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I throat sore.?

  • 2017-02-01 (Wed) 09:23
  • 総合

 中国語と韓国語の独学に勤しむようになって以来、NHKのFM放送や音楽CDに耳を傾けること、それと小説の類の読書に割く時間が激減している。残念な気がしないでもないが、一日の日の長さと個人の能力には限界があるので致し方ない。
 先日、とあるところから、2月中旬に佐賀市で催される文学のイベントに行きませんかとのお誘いのメールが届いた。芥川賞受賞作家と直木賞候補作家という二人の女性作家による公開対談があるのだという。恥ずかしながら二人とも初めて目にした名前で、その作品は当然、読んだことがない。まあ、佐賀だと遠いし、読んだことのない作家だから、出かけることはないかと思っていたら、福岡から車で行くので同乗可ですよとの「二の矢」のメールが飛んできた。
 あ、それなら行こう。私に運転をさせてもらおう。久しく福岡周辺ではハンドルを握っていない。ナビがありさえすれば、佐賀へのドライブも快適だろう。
 それで、さすがに作品を読んでおこうと思い、図書館から手頃な本を借りてきて読んだ。これからの活躍が期待されている作家のようだ。藤野可織氏と千早茜氏。藤野氏は2013年に芥川賞を『爪と目』で受賞。千早氏は同年に『あとかた』で島清恋愛文学賞を受賞している。どちらも読み応えのある作品で面白く読んだ。『あとかた』の淡々とした性描写が印象に残った。裏表紙に目をやって気づいた。二人ともに私が新聞社に入社した頃に生を受けている。光陰矢の如し。出典の中国語だと「光阴似箭」。箭は「矢」。声調を無視してあえて乱暴にカタカナ表記すると、「グアンイン スージエン」。
                 ◇
 その中国語。最近気になったのは次の文章。我嗓子疼。まず、嬉しいのは句点の 。が日本語と同様の 。であることだ。世界広しといえども、文章を区切る際にこの 。を使っているのは日本語と中国語だけではないかと思う。(他にもあるかもしれないが・・・)
 「嗓子」は「喉」を意味する。「疼」は「痛い」。我嗓子疼。これも声調を無視して乱暴にカタカナ表記すると、「ウォサンズトゥン」。日本語だと「私は喉が痛い」となる。英語にそのまま落とすと、I throat sore. となる。もちろん、これは直訳的に該当する語を当てはめただけであり、自然な英文にすると、I have a sore throat. とか My throat hurts. といった文章になるかと思う。
 私が何を言いたいのかと言うと、中国語の我は日本語だと私、英語だとI であり、my ではないということだ。英語では上記の文章でI の直後にthroat と続けることは無理がある。中国語は自然に続けることができる。日本語は係助詞があるので、私「は」喉「が」と言えば、何の差し障りもなく自然な文章となる。この点だけを見れば、日本語を母国語とする我々は中国語により容易に近づくことができると感じる次第だ。英語だとIと冒頭に発すれば、その後にはthroat と続けることができないので、構文をまず考えて言葉を選ばなくてはならない。I …. have a sore throat. と。
 声調・ピンインにてこずってはいるものの、私は今も日々、中国語に「近しみ」を感じつつある。果たしていつまでこの「近しみ」が続くのか不明ではあるが・・・。

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