828-1472338221.jpg この日のランチは何度か食べたことのある冷麺に似たミルミョンのお店。5,000₩。期待にたがわず美味かった。食べる前にはさみを器に突っ込んで麺を何回か切ることも忘れなかった。こうすると、麺を気持ちよく啜りあげることができる。お店のおばちゃんが私の顔を覚えていて、「釜山によくお見えになるんですね」と尋ねてきた。そういう質問だったかと思う。この程度なら私も理解できる。ええ、これが今年3度目の訪問ですと答えたが、思ったほどはすらすらと答えることができなかった。レーメンを作るおじさんも私がこの店を気に入っていることが分かるようで、笑顔が優しい。毎日食っても飽きない味だけに、釜山にいる間はランチはここにしよう。朝昼のメニューはこれでいつも同じになった次第。

嗚呼釜山

20160826-1472214734.jpg 今年3度目の釜山。幸い、福岡ほどは蒸し暑くはないようだ。天候が悪いことが一因かもしれない。週末にかけて雨模様らしい。私は釜山に来るとどうも雨にたたられる。最近は普段の行いに後ろめたいことはないのだが・・・。
 博多港で日本円を韓国ウォンに両替。今度は10,000円が10,500₩のレートで少し嬉しかった。千円がほぼ百ウォン(₩)だから、数字に弱い私にも計算しやすい。
 釜山港でフェリーを降り、タクシーで南浦洞地区に向かった時は夜の7時を過ぎていた。お腹が空いていたが、さすがに宿を決めないことには落ち着かない。予約はしていない。これまで定宿にしていた国際市場近くの安ホテルに足を運ぶ。顔見知りになった方がフロントにいて、「おや、ひさしぶり。お元気でしたか」といった挨拶を交わす。シングル45,000₩の部屋が空いているとのことだったが、前回は40,000₩の部屋に泊まったことを覚えており、今回もぜひと頭を下げると、嫌な顔もせず受け入れてくれた。カムサハムニダ!
 チェックインを済ませて夜の街に。釜山はさすがに賑やかだ。大通りにさまざまな屋台が出ている。言葉巧みに屋台のおばちゃんと話しながら食べたら楽しいだろうなあと思う。私はまだまだその域には達していない。
20160826-1472214768.jpg それで一人でも気楽に食べられるお店を探していると、3月の初回の旅で行ったことのあるホルモン店の前に着いた。幸いカウンターの席が空いている。愛想の良いおばちゃんに席を勧められた。旅の間は日本での断酒は小休止。アルコール度の低い地元の焼酎の小瓶を1本注文。アルコール度が低いから、すすっと喉を下る。普段肉はあまり食べないから、ホルモンも美味い。おばちゃんを相手に片言の韓国語でおしゃべりして、お腹一杯になって勘定の段。この夜はおばちゃんにビールを1本奢ったため、締めて42,000₩。おばちゃんは福岡に戻る前にまたぜひ来てくれと宣い、名刺を手渡してくれた。なんとなく見たような名前だなと思いながら、ホテルに向かう。
 途中でこれも顔馴染みになったマッチ箱のような喫茶店で一杯のコーヒー(2,500₩)、屋台でチジミのようなもの(5,000₩)を買ってホテルに。シャワーを浴びて、ジーンズから財布や小銭を出していると、ホルモン店でもらったおばちゃんの名刺がでてきた。最近はあまり使うことのない名刺入れを整理していると、これまでの釜山訪問で受け取った名刺がいくつか出てきた。そのうちの一つは何と、この夜に頂いたあのおばちゃんの名刺だった。私は仕事柄、記憶力の良さだけは自信があった。それがこの体たらく。What a short memory!(こんなに物忘れが酷いとは!)
20160826-1472214806.jpg 金曜朝。かねてから決めていた定食屋をのぞく。前回の釜山滞在の終わりの方で知ったお店だ。ここのビビンパが結構いける。4,000₩。日本円だと400円というわけで、これは日本人の感覚からすると相当安いと言えるだろう。それでもってまずまずの味だから行かずにはいられない。おそらく釜山滞在中、私はずっとこの食堂で朝飯を食することになるだろう。それもビビンパだ。朝からビビンパが適当かどうかは分からないが、頻繁に入ってくるお客を見ていると、私同様ビビンパを注文している人が少なくないから、おかしくはないのだろう。見ていると、箸は使わず、スプーンでこねてすくって食べている客が多い。私もそうしよう!

記憶に刻まれた愛ちゃん

 帰福。福岡はまだ暑い。夕刻はサウナ状態だ。郷里の田舎も昼間はさすが少し蒸したが、朝夕はぐっと涼しくなっていた。明け方は毛布さえ欲しいと思ったほどだ。ネット通信など文明の利器の恩恵は受けること能わずだったが、リオ五輪はテレビでたっぷり視聴した。
 ずっと昔に、国が成り立つには人々の「ともに生きる意思」と「共通の記憶」があって初めて可能といった類のことを読んだ記憶がある。リオ五輪に関していえば、日本国民が今後ずっと抱く共通の記憶は①女子卓球団体で愛ちゃんたち3人娘が根性でゲットした銅メダル②天才内村航平が率いた男子体操団体の不屈の金メダル③男子陸上韋駄天4人組が400リレーを快走した銀メダルに尽きるかと思う。特に愛ちゃんの涙に濡れた笑顔が素晴らしかった。
                 ◇
 かくいう次第で、帰省中にはほとんど本を読まなかった。読んだのは一冊だけ。『中国再考 その領域・民族・文化』(岩波現代文庫 葛兆光著)。以下、例によってマーカーを走らせたところを記しておきたい。現代中国が秘めている危機的状況が詳述されていた。
 古代中国人は長きにわたって「天下観」にずっとこだわり続けてきた。その理由について、中国は仏教以外の真の外来文明による挑戦を受けたことが一度もなかったため、中国人は自分こそが天下の中心で、漢文明こそが人類文明の頂点であると終始信じてきたためであろうと筆者は考えている。
 筆者は、膨張し続ける中国が持つ、自国の伝統・色彩・価値を「発揚」させたいという非常に強い焦りは、実は清朝末期中華民国初期からずっと増大し続ける精神的プレッシャーとなっており、「富強を求める」強烈な願望と「天朝大国」であった歴史の記憶が、中国が百年来たえず「流行の服を拾い上げて身に着け、また脱いでは着替える」原因となったと強く感じている。
 この東北アジア(中国・日本・韓国)は地理的に相互に接近し、その伝統と歴史の上でかなり深い共通のルーツをもっているが、十六、十七世紀以来、相互に大きな偏見、敵意、不信感を抱き、その状態が今日に到るもなお続いているということである。
 こうした議論の感情的な要素はしばしば中国が長期にわたって受けた屈辱と圧迫に対する激しい反抗からきている。そのため、中国が次第に強大になるにあたって、すぐに一種の感情を、まさに一部の研究者が述べたように、百年来西側は中国に対して略奪、圧迫、陰謀を試みたが、今や彼らが危機に見舞われており、中国はまさに強大となり、西側を救わねばならず、その結果「未来には中国人が政治的に全人類を統一して世界政府を樹立する」と言っているような感情を生みだしている。

                  ◇
 さて、明日から一週間ほど、また釜山の旅に出る。特段のあてもない。迷走する台風10号の進路が気にかかるが、フェリーのチケットを予約済み(往復7,900円)。今度はどんな出会いが待っているのか。あまり期待はしていないが、言葉(韓国語)も少しはましな会話ができるようになっているだろうか。帰省中にはお袋の命日の12日に少しだけ焼酎を飲んだ。異国の旅にしあれば、向こうの酒を少しだけまた味わっても罰は当たらないだろう。

山籠りへ

 リオ五輪が開幕した。甲子園の高校野球も開幕した。大リーグは岩隈、前田両投手が意地の好投を見せている。プロ野球もセリーグでは巨人が広島に猛追している。スポーツ好きにはたまらない本格的な夏が到来した。
 五輪の中継で我々はこれからしばらく日本人選手の活躍に一喜一憂させられることになる。それはそれでいいのだが、相次ぐテロや領土(領海)問題のニュースに接すると、人類は国家(宗教)というしがらみをいつまで引きずっていくのかという思いもしないではない。健全なナショナリズム(民族主義)というものもあるだろうが、イギリスの文豪で文明批評家のH.G.ウェルズが説いた「世界国家」の夢が脳裏をかすめる。我々はもうそろそろ国籍や民族の違い、わだかまりを捨て去っていいのではないか。そうすれば、今のあまたの国際紛争・対立の芽は摘めるのではないのか。
                 ◇
 さてその開幕したばかりの五輪。滑り出しはそう順調でもなさそうだ。柔道では期待された初日の軽量級での金メダルは実現せず、男女とも銅メダルだった。私はこの試合をどちらも見ていないが、今朝の新聞では「今までに感じたことがない感覚」に襲われたと男子選手が振り返ったことが報じられている。女子バレーも初戦でライバルの韓国に逆転負けを喫した。ここでも日本チームに「緊張があった」と紙面が伝えている。男子体操の団体予選でも落下などのミスが続出したとか。
 ずっと以前に、スポーツに関して、選手たちがよく口にする言葉に違和感を覚えることがあると書いた。その一つは国際試合で日本を発つ選手たちがコメントを求められると、「(試合を)楽しんできます」などと判で押したようにマイクに向かって話していること。別に楽しんで悪いというわけではない。異口同音の退屈なコメントではなく、もっと自分にしか言えないような個性的な言葉はないのかと私などは思うのだ。
 それでその結果がプレッシャーにつぶされての惨敗だったら、何をかいわんやという気持ちになる。私は国際試合の場に立つような選手はみっちりスポーツ心理学のような鍛錬を受けさせるべきだと思う。(いや、とっくに受けているのかもしれないが)。技術がすでにあって土壇場でその力が発揮できないとしたら、お互いにとても不幸だ。テレビで見ていて選手ががちがちに緊張しているシーンは見たくない。とても「楽しんで」いるとは思えない。有言実行。金メダルは取れなくともいい。国の栄誉なんてものも考えなくていい。伸び伸びと内に秘めている力を思う存分発揮して欲しいと願う。
                 ◇
 とそんなことには関係なく、私は間もなく宮崎の郷里の山中に籠る。パソコンは使えず、携帯も圏外。世の中の喧騒とは無縁の静かな日々を過ごすことになる。スポーツ中継の熱狂からも幾分遠ざかることになる。NHKラジオ(語学講座)も山間地だから雑音が入って、聴取があまり芳しくないのが少し残念だが、致し方ない。
 そういう事情でこのブログもしばしお休みです。皆さま、楽しい夏休みをお過ごしくださいませ。アンニョン!

ジヨで十分じ・よ!

 東京都に初の女性知事が誕生した。先輩知事の石原慎太郎氏は選挙戦中に小池百合子氏のことを「大年増の厚化粧」と悪態をついたらしいが、まあ、コメントにも値しない下品な言い草だ。これではどこかの国で信じ難い破廉恥な発言を繰り返し、物議を醸している大富豪の大統領候補と大差ない。
 多くの国で女性が「ガラスの天井」(glass ceiling)を打破しているのは良いことだと思う。主要国で見れば、ドイツは人気に陰りを見せない安定感抜群のメルケル首相。イギリスはブレグジット(Brexit)の余波で瓢箪から駒が出る形で就任したメイ首相。今秋の大統領選で意欲満々のヒラリー・クリントン氏が選出されれば、米英独の3首脳が女性となる。日本で女性首相が生まれるのはまだまだ先のことだろうが、首都東京の顔に女性がなったことで、女性の社会進出が一段と加速定着することが期待される。
 海外のメディアでもこのニュースは大きく報じられていたが、いささか取材(確認)不足のものもあったようだ。例えば、米ワシントン・ポスト紙(ネット版)では、Although turnout was low at about 27 percent, voters overwhelmingly backed Koike, a onetime television news anchor who speaks English as well as Arabic, which she learned as a student in Egypt. と伝えていた。この都知事選の投票率が60%近かったことは周知の通りである。
 次のような文章もあった。Koike will have to get to work quickly. She’s due in Rio de Janeiro for the opening of this year’s summer games, which open Friday. She is set to serve a four-year term running up to the 2020 games. 小池新都知事がリオに駆けつけるのは開会式ではなく、閉会式だ。
                 ◇
 韓国語を学んでいて、語感が日本語と似ているなあと感じることがある。それは日本も韓国も中国の漢字文化圏に属しているのだから当然と言えば当然のことであるが、漢字とは離れたところで、例えば、語尾のところでそう感じることがある。例えば、「・・・」という表現。これは日本語だと「~だろ」という感じかと思う。韓国語では「パンマル」と呼ばれる「ため口」で、礼儀正しい言い方をする時には「・・・지요ジヨ」となる。
 なぜ、この「지」にこだわるかと言えば、我が宮崎では語尾に「・・じ」と言う人たちがいるからだ。県庁所在地である宮崎市の人たちだ。40年以上前のこと、宮崎大学に入学して、県内外の学生と初めて触れ合った時のこと、私には宮崎市内出身者が例えば「それは俺のやじー」(それは俺のものだよ)などと言うのが強く印象に残った。私の出た西都市ではこういう「じー」という語尾は聞いたことがなかった。それで、韓国語の「ため口」でこの「・・・지」に出合うたびに、不思議な懐かしさを覚えてしまうのだ。
 今月末に久しぶりに釜山を訪ねる予定だが、私がこの「・・・지」を実際に使うことはないだろう。何しろ「ため口」だからだ。よほど親しくない限り、口にすることはないと思う。それでないと相手に「この男、無礼な人だ」と思われてしまうだろう。逆に言うと、早くこういう物言いができる親しい友人ができるといいのだが、この年になるとそう上手くは運ばないだろうことぐらい承知している。私は当面は「・・・지요」で十分だ。

回文とは異なるが・・・

 先週の金曜日。また中洲の歓楽街を歩いた。人恋しくなったわけではない。高校時代の同級生から暑気払いでもしようとメールがあったからだ。それで落ち合うのに便利の良い中洲で落ち合った次第。先週のぞいたお店にまた足を運んだが、生憎予約客で満室とか。それで友人が行ったことのある西中洲の小料理屋に行った。
 久しぶりの再会だった。先週末にも少し飲んでいるので、この夜は勘弁してもらい、もっぱらウーロン茶をあおった。彼が美味そうに生ビールを干すのを見ても気持ちがざわつくことはなかった。ささやかな宴の最中、連絡が遠のいた同級生O君の話になり、O君の携帯に電話。O君は定年退職後はどうやら好きなゴルフを中心にした優雅な生活らしい。電話に出たO君は「那須君、君のブログたまにのぞいているが、俺には難しすぎて・・・」と宣う。
 英語に加え、最近は韓国語、中国語の雑学的要素も加わった。まあ、私には「備忘録」的なブログだから、O君、許してたもれ。別に気取って書いているわけではない。私にはそれでも同級生のO君がブログをたまにのぞいてくれているだけで嬉しかった。
                 ◇
20160801-1470018219.jpg O君には悪いが、英語に関する記述が楽しみという「読者」もおられるようなので、いつも読んでいる米インターネット新聞「ハフィントンポスト」の記事を紹介したい。これは何とも興味深い漫画(cartoon)だ。
 この漫画を読んで最初に頭に浮かんだのは日本語の「回文」という、上から読んでも下から読んでも同じ文意になる巧妙な文章だ。この漫画の文章の面白さは普通に読むと左のドナルド・トランプ氏の主張となるが、逆から上に読み上げていくと、右のヒラリー・クリントン氏の訴えとなるというもの。文章を区切る句点(ピリオド)がないところがみそか。
 トランプ氏の主張と思って普通に読み進めれば、“It’s getting worse. So don’t try to convince me that the future is bright in America because, when you take a closer look, there’s anger and hate, even if it’s not who we are as a nation. But you should be scared (of) crime, terrorists, illegals. We need to do something. Believe me, fear is greater than hope. Because we can’t be optimistic and you’ll never hear me say America needs bridges not walls.”
 ヒラリー氏の主張と思い、下から逆に読むと、“America needs bridges not walls. And you’ll never hear me say we can’t be optimistic, because hope is greater than fear. Believe me, we need to do something. Crime, terrorists, illegals. You should be scared. But it’s not who we are as a nation, even if there’s anger and hate. Because, when you take a closer look, the future is bright in America. So don’t try to convince me that it’s getting worse.”
 しばし考えさせられた。これは何を意味するのか。考え方の出発点が異なるということか。それとも庶民とはかけ離れた階層に属す二人の主張には所詮大差がないということか?

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