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故郷のお墓

  • 2019-08-18 (Sun) 20:52
  • 総合

20190818-1566129087.jpg 20190818-1566129120.jpg青島のホテルには3泊した。温泉に何度も浸かり、鬼の洗濯板で有名な青島神社にも歩いた。ホテルを離れ予定通り、山里の実家を訪ね、お袋や父親、長兄、次姉が眠るお墓にも手を合わせた。父親と長兄が好きだった焼酎をお墓にかけた。お袋と次姉のためにはお袋が好きだった健康飲料をかけた。古里の名産品をお土産として沢山買い求めもした。気持ちがいい好天の故郷はこの日は明るく輝いて見えた。
 最後の夜は西都の幼馴染のいとこの家に泊めてもらった。いとこ夫婦と私の妹との4人でビールに焼酎を飲みながら、楽しく歓談した。居間でカラオケも楽しんだ。音楽の才のあるいとこは歌がうまい。私は足元にも及ばないが、それでも久しぶりに私の演歌を耳にしたいとこは昔よりずいぶん上手くなったとほめてくれた。
 今、特急にちりんの座席に身を委ねながら、多少二日酔い気味のぼぉーとした頭でパソコンのキーボードを叩いている。色々な思いが頭に浮かぶが、とりとめのないことが多く、ここに記すのは憚られる。私にはすでに両親はなく近しい肉親も相次いで黄泉の国に旅立っている。現世のはかなさは承知している。宇宙の無限・広大さに比べれば1個人の人生など取るに足らない刹那的なものに過ぎないだろう。
 だから、故郷に拘泥することはあまり意味のないことかもしれない。この地球でさえ未来永劫存続するものかどうかも分からない。そういうことを受容した上で、私は思う。ずっと故郷、あるいは故郷に近い土地に住み続ける人は幸福だ。もちろん彼らには彼らの苦労があるだろうが。
                  ◇
 青島。私が泊まっていたホテルから別のホテルが見えた。以前に泊まったことがあるような気がしていた。そうだ、宮崎大学時代の恩師、バタワース先生の歓迎会をした時、私は福岡から来てそこに泊まったような。ひょっとしたら過去にブログでそのことを書いているかもしれない。そう思ってスクロールしてみたものの、記述はない。今のブログは英国の旅を終え、福岡に再び落ち着いた2012年11月からスタートさせている。どうもその前のことのようだ。
 過去のメールを確認すれば、分かるかもしれない。古いメールをチェックすると、分かった。2012年3月下旬に上記の歓迎会がもたれている。バタワース先生を驚かすために私の参加は内緒にされていたようだ。日本人の恩師2人に卒業生2人が中心となり、そのグループに私が飛び入り参加する形でサプライズ歓迎会となったようだ。その時の歓迎会の宴の場となり、宿泊先となったのが目の前のホテルだったことが分かった。
 そうか、あれからもう7年近く経っているのか。ついこの間のような気がしていた。バタワース先生とは今も時々メールのやり取りをしている。彼が宮崎をまた再訪したく思っていることも知っている。先年奥様を亡くされた。再度彼をアメリカから宮崎に招待することを考えてもいいかもしれない。袖振り合うも他生の縁とか。そうした縁のある人とはできうる限り、袖を振り合わせて生きたいものだ。そうしたくてもできないでいる、かつての友人たちも少なくないが。

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