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『歎異抄をひらく』

  • 2019-12-12 (Thu) 09:41
  • 総合

20191212-1576111271.jpg 先月半ばに『歎異抄』(金子大栄校注)を改めて読もうと思い至った経緯を書いた。それでベッドで眠りに就く前に岩波文庫のまことに薄い文庫本を繰っていた。だが、これも途中で段々と気が重くなった。恥ずかしながら文意がよく理解できないのだ。
 善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり・・・。この辺りまでは私も何とか理解はできる。冒頭の一節は、「悪人正機説」として中学か高校の国語(?)教科書にも出て来た有名な文章でもある。広辞苑(電子)にも「自力をたのみとして善根を積む善人でさえ往生できるのだから、他力をたのむのみの悪人が往生できるのは当然である」とその意味するところが載っている。
 だが、その直前にある次のくだりは難解だ。自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまうして地獄にもおちてさふらはゞこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いずれの行もよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし
 何となく分かるような気もするが、甚だ心もとない。それでブログにも記した広告の本のことを思い出した。『歎異抄をひらく』(1万年堂出版)。書店に足を運び、手に取って見た。こちらは単行本で厚みもある。上記のくだりは次のような意訳が添えられていた。「念仏以外の修業を励んで仏になれる私ならば、念仏したから地獄に墜ちたという後悔もあろう。だが、いずれの善行もできぬ親鸞は、地獄のほかに行き場がないのである」。この意訳は実に分かりやすい。
 意訳の他に要約、解説も付いており、一見して門外漢にも取っ付き易い内容・構成となっているようだ。早速買い求め、少しずつ読み始めた。今度は何とか最後まで読み通したいものだと願っている。
                 ◇
 アフガニスタンで献身的な支援活動に長年従事してきた医師の中村哲さんがテロリストの銃弾に倒れた。その無念さに思いを馳せると、言葉もない。
 世界各地でテロや無差別の銃撃事件が跡を絶たない。宇宙のかなたから(当然のことながら)人類よりはるかに高度の文明を持つ異星人が地球にやってきたら、地球の生物は何と愚かで残忍であることかと驚くことだろう。そしてもしかして抱いていた友好・共存の計画を放棄し、人類の滅亡を企図するかもしれない、などと夢想してしまう。
 ロンドンの中心部で市民2人が殺害されたテロ。BBCの記事を見ていて、事件の目撃者の証言に戸惑った。"I saw people die, I saw things that I will never be able to unsee." え、unsee とは何ぞや? 私の辞書には載っていない。ネットで調べると、unsee とはto return to a situation in which you have not seen somethingと説明されている。Once you have seen something, you can’t unsee it. という例文もあった。「それを目にしたからには、もう二度と記憶から消すことなんかできない」という意味だろう。我々にはこのような発想の英語表現はできないかなと思う。ネットには “I wish I could unsee it.” (できることなら、それを見た記憶を消したいです)という例文もあった。凄い表現だ。

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