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September 2025

ドジャース、ナ西地区優勝!

 ふと気がつくと9月も残り数日、10月がすぐそこに来ている。はて、先日、新年を迎えたばかりではなかったか。時間が経つのが早過ぎる。1年があっという間に過ぎるのであれば、10年もああっという間なのだろうか。私の世代のように残された時間が気にかかる年齢になると、心細く感じるのは致し方ないことか。
 などと落ち込んでいる余裕はない。毎週月曜から金曜まで仕事(授業)があると、文字通り老体に鞭を打って早起きし、職場に向かい、夕刻に帰宅すると、疲労困憊。ときにはシャワーを浴びることさえ億劫に感じる。大学で同じ非常勤講師として教壇に立っていた時は時間的余裕があったのだろう、週末は結構自由な時間が取れ、好きな競馬に現(うつつ)を抜かしていた。当時は今と違い、競馬は文字通り賭け事であり、大枚を賭けていた。悔いるしかないが、悔いてばかりいても仕方がない。私が仮に(可能ならば)100歳まで生きたとして、そうした阿呆みたいな遊興に人より早くお金を費やしたのであって、十分遊んだのだから、これからは心穏やかに生きるのみ。
 ある意味、私の場合は人より長生きしたい理由ともなる。長生きして競馬やパチンコ、麻雀などの賭け事から足を洗った清く正しい時間をできうる限り多く持てば、長生きした分、一年単位で見た遊興費が少なくなる勘定。自分が受けた親切な行為のお礼を無関係の人に施す行為を英語で “pay it forward”(恩送り)と呼んでいた小説を読んだことがあるが、私の場合はさしずめ “play it forward” とでも呼びたい。「先に遊興し、後の人生は質素に送ることで、費やしたコストをできるだけ「低減」したいという苦肉の策だ。亡きお袋がこの項を読んだら嘆くことしきりだろう。おっかさん、許してたもれ!
                  ◇
 やはり、一言は記しておきたい。海の向こうの大リーグ。ナショナルリーグ西地区で大谷翔平君と山本由伸君が所属するドジャースが何とか優勝(地区4連覇)を遂げた。何とかと書くのは終盤戦はリリーフ陣の崩壊で信じ難い逆転負けが相次いでいたからだ。山本投手は何度勝ち星を失ったことか。12勝8敗で終わったのが、痛すぎる。それでも山本投手に対する評価はうなぎ上り。彼の投球術、ボールの質の高さに対する賛美の声はチーム内外から聞こえた。あと2試合を残して54本のホームランを放ち、3年連続4度目のMVP受賞が確実視されている翔平君にはもはや形容する言葉が見当たらない。
 上記の通り、大リーグは残り2試合を消化すれば、すぐにプレーオフに突入する。ドジャースは西地区で優勝したものの、成績は東、中地区の優勝チームには劣るため、ワイルドカードで勝ち残ったチームと対戦し、先に2勝を上げねばならない。アメリカンリーグの代表チームとワールドシリーズでまみえるにはその後も連日厳しい戦いが控えている。両リーグ全30チームの頂点に立つのは並大抵のことではないことがよく分かる。
 翻って日本のプロ野球は大団円に疑問符がつく。セパそれぞれ6チームしかないのに、勝率5割に満たない3位のチームがリーグ優勝する可能性のあるプレーオフ制度。今シーズンはセリーグで巨人が負け越してもプレーオフに進めそうだ。日本一となることも可能。この制度はもう廃止した方がいいだろう。プロ野球に対する興味が失せて久しい。

無限の時空を生きた旅人

20250907-1757216105.jpg 購読紙に同郷の歌人、若山牧水(1885-1928年)にまつわる記事が出ていた。今年が生誕140年に当り、50年ぶりとなる全歌集が角川文化振興財団によって刊行された。編者は牧水研究の第一人者で歌人の伊藤一彦さん(81)(宮崎市在住)。従来の全歌集が絶版となり入手が難しく、字句の誤りもあったことから、伊藤さんの提案で実現にこぎ着けたという。その後新しく発見された5首も含まれているとか。
 記事中に、牧水の子息で故人の若山旅人さんのことも言及されていた。それで思い出した。私は八王子支局に勤務していた駆け出しの記者時代に父親と同じ歌人の道を歩んでいた旅人さんにインタビューして記事にしたことを。はて、隣接の立川市に住んでいた旅人さんに取材した目的はなんだったのだろう。情けない。明確には思い出せない。残念なのは私は記者時代、特にかけだしの頃に書いた記事は手元に残していない。だから、旅人さんの記事も残っていない。ネットの今なら書いた記事をさくっとフォルダーに入れて保管できるだろうし、その他、色々と手はあるのだろう。いかんせん、当時はそういうことは不可能。きちんと記事をはさみで切り取り、スクラックブックに張り付けておくしかなかった。ものぐさの私にはできないことだった。自業自得。
 牧水にまつわるエッセイはこのブログで以前に書いていたことも思い出した。過去のブログを検索してみると、2014年10月に書いていることが分かった。大意、次のように書いている。――「食欲の秋」は酒(焼酎)の美味い秋でもある。郷土の歌人、若山牧水は詠んでいる。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」。牧水の歌で私が好きなもう一つの歌は「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」という一首だ。この歌に「啓発」され、私は随分昔に「寂しさに耐え抜いてこそ優しさか 我一人旅したくなけれど」という駄作をこねたことを覚えている――
 今回の記事を興味深く読んだ。伊藤さんは牧水を世間に流布している「旅や酒の歌人」としてではなく「『あくがれ』の歌人」として解説している。「あくがれ」は現代の「憧れる」の元となった古語で、今在るところから別の彼方へ向かおうとする心の動きを表すのだという。次の歌が紹介されていた。<けふもまたこころの鉦を打ち鳴し打ち鳴しつつあくがれて行く> 伊藤さんは「あくがれを持ち続ける生き方は無限の時空を生きる旅人であることを意識し、何を求めて生きるかを牧水が常に考えていたということだ」と指摘している。そしてまた、あくがれの先に牧水が求めたものは自然との調和であり、他者とのつながりや共同性だったと。
 「無限の時空を生きる旅人」であったという牧水。この夏九州の湯の里を旅しながら意識していた山頭火もしかり。後世に名を残す歌人、俳人は無限の時空を生きていたのであろうか。愚禿凡夫の私などとは吸っていた空気が異なっていたのか。私にも「あくがれ」はある。彼方など果たして存在するのか、するとしたら、ぜひその風景をこの目で見てみたい。それまでは生き長らえるしかない。働き続けるしかない。凡人にとっては有限の時空であっても最終点にたどり着くのは容易ではない。あるのかどうか分からないが、心の中の鉦を探し当て、鳴らし続けて行こう!

“Walking in Grace 2026”

20250907-1757197899.jpg 毎朝読んでいるキリスト教の祈祷書 “Walking in Grace 2025”。次の英語表現に出くわした。These days, his knees are shot, but he is still … 「近頃は彼の膝は撃たれているが、彼は今なお・・・」ではちょっと意味不明か。彼の膝の調子が思わしくないことは推察できる。おそらくshoot(撃つ)から転じたネガティブな意味合いの語ではないか。辞書でshotを調べると、「(神経などが)ぼろぼろになった」という意味合いが載っていた。例文として This car is shot.(この車はガタがきている)。先述の文章は「最近は彼の膝は絶不調だが、それでも彼はなお・・・」と解釈すればいいのかと納得した。「ガタが来た」を英文ではshot を使って表現できるなどとはネイティブでないとなかなか思いつかないだろう。
 ところで9月の声を聞いたので、私はそろそろ来年の祈祷書を買い求める時期が到来したと思った。これまでは友人の好意に甘えて米国在住の家族から取り寄せてもらったりしていた。今年ぐらいからは自力でゲットしようと思った。もっともこれまでも何度もそうトライしていたが、なぜかできなかった。クレジットカードでの決済にこぎ着けることができなかった。今回も最初の何回かは不調に終わった。住所表記がはねつけられる。困った。匙を投げたくなった。時間をおいてアマゾンに再度挑戦してみた。どうせまたはねつけられるんだろうなあと諦め気分で。
20250907-1757198164.jpg だが、最後の挑戦はうまくことが進んだようだ。来年用の “Walking in Grace 2026” を入手することができた。二週間ぐらいで郵便受けに届く予定。届くまでは安心できないが、まあ大丈夫だろう。この祈祷書を独力で入手しようと願ってから三、四年は経ったような気がする。嬉しい。また、この祈祷書に加え、ずっと入手しようと望んでいた米作家オー・ヘンリーにちなんだ “The O. Henry Prize Stories 2025” という文学賞を紹介した米国の短篇集も購入した。これも自宅の郵便受けに届く。以前はこの本は天神の大型書店に出向けば洋書コーナーで買うことができたものだが、今は姿を消した。ネット購入が可能だから姿を消したのかどうか分からない・・・。
 いずれにしろ、心の中でもやもやしていた思いが雲散霧消したので、今はちょっと気分が良い。今日は週末の金曜日。軽く一杯やるか。最近はもっぱらノンアルを飲んでいる。ノンアルと言えども、十分飲酒の雰囲気は味わえる。本当にアルコール成分ゼロなのだろうかと不思議でならない。生ビールや芋焼酎を飲みたい気持ちは今も強くあるが、独りで飲む限りはノンアルで十分。そのうち焼酎もノンアルが発売されないものかな。ノンイモとかノンショチュなどと銘打って。「飲み助」はかくも意地汚いのだ!
 この項は授業を終えて、学校近くのスーパーのフッドコートでパソコンに打っているのだが、そろそろ、帰宅しよう。最寄りの駅に着いたら、いつものスーパーに寄り、ノンアルの肴を買い求めよう。ノンアルでも刺身を食べたい。乾き物も少し。夕食用のおかずは何にしようか。デザートはスイカ。私は前世はキリギリスではなかったかと思うくらい、八百屋でスイカの切り売りを見ると、気がつくと手にしてレジ前に並んでいる。スイカを食べ、仕上げはプレーンヨーグルトにブルーベリー。たまに無調整豆乳にきな粉を混ぜて食べるが、こちらは朝の定番だから夜にまでは食したくないので普段は控える。

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