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英語でさるく 那須省一のブログ

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ソウル再訪

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 久しぶりの韓国訪問。2日朝、6時にスマホの目覚ましをセットしたが、起床するのもやっとだった。かてて加えて、前日に北陸・能登半島で連続発生した世紀末を連想させる激震の連続。NHK女性アナの滑舌のいい「テレビを見ていないで急いで逃げてください!引き返したりしないこと!今すぐ逃げこと!」という明快な避難指示が心にぐさっと刺さった。福岡に住む私は当事者ではない。北陸の人々にどう聞こえたか察して余りある。
 私は年末から魚津に住む親しい知人を訪ねることも考えていた。この人から寄る年波で暖かくなってから再訪して欲しいと言われたため、魚津訪問は控えていた。もし再訪していたら、まさにドンピシャで今回の地震に遭遇していた。そうなれば、知人や親戚の方々にきっと余計な心労を与えていたことだろうと胸をなで下ろした。
 とまあ、そんなことはどうでもいいのだが、北陸の大地震でのんびり韓国への旅を楽しんでいいものかと思った。それで1日夜ベッドに入るときは寝坊したらそれはそれでいいかとも考えた。それでも目覚ましで朝6時過ぎに目覚め、急ぎ旅行の準備に取りかかった。というか、冷蔵庫にある残り物を朝食として片付け、お土産をキャリーバッグに詰め、髭を剃った程度のこと。ほぼ一週間の旅だが、着替えは最低限にして、ズボンやシャツの替えはなし。なんとなればソウルで新しく買おうと考えた。とまあ、ちんたらやっていたら、福岡国際空港に到着するのが遅れてしまった。大丈夫かなとも案じたが、すべては神様の思し召し次第。神様が行けと言われるならなんとかなるだろう。
 という次第で今、ソウルの安ホテルにチェックインしてこの項を打っている。4年3か月ぶりのソウル訪問。すっかり忘れていた。前回はラブホテルに投宿したが、今回はネットでホテルを押さえていた。料金はほぼ同じか安いぐらい。チェックイン後、南大門市場までバスで行き、両替商を訪ね、円をウォンに両替。とりあえず、5万円を両替したが、前回は軽く50万ウォンを超えていたと思うが、円安のせいか、今回は45万7500ウォン。両替商のおばちゃんはそれでも最近ちょっとレートが良くなったのですよと宣った。
 前回のソウル訪問は2019年10月。当時の両替レートは1¥=10.13ウォンだった。今回はそれが1¥=9.15ウォン。なんだかとても損をしているように感じるが、まあ、為替レートだからどうすることもできない。
 今回投宿したのはなんだか迷路みたいなところにあるホテル。ちゃんとしたホテルだが、私のような方向音痴には大変。南大門市場からの帰途では道に迷い、難儀した。なんとか帰り着き、夕食を食べるために再び外出。何軒かレストランをのぞいたが、以前にも感じたことだが、ソウルで一人で食するレストランに行き着くのは大変。「一人前はやっていません」と言われたり、それではどれぐらいかかりますかと問えば、日本円で「4500円の鍋」とか。さすがにちょっと高いと思うし、第一、写真を見ると、大食漢の私でもちょっと無理かなと思うほどの量。
 それで何軒かのぞいた後、チゲなべの食堂に辿り着いた。韓国焼酎を飲んでも締めて13000ウォン(約1420円)。お腹いっぱいになったし、満足。さあ、明日は何をしよう。中東取材で知り合った韓国人の旧友と再会し、語り合いたいが、はてさてどうなることやら。

良いお年を!

20231231-1703989799.jpg 2023年が過ぎ、2024年が幕を開けようとしている。新年はどういう年になるのだろう。個人的なことはともかく、世界情勢はやはり気になる。種々の不安要因はあるが、最大のものは引き続きウクライナ情勢か。ロシアの核爆弾使用の懸念は消えていない。一方的に侵略されたウクライナが受け入れることのできる和平案が見つかるのかという疑念はあるが、ウクライナの人々が一日も早く心穏やかに過ごせるようになって欲しいと心から願う。
 中東・イスラエルのパレスチナ自治区ガザの戦闘も和平の兆しが一向に見えないまま年を越す。日本のメディアでは報じられることはあまりないが、アフリカの国々も惨劇と無縁ではなかった。年末に英字紙で読んだナイジェリア関連のニュースではイスラム過激派の武闘組織がキリスト教徒が居住する地区を襲撃し、200人近い村人が惨殺されていた。人命の価値、値段が国によって地域によって違っていいはずがないのに!
 宇宙のどこかから異星人がやって来て、上記の光景を目撃し、我々が地球と呼ぶ惑星に生息する人類は野蛮極まりない愚かな生き物ですなとコメントしたとしたなら、我々には返す言葉などないだろう。「本来は心優しい人々が圧倒的に多いのですが、どうも彼我の微妙な差異に拘り、争いをやめない好戦的な人々もいるのですよ」と苦笑するしかないのか。恥じ入るしかない。
 アメリカは大統領選を迎える。そしてこれも信じ難いことだが、あのトランプ氏が今なお絶大な影響力を誇っているのだとか。2020年の前回大統領選でバイデン現大統領に敗れた時はトランプ氏が表舞台から消え去るものと思ったが、そうではなかった。まさか4年後の次回大統領選でも共和党の最有力候補と目されていようとは想像できなかった。
 年末に届いた米ニューヨーカー誌のスーザン・グラッサー記者のコラムはそのトランプ氏のことを取り上げていた。米政界に精通している彼女は共和党の候補者指名争いでトランプ氏を負かす人物はいないとの見立てだった。さらにおそらくバイデン氏との再戦となる雲行きの大統領選本選でもトランプ氏が勝利する可能性が高いとまで案じている。背景には数々の重大なスキャンダルにもかかわらずトランプ氏の岩盤支持層の結束が固いこと、高齢のバイデン大統領の支持率が依然低迷していることなどがあり、トランプ氏優位のまま2024年を迎えようとしているらしい。
 もちろん、一寸先は闇というのは日本の政界だけではない。グラッサー氏も次のようにその記事を締め括っている。Trump’s victory is by no means assured. … With American democracy on the line, I’m taking the only defensible position toward the New Year: full-scale dread. I plan to pull up the covers and hide under my pillow as long as possible come January. It’s going to be a long twelve months. 布団を頭からかぶっても運命は変えられないし、full-scale dread(紛うことなき恐怖)から逃げられるわけもなく、やがて現実を直視するしか手はないことは誰もが分かっている・・・。
 とにもかくにも私は明後日の2日から久しぶりに韓国・ソウルへに出る! 새해 복 많이 받으세요!(セヘ ポン マニ パドゥセヨ)(新年、福をたくさんもらってください→明けましておめでとうございます)

有馬記念

20231224-1703379763.jpg 前回の項で「これをもって私のこのブログの2023年は打ち止めとしたい」と書いたばかりだが、「舌の根も乾かぬうちに」またぞろ何やら書いているではないかいな。実はちょっと記しておきたいことがあるのだ。タイミングは今しかないような気がする。競馬のこと。この時期は当然有馬記念(24日)の話題だ。普段馬券を買わない人も馬券に手を出すのが有馬記念だと聞いたことがある。年末ジャンボ宝くじのような感覚だろうか。宝くじはまず当たらないが、有馬記念だったら運が良ければ、ビギナーズラックということもある。
 私には時々、ラインメールで競馬の話題をやり取りする友人が一人いる。彼は長年競馬に勤しんでいる馬券勝負師だ。私も年数はかなりになるが、勝ち馬を見極めるのは所詮ど素人レベル。有馬記念が近づいたこともあり、競馬のことをちょっと考えていて、といっても馬券を買うことなど今では遠い世界の出来事だが、ふと思った。俺、馬券から足を洗ってもう何年になるのかな?と。10年ぐらいになるのかな?はっきりとは分からない。
 こういうときは過去のブログをスクロールすることだ。だが、残念ながら馬券購入から足を洗った明確な記述はないようだ。恥ずかしい話だからあえて取り上げていない可能性大かな。
 私は日記はつけないが、年ごとの手帳は新聞社勤務時代からずっと日々のメモ書きとして利用している。古い手帳を調べてみた。該当の記述が出てきた。2015年4月19日(日)の項で次のように走り書きしている。「もうそろそろ競馬から足を洗う時か!宣言『脱競馬』!!これからはもっと有効的に週末を活用すべき!(と心に誓う)」。そうか。まだ8年余か。まだまだ修行が足りないな。
 パチンコは馬券から足を洗う少し前に決別した記憶があるから、おそらくもう10年は手を触れていないような気がする。パチンコは推理の楽しみもないから、もう二度と手を染めることはないと思う。第一時間がもったいない。ギャンブルに関して今なお興味を捨てきれないのは麻雀。といっても実際に麻雀に精を出しているのではなく、Mリーグと呼ばれるネットの競技麻雀のチーム対抗戦でプロ雀士の人たちがプレーしているのを楽しんでいるのだ。麻雀のように運というか偶然性の要素が大きいゲームに興じる人をプロと呼んでいいのか疑念も残るが、Mリーグは若い人々の間で結構人気があるようだ。
 競馬に関しては「私が80歳になってまだ健康で遊びに使える小金があるようだったら、また馬券を楽しんでもいいかなと思っているよ」と先述の競馬の友に語ったような記憶がある。これからあと10年修行の日々を経なければならない。その頃には私は色々な意味で干上がってしまっているかもしれない!
 とまあそれはさておき、予想だけは自由だ。有馬記念。私の勝ち馬予想は○番○○○○○○○○。まあ、外れるだろう。当たっていたら、後日馬名を改めてこのブログに記したい。たとえ当たっていたとしても、ああ残念!馬券を買っていれば!などと思うことは絶対にない。私が「誓い」を破り、馬券を買っていたら、結果が異なっていたことだろうし・・。

しばし冬眠?

20231219-1702946395.jpg 次に記載しておくのは、先週末、備忘録として記し、今では少なくなった友人・知人らにメールした「個人的な新春展望」だ。まあどうでもいい内容だが、いつかまた懐かしく読み返すこともあるやもしれない。これをもって私のこのブログの2023年は打ち止めとしたい。年末・正月にかけ特段の予定はない。インフルエンザに出鼻をくじかれたが、体調に問題がなければ、久しぶりに海外の旅を考えてもいるが、どうなることやら。
 出かけるとしたなら、「気心」の知れた台湾か。韓国も捨てがたい。最近は中国語の独学はほぼ手詰まりの窮状で、それは韓国語も似たような惨状なのだが、韓国語は毎週、韓国人ネイティブ話者の無料YouTube講座に耳を傾けている。ソウルには近しい韓国人の友もいる。トランク一つ手にソウルを訪ねるのも一興かもしれない、などと考えているが、実際に腰を上げるのはしんどい。故郷・宮崎弁を使うなら結局「よだきぃ」と見送るかもしれない。
                  ◇
 2023年は帯状疱疹罹患に始まりました。まさかこんなに長く苦しむことになるとは思いもしなかった。毎夕、風呂に入るべく肌着を脱ぐと、右肩を中心に目を背けたくなるような膿みが付着していました。やがて膿みは収まりましたが、明け方の違和感はつい先日まで続いたような気がします。ほぼ一年が経過し、心の安らぎを感じるようになっていた先週末、今度はインフルエンザに見舞われました。一週間寝たきりを余儀なくされ、この土曜日にようやく体調が戻りました。
 かくて2023年は踏んだり蹴ったりの一年でした。とはいえ、老年期の帯状疱疹は誰もが経験する病とか。私は体力のある時期に一足早く駆け抜けさせてもらったと捉えましょう。仕事(中学校での英語の非常勤講師職)はなんとか続けられているわけですし、もっと甚大な健康被害だってあり得たわけでしょうし。
 さて来る2024年。世界の果てで起きている愚かなそして凄惨な戦争・テロを想起すると、人類に21世紀を語る資格があるのかという根源的な疑念さえあります。我々は聖書が説く「終わりの時代」に生きているのでしょうか。
 暦の月が二度変われば私も古希。人生がこんなに「短篇」であるとは思わなかった。あとは淡々と引き際を見つけるだけでしょうか。寂しすぎる気もしますが。まあ、できることを気負わずこなしていきましょう。とはいえ、「人生七掛け論」者の私から見たら、私は70×0.7=49すなわちこれから人生の華である50代を迎えることになります。ならばそろそろ考えていることに着手する頃合いでしょうか。はてさて言うは易し、行うは難し。考えていることは頭の中にあるのですが、それを実行に移すのは至難の業。
 2024年もかくして煩悶の中、怠惰と不作為のまま過ぎゆくことになるのかもしれません。数日前の読売新聞朝刊の一面下の目立つ広告欄にあの養老孟司先生の初の自伝の本の紹介が載っていました。NHKテレビで愛猫と戯れていた先生の人生哲学の語りは私も好きです。この本を買ってまで読もうとは思わないが、広告の文言によるとーー。虫と猫と、バカの壁 考え続けた86年 「人生は、なるようになる。これが僕の結論です」とか。「なるようになる」すなわち「なるようにしかならない」ということなのでしょうか?

里芋のこと

20231207-1701918334.jpg 久しぶりに再会した元同僚が飲み残した缶ビールは依然、冷蔵庫に収まっている。まだ全然我慢できるから心配はない。ただ、最近八百屋で里芋を見かけ、子供の頃、親父が炭火で焼いて焼酎の肴にしていたことを思い出した。私も少しおこぼれに預かり、熱い里芋をフーフー息を吹きかけながら皮をむいて食べたような記憶が・・・。
 それで里芋を買い求め、焼酎の肴にすることにした。煮てもいいのだろうが、やはり思い出に浸るには焼きたい。炭火で焼くことはできないから、ガスコンロにアルミホイルを敷いて焼いてみよう。焼き上がったら、軽く醤油に浸せばきっと旨いはずだ。結果は目論見通りだった。土っぽい皮をむきながらふと思った。この皮にこそ栄養素があり、しかも美味では。
 こういう時にはネット検索か食に詳しいI先輩に尋ねる。I先輩から早速返事が来た。「焼く前に水につけてしばらく放置した後、ごしごしこすり合わせると土が落ちる。皮には繊維質が豊富で捨てるのはもったいない」というアドバイス。ありがたい。期待した通りの見解だった。よし、これからは親父を偲んで精々里芋を焼いて皮ごと頂こう。
 それでまたあることを思い出した。食材のすべてをありがたくいただくことを確か、英語ではwhole food(ホールフッド)と呼ぶのではなかったかと。英和辞書には「自然食品」とう訳が載っている。加工されていない食品ということか。いや、それだけではないはずだとネット検索してみると、「野菜であれば皮・種・葉・根まで、魚であれば頭から尻尾まで、素材まるごと食べること」と載っていた。自然の理にかなった食生活で健康作りか。I先輩は普段から「野菜は皮や種・根にこそ栄養がつまっている」と言われている。それで私も今ではゴーヤやピーマンなどは綿や種も喜んで頂戴している。You are what you eat!
                  ◇
 最近またテレサ・テンのヒット曲をネットでよく聴いている。テレサ・テンさんと書くべきだろうか。私は2年ほど前にこのブログで以下のように記している。――日本語の『つぐない』は多少の編曲(音痴の自虐的表現)を許してもらえるなら、最後まで歌い通すことはできる。だが、中国語の『偿还』はそうはいかない。彼女の歌声を聞きながら、歌ってみるが、どうも同じ歌を歌っているとは自分でも思えない――
 『つぐない』は上記の通り、中国語では『偿还』という曲タイトルとなっている。(偿还とは償還=債務の返済)。今回は『偿还』の文言をプリントアウトして、「つぐない」の歌詞と見比べながら聴いてみた。それで分かった。『偿还』の歌詞は一編の詩のような味わいなのだ。窓に西陽があたってもおらず、子供みたいなあなたという記述もない。まあ、確かに、あすからというか、今では他人同士になってしまった男女は登場するもののだ。だから、『つぐない』の歌詞はすっかり忘れて『偿还』の世界に没頭するしか手はない。
 それでも日中の歌詞の微妙な差異は興味深い。『つぐない』では女は別れた男に、早く私より可愛い人(女)でも見つけて、あなたの人生を生きてねと励ましている印象だが、『偿还』では女は男に対し、口の上でのつぐないなんか要らないわ、私は悲しみが募るだけよと責めている。日本人だから歌いやすいのは断然『つぐない』の方だが、歌詞の深さを感じるのは間違いなく『偿还』だろうか。

代名詞はなくとも具材は?

 図書館から借りていた『日本語と中国語』(劉徳有著)をようやく読み終えた。大変読みやすい本だったのだが、思い出したように時々走り読みしていたので時間がかかった。印象に残ったことは多々あるが、一つだけ記しておきたい。日本語の曖昧さについての指摘だ。
 ――外国人から見て、日本語があいまいとされる理由のひとつに、主語や代名詞の省略がある。対して、中国人は会話もそうなのだが、特に文章を書くとき、誰それと主語をはっきりさせる。そんなわけで、中国人の書いた文章には「わたしは」、「われわれは」、「あなた」、「あなた方」、「彼」、「彼ら」という言葉がやたらと多い。(中略)『時の流れに身をまかせ』(中国語では『我只在乎你』)と言えば、いまもカラオケの定番ソングになっている故テレサ・テン(中国語の芸名は鄧麗君)の大ヒット曲だが、この名曲の歌詞も日本語バージョンと中国語バージョンとでは代名詞の使われ方に違いがある。日本語の歌詞では「だから お願い そばに 置いてね」となっている箇所が、中国語では「所以我求求你 别讓我離開你」(だからわたし、あなたにお願い、わたしをあなたから離さないようにして)となり、この短いフレーズに「我」「你」の代名詞が各二回も出てくるのだ。――
 日本語は確かに主語や代名詞を明示しなくとも理解の妨げとはならないが、中国語や英語はそうはいかない。ただその分、二人称(你やyou)が広範に使用可で楽とも言える。日本語や韓国語では初対面の人に何と呼びかけていいものか、身もだえすることになる。
                  ◇
 笑い話を一つ。数日前のこと。遠方からかつての職場の同僚(後輩)が訪ねてきた。たまたま学生時代の先輩と久しぶりに歓談する予定が入っていたので、2人は面識がないが、3人で拙宅で軽く一杯やることにした。先輩は気の置けない人なので問題なかろうと。
 さてそれで何を食べるか。酒の肴の刺身は当然としても、その後のものは? この冬(秋)はまだ鍋をやっていないと思い、先輩に鍋でもつつきましょうかと提案した。いいね、それ。私は野菜を買ってきますから、具材をお願いできますか? よし、了解! 同僚や先輩に寝てもらう布団や毛布を二日間ベランダで干し、トイレや風呂場も掃除して準備万端。仕事を終えて帰宅し、テーブルに刺身や小鉢、乾き物などを並べ、鍋の用意も済ませ、二人を待った。先輩が先に来宅。シャワーを浴びてもらい、さっぱりした顔つきの先輩に三人がそろう前にとりあえず、鍋に火だけでも通しておきましょうかと言った。ああ、そうしよう。それで先輩の方がずっと料理上手だから、野菜や具材を放りこんでもらえますか? オッケー。
 それで先輩、肝心の具材はどこに? ああ、具材ね。先輩は隅っこに置いていたバッグを拾い上げ、中から、素麺をひと束手渡した。え、これだけですか? 
 先輩は具材は締めの素麺程度のものでいいのだと勘違いされていたみたいだ・・・! とにもかくにもほどなく3人がそろい、楽しく歓談できた。遅れてやってきた友は缶ビールを1パック持参してきた。彼が2缶を飲み、今冷蔵庫に残り4缶が入っている。私はビール大好き。だが何か一つでも「禁酒」しようともう何年もビールは特別な場以外では口にしていない。神様、友が残した4缶ぐらいは私がこれから飲んでもいいでしょうかしら?と自問している・・・。

“otherworldly” とは!

 久しぶりに大リーグの大谷翔平君のことを書きたい。彼が今年のアメリカンリーグのMVP(最優秀選手)に選出されたというニュースが飛び込んできた。大リーグの公式ホームページではずっと翔平君の受賞の予測記事が流れており、驚きはなかったが、それでも満票、それも二度目の満票は史上初の出来事だと知ると、感嘆せざるを得ない。上記ホームページでは彼が投打に渡る二刀流選手として「この世のものとは思えない(otherworldly)活躍をした」と称えていた。“otherworldly” とは凄い表現だ。
 まだ29歳の若さ。これから円熟の30代を迎える翔平君が来年はどういうプレーを見せてくれるか楽しみだ。投げる方は右腕負傷部位の回復を待ち封印される可能性大だが、打つ方では彼にしか打てない快打を放ってくれることだろう。問題は来シーズンに所属する球団だ。西海岸のロサンゼルスエンゼルスに引き続き留まることを期待したい気持ちもあるが、大リーグの本場はやはりニューヨークやボストンの東海岸か。どこに行くにせよ、彼が2024年を再び健康体で迎え、胸がすくようなホームランをばんばん放って欲しい。
                 ◇
 野球から大相撲へ。私は子供の頃から大相撲をテレビで見るのを楽しみにしてきた。私の世代は文字通り「大鵬・柏戸」世代だ。私は両横綱が千秋楽で優勝をかけて激突するとハラハラドキドキで座して見ておられず、テレビのある部屋から離れて、勝負が決着した後、結果を母親に恐る恐る尋ねていたものだ。柏戸が勝つと手を叩いて喜んでいた。高校時代には贔屓の力士が慌てふためいて自分より力量の劣る力士に負けるのを見るのが耐えられず、本気でその贔屓の力士のところに激励の手紙を書こうと思案したことを覚えてもいる。それほど大相撲が好きだった。
 そして今現在の九州場所。残念ながら、テレビで大相撲を見ることはない。見たくない。理由は簡単。見る気になれないのだ。まずはただ一人の横綱、照ノ富士。今場所も休場とあいなった。けがや病気で序二段まで陥落して這い上がってきたモンゴル出身の照ノ富士には敬意をもって応援してきた。故障を抱えているのは分かるが、これほど休場が相次ぐとさすがに・・・。続いて横綱に続く3人の大関陣。どう見ても小結・関脇ぐらいにしか見えない。特に3人目の大関となったばかりの豊昇龍は頂けない。相手力士に睨みを効かせることで優位に立とうとする劣悪な意図が丸見え。今場所、私は実際に取り組みをみていないが、立ち合いで相手をじらすかのように非常識なほど手を下ろさなかったとか。大関としてあるまじき行為だ。こうした力士が跋扈するようでは大相撲も終わりだ。
 もう一つ大相撲に見切りをつけたくなった理由がある。大相撲の解説者としてお茶の間に人気の北の富士親方がこのところ体調不良からか解説をずっと休んでいるからだ。私は親方が現役の頃はあまり好きではなく、ライバルの確か玉乃島とかいうしこ名の力士を応援していた。だが、引退され解説者となってからは、北の富士親方の率直な時に本音トークも飛び出す解説が楽しみとなった。今は健康食品のCMによく出ている元小結がメインの解説者となっているようだが、私に言わせれば、北の富士親方の味わい深い語りには遠く及ばない。相撲を見る気になる日が再び来るのだろうかしら?

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