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韓国語学習へ

  • 2015-08-19 (Wed) 21:28
  • 総合

 ほぼ30年ぶりの一念発起と言えようか。韓国語をしっかり習得しようと思い立ったからだ。日常会話はもちろん、ある程度の内容を伴う会話ができるレベルにまで達することを目指したい。ざっくばらんに言えば、アフリカや英米を旅して「さるく紀行」本をものにすることができたように、いつか韓国をさるき回り、土地の人と韓国語で語らい、そのやり取りをブログにアップすることができる程度にはなりたいと願っている。
 韓国語に初めて挑戦したのは新聞社に入社して、地方勤務の後、国際部(当時は外報部と呼ばれていた)に配属された駆け出しの頃だ。30歳になったばかりだったかと思う。国際部記者は社内で週1回程度、関心のある外国語の個人レッスンを受けることができた。私は韓国語を選択した。先生としてやって来たのは、私より少し年長の小柄でおとなしい感じの韓国人女性だった。尹という名の先生だったような記憶が。私は予習復習ろくにしない劣等生だったことは間違いない。それでも尹先生は辛抱強く教えてくれた。
 母音を何度も反復練習させられた。韓国語は基本母音が10個。これだけでも手こずったが、さらに複合母音があり、これには閉口させられた。やる気はあったのだが、ほどなくナイロビ支局勤務となったため、韓国語の個人レッスンは終了となった。その後、大阪勤務時代に韓国語の語学学校に通い、再チャレンジしようと思ったものの、仕事に追われたこともあり、途中で断念。だから、私の韓国語は「カムサハムニダ」と言うのが関の山だ。
 つい最近のこと。特派員時代のインタビューテープを整理していた。韓国語の録音テープが幾つかあった。レコーダーにかけてみる。優しい韓国語の声が聞こえる。懐かしい尹先生の声だ。彼女はわざわざ教科書のポイントをテープに録音して私に与えていたのだ。
 これも「神様の思し召し」(Providence)かもしれない。そんなことを漠然と思った。本当に今度こそ、韓国語を習得しよう。暇だけはたっぷりある。尹先生が面倒を厭わず、吹き込んでくれたテープも一生懸命に聞こう。せめてもの恩返しだ。当時使っていた教科書は大事に取っている。初級用とはいえ、教科書に書いてあることをすべて理解できれば、かなりの力はつくはずだ。“Better be late than never.”(遅くてもしないよりはまし)という英語表現があるではないか。「尹선생님(先生)、私はこれから真剣に韓国語の勉強に励みます!」と叫んでみても伝わるわけはないが・・・。
 本棚を探すと、韓国語に関する書籍が何冊かあった。購入したはよいが、一度も読んだことがない(と思った)一冊は、『韓国の子供はどう韓国語を覚えるか』(李蓮玉著)という本。寝転んで読み進めると、青色のマーカーが引いてある個所にぶつかった。おや? ということは少なくともこの本も途中までは読んだことがあるということか。マークした箇所は「ㅓ(オ)と 오(オ)、この二つの母音は、まさに日本人の韓国語学習者を悩ませるくせものです。韓国で生まれ育った人には明らかに違うこの二つの母音が、日本で生まれ育った人には、同じ(オ)に聞こえるからです」とある。
 確かにその通り。今は上記の文章は明確に理解できる。よし、「積読」 の効用もこれからいかんなく発揮させよう。日本語と韓国語の共通点はかなりあるようだ。地道にやればそう遠くない将来、韓国をさるき回れるほどの語学力は身に付くかもしれない。

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