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吉川『三国志』読了

  • 2017-07-26 (Wed) 07:06
  • 総合

 スポーツクラブのプールで久しく顔を見ていなかった人がいたので、「元気でしたか」と声をかけた。彼女は泳ぎが達者でひところは毎日のように顔を見せていた。娘さんの塾通いの送迎などで忙しくなったので数週間プールを休んでいたのだとか。「毎日3個のアイスを食べていたら、今日、水着がきつくて苦労しました」と苦笑していた。
 私もつられて笑ったが、数日後のこと・・・。大学の授業で最初と最後だけはスーツにネクタイで教壇に立つことにしている。前期最後の授業、久しぶりに夏用の薄手のスーツを着ようとした。ズボンに足を通し、ホックを締めようとしたら、何と、とてもきつくて締められない。腹回りが凄いことになっていた。普段はいているジーンズは楽に着続けていたので全然気づかなかった。ショック!
 それで最後の授業も普段通り、ポロシャツにジーンズで出勤。大学に着いたら、サウナ状態に暑かったので、「正解」だったかもしれない。それにしても、去年だかは楽にはけていたズボンがはけないとは情けない。本腰を入れて腹回りのスリム化に取り組もう!
                 ◇
 『三国志』(吉川英治著)の文庫本、全10巻を読み終えた。中国語を学んでいると三国志がらみの表現が出てくることもあり、この際、きちんと読んでおこうという意図だったのだが、確かにいろいろと勉強になった。何度も書くが、我が国では実情が歴史のかなたのもやに包まれている西暦200年前後の中国大陸では、名のあるあれほどの英傑たちが激しくしのぎを削っていたとは。
 第9巻の「出師の巻」で著者の吉川は次のように書いている。千七百年前の支那にも今日の中国が見られ、現代の中国にも三国時代の支那がしばしば眺められる。戦乱は古今を通じて、支那歴史をつらぬく黄河の流れであり長江の波濤である。何の宿命かこの国の大陸には数千年のあいだ半世紀といえど戦乱の絶無だったということはない。だから支那の代表的人物はことごとく戦乱の中に人と為り戦乱の裡に人生を積んできた。また民衆もその絶えまなき動流の土に耕し、その戦々兢々たるもとに子を生み、流亡も離合も苦楽もまたすべての生計も、土蜂の如く戦禍のうちに営んできた。
 この国を統治するのは古今至難の業であったようだ。といって、今の中国共産党の一党独裁を決して擁護しているわけではさらさらないが・・・。
                 ◇
 英字新聞を読んでいて時にはたと手がとまることがある。いい文章に出合ったというのであればいいのだが、理解に苦しむケースも。昨日はスポーツ欄のゴルフの記事がそうだった。応援していた松山英樹選手は最終日が少し情けない結果に終わった全英オープンゴルフ(The Open)。優勝したのはアメリカのスター選手、ジョーダン・スピースだった。
 ジャパン・ニュース紙が掲載したAP通信の転電記事は、スピース選手の13番ホールでの機転を利かせた冷静沈着なリカバリープレーを称賛していた。そのくだりに次の一文があった。—— He had the presence to ask if the driving range was out of bounds. —— おそらくこれは the presence of mind ということだろう。of mindがないと意味不明だ。

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