July 2025
ただただ暑い!
- 2025-07-09 (Wed)
- 総合
このところの暑さには参ってしまう。サウナにでも入ったような暑さだ。私はとある中学校の勤務を終えるとすぐに電車で数駅離れた高校に向かうのだが、駅へは徒歩で20分程度。普段はどうということもない距離なのだが、今はこれがなかなかの苦行。私は常時ハンチングをかぶって歩いているが、頭の中はぼおーっと霞がかかったような感覚になる。教壇に立ち、生徒にこの猛暑について語っているときに思い出したことがある。嗚呼あの時はもっと暑かったと・・・。
それはアフリカ・スーダンでの取材。1980年代末、まだ南スーダンが分離独立する前のスーダンを取材で訪れた。首都ハルツーム。とある一軒のホテルに投宿した。当時はこの国はまだ熾烈なスーダン内戦の渦中にあった。ただし、テロ事件はそう日常茶飯事ではなく、取材活動で恐怖を覚えた記憶はない。イスラム過激派が台頭する以前であり、アフリカ取材はまだのどかさがあったと言えば言い過ぎか。
ホテルを朝出て、情報省に向かう。目的は何だったのか今となってはよく覚えていない。とにかく情報省に向かって歩いていると、暑さが尋常ではないことに気づく。たまらない。歩き続けることができない。それで迷うことなくホテルに引き返す。部屋に戻り、ぱぱっと衣服を脱ぎ、シャワールームに駆け込み、シャワーを浴びる。お湯はいらない。水で十分。涼しくなったところで再び衣服を身につけ、情報省に向かう。だが、途中でまたホテルに引き返したくなる。シャワーを浴びたくなる。とにかく身体がハルツーム特有の暑さに慣れるまでは大変だった。駐在していた南隣のケニア・ナイロビは赤道直下とはいえ、高地にあるから、木陰に入るとからっとした涼気さえ味わえたのとは大きな違いだった。
◇
新聞を読んでいてAI(人口知能)に関する記事が出ていない日はないのではないか。そう思えるほど、連日、どこかの面でAIの活字が踊っている。購読している読売新聞に興味深い記事が出ていた。米グーグル社の検索に異変が見られるという見出しの記事で、検索結果をAIが要約して表示する機能により、利用者がその基になる情報を提供しているウェブサイトへのアクセスが激減しているのだという。
以下に冒頭部分をそのまま紹介しておきたい。――グーグルは昨年8月、「AIによる概要」という検索の新機能を日本で開始した。例えば「ハンバーガー 健康 影響」と検索すると、「ハンバーガーは高カロリー、高脂肪の傾向があり、食べ過ぎると肥満や生活習慣病のリスクを高める可能性がある」といった回答がページ上部に大きく表示される。回答は、関連するサイトの情報をAIが要約して生成したものだ。――
この新たな展開で参照元のサイトまでアクセスする人が減ることから「ゼロクリック検索」とも呼ばれているという。グーグルがサイトとの共存関係を破壊するような行動に出た背景には、チャットGPTなど対話型AIサービスの普及があり、危機感を抱いているらしい。実は私自身、グーグルよりもチャットGPTの方を重宝するようになっているからグーグルの焦りは理解できる。携帯電話(スマホ)自体の利便性も一昔前には想像できないほどの進化をみせているが、それを支えるAIの進化はアナログ人間の私にはついていけない。
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『カフネ』を読み終えて
- 2025-07-04 (Fri)
- 総合
とある英文の文章を読んでいて、sea glass という見慣れない語に出くわした。筆者が浜辺を歩いていて、時々遭遇するものらしい。「海のガラス?」。普通の英和辞典には載っていないので、ネットで検索してみると、海や湖の海岸に漂着したガラスの破片のことで、長い年月をかけて波や砂によって角が取れ、表面が磨かれて曇りガラスのようになり、独特の味わいがあることから、こう呼ばれるようになったとか。「浜辺の宝石」との異名も。
人工物の海中投棄は海洋汚染につながり、深刻な問題だが、このような「副産物」もあるのか。面白がってばかりはいられないだろうが、海遊びの新たな楽しみになるのかなとも思った。海と言えば、今夏は游ぐ機会があるのかしらん。
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時々のぞいている小さな書店。最近では向田邦子のエッセイ本『海苔と卵と朝めし』や夢野久作の文庫本を購入して読んだ。読み終えたばかりの作品は『カフネ』(講談社・2024年刊行)というタイトルの小説。著者は阿部暁子。この小説で初めて知った作家だ。
奥付には「岩手県出身、在住。2008年『屋上ボーイズ』で第17回ロマン大賞を受賞しデビュー」とあり、以下数冊の著書のタイトルが付記してある。これだけではどういう人物だかは分からない。もちろん、これ以上の情報が欲しければ、ネットでグーグルすれば何か分かるだろう。ただ、今回は密やかな読後感に浸りたくて何も検索しなかった。
まず、淡々とした文章に引き込まれるように読んだ。たまに時系列に戸惑うことがあったが、作品の魅力を減じるものではなかった。推理小説のような側面もあったが、なんとなくそうしたジャンルにこだわることなく読み進めた。読み終えた今思うことはこういう作品は現代だから書かれえたのであり、一昔前だったら、相当の抵抗を感じる読者がいたのではなかろうかと感じたことだ。いや、私の思い過ごしかもしれない。私が時代についていけなくなっていることを物語っているのかもしれない。
物語は不妊治療の甲斐なく死産に終わり、打ちのめされる四十歳過ぎの女性、その女性の一回り年下で姉思いの心優しい弟、その弟の元婚約者の女性という三人を中心に展開する。読者はこの弟と元婚約者の関係は普通予想するような男女の関係ではないのではという疑念を抱きながら読み進めることになる。この弟がある日突然死するのだが、事件性はあるのか、ないのか。両親や姉、さらには結婚するには至らなかった元婚約者にまで遺産を相続したいという遺言書を残していたことからミステリーが深まっていく。
ネタバレになるかもしれないが、実にあっけなく早世した弟は同性愛者だった。女性を愛することができなかったのかまではともかく、愛し合っていた会社の男の同僚も登場する。かといって同性愛だけが主要なテーマの物語ではなく、性的な描写は皆無に近い。むしろ、家族の関係、夫婦の関係、介護や子育てなどの問題がちりばめられている。特に貧困にあえぎながらも死に物狂いで子育てに奔走するシングルマザーとけなげな子供たちのエピソードは読み手の心を打つ。それでも私の印象に残ったのは同性愛や同性愛者の苦悶がさりげなく普通の光景として描かれていたことだった。そういう時代なのだろう。
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