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霧島神宮温泉郷

  • 2025-08-08 (Fri) 16:43
  • 総合

 南大隅町から鹿屋市に出た。一旦鹿児島中央駅まで戻る必要があったので、錦江湾をフェリーで鹿児島市内に出るのだが、鹿屋にまで上がっていれば、フェリーに乗るのに便利。鹿児島中央駅から、日豊線に乗り霧島神宮駅駅で下車した。霧島温泉郷に足を運びたかったのだ。(実際には霧島神宮温泉郷)
 霧島温泉郷は遠い昔に一度訪れたことがあった。読売新聞社に就職して、国際部に配属されていた頃、お袋や妹、姪っ子と一緒にとある夏の休暇に足を運んだ。私はナイロビ支局勤務を終えて東京本社勤務に復帰、仕事に燃えていた時代だった。母や姪っ子と一緒に温泉でのくつろぎを楽しみにしていた。食事を終えた頃だろうか、残念ながら明確な記憶が残っていない。覚えているのは東京本社から連絡があったこと。35年前のこと。携帯電話はまだなかった。どうやって連絡がついたのか分からない。東京本社から私の実家に電話があり、私の休暇先を知り、電話があったのかもしれない。国際部の下っ端の私が国際部に休暇先の連絡方法を届けていた可能性もなくはないが・・・。
 とにかく、電話口の向こうから上司が「悪いけど、直ちに東京に戻って来てくれ。そしてすぐにイラクに飛んで欲しい」と言う。私は中東担当ではなかったが、幸か不幸か、当時、なかなか手にできないイラク訪問のビザを所有していた。実は当時、イラクのサダム・フセイン政権がクウェートに侵攻して発生した湾岸危機で、イラクには日本人の耳目が集まっていた。米英政権はフセイン政権が大量破壊兵器を隠匿しているとも非難し、追い詰められたフセイン政権はイラク在住の邦人を人質にする暴挙に出ていたからだ。
 上司の言い分はこうだった。国際部のベテラン記者のTさんがイラクに取材で飛ぶ。彼は体調が心配だ。君はまだ若い、彼の側にいてあれこれ手伝って欲しい。そう頼まれれば断れるわけがない。私は中東取材の経験もなく、イスラム社会のことも分かっていないが、貴重な取材経験となる。とはいえ、せっかくの夏休み。一緒に過ごすことを楽しみにしていたお袋や姪っ子をホテルに残したまま、東京に戻るのは心苦しかった。どういう経路で戻ったのか覚えていない。辛うじて覚えているのは深夜タクシーを呼び、駅に急いだこと。間違いなく霧島神宮駅だったのだろう。ただそこからどうやって上京したのか全然思い出せない。
 センチメンタルジャーニーではないが、昨夕、霧島神宮駅に降り立ち、タクシーで霧島神宮温泉郷のホテルに投宿した。名物の泥湯を顔に塗り、温泉を堪能。泊まり客はなぜか少なく、ゆっくりと憩うことができた。まだこの時には知る由もなかった。この後、霧島地区に線状降水帯がかかり、未曾有の豪雨に見舞われることを。私の平屋の和室は庭に面しており、雨音が直に聞こえる。あまりの雨音に何時か分からないが、目覚めてしまった。朦朧とした頭にも尋常ならざる雨であることは分かった。
 朝ご飯を頂いていると、食堂のテレビのテロップが霧島地区は未曾有の豪雨で電車が運行を停止していると伝えている。嫌な予感。この日、チェックアウトした後、霧島神宮駅から宮崎に向かう予定だった。ホルモン焼きが恋しい。バスも運休になっているみたいだ。嗚呼、タイミングが悪い。どうすんべ? 

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